暁の山羊

春野 サクラ

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 月曜日。明日夏が勢いよく玄関を飛び出し、真っ直ぐ駅に向かって走って行った一時間後、二賀斗の車が明日夏の家に到着する。庭で母と話し込んでいた葉奈は、二賀斗の車に気付くと門扉に向かって駆けて行った。
 「おっはよー。ひろきッ」
 車から降りた二賀斗に葉奈が声をかける。二賀斗はその声に驚くと、ビクッと肩を上げた。
 「お、おおー。びっくりしたー。……おはよっ」
 「あはははっ。朝から笑わせないでよー、ひろき」
 母が二賀斗に近づいてくる。
 「もう行くんですか。市役所に」
 「ええ、葉奈がすぐ行きたいらしいんで」
 ネイビースーツに藍色と白のストライプのネクタイを締めた二賀斗がそう答えた。青いデニムのワンピースに白い靴を履いた葉奈が、二賀斗のスーツの袖を引っ張る。
 「ほら、行くよ」
 「あ、ああ。じゃあ車に乗って……」
 「ううん。歩いて行こ」
 「葉奈ちゃん、歩いて行ったら一時間はかかるわよ。車のほうがいいんじゃないの?」
 母が驚いた顔で葉奈に言った。
 「いいの。周りの風景を見ながら歩いて行きたいの。ひろきもそうだよねっ」
 葉奈は笑顔で二賀斗を見る。
 「あ、ああ。葉奈がそれでよければ自分は何でも」
 二賀斗は頭を掻きながら笑顔で答えた。
 「あらぁ。陽生さん、もう尻に敷かれちゃってるの? だめねぇ。……じゃあ、まぁ気をつけて行ってらっしゃい」
 「いってきまーす」
 葉奈は、母に向かって大きく手を振ると、役所へ向けて歩き出した。
 朱色や純白のチューリップ、鮮やかな青色をしたヒヤシンスたちが咲き誇る住宅街の道を通り抜け、黄色の菜の花にライトアップされた一本道の長閑な農道をまっすぐに進む。水色の空に一つ二つの雲が浮かんでいる。二人は、時に花を見たり、時にじゃれ合ったりしながらゆっくりと歩いていく。
 「ねえ、葉奈」
 「ん? なぁに」
 「今さらなんだけどさ、あの山の木が実のなる木に変わったのって葉奈のチカラのせいなんだろ? 葉奈の命まで使い果たして、それでその後どうやって葉奈は生まれ変われたんだろ。……葉奈に分かるわけないか」
 葉奈は、笑みを浮かべながら足元に転がっている小さな石を軽く蹴った。
 「……私ね、なぜだか知らないけど眠りについた後のことを鮮明に覚えているの。……あの時、暗くて深い闇の中にゆっくりと落ちていく感覚があったわ」
 葉奈は地面を見つめながら一歩一歩、ゆるりと歩いていく。
 「でもね、落ちていく途中でいままで私を包んでくれていたお母さんの手のぬくもりがフッと離れていく感覚があったの。そしてその後、私は眠りについたわ。とても静かだった。……けど、眠りながらも何か、声が聞こえたの。“また会おうな”“葉奈、また会おうな”って声が」
 二賀斗はその言葉を聞くと、その場に立ち止まった。目を見開いたままで立ち尽くした。葉奈は振り返ると、二賀斗を見つめて話を続けた。
 「……で、その声に耳を傾けたら目の前が急に眩しく光って、気が付いたら明日夏さんが私の指に冷たいものを押し付けて怒鳴ってた。でも次の瞬間、いろんな記憶が頭の中に刺さってきたの! 死ぬ前の記憶とか、葉奈さんの記憶とかが次から次から弓矢のように激しく容赦なく突き刺さってきたッ! 耐えられなくて、死にそうだった。……ほんとに、怖かった」
 葉奈は、後ろ手に組んで質問の答えを言った。
 「明日夏さんの願いを叶えたのはお母さんだと思うよ。私に託したお母さんの手のぬくもりのチカラだと思う。そして私がこの世界に生まれ変われたのは、……にっかどさん。あなたが願ってくれたからだよ。あなたが強く願ってくれたから私のチカラが出てくれたんだよ」
 葉奈は、愛おしそうに二賀斗を見つめると優しく微笑みかけた。
 「ま、まだそのチカラって、……出るのかな?」
 眉をひそめて不安な顔つきで二賀斗は葉奈に尋ねた。
 「もうそんなチカラ、残ってないよ。……なんかね、感覚的にわかるの。開放感が全然違う。うん、前と全然違う! 私もう、ただの人間になっちゃった」
 「……は、ははは。っはははははッ! 行こう、葉奈ッ!」
 二賀斗は大きな笑い声を出すと、葉奈の手を取って駆け出した。
 「ち、ちょっと、ひろきィ! 早いって! あははは!」
 二人はネクタイを振り乱し、黒髪をなびかせ、子どものような表情でその細く長い道を跳んで行った
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