暁の山羊

春野 サクラ

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 あの日以降、明日夏からの誘いの連絡もバッタリ消えてしまった。二賀斗からも連絡することはなく、幾日かが過ぎようとしていた。
 ある平日の正午過ぎ、外回りをしていた二賀斗のスマホから呼び出しの音が流れた。
 二賀斗はズボンのポケットからスマホを取り出し画面を確認すると、ニヤリと笑みを浮かべた。
 「トーム! 久しぶりー」
 「よーお、ニッカ! お前ェ、何やってんだよー。随分とご無沙汰じゃねえかー」
 スマホの向こうから、相変わらずの威勢のいい声が聞こえてきた。大学時代の友人、戸室悠嗣とむろゆうじ。通称“トム”の声。二賀斗と同じ大学の同じ学科を卒業し、都内の区役所に入庁していた。
 「それはそうと、月に一度の飲み会どうなってんだよー。……まさか、結婚でもしたかっ!」
 「いやいや。いっそがしくってさ、悪かったね。電話しようとは思ってたんだよ」
 「そっか。商売繁盛いいことだ。じゃあ、どうだい。明日あたり。金曜だし」
 「おお、いいよ。やるかァ」
 「じゃあ、六時から七時の間ってことで。詳しい場所とかは追って連絡するわ」
 「おお」
 男同士の、あっさりとした通話が終わる。二賀斗はスマホをズボンのポケットにしまうと、わずかに口元を緩めた。

