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「五十二番のお客様ァ」
「……あ、俺だ。はーい」
日も傾きかけた頃、二賀斗は最寄りの法務局に足を運んでいた。登記の申請窓口には数人がソファーに腰を掛けて、皆が自分の番号を呼ばれるのをジッと待っていた。
「では、こちらが商業登記の登記事項証明書になります、ご確認ください。」
係の職員が書類を差し出す。二賀斗は出された書類を確認すると、むき身のまま手に取ってそのままロビーに向かった。そして、備え付けのソファーに無造作に腰を下ろし、早速書類に目を通す。
「さってと。……うーん、旅館を経営していた会社はすでに解散してるのか。……で、代表者がそのまま清算人になっているってわけか」
書類には代表清算人の住所が記載されてあった。
「……清算人の住所地がわかるんだから、一応不動産登記も取っておくか」
二賀斗は代表清算人の住所地の不動産登記も取ることにした。
……しばらくして二賀斗の番号が呼ばれた。
「共同担保目録付きでよろしかったですか?」
「ああ、はい」
「では、こちらになります」
申請していた登記書類が交付された。二賀斗はそれを受け取ると、ロビーに設置されたソファーに再び座り、書類に目を通す。
「……えーっと、旅館とその敷地が担保に入ってるのか。……で、こっちが社長の自宅とその敷地の登記か」
二賀斗は代表清算人となった社長の自宅とその敷地の不動産登記書類に目を通す。
「……ぅげっ!」
思わず奇声が漏れた。周りにいた数人の客が、その声に驚いて一斉に二賀斗の方に顔を向ける。二賀斗は恥ずかしくなって、思わず下を向いた。
〈なんだよ! 売られちゃってんじゃん〉
登記書類には、担保権が実行されて自宅とその敷地が売られた旨の記載がされていた。
〈買ったのは……株式会社R不動産。その後、転売されている。これじゃ、この住所地には社長いないってことじゃん〉
二賀斗は一通り書類に目を通すと、腕を組んだまま背中を丸めた。
〈どーしたもんかな。落札した不動産屋はあくまでも第三者だから、この不動産屋が社長のその後の足取りなんて知ってる訳ないし。……詰まっちゃったなー。あの旅館も見るからに猟奇的な建物だったし、できればこの件これで終わりにしたいけど、やっぱりこれで終しまいって言うのはどう考えても無理があるかぁ〉
その姿を、登記所の受付の職員も心配そうになって見ている。
二賀斗はしばらくその場でうずくまっていたが、おもむろに身体を起こすと力なく立ち上がり、登記所を後にした。
〈どーしたもんかな。……うーん〉
二賀斗は口を真一文字に結びながら、首を右に左に傾けてた。
山間の温泉街に足を運んでからすでに数日が経っていた。
二賀斗は、自宅アパートの作業机で黙々と役所に提出する申請書類を作成している。
「ふぁ――あ」
二賀斗は、椅子に座ったまま背伸びをすると、そのまま作業机の脇に置いてあるシングルベットに転がり込むように横たわった。そして旅館のことを頭に思い浮かべる。
〈いま、社長がどこに住んでいるのかは登記簿じゃあ追えない。……でも、社長を探さないとあの女性にはたどり着くことはできない。なんたって女性の名前も容姿もわからないんだからな。社長に聞くのが筋道としては一番早い。……ただあの旅館、単に老朽化してあの状態になっているんならいいんだけど、そうじゃなかったら……やだなぁ〉
横になったまま二賀斗は腕を組み、天井をジッと見つめる。
「……まあ、どうなるかわかんないけど、とりあえず自宅だった場所に行ってみるか。今はそれしか手がないんだからな」
二賀斗はそう言うと、組んだ腕を外し、再び大きく背伸びをした。
「チュンチュン……」
