暁の山羊

春野 サクラ

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  十月。キンモクセイの強い香りがあちらこちらに漂う頃、葉奈の初めての運動会が催された。
 入場門からは、楽しげな音楽とともに白い体操帽子をかぶった葉奈が元気よく手を振りながら出てくる。
 「見て、葉奈は白組よ」
 明日夏は、葉奈を指さしして父に教えた。
 「ん……。おお。居た居た!」
 「ニーさん、撮れてる?」
 「んん。だいじょぶだ」
 二賀斗はカメラを構えて葉奈を撮影している。明日夏がプログラムを開き、催し物の順番を確認する。
 「準備運動の後、一番目が葉奈のかけっこよ」
 「そっか。ちょっと場所を移動するね」
 そう言って二賀斗は立ち上がると、ゴール付近の方に走って行った。
 準備運動が終わり、園児が一旦退場する。そして、葉奈のクラスが再び入場してきた。
 四人の園児がコースに並ぶと、一人づつ名前が呼ばれた。
 「……ちゃん」
 「はい!」
 園児は右手を上げて、元気よく返事をする。
 「如月葉奈ちゃん」
 「はい!」
 葉奈も手を上げて、大きな声で返事をした。
 ゴール付近でカメラを構えている二賀斗の姿が明日夏の目に映った。
 「位置について、よーい……」
 先生が咥えたホイッスルが、ピーッと鳴った。園児達が勢いよく大地を蹴る。周りを囲む観客たちの声が一斉に園に広がった。
 「頑張れー」
 「走れ走れー」
 「葉奈ー! 頑張ってー!」
 「ほら! 行け! 葉奈!」
 「葉奈ちゃーん!」
 明日夏も、鐡哉も、容子も夢中で葉奈を応援する。
 小さな足をバタつかせて葉奈は走る。その姿を二賀斗はファインダー越しに目に焼き付ける。
 〈もうちょっとだ! がんばれッ!〉
 ゴールに置かれたテープを葉奈が切った。
 「わあーッ! 葉奈が一番よ!」
 明日夏は手を叩いて嬉しそうに声を上げる。
 「いやー、大したもんだ」
 「葉奈ちゃん、かけっこ速いのねー」
 父母も嬉しそうに声を上げた。

 その後もプログラムに沿って園児達は、踊りを披露したり、玉入れをしたり、父母たちが混ざってのかけっこなどが催された。
 「ニーさん大丈夫だった? 転びそうになってたわよ」
 明日夏が笑いながら、かけっこを終えた二賀斗に話しかけた。
 「トラックが狭いからさ、危なくってー」
 かけっこを終えた二賀斗が、照れ笑いして戻ってきた。
 「それではこれからお昼休みとなります。午後一時になりましたら園児の皆さんはまた、入場門に集まってください」
 「あっ、葉奈を迎えに行かなきゃ」
 明日夏は立ち上がると、小走りで入場門に向かって行った。
 「いやー。やっぱり子どもを見てると元気が出るなあ」
 鐡哉は園庭を見ながらつぶやく。
 「ほんとですねぇ。こんな歳になって、またこうやって楽しめるなんて、思っても見なかったですよ」
 容子も一緒になって園庭を見回す。
 「おまたせー」
 「たっだいまーっ!」
 葉奈と明日夏が戻ってきた。
 「もらったよー」
 葉奈は、賞品としてもらった自由帳を鐡哉に差し出した。
 「おおー。がんばったなあ、葉奈!」
 鐡哉は出された商品を受け取ると、優しく葉奈の頭を撫でた。
 「葉奈ちゃんは、かけっこも踊りも上手だったねぇ」
 「うん! じょうずにおどれるよ!」
 そう言うと、葉奈はさっき踊った踊りをまた踊り出した。
 「はいはい、葉奈ちゃん。ごはん食べましょ」
 葉奈を落ち着かせるように、容子は葉奈の手をタオルで拭く。
 「りんごっ! りんごっ!」
 葉奈は、おちゃらけながらリンゴを掴むと、そのまま口に入れ、頬張った。
 「葉奈ぁ。座って食べよ」
 明日夏は、葉奈の手を引っ張り座らせようとする。
 「モグモグ、りんごぉー」
 それでもなお、踊りながら葉奈はリンゴばかり口に運んだ。
 「あはは、葉奈。お座りしなさい」
 「にひひひ。トマトもたべるー」
 葉奈は明日夏と二賀斗の間に陣取ると、手づかみでプチトマトを口に入れた。
 「こんなにひょうきん者だったんだ、葉奈ちゃんは」
 少し戸惑った顔で二賀斗は明日夏に尋ねた。
 「ちょっとハイテンションなんだよねー」
 明日夏は、葉奈の顔を覗き見るように答えた。
 「うん!」
 葉奈は、言われた言葉の意味も分からずに元気な声で返事をした。

