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第3章 狐の嫁入り、夢か現か
第60話 ただ一つ、残ったモノ
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《三人称視点》
「わかったでしょ? それが、変えようのない現実……キミが、辿ってきた本当の世界さ」
目の前で膝をつき、俯く独りの少年へ、九条梨狐……否、カリンは声をかける。
彼の周りに、温もりはない。側にあったもの、今まで少年を奮い立たせてきたかけがえのないものが、まるで最初からなかったように。
少年は、ひとりぼっちだった。
「ドラゴンの娘を助けられなかった後、キミは幸いにも敵から見逃された。現実のキミは何も力を得ることができていない。《契約》のスキルなんてものを得ていないのだから、人外の力を得てもいない」
「ーー」
「その後のことは、キミが今思い出している通りだよ。キミの預かり知らぬところで、人魚の娘は冒険者に襲われる。ーーもっとも、襲う人間は川端剣砥とかいう三下じゃない。キミがランキングトップの冒険者に踊り出なかったことで、あの三下も劣等感からダンジョンの深くへ潜ることもなかったのだから」
「ーー」
淡々とした語り口の中、少年は無言で聞き届ける。いや、反論する気力すらないのだろう。こうなった以上、後は消化試合でしかない。
「結果、人魚の父親が暴走し、止める者のいないダンジョンは28階層を中心に壊滅的な被害を被る。人魚の娘はただひたすらに自身の呵責に押しつぶされ、心を壊していく。誰も救われていないしーー何よりキミは、その場にいもしなかった」
「ーー」
その、カリンの語る現実は、ミリーの見せられた虚構に瓜二つでありーーだからこそ、救えなかった現実に、少年の心は荒んでいく。
擦り切れ、摩耗し、漂白されーー心という心が無に帰していく。
完全勝利まで、あと一押しーー
「今ここにいるのも、都合のいい幻想に魅せられて、ノコノコやって来ただけさ。本当にバカバカしい。私が作った幻想に最後まで踊らされて、勝手に自滅して。誰一人救うことすらできていない、キミみたいなただの落ちこぼれが、エゴまみれの願望で私を救おうなんて。それはーー本当に都合が良すぎる、現実の見えていない、空虚な幻想だよ」
弱い心を削って、削って、削りきって。
少年には最後に、何が残されるのだろう。
それが絶望であると、カリンは知っている。かつて彼女自身も、身の丈に合わない願望と幻想を抱いた。ーーそんな時期があった気がする。
でも、捨てられ、裏切られ、見向きもされず。この世のすべてから拒絶された彼女は、心を覆う願いを1枚ずつ丁寧に破られーーそして、現実という絶望だけが残された。
今のカリンと、少年は同じだ。
都合のいい妄想を信じ、その果てに救いのない現実を見せられて、身動きが取れなくなっている。
「ーーこれが」
終始、黙りこくっていた少年が、乾いた唇を開ける。
「これが、現実だって言うなら……シャルにつけられた傷は、どうなる?」
少年は俯いたまま、自身の胸に手を触れる。未だ流れる血の温かさに縋り付くように、カリンの目には映る。
「それも幻想。私の攻撃を、勝手にドラゴン娘のものと見間違えただけ」
「でも、これが幻想ならーー心に深く楔を打ち込まれたものへの干渉であれば、現実に戻れるはず」
それは、戦闘中にカリンが言った事実。
最初の虚構。√Aで少年が見せられた、幸せな世界。大切な2人を忘却して得たあの幸福の中、それでも元の場所に戻ることができたのは、シャルとミリーの存在が、少年の中で大きかったからだ。それこそ、心に楔を打ち込まれるほどに。
だからーー
「だからこそ、これが現実だと確定する」
カリンは、淡々と残酷な真実を告げる。
「私は確かに、心に根強く残るものに幻想で干渉すれば、違和感から幻想世界が乱れて元の現実に戻れると言った。でもーーキミは今、彼女達2人の存在を強く思い出そうとしてるのに、この世界が壊れていない。だから、この世界こそが真実だよ」