アパートの外では、朝の日差しを受けながらスズメ達が楽しそうにじゃれ合っている。
ほんの数週間前までは、夏のような陽射しが照りつけていたが、十一月に入ると、立冬と言うだけあって朝晩に寒さを感じるようになった。季節はもう冬の装いを始めていた。
あの温泉街に行ってからすでに数週間が経過したが、何とか仕事の合間ができたので、二賀斗は、六園館の社長の住所地に向かうことにした。登記簿に記載されていた社長の住所地は、あの温泉街からそれなりに離れたところにある。
二賀斗は、自分の車に乗り込むと、カーナビに社長の住所地を入力した。そしてナビの指し示す方向に向けて車を発進させた。
社長の住所地は同じG県内だが、あの温泉地とは別の街の中心街付近にある。
「さてと、どんなふうになっているんだか。……まあ、不動産屋が買ったんだから今も当時のまんまになってるなんて、そんなはずはないよな。社長の自宅をリフォームして売ったか、更地にして売ったか。どっちにしてもその場所に着いたのにそこだって気付かないのが一番怖いよな」
ハンドルを握り締めながら二賀斗は、諦め半分期待半分といった気持ちで目的地に向けて車を走らせた。
自宅を出て一般道を通り、そこから高速道路に入ってひたすら進む。そして再び一般道を通って、約三時間ほどで目的地周辺にたどり着いた。
目的の場所は大通り沿いにある、拓けたところだった。
駅に程近いその目的地をぐるりと見回すと、地上二十階建ての高層マンションが数件建っており、駅に向かう通りの並びにはコンビニやファストフード、美容室、食堂などが立ち並んでいる。
二賀斗は路肩に車を停めると、ハザードランプを点灯させた。そして、行き交う車を気にしながら運転席のドアを開けて車から降りると、ズボンのポケットからスマホを取り出し目的地を確認した。……指し示された目的地には、ファミリー向けの地上五階建てマンションが鎮座していた。
二賀斗は頭を上げてマンションを眺める。
「……やっぱり、こうなるよね」
あらかじめこうなることを念頭に置いてはいたが、やはり落胆の色を隠せない。
「……敷地が広いな。五階建てで、一列に四部屋。一部屋で駐車場一台としても二〇台分か。いくつかの土地を合わせたのかな。売られたのは何十年も前の話だし、この建物だっていつ頃建てられたんだか。……問題は、ここにあの社長が住んでいるかどうかだけど、わかるかなぁ」
そのマンションの入り口はオートロックではなかったので、郵便受けも容易に見ることができた。二賀斗は、郵便受けを確認したが、そもそも名前の記載がない郵便受けもあり、社長の所在を確認することはできなかった。
結局、社長のその後の足取りを掴めないまま季節は十二月、師走を迎えてしまった。二賀斗のアパートにも暖房器具が一年ぶりに現れて、狭い部屋を暖めていた。
二賀斗は書類を作りながらも、頭の片隅でこの宿題を解決するための糸口が何かないかを考えていた。
〈……簡単にいくと思ったんだけどなぁ、明日夏からの宿題は。……ふぅ。所詮は公的機関の情報が無いとお手上げってことなんだよな、俺のやり方って〉
二賀斗は仕事の手を休めると、ボールペンを指で回し始めた。
「足で稼ぐか? ……となると、行くところはやっぱりあの温泉街しかないか」
二賀斗は回していたペンを机に置くと、立ち上がって壁に掛かっているカレンダーを見た。
「……この日はダメだし、この日もなぁ」
カレンダーとにらめっこが続く。
「……あした、行くか」
そう言うと、窓から外を眺めた。木の枝に留まっているスズメが気のせいか、ふっくらしてるように見えた。
次の日の正午近く。二賀斗はあの温泉街に到着した。空には刷毛で塗ったようなスジ雲が漂っている。日陰のあちこちに霜柱が残っているが、まだ雪は降っていなかった。それでも山間にあるこの地域の冬は十分すぎるほどの寒さであった。
