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「……ん、んん」
明日夏は目を覚ますと、頭のそばに置いておいた自身の腕時計を見る。時刻は午前六時。起き上がって辺りを見回すと同じ居間の向こうには死んだように眠っている二賀斗の姿があった。ふと、明日夏は額を右手で押さえた。
〈頭の中、覗かれたんだ……〉
あの出来事を思い出すと突然、居ても立ってもいられなくなった。明日夏は立ち上がると、そのままの格好で居間を飛び出した。
「わっ!」
玄関を開けて小屋を出ると、外は一面霧で覆われていた。
〈昨日の埋めた場所、どうなったんだろう。……何にもある訳、ないわよね〉
明日夏は一面の霧の中、手探りでゆっくりと歩きながら昨日の埋めた場所にたどり着いた。
「ハァ……ハァ……。何ともなってない。……当然よね」
明日夏が胸をなで下ろしたその時、突如突風が吹き霧を大きく動かした。明日夏は不意を突かれ、思わず声を上げた。
「きゃあッ!」
頭を押さえて明日夏は風をしのいだ。
「……あーっ、びっくりしたー。結構大きかったわ、今の風」
明日夏は頭から手を離すと何気なく辺りを見回した。
「ハア、……ハアアア」
明日夏は何度も何度も玄関の引き戸を掴もうとしたが、指が震えてうまく掴めなかった。やっとのこと引き戸を掴むと、そのまま力任せに引き戸を引いた。
玄関の引き戸が勢いよく開くと、地震かと見違いするくらいに大きな音と振動が辺りに響き渡った。明日夏は居間で寝ている二賀斗に向かって大声を出した。
「ニーさんッ! ニーさァんッ!」
「……ン、んん」
二賀斗はまだ眠りの中にいる。明日夏は靴のまま居間に駆け上がると二賀斗を覆っている掛け布団を勢いよく引き剥がし、そのまま二賀斗の胸ぐらを掴んで力任せに引っ張った。
「起きて! ……起きろオオ! ニィーッ!」
「な、な、なんだァ?」
二賀斗は明日夏の腕を払いのけるように手をバタつかせた。明日夏はお構いなしに二賀斗に顔を近づけると息を整えて言った。
「ハァ……ハァ。……来て、早く!」
「……あ? ……ああ」
二賀斗は寝ぼけながらも立ち上がってズボンのベルトを締めようとした。
「あ、あれ。うまく入んねえな」
「何やってんのよ! バカッ!」
明日夏の苛立ちが頂点に達した。
「い、今行くよ!」
薄霧の中、二人は昨夜葉奈を埋めた場所に向かって走った。程なく東の方角からオレンジ色の朝日が上り始めると、反比例するかのように徐々に霧が晴れてきた。
明日夏は立ち止まると、周りの風景に向かって指をさした。
「見て!」
二賀斗は明日夏の指し示す方向を見ると、大きく目を開いて愕然と立ち尽くした。昨日まで杉林だった周りの木々が変わっている! すべてが落葉樹に変わっている!
明日夏が叫んだ。
「見てよッ! ナラの木よ! クヌギ、栗、柿、……み、みんな実がなる木よ!」
「……ど、どういうことだよ。……あ、明日夏来いッ!」
二賀斗はそのまま山の中に入って行った。
「ち、ちょっと待って!」
明日夏も急いでそのあとを追う。
二人は山を上りながら辺りを見回した。
〈どこもかしこも変わってる、杉が一本もない! どこまで広がってるんだ!〉
二賀斗は明日夏のことなど忘れてどんどん山を駆け上がっていく。
「ハァ……ハァ……」
しばらく上ると二賀斗は立ち止まった。少し遅れて明日夏もやって来た。
「ハァ、ハァ、ハァ。……ねェ、これ、どういうこと? 一体どうなっちゃったの?」
明日夏は辺りを見回しながら、眉をひそめて不安そうな眼差しで二賀斗を見た。
二賀斗は真剣な顔つきで明日夏を見つめた。
「明日夏。……お前、葉奈に食って掛かったとき泣きながら何考えてた?」
「……え?」
明日夏は一層眉をひそめた。
「……もしかしてお前、この風景が頭に浮かんでたんじゃないのか。……森の動物たちのことを考えてたって言ってたよな。……なあ」
「……え? え? でも……」
明日夏は身を縮こまらせながら首を小刻みに横に振った。