 次の日の夕刻。二賀斗は、戸室の職場から少し離れた都内の繁華街の飲み屋に姿を見せた。
 「いらっしゃいまっせェー!」
 男性店員の威勢のいい挨拶が店内に響く。
 「戸室で予約してるんですが……」
 「はいィー! ええと……。こちらどうぞオー!」
 二賀斗は、男性店員の後についていく。
 「あっはっはっ……」
 「そうなんだよ! それがいけないんだよ!」
 店内は、夜も始まったばかりだというのに多くの客で溢れ返っている。中年のサラリーマン連中、大学生のグループ、女子会……。店員も、あちらこちらと忙しく動き回っていた。
 奥の座敷に案内されると、戸室の他に女性が二人行儀よく座っていた。
 「えーっと……。トム?」
 「おおーっ、ニッカ! よく来た! 入れ入れ!」
 戸室は大げさに手招きした。
 長方形の座卓には戸室が座り、その隣にショートカットの女性。その女性の正面にはロングヘアーの女性が座っている。
 「トム。……どしたの? 二人だけじゃなかったのかよ」
 二賀斗は戸惑った顔をしながら、戸室に耳打ちした。
 「はっはは。まあまあ、取りあえずそこに座れよ」
 指図されるがまま、二賀斗は長い髪の子の隣に遠慮しがちに座った。
 「あっ、どうも、……こんばんは」
 二賀斗は挨拶しながらその子に向かって軽く頭を下げる。
 「あ、こんばんは」
 女性は照れながらも笑顔で会釈をした。
 「よしっ! メンツがそろったから、まずはビールで乾杯か! 注文、注文」
 そう言うと、戸室は店員を呼び止め、次々に注文していった。
 「な、何なの? 今日は」
 二賀斗は小声で戸室に問いかけた。
 「飲み会だよ。ただ、おっさんが二人で飲んでも味気ないだろ? 今日は職場の中でも一、二を争う綺麗さんを連れてきたからな。盛り上がるぞー」
 「主幹、どっちが一番なんですかァ?」
 ショートカットの女性が笑みを浮かべながら戸室に質問した。
 「そらぁ、どっちも一番だよぉー」
 「えーっ? 二番どこ行っちゃったんですかぁ?」
 「んん? そんなこと言ったっけェ? はっははは!」
 戸室は上機嫌で笑った。
 「お待たせしましたアー」
 店員が中ジョッキを四杯、両手に抱えて持ってきた。
 「よっし。はい、みんな持って、……じゃあ乾杯だ! カンパーイ!」
 四人のジョッキが音を立てて合わさる。戸室はビールを一気に飲み込む。二賀斗は居たたまれない顔をしながらジョッキを口元に持っていった。
 「っはあーっ! やっぱ、最初の一口はたまらんな!」
 戸室は泡をつけた口で、そう言い散らかした。
 「うん、おいしいね」
 「うん」
 二人の女性も、同じ言葉を口にした。
 「よーし。じゃあ、お待ちかねの自己紹介と行くかあ。俺の隣の美女は那智澪名なちれいなちゃんだ。拍手ゥー」
 戸室は、テーブルの上で大きく手を叩いた。釣られるように三人も手を叩く。
 「その次、こちらの美女は淺川主織あさかわしおりちゃんだ。拍手ゥー!」
 「はい、パチパチパチー」
 澪名が手を叩きながら喋る。二賀斗も苦笑しながら手を叩く。
 「お待たせしましたァ。本日のメインディッシュ、二賀斗陽生でございますゥ~。拍手ゥー。」
 四人が一斉に拍手をする。
 「……とまぁ、こんなところだ。こいつとは同じ大学の腐れ縁ってやつでさあ、こんなナリしてんのにまだ独身なんだよ」
 急に普通の話口調に戻って、戸室は女性二人に説明し出した。
 「へえー。主幹からお話伺ってたんですが、えーっ。……ほんとかっこいいですねえ」
 澪名はテーブル越しに、まじまじと二賀斗の顔を見つめた。
 「おいおい、お前彼氏いるんじゃねえのかァー。いけないなあ」
 「二賀斗さんに乗り換えたいなぁ。ね、淺川ちゃん」
 「え、あ、ええ……」
 主織は控えめな笑顔を見せた。
 「いやさあ。世間話をしてたらさ、なんだかニッカの話になっちゃって、そしたら二人とも会ってみたいって話になっちまったのよ。悪かったな。でもしばらく会ってなかったから、まぁいいだろ?」
 戸室はいつもの笑顔で、二賀斗に今日の飲み会の趣旨を自白した。
 「ああ、そっか。……まあ、こんなきれいな人達と飲める機会なんて、そうそうないしな」
 二賀斗は軽く微笑んで見せた。
 「おおー。これはこれは。ニッカも言うようになったなあ! よし! 飲も、飲も」
 戸室はそう言うと、ジョッキの中のビールをグイグイと飲み込んだ。
 そのうち、注文した料理もそろい、テーブルは華やかに飾り立てられた。
 「二賀斗さんって、お仕事なにされてるんですか?」
 澪名が前のめりで尋ねた。
 「ああ。代書屋、……んーと行政書士ってやつをしてます」
 「へえー。じゃあ、役所の仕事についても詳しいんですね」
 「いやいや、書類作りだけですから。わからないとすぐ戸室に聞いちゃうんですよ」
 「いい友達を持ってよかったな、ニッカ! はははっ」
 「淺川ちゃんも何か聞きなよ」
 澪名が主織に話しかけた。
 「あっ、うん。えっと、あの、……元気ですか?」
 「へ? ……あ、元気ですね」
 二賀斗は目をテンにして答えた。
 「がはははははっ!」
 「あはははは」
 戸室と澪名は大声で笑った。
 「いやいやいや。相変わらずの天然だなあ! お前はァ。あっははは」
 「ほんと。淺川ちゃん、サイコー」
 「ちょっと、やめてくださいよー。那智さんが急に振るから」
 主織が困った顔で言い訳をする。隣に座る二賀斗は、主織に向かって言葉をかけた。
 「いや、今の言葉で自分の緊張が解けた感じがしましたよ。なんか、楽しく話せそうですね」
 澪名が目を細めて笑みを浮かべる。
 「二賀斗さんって、女性の扱い上手そうー」
 「ええ? な、なんでェ」
 二賀斗は苦笑した。
 「はっははは。コイツの学生の時を見せてやりてえよ。女の扱いがひでー雑でなぁ。たまに合コンしたって、ぶっきら棒に話すだけでまるで女を口説く気なかったもんな!」
 戸室が得意げに昔の話を持ち出した。
 「へえー。そうなんですか」
 澪名と主織が声を合わせて感嘆した。
 「トーム、そんなことないだろ。そんな雑だったか?」
 二賀斗は苦笑いする。
 「主幹、二賀斗さんの話、もっと聞かせてくださいよォ」
 澪名が、欲しがりな眼差しで戸室を見つめた。
 「この先は個人情報がうるさいからなあ」
 「じゃあ、部分公開でお願いしまーす」
 澪名は笑顔で切り返した。