二賀斗の車は以前話を聞いた、あの雑貨屋の前で停まった。
「寒っ……」
そう言って車を降りると、二賀斗はあの古びた木製枠のガラス戸を前回と同じように力を入れて引き開ける。
「うぬぬぬ……。ここはホントにィ……ふう」
店の中に入ると、大きな声で挨拶をする。
「こんちはー」
「……」
またしても返答がない。
「こんにちはー」
二賀斗は口元に手を寄せて声を上げた。
「……はーい」
あの老婆の声が奥から聞こえてきた。そして、前と同じようにのれんをかき分けて老婆が姿を現す。
「……ん? あーれ、またお兄ちゃんかい。どしたんだい、何度も何度も」
驚く顔の老婆に向かって二賀斗は頭を掻きながら答える。
「どうも、何度もすいません。ちょっと聞き忘れたことがあったんでまたお邪魔しました。あの、これ地元の銘菓なんですけど結構評判なんで、ぜひ食べてみてください」
土産の入った紙袋を差し出すと、半ば強引に老婆の手に握らせた。
「あ、あれまぁ。……悪いねぇ」
老婆は戸惑った表情をしながら紙袋を手にした。
「あそこの六園館のことなんですけど、何であんな廃墟になっちゃったんですかね」
二賀斗は愛想笑いをしながら老婆に尋ねた。
「……さあてねェ。」
老婆は目を細めて答えた。
「何か事件とか、起きたんですかね」
二賀斗は探りを入れてみた。
「ええっ? いやいや、あたしはよくわからんよ。いつの間にか空き家になって、そんでそのうちに草茫々になってあんなんなっちゃったんだから。……まぁ、商売なんて成り立たなくなれば何処だってああなっちまうもんだからねえ」
老婆は何とも吐き捨てるように答えた。
「聞きたいのはそれだけかい?」
老婆は眉間に皺を寄せながら二賀斗に尋ねた。
「あの……、六園館の旦那さんってご家族とかいましたか?」
「うーん。……ああ、いたね。奥さんと息子さん。……息子さんは優秀らしかったねぇ」
「そうですか。旦那さんとか、奥さんの出身地って……どこかご存知ですか?」
「さあてねぇ……。聞いてどうすんのよ」
老婆の顔がいぶかしくなった。
「え、えーっと。あのォ、……あッ、じ、実は六園館に泊まった時にどうやら祖父が旅館の旦那さんから万年
筆を借りたらしいんですが、返しそびれていて。……それが結構いい万年筆でして、祖父からは“必ず返すように”って言われてたんですよ」
咄嗟のこととはいえ、二賀斗の口から思いもよらぬ調子のいい言葉が出た。
「どーせ、返すのはいつでもいいよって言われたんじゃないのかい。あそこの旦那さん、人が良かったから」
「は、はは……」
その言葉を聞いて二賀斗は胸を撫で下ろした。
「……そうだねぇ。どこの出だったか、ちょっと思い出せないねぇ、悪いけど」
老婆は、目をつむって首を傾けながらそう言った。
「……そうですか」
二賀斗も腕を組んでうつむく。
〈何とかして社長の戸籍を取らないとこの先に進めないんだよなぁ。戸籍請求するにはどうしても請求する権原が必要だし……。あっ!〉
二賀斗の頭上に豆電球が光った。
「お婆さん、商売してるんですよね」
「ええっ?……見りゃわかるだろうて」
「六園館にも何か卸していたんですか?」
「……うーん。まぁ、油とか何やら出してたねぇ」
二賀斗は老婆との距離を意識的に縮めた。
「……もしかして、未払いの代金とかあったりしましたか?」
老婆は痛いところを突かれたような顔をした。
「えっ? ……でもまぁ、しょうがないよ、その辺は。持ちつ持たれつなんだし、あそこの旦那さんだって大変だったんだろうから」
「代金がいくらなのかはわからないですけど、一部でも手元に入れられたら生活も潤いますよね」
二賀斗は優しくささやいた。