「強く想ったんじゃねえのかァ!」
二賀斗は声を張り上げた。
「お、想ったわよ――ッ!」
明日夏はそう叫ぶと、両手で頭を抱えた。
「……明日夏。これが、お前の欲しかった世界なんだな。……お前の強い想いと、それに触れちまった葉奈の命で作り上げた世界。……まさか、本当にこんなことが起きるなんてッ!」
二賀斗は両手で自分の頭を掴んだ。
「触れさせちまった。……葉奈に触れさせちまったんだ! もっと、葉奈の言ったことを真剣に考えていりゃこんなことにならなかった! 少しでもあの話に耳を傾けていれば、今の明日夏とは会わせられないって考えられたんじゃねえのかよオ!」
二賀斗の指は強く頭にめり込んでいた。
「……ウソ。こ、こんなの嘘よ。人間に……そんなことできるわけないじゃない。……木が、木が変わってるのよ? ……い、一本、二本じゃないのよ。こんなに変わってるのよ? ねえ! ニーさんだって言ってたでしょ! 人間なんかにってェ!」
明日夏は目を見開いたまま身体を震わせていた。紫色に染まった唇を小刻みに震わせ、極度に怯えていた。
「……葉奈が、最後に言ってただろ。“いっぱい実が付くといいね”って。見てみろよ。これ、みんな実がなる木じゃないか! お前の想いは。……お前の望みは、葉奈の命を全部使わなきゃならないくらいデカかったんだ。葉奈も、葉奈の家族も、生まれてからずっとヒトの欲望に囚われた囚人だったんだ。葉奈を追いかけて追い詰めて、そして葉奈の命を奪った! これじゃ……、これじゃ密猟者と変わらねえじゃねえかよオ! 俺たちはうす汚い密猟者とおんなじだ! 収は、収は殺されたんじゃない。俺たちが殺したんだッ! お前の苦しみも、俺の悲しみも全部罰なんだ! 俺たちは罪人なんだよッ!」
二賀斗が言い放ったその言葉に、明日夏の目から一気に涙があふれ出した。明日夏はその場にひざから崩れ落ちると、そのまま地面めがけて何度も何度も頭を叩きつけた。
「ごめんなさい! ごめんなさい! ごめんなさい! ごめんなさいぃぃ―――――ッ!」
罪を償う咎人のように、明日夏は何度も何度も額を地面に打ちつける。
明日夏の許しを請う泣き声と地面を叩く鈍い音が静かな森の中に木霊する。地面に打ちつけられた明日夏の額からは、容赦なく赤い血が噴き出していく。
二賀斗も膝から力なく倒れ込むと、そのまま力任せに指で地面を掻きむしった。容赦なく爪の間に土が入り込む。地面に滴り落ちる罪人の涙。二賀斗は掻きむしった土を強く握り締めた。
「お前ら家族は、こんな……こんな生贄みたいなことまでして……、そこまでして……ヒトに尽くさなきゃならないのかよォ……」
二賀斗は顔を上げると、空に向かってありったけの声で叫んだ!
「おしえろ―――ッ! 葉奈ああああああああああ―――――――――――!」
鋭い刃物のような二賀斗の叫び声が森を切り裂く。木の上で休んでいた鳥たちは、その声に蜘蛛の子を散らすように一斉に空に向かって飛び散って行った。
一年前の、あの雨の日に物語は始まっていた。薄霧の中、明日夏が古びたその扉を開き、二賀斗が明かりをともす。胸躍らせるような表情で二人は一歩一歩前に進む。そして、二人がたどり着いた光の先には……落葉樹が生い茂るこの森が待っていた。
ふいにコナラの実が一つ、地面に落ちてきた。落ちた実はコロコロと転がりそのまま明日夏の足元まで転がり込む。
一つ、また一つ地面に落ちては明日夏の足元に転がり込んだ。そしてまた一つ、コナラの実が宙を舞い、明日夏の頭に落ちてきた。
明日夏はそれに気づくと、ハッとして頭を打ちつけるのを止めた。そして頭を上げて地面に落ちていた木の実をじっと見つめた。……どんぐり。瑞々しい色。オリーブ色をした若々しいどんぐり。
明日夏は震える指でそのどんぐりのカサの柄を掴むと、一心にその実を見つめた。木漏れ日が木の実をやさしく照らし出す。
〈……木の実。……森のみんながこれを食べて命をつなぐ。……命をつなぐ実〉