 「ありがとゃしたーッ!」
 威勢よく叫ぶ店員をよそに、四人は店を出た。
 「主幹、いくらですかー」
 「いい! いいって。今日は付き合ってもらったからな」
 そう言って戸室は、財布から紙幣を出す二人を遮った。
 夜も更け、時刻は午後九時を過ぎている。アルコールとまばゆい街の灯りが、若い二人の気持ちを過剰なほどに高揚させていた。
 「主幹、次行きましょうよ!」
 澪名が大声で叫ぶ。
 「いやいやいや。遅いからまた今度にしよう。若い女性が遅くまでうろついてたら危ないぞ」
 戸室は手を振って澪名を落ち着かせた。
 「澪名ちゃん。今日はこのくらいでさ、そのうちまたやろうよ」
 二賀斗もそう言って、澪名の気を静めようとした。
 「えー? 絶対ですよぉ」
 「おっ、タクシーが来たぞ。乗れ乗れ」
 タクシーが店の前で停車すると、戸室は後部ドアを開けて無理矢理二人を乗せた。
 「淺川、これな」
 戸室は一万札を主織の手に握らせた。
 「しゅ、主幹! これっ」
 「余ったら月曜に返せ。じゃなっ、お疲れ!」
 後ろのドアを閉め、タクシーは快音をたてて発進した。戸室と二賀斗は手を振ってタクシーを見送る。
 「……さってと、俺たちも帰るか」
 赤い顔をした戸室が、二賀斗の方を向いて告げる。
 「いくらだった?」
 「ああ? つまんねえこと言うなよ」
 戸室は向きを変え、歩き出す。
 「飲むときはいつも貸し借りなしだろ」
 二賀斗は、戸室の上着のフラップポケットの中に無理矢理手を突っ込んだ。
 「お、おい! いらねえって。……なんだよ、ニッカ! これじゃ出しすぎだろ」
 「タクシー代も入ってるからな」
 「それでもこれじゃ多すぎだぞ!」
 戸室は札を握りながら困った顔をした。
 「じゃあ、次回の分にしろよ」
 「ったく……。律儀もいいけど、少しは甘えることも覚えろよ」
 戸室は握った札を畳むと、そのままズボンのポケットの中にしまい込んだ。

 駅までの道すがら戸室は二賀斗に話しかけた。
 「どうだった、今日のメンツは」
 「ん? あ、ああ。楽しかったよ、うん」
 二賀斗はズボンのポケットに手を突っ込んでそう答えた。
 「大学も女っ気のない学部で、そんでそのまんま個人事業者になったんじゃあ出会いもなかったろ? ……ニッカ。お前、シオリと話し込んでたなあ」
 「そうかあ? まあ、何となく話が合ったなぁ。五十近いオヤジと話が合うって、あの子一体いくつなんだよ」
 戸室は軽くニヤけた。
 「クックック、……アイツな。ファザコンってゆうか、年上が好みらしいんだよ。今年で確か二十七になるんかな。かわいいだろ? 目が行っちゃう顔立ちだよな。穏やかだし、仕事もできるぞ」
 「んん。……だろうな。話し口調で何となくそんな感じがしたよ。誠実で清潔な感じ、だね」
 「ホントはさ、アイツから“誰かいい人いませんか”って言われてたんだよ。俺が知ってる年上の独身男なんてロクな奴いねえなって考えてたんだけどさ、そういや磨けば光る奴が一人いたなって頭に浮かんだのがお前って訳だ。……マジな話、結婚したいって気持ち、あるのか?」
 戸室は、笑みを浮かべながらも真剣な顔つきで話した。
 「……うーん。どうなんだろうなぁ。でも今日、久しぶりに女の人と話しして楽しかったしさ、仕事で帰ってきたら待っていてくれる人がいるって、……いいだろうなぁ」
 歩きながら二賀斗は、心に抱いている思いを素直に吐露した。
 「……心に沁みる一言だねェ。まあ、分かち合える人がそばにいるってのは貴重なことかもな。もしニッカのほうで気に入ったんなら連絡くれよ。たぶんアイツはニッカのこと気に入ってるよ。まあ、付き合うにしてもそうでなくても、出会いは大切だ」
 戸室は、軽く笑顔をつくった。そして、丁度話しもいい頃合いの時に二人は駅の前に到着した。
 「……トム。結構飲んでたけど、ちゃんと帰れるか?」
 「全然。酔ったうちに入んねえよ、こんなの。……今日は悪かったな」
 「いや、なんだか逆に気を使わせちゃったよ。すまなかった」
 二人は手を上げて別れの挨拶をすると、そのままそれぞれのプラットフォームへと消えていった。
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