「まあ、そりゃねえ。無いよりはいいねえ。……な、何だい、急にそんなこと聞いて」
老婆は眉をひそめた。
「あの、じつは私、法律事務の仕事をしてるんですよ、ほら」
二賀斗は財布から行政書士の身分証を出すと、老婆に見せた。
「なんとか旦那さんに会うことができたら、それとなくお婆さんのことも話しておきますよ。お婆さんの生活も大変だろうし、可能であればいくらかでも返済とかできますかって。……どうでしょうか」
老婆は少し口角を上げた。しかし、すぐに手を左右に振ってみせた。
「でもねぇ。そんなこと頼んだらいっぱいお金かかるんだろォ。だめだよ、そんなお金無いんだから」
「いえいえ、お金なんていいですよ。色々お世話になったんですから。……ただ、ここだけの話にしてくださいね。バレるとお金がかかっちゃうんで」
二賀斗は人差し指を口に当てて老婆に示した。
「そんな……ほんとに、いいんかい? ……だっだら、お願いしようかねぇ」
「わかりました! じゃあ、未払い代金のことで依頼を受けますんで」
「はいよ。よろしくお願いします」
老婆はニッコリと微笑んだ。
二賀斗は老婆に向かって丁寧におじぎをすると、木製の引き戸を引いてその店を後にした。そして、そのまま足早に駐車していた車に乗り込むと、興奮したように両手を堅く握りしめた。
〈よーっしィ! これで債権者からの依頼ってことで堂々と戸籍の調査ができる。まぁ、何か問題が出たら適当に債務者宛の内容証明書の作成とかってんで逃げればいいや。だいたい何十年も前の書類もない売掛金なんて取れるわけがない。いやー、しっかし、よく思いついたよ俺も。それにあの旅館もとりあえず変なことは無かったってことだし、安心して調査ができそうだ〉
自分自身のイレギュラーな行動に対して少なからず背徳感を感じたものの、現状を打破できる嬉しさが二賀斗を高揚させた。そして、その勢いのまま車のアクセルを踏み込むと、エンジンを唸らせながら二賀斗は意気揚々と車を発進させた。
二賀斗はその日のうちに役所に出向いて、六園館の社長の現在の状況が確認できる書類を手にした。それによると、社長“白窪勇”は、すでに他界していた。そして白窪社長自身、亡くなるずっと昔に妻とは離婚をしており、それ以降は亡くなるまでずっと独り身だったらしい。
そして、白窪社長には息子が一人いることも分かった。息子の名前は白窪大智。もしサラリーマンをしていれば、あと数年で定年退職となる年齢のようだ。その白窪大智の現在の住所は、登記簿に記載されていた白窪社長の住所地から遠く離れたところにあることも重ねて分かったが、二賀斗の住んでいるところからは高速道路を使えば二時間ぐらいで行ける距離だった。
二賀斗は内心、安堵した。これが北海道や九州、はたまた海外なんてことになっていたら、とてもじゃないが探しきれなかっただろう。ひとまず先が見通せてきたということもあり、白窪社長に関する書類を一旦作業机の引き出しにしまうと、急ぎ依頼されていた書類作りに集中することにした。
「さーってと、整理するか」
パソコンを立ち上げ、書類を作ろうとキーボードに触れたとき、ふと明日夏の顔が頭をよぎった。
〈そういや、あれからメールの一つも来てないけど、気になんないのかなぁ。……俺に任せたってことで安心してんのかな〉
二賀斗はそんなことを頭に浮かべたが、すぐさまその頭を左右に大きく振った。明日夏のあの控えめな性格からしても自分から催促などしてこない、こっちから連絡するまでは何カ月でも待っている、あいつはそんな性格の持ち主だった、と思い出した。
「宿題はもうしばらくかかりそうだよ明日夏。お前と違って出来が悪いからなぁ、俺」
二賀斗は、そう独り言を言うと、机の上にある仕事に取りかかった。