 午後の部に入り、年少組や年長組の園児のプログラムが終わり、最後のプログラム、親子騎馬戦の番が来た。葉奈は二賀斗の背中に乗り、決戦の合図を待っていた。
 「よーい。……始め!」
 先生の合図を皮切りに、一斉に騎馬が走り出す。
 「葉奈ちゃん、帽子取るんだよー」
 「うん!」
 二賀斗は、夢中になってあっちこっちと駆けずり回る。突進する親子、ぐるぐると逃げ惑う親子。園児を乗せた騎馬たちは、狭い園庭の中を砂埃を立ててひしめき合った。
 「そこまでー」
 「ハア、ハア、ふうー。……葉奈ちゃん取れたかい?」
 二賀斗は、背中におぶられた葉奈を見る。
 「……なんだい! 帽子ないじゃん!」
 「にひひひ」
 葉奈は二賀斗の背中にしっかりと掴まりながら、笑顔で二賀斗を見る。二賀斗はその笑顔を見ると、自身も満面の笑みを浮かべた。
 運動会は紅組の優勝で幕を閉じた。そして、皆が帰路につく。
 明日夏達も駐車場までの道を歩いている。
 「葉奈ちゃん、今日はがんばったねえ」
 二賀斗は、葉奈に話しかけた。
 「んー。おんぶぅー」
 歩いていた葉奈が、急に明日夏に向かってぐずり始めた。
 「葉奈ちゃん、おんぶしてやるぞー」
 二賀斗が葉奈に寄って行った。
 「んー!」
 葉奈は、明日夏のライトブルーのシャツのすそを引っ張った。
 「もー。ちょっとだけよ」
 明日夏は、しゃがみこむと体操着姿の葉奈をか細い背中に背負った。
 「あー、重くなったー。これ以上重くなったらおんぶできないぞー」
 明日夏は、笑顔で葉奈に告げる。
 「陽生さん、少し持つわよ」
 容子が、荷物を抱えた二賀斗に話しかけた。
 「あ、いえいえ、……大丈夫ですよ」
 控えめな笑顔で容子に答えながら、二賀斗は哀感に満ちた表情を浮かべて明日夏の背中に抱えられている葉奈を黙って見つめた。



  小春日和の十一月初旬。街路樹の葉が、黄金色に見間違うほどに澄んだ黄色に染まっている。快晴の青と相まって、神々しい風景を作り出していた。
 明日夏の家族と二賀斗は、葉奈の通う幼稚園の学習発表会を見るために市民会館に来ていた。
 「ええっと、……小ホールだからこっちね」
 明日夏を先頭に、皆が小ホールに進む。
 「ここよ」
 明日夏が、ホールの入り口を開ける。
 「うわー。……すごい人ね。えーっと、……あそこに座ろ。舞台からちょっと離れてるけど、見える?」
 明日夏が父に話しかける。
 「会館使ってやるなんて、すごいな」
 鐡哉は、感心しながら席に座る。
 「明日夏のころなんて、幼稚園でやってたのにねえ」
 容子もホールをぐるり見回しながら席に座る。
 しばらくすると、ホールのシーリングライトがフェードアウトし、場内が静まり返った。閉じていた緞帳がゆっくり上がると、サスペンションライト達に照らされた園児全員が行儀よく舞台に並んでいた。
 ピアノの伴奏が始まると、園児たちは声を張り上げて園歌を謳い始めた。
 「何処にいるの?」
 二賀斗は、明日夏に尋ねた。
 「……えーっとねえ。……二列目の真ん中ヘン。わかる?」
 「……ああ、いたいた」
 葉奈は、周りの園児に負けじと小さな口を大きく開けて歌を歌っていた。
 歌が終わると、舞台の照明が反転し、園児達が袖に移動する。そして再び舞台が照らし出されると、そこには葉奈のクラスの園児達が、可愛らしい動物の格好をして立っていた。
 「プログラム一番。さくら組、ヒップホップアニマルです」
 観客席からは、津波のような拍手の音が舞台に降りかかる。コミカルな音楽が鳴り始めると、園児たちは元気いっぱいに踊り始めた。
 「じょーずに踊れてるなあ、葉奈は」
 鐡哉は、目尻を下げながら話す。
 「ほんとにお上手ねぇ」
 容子も口元を上げながら鑑賞する。
 園児の踊りが終わると、客席からは拍手の嵐が起こり、園児はおじぎをして袖に向かった。それから年中のクラス、年長のクラスの踊りや劇が続き、葉奈のクラスの劇が始まった。
 「……ようせいさん、ようせいさん」
 村人の格好をした園児数人が一斉に声を出す。
 「火の妖精さんが現れました」
 先生のナレーションがホールに響く。
 「だめだー。つぎのようせいさんをよぼう。ようせいさん、ようせいさん」
 「水の妖精さんが現れました」
 先生のナレーションを合図に、青い衣装を着た葉奈と数人の園児が小走りに舞台の袖から出てきた。
 「おー。来た来た」
 二賀斗が、小声でつぶやく。
 「ようせいさん、できますか」
 「わたしたちじゃ、だめだー」
 葉奈たちは、声をそろえて台詞を言う。
 「水の妖精さんは去って行きました」
 先生がそうナレーションすると、葉奈たちは袖に戻って行った。
 明日夏も二賀斗も頬を緩ませながら見ていた。

 そして劇が終わると、葉奈のクラスの園児達が舞台に集合し、一礼して袖に掃けた。最後に年長組の園児が劇を披露して、その年の発表会は無事に締めくくられた。
 
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