ふと、明日夏の頭の中には柿や栗、ドングリをおいしそうにほお張るクマの親子やイノシシの姿が映し出された。
明日夏は表情を柔らかくすると、その実をそのまま手のひらで包んでちからいっぱい握りしめた。そしてゆっくりと立ち上がると、深く息を吸い込み二賀斗に伝えた。
「やる! 私やるわ! この実を育てて日本中の山に植えるわ! あなたの大切な人が命を使ってまで私の願いを叶えてくれた。……こんな、わたしのために。だから、私はやらなきゃならないのッ!」
二賀斗は膝を地面に落としたまま生気を失っているような顔つきでうつむいていた。
「ニーさん立って! 立ちなさい! ほら!」
明日夏は二賀斗の腕を引っ張り無理矢理立たせようとしたが、二賀斗は虚ろな目をして立ち上がろうとしなかった。
「ひろきッ!」
明日夏は両手で二賀斗の胸ぐらを掴むと、無理矢理に顔を上げさせた。
二賀斗は明日夏の顔をぼんやりと見つめた。
「……ハッ!」
二賀斗は目を見開いた。明日夏の顔は土にまみれ、額からは鮮やかな赤い血が口元にまで流れている。
「……ひろき。死んでしまいたい気持ちは十分わかるわ。絶望を目の当たりにしたら生きていくより死んでいくほうが簡単だもの。……でもね、死んだらもうそれで終わりよ。何にも残らないのよ。……私がいま生きているのは、収を忘れたくないから。ただそれだけよ。収の笑顔も、収の声も、収と過ごした思い出も、私の中から一つだって失いたくない。私の中では収は今でも生きているの。収を忘れることは死ぬよりつらいことだわ! ……だから、ひろき。……忘れないために、生きていこう」
明日夏は二賀斗に向かって優しく声をかけた。
“ひろき。……生きていこう”
葉奈がそう言ってくれたみたいだった。二度と見れない大好きなあの笑顔で……。二賀斗は唇を噛みしめ涙がこぼれないように天を仰いだ。
「……なぁ明日夏。この先もこんな、死ぬほどつらいことが俺にもお前にも……あるんかなァ」
独り言のように二賀斗はつぶやいた。
「ある! あるよ。これからもいっぱいね! だけど進まなきゃ。……私は進むよ。私のために、収のために、あなたのために。……そして、葉奈ちゃんのために」
明日夏は強い眼差しでハッキリと二賀斗に告げた。
突然、明日夏の顔と収の顔が重なった。……あの日、空港で見送ったときのあいつのあの顔。高い目標を持ってそれに突き進んでいこうとするあの誇らしい眼差し。
〈明日夏。お前も次のステージに進んでいくんだな〉
二賀斗は明日夏のその強い眼差しに生きる勇気をもらったような気持ちになった。
木漏れ日が二人を優しく照らしている。
エピローグ
しばらくして二人は山から下りてきた。その後、明日夏のキズの手当てをし、彼女の持ってきた荷物をまとめると山桜の木のそばに停めてある二賀斗の車に積み込んだ。
「明日夏、帰るとするか」
「うん。ニーさんもここを引き払うんでしょ?」
「俺か? 俺は……」
二賀斗は山桜の木の幹に手をついた。
「俺はここに残るよ」
「……残るの?」
明日夏は二賀斗のその言葉を半ば想定していたのでさほど驚きもしなかった。
「なんかさ、ここにいればいつかまた葉奈に会えるような気がするんだ。……実際、あんなもの見せられたんじゃ、もう何があったって不思議には思わないだろ? どんな形ででも、もう一度葉奈に会いたい。俺にはあいつしかいないんだ! そのためだったらどんなことだってやってやるよ!」
二賀斗の、その言葉を明日夏はうらやましそうに聞いていた。そしてつぶやく様に言った。
「……人の生き方って、変わっていくんだね」
二賀斗は葉奈を懐かしむように山桜を見上げた。
そのとき一陣の風が二人の間を通り抜け、裏山の方へと流れていった。二賀斗も明日夏も思わず振り返って裏山を見上げた。
落葉樹の木々が風に吹かれて大きく揺れた。
「見て! 葉奈ちゃんが手を振ってるみたいよ」
「ああ!」
二賀斗はその言葉に笑顔で応えた。そして二人は、しばらくジッとその風景を見つめていた。
空は雲一つない青色に包まれていた。