「……あ、俺だ。はーい」
日も傾きかけた頃、二賀斗は最寄りの法務局に足を運んでいた。登記の申請窓口には数人がソファーに腰を掛けて、皆が自分の番号を呼ばれるのをジッと待っていた。
「では、こちらが商業登記の登記事項証明書になります、ご確認ください。」
係の職員が書類を差し出す。二賀斗は出された書類を確認すると、むき身のまま手に取ってそのままロビーに向かった。そして、備え付けのソファーに無造作に腰を下ろし、早速書類に目を通す。
「さってと。……うーん、旅館を経営していた会社はすでに解散してるのか。……で、代表者がそのまま清算人になっているってわけか」
書類には代表清算人の住所が記載されてあった。
「……清算人の住所地がわかるんだから、一応不動産登記も取っておくか」
二賀斗は代表清算人の住所地の不動産登記も取ることにした。
……しばらくして二賀斗の番号が呼ばれた。
「共同担保目録付きでよろしかったですか?」
「ああ、はい」
「では、こちらになります」
申請していた登記書類が交付された。二賀斗はそれを受け取ると、ロビーに設置されたソファーに再び座り、書類に目を通す。
「……えーっと、旅館とその敷地が担保に入ってるのか。……で、こっちが社長の自宅とその敷地の登記か」
二賀斗は代表清算人となった社長の自宅とその敷地の不動産登記書類に目を通す。
「……ぅげっ!」
思わず奇声が漏れた。周りにいた数人の客が、その声に驚いて一斉に二賀斗の方に顔を向ける。二賀斗は恥ずかしくなって、思わず下を向いた。
〈なんだよ! 売られちゃってんじゃん〉
登記書類には、担保権が実行されて自宅とその敷地が売られた旨の記載がされていた。
〈買ったのは……株式会社R不動産。その後、転売されている。これじゃ、この住所地には社長いないってことじゃん〉
二賀斗は一通り書類に目を通すと、腕を組んだまま背中を丸めた。
〈どーしたもんかな。落札した不動産屋はあくまでも第三者だから、この不動産屋が社長のその後の足取りなんて知ってる訳ないし。……詰まっちゃったなー。あの旅館も見るからに猟奇的な建物だったし、できればこの件これで終わりにしたいけど、やっぱりこれで終しまいって言うのはどう考えても無理があるかぁ〉
その姿を、登記所の受付の職員も心配そうになって見ている。
二賀斗はしばらくその場でうずくまっていたが、おもむろに身体を起こすと力なく立ち上がり、登記所を後にした。
〈どーしたもんかな。……うーん〉
二賀斗は口を真一文字に結びながら、首を右に左に傾けてた。
山間の温泉街に足を運んでからすでに数日が経っていた。
二賀斗は、自宅アパートの作業机で黙々と役所に提出する申請書類を作成している。
「ふぁ――あ」
二賀斗は、椅子に座ったまま背伸びをすると、そのまま作業机の脇に置いてあるシングルベットに転がり込むように横たわった。そして旅館のことを頭に思い浮かべる。
〈いま、社長がどこに住んでいるのかは登記簿じゃあ追えない。……でも、社長を探さないとあの女性にはたどり着くことはできない。なんたって女性の名前も容姿もわからないんだからな。社長に聞くのが筋道としては一番早い。……ただあの旅館、単に老朽化してあの状態になっているんならいいんだけど、そうじゃなかったら……やだなぁ〉
横になったまま二賀斗は腕を組み、天井をジッと見つめる。
「……まあ、どうなるかわかんないけど、とりあえず自宅だった場所に行ってみるか。今はそれしか手がないんだからな」
二賀斗はそう言うと、組んだ腕を外し、再び大きく背伸びをした。
「チュンチュン……」
アパートの外では、朝の日差しを受けながらスズメ達が楽しそうにじゃれ合っている。