「っ!」
あったはずの、心の繋がりが途絶している。だからこそ、これは紛れもない現実なのだと。
カリンは、少年を追い詰めた。
幻想であるという希望が、途絶する。カリンを救うなどと豪語する資格のない少年の存在意義が、行動する意欲が、消失する。
ーーそら見ろ。
カリンは、笑みを浮かべる。100人が見れば、誰もが「寂しそう」と答える、矛盾した微笑みを。
結局、俯いたまま動かない少年の心に残ったのは、カリンと同じものだ。結局、目の前の少年には救えない。そしてーー
(私も、救われない)
「ーーそっか、ここが現実なんだね」
不意に、少年から声がする。
「うん、そう。だから、ここで大人しく、私と一緒に世界の崩壊に巻き込まれて終わろう。この、見たくもない現実と、さよならしよう」
ようこそ、理解者。
私と同じ、絶望を知っている人。
カリンは、空虚な達成感とともに、同じ場所まで落ちてきた少年に手を伸ばしーー
「やっと、君のことがわかったよ」
「!?」
ゾクリ。久しく感じていなかった恐怖が、カリンの背筋を突き刺した。
思わず一歩後ずさるカリンの目の前で、少年がーー神結絆が、ゆっくりと顔を上げる。
いっそ可愛らしいその顔はーーカリンと同じものではなかった。その目は、死んでいない。心は生きている。
「なん、で……」
理解できないとばかりに、カリンは呟く。
「どうしてそんなに平然としてる! キミは何も守れてなくて、私を救うなんてほざくことすら烏滸がましい、ただの落ちこぼれだ! よもや、これがまだ幻想だなんて、くだらない期待に縋って思考放棄するっていうなら、それこそーー!」
「そんなことはしないよ。僕は、これが現実だと受け止めてる。僕は、君の幻想に踊らされて、何も救えて無くて、ただ自己満足のために君を助けようとした、救いようのない愚か者だ」
「っ! だったら!」
「でも、関係ない」
「っ!?」
不意に強くなる語気に、カリンは押し黙る。そんな彼女へ向け、心の外郭を1つずつ削り取られーー最後に残ったモノだけを持った、剥き出しの少年が告げる。
「そんなもの、寂しそうな顔をする君を、助けない理由になんかならないよ」
「わかったでしょ? それが、変えようのない現実……キミが、辿ってきた本当の世界さ」
目の前で膝をつき、俯く独りの少年へ、九条梨狐……否、カリンは声をかける。
彼の周りに、温もりはない。側にあったもの、今まで少年を奮い立たせてきたかけがえのないものが、まるで最初からなかったように。
少年は、ひとりぼっちだった。
「ドラゴンの娘を助けられなかった後、キミは幸いにも敵から見逃された。現実のキミは何も力を得ることができていない。《契約》のスキルなんてものを得ていないのだから、人外の力を得てもいない」
「ーー」
「その後のことは、キミが今思い出している通りだよ。キミの預かり知らぬところで、人魚の娘は冒険者に襲われる。ーーもっとも、襲う人間は川端剣砥とかいう三下じゃない。キミがランキングトップの冒険者に踊り出なかったことで、あの三下も劣等感からダンジョンの深くへ潜ることもなかったのだから」
「ーー」
淡々とした語り口の中、少年は無言で聞き届ける。いや、反論する気力すらないのだろう。こうなった以上、後は消化試合でしかない。
「結果、人魚の父親が暴走し、止める者のいないダンジョンは28階層を中心に壊滅的な被害を被る。人魚の娘はただひたすらに自身の呵責に押しつぶされ、心を壊していく。誰も救われていないしーー何よりキミは、その場にいもしなかった」
「ーー」
その、カリンの語る現実は、ミリーの見せられた虚構に瓜二つでありーーだからこそ、救えなかった現実に、少年の心は荒んでいく。
擦り切れ、摩耗し、漂白されーー心という心が無に帰していく。
完全勝利まで、あと一押しーー
「今ここにいるのも、都合のいい幻想に魅せられて、ノコノコやって来ただけさ。本当にバカバカしい。私が作った幻想に最後まで踊らされて、勝手に自滅して。誰一人救うことすらできていない、キミみたいなただの落ちこぼれが、エゴまみれの願望で私を救おうなんて。それはーー本当に都合が良すぎる、現実の見えていない、空虚な幻想だよ」