(終)
明日夏は目を覚ますと、頭のそばに置いておいた自身の腕時計を見る。時刻は午前六時。起き上がって辺りを見回すと同じ居間の向こうには死んだように眠っている二賀斗の姿があった。ふと、明日夏は額を右手で押さえた。
〈頭の中、覗かれたんだ……〉
あの出来事を思い出すと突然、居ても立ってもいられなくなった。明日夏は立ち上がると、そのままの格好で居間を飛び出した。
「わっ!」
玄関を開けて小屋を出ると、外は一面霧で覆われていた。
〈昨日の埋めた場所、どうなったんだろう。……何にもある訳、ないわよね〉
明日夏は一面の霧の中、手探りでゆっくりと歩きながら昨日の埋めた場所にたどり着いた。
「ハァ……ハァ……。何ともなってない。……当然よね」
明日夏が胸をなで下ろしたその時、突如突風が吹き霧を大きく動かした。明日夏は不意を突かれ、思わず声を上げた。
「きゃあッ!」
頭を押さえて明日夏は風をしのいだ。
「……あーっ、びっくりしたー。結構大きかったわ、今の風」
明日夏は頭から手を離すと何気なく辺りを見回した。
「ハア、……ハアアア」
明日夏は何度も何度も玄関の引き戸を掴もうとしたが、指が震えてうまく掴めなかった。やっとのこと引き戸を掴むと、そのまま力任せに引き戸を引いた。
玄関の引き戸が勢いよく開くと、地震かと見違いするくらいに大きな音と振動が辺りに響き渡った。明日夏は居間で寝ている二賀斗に向かって大声を出した。
「ニーさんッ! ニーさァんッ!」
「……ン、んん」
二賀斗はまだ眠りの中にいる。明日夏は靴のまま居間に駆け上がると二賀斗を覆っている掛け布団を勢いよく引き剥がし、そのまま二賀斗の胸ぐらを掴んで力任せに引っ張った。
「起きて! ……起きろオオ! ニィーッ!」
「な、な、なんだァ?」
二賀斗は明日夏の腕を払いのけるように手をバタつかせた。明日夏はお構いなしに二賀斗に顔を近づけると息を整えて言った。
「ハァ……ハァ。……来て、早く!」
「……あ? ……ああ」
二賀斗は寝ぼけながらも立ち上がってズボンのベルトを締めようとした。
「あ、あれ。うまく入んねえな」
「何やってんのよ! バカッ!」
明日夏の苛立ちが頂点に達した。
「い、今行くよ!」
薄霧の中、二人は昨夜葉奈を埋めた場所に向かって走った。程なく東の方角からオレンジ色の朝日が上り始めると、反比例するかのように徐々に霧が晴れてきた。
明日夏は立ち止まると、周りの風景に向かって指をさした。
「見て!」
二賀斗は明日夏の指し示す方向を見ると、大きく目を開いて愕然と立ち尽くした。昨日まで杉林だった周りの木々が変わっている! すべてが落葉樹に変わっている!
明日夏が叫んだ。
「見てよッ! ナラの木よ! クヌギ、栗、柿、……み、みんな実がなる木よ!」
「……ど、どういうことだよ。……あ、明日夏来いッ!」
二賀斗はそのまま山の中に入って行った。
「ち、ちょっと待って!」
明日夏も急いでそのあとを追う。
二人は山を上りながら辺りを見回した。
〈どこもかしこも変わってる、杉が一本もない! どこまで広がってるんだ!〉
二賀斗は明日夏のことなど忘れてどんどん山を駆け上がっていく。
「ハァ……ハァ……」
しばらく上ると二賀斗は立ち止まった。少し遅れて明日夏もやって来た。
「ハァ、ハァ、ハァ。……ねェ、これ、どういうこと? 一体どうなっちゃったの?」
明日夏は辺りを見回しながら、眉をひそめて不安そうな眼差しで二賀斗を見た。
二賀斗は真剣な顔つきで明日夏を見つめた。
「明日夏。……お前、葉奈に食って掛かったとき泣きながら何考えてた?」
「……え?」
明日夏は一層眉をひそめた。
「……もしかしてお前、この風景が頭に浮かんでたんじゃないのか。……森の動物たちのことを考えてたって言ってたよな。……なあ」
「……え? え? でも……」
明日夏は身を縮こまらせながら首を小刻みに横に振った。
「強く想ったんじゃねえのかァ!」
二賀斗は声を張り上げた。
「お、想ったわよ――ッ!」