ほんの数週間前までは、夏のような陽射しが照りつけていたが、十一月に入ると、立冬と言うだけあって朝晩に寒さを感じるようになった。季節はもう冬の装いを始めていた。
あの温泉街に行ってからすでに数週間が経過したが、何とか仕事の合間ができたので、二賀斗は、六園館の社長の住所地に向かうことにした。登記簿に記載されていた社長の住所地は、あの温泉街からそれなりに離れたところにある。
二賀斗は、自分の車に乗り込むと、カーナビに社長の住所地を入力した。そしてナビの指し示す方向に向けて車を発進させた。
社長の住所地は同じG県内だが、あの温泉地とは別の街の中心街付近にある。
「さてと、どんなふうになっているんだか。……まあ、不動産屋が買ったんだから今も当時のまんまになってるなんて、そんなはずはないよな。社長の自宅をリフォームして売ったか、更地にして売ったか。どっちにしてもその場所に着いたのにそこだって気付かないのが一番怖いよな」
ハンドルを握り締めながら二賀斗は、諦め半分期待半分といった気持ちで目的地に向けて車を走らせた。
自宅を出て一般道を通り、そこから高速道路に入ってひたすら進む。そして再び一般道を通って、約三時間ほどで目的地周辺にたどり着いた。
目的の場所は大通り沿いにある、拓けたところだった。
駅に程近いその目的地をぐるりと見回すと、地上二十階建ての高層マンションが数件建っており、駅に向かう通りの並びにはコンビニやファストフード、美容室、食堂などが立ち並んでいる。
二賀斗は路肩に車を停めると、ハザードランプを点灯させた。そして、行き交う車を気にしながら運転席のドアを開けて車から降りると、ズボンのポケットからスマホを取り出し目的地を確認した。……指し示された目的地には、ファミリー向けの地上五階建てマンションが鎮座していた。
二賀斗は頭を上げてマンションを眺める。
「……やっぱり、こうなるよね」
あらかじめこうなることを念頭に置いてはいたが、やはり落胆の色を隠せない。
「……敷地が広いな。五階建てで、一列に四部屋。一部屋で駐車場一台としても二〇台分か。いくつかの土地を合わせたのかな。売られたのは何十年も前の話だし、この建物だっていつ頃建てられたんだか。……問題は、ここにあの社長が住んでいるかどうかだけど、わかるかなぁ」
そのマンションの入り口はオートロックではなかったので、郵便受けも容易に見ることができた。二賀斗は、郵便受けを確認したが、そもそも名前の記載がない郵便受けもあり、社長の所在を確認することはできなかった。
結局、社長のその後の足取りを掴めないまま季節は十二月、師走を迎えてしまった。二賀斗のアパートにも暖房器具が一年ぶりに現れて、狭い部屋を暖めていた。
二賀斗は書類を作りながらも、頭の片隅でこの宿題を解決するための糸口が何かないかを考えていた。
〈……簡単にいくと思ったんだけどなぁ、明日夏からの宿題は。……ふぅ。所詮は公的機関の情報が無いとお手上げってことなんだよな、俺のやり方って〉
二賀斗は仕事の手を休めると、ボールペンを指で回し始めた。
「足で稼ぐか? ……となると、行くところはやっぱりあの温泉街しかないか」
二賀斗は回していたペンを机に置くと、立ち上がって壁に掛かっているカレンダーを見た。
「……この日はダメだし、この日もなぁ」
カレンダーとにらめっこが続く。
「……あした、行くか」
そう言うと、窓から外を眺めた。木の枝に留まっているスズメが気のせいか、ふっくらしてるように見えた。
次の日の正午近く。二賀斗はあの温泉街に到着した。空には刷毛で塗ったようなスジ雲が漂っている。日陰のあちこちに霜柱が残っているが、まだ雪は降っていなかった。それでも山間にあるこの地域の冬は十分すぎるほどの寒さであった。
二賀斗の車は以前話を聞いた、あの雑貨屋の前で停まった。