弱い心を削って、削って、削りきって。
少年には最後に、何が残されるのだろう。
それが絶望であると、カリンは知っている。かつて彼女自身も、身の丈に合わない願望と幻想を抱いた。ーーそんな時期があった気がする。
でも、捨てられ、裏切られ、見向きもされず。この世のすべてから拒絶された彼女は、心を覆う願いを1枚ずつ丁寧に破られーーそして、現実という絶望だけが残された。
今のカリンと、少年は同じだ。
都合のいい妄想を信じ、その果てに救いのない現実を見せられて、身動きが取れなくなっている。
「ーーこれが」
終始、黙りこくっていた少年が、乾いた唇を開ける。
「これが、現実だって言うなら……シャルにつけられた傷は、どうなる?」
少年は俯いたまま、自身の胸に手を触れる。未だ流れる血の温かさに縋り付くように、カリンの目には映る。
「それも幻想。私の攻撃を、勝手にドラゴン娘のものと見間違えただけ」
「でも、これが幻想ならーー心に深く楔を打ち込まれたものへの干渉であれば、現実に戻れるはず」
それは、戦闘中にカリンが言った事実。
最初の虚構。√Aで少年が見せられた、幸せな世界。大切な2人を忘却して得たあの幸福の中、それでも元の場所に戻ることができたのは、シャルとミリーの存在が、少年の中で大きかったからだ。それこそ、心に楔を打ち込まれるほどに。
だからーー
「だからこそ、これが現実だと確定する」
カリンは、淡々と残酷な真実を告げる。
「私は確かに、心に根強く残るものに幻想で干渉すれば、違和感から幻想世界が乱れて元の現実に戻れると言った。でもーーキミは今、彼女達2人の存在を強く思い出そうとしてるのに、この世界が壊れていない。だから、この世界こそが真実だよ」
「っ!」
あったはずの、心の繋がりが途絶している。だからこそ、これは紛れもない現実なのだと。
カリンは、少年を追い詰めた。
幻想であるという希望が、途絶する。カリンを救うなどと豪語する資格のない少年の存在意義が、行動する意欲が、消失する。
ーーそら見ろ。
カリンは、笑みを浮かべる。100人が見れば、誰もが「寂しそう」と答える、矛盾した微笑みを。
結局、俯いたまま動かない少年の心に残ったのは、カリンと同じものだ。結局、目の前の少年には救えない。そしてーー
(私も、救われない)
「ーーそっか、ここが現実なんだね」
不意に、少年から声がする。
「うん、そう。だから、ここで大人しく、私と一緒に世界の崩壊に巻き込まれて終わろう。この、見たくもない現実と、さよならしよう」
ようこそ、理解者。
私と同じ、絶望を知っている人。
カリンは、空虚な達成感とともに、同じ場所まで落ちてきた少年に手を伸ばしーー
「やっと、君のことがわかったよ」
「!?」
ゾクリ。久しく感じていなかった恐怖が、カリンの背筋を突き刺した。
思わず一歩後ずさるカリンの目の前で、少年がーー神結絆が、ゆっくりと顔を上げる。
いっそ可愛らしいその顔はーーカリンと同じものではなかった。その目は、死んでいない。心は生きている。
「なん、で……」
理解できないとばかりに、カリンは呟く。
「どうしてそんなに平然としてる! キミは何も守れてなくて、私を救うなんてほざくことすら烏滸がましい、ただの落ちこぼれだ! よもや、これがまだ幻想だなんて、くだらない期待に縋って思考放棄するっていうなら、それこそーー!」
「そんなことはしないよ。僕は、これが現実だと受け止めてる。僕は、君の幻想に踊らされて、何も救えて無くて、ただ自己満足のために君を助けようとした、救いようのない愚か者だ」
「っ! だったら!」
「でも、関係ない」
「っ!?」
不意に強くなる語気に、カリンは押し黙る。そんな彼女へ向け、心の外郭を1つずつ削り取られーー最後に残ったモノだけを持った、剥き出しの少年が告げる。
「そんなもの、寂しそうな顔をする君を、助けない理由になんかならないよ」
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