明日夏はそう叫ぶと、両手で頭を抱えた。
「……明日夏。これが、お前の欲しかった世界なんだな。……お前の強い想いと、それに触れちまった葉奈の命で作り上げた世界。……まさか、本当にこんなことが起きるなんてッ!」
二賀斗は両手で自分の頭を掴んだ。
「触れさせちまった。……葉奈に触れさせちまったんだ! もっと、葉奈の言ったことを真剣に考えていりゃこんなことにならなかった! 少しでもあの話に耳を傾けていれば、今の明日夏とは会わせられないって考えられたんじゃねえのかよオ!」
二賀斗の指は強く頭にめり込んでいた。
「……ウソ。こ、こんなの嘘よ。人間に……そんなことできるわけないじゃない。……木が、木が変わってるのよ? ……い、一本、二本じゃないのよ。こんなに変わってるのよ? ねえ! ニーさんだって言ってたでしょ! 人間なんかにってェ!」
明日夏は目を見開いたまま身体を震わせていた。紫色に染まった唇を小刻みに震わせ、極度に怯えていた。
「……葉奈が、最後に言ってただろ。“いっぱい実が付くといいね”って。見てみろよ。これ、みんな実がなる木じゃないか! お前の想いは。……お前の望みは、葉奈の命を全部使わなきゃならないくらいデカかったんだ。葉奈も、葉奈の家族も、生まれてからずっとヒトの欲望に囚われた囚人だったんだ。葉奈を追いかけて追い詰めて、そして葉奈の命を奪った! これじゃ……、これじゃ密猟者と変わらねえじゃねえかよオ! 俺たちはうす汚い密猟者とおんなじだ! 収は、収は殺されたんじゃない。俺たちが殺したんだッ! お前の苦しみも、俺の悲しみも全部罰なんだ! 俺たちは罪人なんだよッ!」
二賀斗が言い放ったその言葉に、明日夏の目から一気に涙があふれ出した。明日夏はその場にひざから崩れ落ちると、そのまま地面めがけて何度も何度も頭を叩きつけた。
「ごめんなさい! ごめんなさい! ごめんなさい! ごめんなさいぃぃ―――――ッ!」
罪を償う咎人のように、明日夏は何度も何度も額を地面に打ちつける。
明日夏の許しを請う泣き声と地面を叩く鈍い音が静かな森の中に木霊する。地面に打ちつけられた明日夏の額からは、容赦なく赤い血が噴き出していく。
二賀斗も膝から力なく倒れ込むと、そのまま力任せに指で地面を掻きむしった。容赦なく爪の間に土が入り込む。地面に滴り落ちる罪人の涙。二賀斗は掻きむしった土を強く握り締めた。
「お前ら家族は、こんな……こんな生贄みたいなことまでして……、そこまでして……ヒトに尽くさなきゃならないのかよォ……」
二賀斗は顔を上げると、空に向かってありったけの声で叫んだ!
「おしえろ―――ッ! 葉奈ああああああああああ―――――――――――!」
鋭い刃物のような二賀斗の叫び声が森を切り裂く。木の上で休んでいた鳥たちは、その声に蜘蛛の子を散らすように一斉に空に向かって飛び散って行った。
一年前の、あの雨の日に物語は始まっていた。薄霧の中、明日夏が古びたその扉を開き、二賀斗が明かりをともす。胸躍らせるような表情で二人は一歩一歩前に進む。そして、二人がたどり着いた光の先には……落葉樹が生い茂るこの森が待っていた。
ふいにコナラの実が一つ、地面に落ちてきた。落ちた実はコロコロと転がりそのまま明日夏の足元まで転がり込む。
一つ、また一つ地面に落ちては明日夏の足元に転がり込んだ。そしてまた一つ、コナラの実が宙を舞い、明日夏の頭に落ちてきた。
明日夏はそれに気づくと、ハッとして頭を打ちつけるのを止めた。そして頭を上げて地面に落ちていた木の実をじっと見つめた。……どんぐり。瑞々しい色。オリーブ色をした若々しいどんぐり。
明日夏は震える指でそのどんぐりのカサの柄を掴むと、一心にその実を見つめた。木漏れ日が木の実をやさしく照らし出す。
〈……木の実。……森のみんながこれを食べて命をつなぐ。……命をつなぐ実〉
ふと、明日夏の頭の中には柿や栗、ドングリをおいしそうにほお張るクマの親子やイノシシの姿が映し出された。