「寒っ……」
そう言って車を降りると、二賀斗はあの古びた木製枠のガラス戸を前回と同じように力を入れて引き開ける。
「うぬぬぬ……。ここはホントにィ……ふう」
店の中に入ると、大きな声で挨拶をする。
「こんちはー」
「……」
またしても返答がない。
「こんにちはー」
二賀斗は口元に手を寄せて声を上げた。
「……はーい」
あの老婆の声が奥から聞こえてきた。そして、前と同じようにのれんをかき分けて老婆が姿を現す。
「……ん? あーれ、またお兄ちゃんかい。どしたんだい、何度も何度も」
驚く顔の老婆に向かって二賀斗は頭を掻きながら答える。
「どうも、何度もすいません。ちょっと聞き忘れたことがあったんでまたお邪魔しました。あの、これ地元の銘菓なんですけど結構評判なんで、ぜひ食べてみてください」
土産の入った紙袋を差し出すと、半ば強引に老婆の手に握らせた。
「あ、あれまぁ。……悪いねぇ」
老婆は戸惑った表情をしながら紙袋を手にした。
「あそこの六園館のことなんですけど、何であんな廃墟になっちゃったんですかね」
二賀斗は愛想笑いをしながら老婆に尋ねた。
「……さあてねェ。」
老婆は目を細めて答えた。
「何か事件とか、起きたんですかね」
二賀斗は探りを入れてみた。
「ええっ? いやいや、あたしはよくわからんよ。いつの間にか空き家になって、そんでそのうちに草茫々になってあんなんなっちゃったんだから。……まぁ、商売なんて成り立たなくなれば何処だってああなっちまうもんだからねえ」
老婆は何とも吐き捨てるように答えた。
「聞きたいのはそれだけかい?」
老婆は眉間に皺を寄せながら二賀斗に尋ねた。
「あの……、六園館の旦那さんってご家族とかいましたか?」
「うーん。……ああ、いたね。奥さんと息子さん。……息子さんは優秀らしかったねぇ」
「そうですか。旦那さんとか、奥さんの出身地って……どこかご存知ですか?」
「さあてねぇ……。聞いてどうすんのよ」
老婆の顔がいぶかしくなった。
「え、えーっと。あのォ、……あッ、じ、実は六園館に泊まった時にどうやら祖父が旅館の旦那さんから万年
筆を借りたらしいんですが、返しそびれていて。……それが結構いい万年筆でして、祖父からは“必ず返すように”って言われてたんですよ」
咄嗟のこととはいえ、二賀斗の口から思いもよらぬ調子のいい言葉が出た。
「どーせ、返すのはいつでもいいよって言われたんじゃないのかい。あそこの旦那さん、人が良かったから」
「は、はは……」
その言葉を聞いて二賀斗は胸を撫で下ろした。
「……そうだねぇ。どこの出だったか、ちょっと思い出せないねぇ、悪いけど」
老婆は、目をつむって首を傾けながらそう言った。
「……そうですか」
二賀斗も腕を組んでうつむく。
〈何とかして社長の戸籍を取らないとこの先に進めないんだよなぁ。戸籍請求するにはどうしても請求する権原が必要だし……。あっ!〉
二賀斗の頭上に豆電球が光った。
「お婆さん、商売してるんですよね」
「ええっ?……見りゃわかるだろうて」
「六園館にも何か卸していたんですか?」
「……うーん。まぁ、油とか何やら出してたねぇ」
二賀斗は老婆との距離を意識的に縮めた。
「……もしかして、未払いの代金とかあったりしましたか?」
老婆は痛いところを突かれたような顔をした。
「えっ? ……でもまぁ、しょうがないよ、その辺は。持ちつ持たれつなんだし、あそこの旦那さんだって大変だったんだろうから」
「代金がいくらなのかはわからないですけど、一部でも手元に入れられたら生活も潤いますよね」
二賀斗は優しくささやいた。
「まあ、そりゃねえ。無いよりはいいねえ。……な、何だい、急にそんなこと聞いて」
老婆は眉をひそめた。
「あの、じつは私、法律事務の仕事をしてるんですよ、ほら」