明日夏は表情を柔らかくすると、その実をそのまま手のひらで包んでちからいっぱい握りしめた。そしてゆっくりと立ち上がると、深く息を吸い込み二賀斗に伝えた。
「やる! 私やるわ! この実を育てて日本中の山に植えるわ! あなたの大切な人が命を使ってまで私の願いを叶えてくれた。……こんな、わたしのために。だから、私はやらなきゃならないのッ!」
二賀斗は膝を地面に落としたまま生気を失っているような顔つきでうつむいていた。
「ニーさん立って! 立ちなさい! ほら!」
明日夏は二賀斗の腕を引っ張り無理矢理立たせようとしたが、二賀斗は虚ろな目をして立ち上がろうとしなかった。
「ひろきッ!」
明日夏は両手で二賀斗の胸ぐらを掴むと、無理矢理に顔を上げさせた。
二賀斗は明日夏の顔をぼんやりと見つめた。
「……ハッ!」
二賀斗は目を見開いた。明日夏の顔は土にまみれ、額からは鮮やかな赤い血が口元にまで流れている。
「……ひろき。死んでしまいたい気持ちは十分わかるわ。絶望を目の当たりにしたら生きていくより死んでいくほうが簡単だもの。……でもね、死んだらもうそれで終わりよ。何にも残らないのよ。……私がいま生きているのは、収を忘れたくないから。ただそれだけよ。収の笑顔も、収の声も、収と過ごした思い出も、私の中から一つだって失いたくない。私の中では収は今でも生きているの。収を忘れることは死ぬよりつらいことだわ! ……だから、ひろき。……忘れないために、生きていこう」
明日夏は二賀斗に向かって優しく声をかけた。
“ひろき。……生きていこう”
葉奈がそう言ってくれたみたいだった。二度と見れない大好きなあの笑顔で……。二賀斗は唇を噛みしめ涙がこぼれないように天を仰いだ。
「……なぁ明日夏。この先もこんな、死ぬほどつらいことが俺にもお前にも……あるんかなァ」
独り言のように二賀斗はつぶやいた。
「ある! あるよ。これからもいっぱいね! だけど進まなきゃ。……私は進むよ。私のために、収のために、あなたのために。……そして、葉奈ちゃんのために」
明日夏は強い眼差しでハッキリと二賀斗に告げた。
突然、明日夏の顔と収の顔が重なった。……あの日、空港で見送ったときのあいつのあの顔。高い目標を持ってそれに突き進んでいこうとするあの誇らしい眼差し。
〈明日夏。お前も次のステージに進んでいくんだな〉
二賀斗は明日夏のその強い眼差しに生きる勇気をもらったような気持ちになった。
木漏れ日が二人を優しく照らしている。
エピローグ
しばらくして二人は山から下りてきた。その後、明日夏のキズの手当てをし、彼女の持ってきた荷物をまとめると山桜の木のそばに停めてある二賀斗の車に積み込んだ。
「明日夏、帰るとするか」
「うん。ニーさんもここを引き払うんでしょ?」
「俺か? 俺は……」
二賀斗は山桜の木の幹に手をついた。
「俺はここに残るよ」
「……残るの?」
明日夏は二賀斗のその言葉を半ば想定していたのでさほど驚きもしなかった。
「なんかさ、ここにいればいつかまた葉奈に会えるような気がするんだ。……実際、あんなもの見せられたんじゃ、もう何があったって不思議には思わないだろ? どんな形ででも、もう一度葉奈に会いたい。俺にはあいつしかいないんだ! そのためだったらどんなことだってやってやるよ!」
二賀斗の、その言葉を明日夏はうらやましそうに聞いていた。そしてつぶやく様に言った。
「……人の生き方って、変わっていくんだね」
二賀斗は葉奈を懐かしむように山桜を見上げた。
そのとき一陣の風が二人の間を通り抜け、裏山の方へと流れていった。二賀斗も明日夏も思わず振り返って裏山を見上げた。
落葉樹の木々が風に吹かれて大きく揺れた。
「見て! 葉奈ちゃんが手を振ってるみたいよ」
「ああ!」
二賀斗はその言葉に笑顔で応えた。そして二人は、しばらくジッとその風景を見つめていた。
空は雲一つない青色に包まれていた。
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