二賀斗は財布から行政書士の身分証を出すと、老婆に見せた。
「なんとか旦那さんに会うことができたら、それとなくお婆さんのことも話しておきますよ。お婆さんの生活も大変だろうし、可能であればいくらかでも返済とかできますかって。……どうでしょうか」
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「でもねぇ。そんなこと頼んだらいっぱいお金かかるんだろォ。だめだよ、そんなお金無いんだから」
「いえいえ、お金なんていいですよ。色々お世話になったんですから。……ただ、ここだけの話にしてくださいね。バレるとお金がかかっちゃうんで」
二賀斗は人差し指を口に当てて老婆に示した。
「そんな……ほんとに、いいんかい? ……だっだら、お願いしようかねぇ」
「わかりました! じゃあ、未払い代金のことで依頼を受けますんで」
「はいよ。よろしくお願いします」
老婆はニッコリと微笑んだ。
二賀斗は老婆に向かって丁寧におじぎをすると、木製の引き戸を引いてその店を後にした。そして、そのまま足早に駐車していた車に乗り込むと、興奮したように両手を堅く握りしめた。
〈よーっしィ! これで債権者からの依頼ってことで堂々と戸籍の調査ができる。まぁ、何か問題が出たら適当に債務者宛の内容証明書の作成とかってんで逃げればいいや。だいたい何十年も前の書類もない売掛金なんて取れるわけがない。いやー、しっかし、よく思いついたよ俺も。それにあの旅館もとりあえず変なことは無かったってことだし、安心して調査ができそうだ〉
自分自身のイレギュラーな行動に対して少なからず背徳感を感じたものの、現状を打破できる嬉しさが二賀斗を高揚させた。そして、その勢いのまま車のアクセルを踏み込むと、エンジンを唸らせながら二賀斗は意気揚々と車を発進させた。
二賀斗はその日のうちに役所に出向いて、六園館の社長の現在の状況が確認できる書類を手にした。それによると、社長“白窪勇”は、すでに他界していた。そして白窪社長自身、亡くなるずっと昔に妻とは離婚をしており、それ以降は亡くなるまでずっと独り身だったらしい。
そして、白窪社長には息子が一人いることも分かった。息子の名前は白窪大智。もしサラリーマンをしていれば、あと数年で定年退職となる年齢のようだ。その白窪大智の現在の住所は、登記簿に記載されていた白窪社長の住所地から遠く離れたところにあることも重ねて分かったが、二賀斗の住んでいるところからは高速道路を使えば二時間ぐらいで行ける距離だった。
二賀斗は内心、安堵した。これが北海道や九州、はたまた海外なんてことになっていたら、とてもじゃないが探しきれなかっただろう。ひとまず先が見通せてきたということもあり、白窪社長に関する書類を一旦作業机の引き出しにしまうと、急ぎ依頼されていた書類作りに集中することにした。
「さーってと、整理するか」
パソコンを立ち上げ、書類を作ろうとキーボードに触れたとき、ふと明日夏の顔が頭をよぎった。
〈そういや、あれからメールの一つも来てないけど、気になんないのかなぁ。……俺に任せたってことで安心してんのかな〉
二賀斗はそんなことを頭に浮かべたが、すぐさまその頭を左右に大きく振った。明日夏のあの控えめな性格からしても自分から催促などしてこない、こっちから連絡するまでは何カ月でも待っている、あいつはそんな性格の持ち主だった、と思い出した。
「宿題はもうしばらくかかりそうだよ明日夏。お前と違って出来が悪いからなぁ、俺」
二賀斗は、そう独り言を言うと、机の上にある仕事に取りかかった。
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