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【二十八話】慟哭

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 *

 蘭が大異変に無理矢理、貫かれた瞬間。

「っ!」

 三人は同時に異変を感じた。
 そして寝ていたはずの律が飛び起き、火が付いたように泣き始めた。
 トマスが慌てて律を抱きしめてなだめるのだが、まったく聞かず、泣き喚く。

「……これはランになにかあったとしか思えないな」
「命の危機……ではなさそうですが」
「だが、俺たち同時に感じたし、リツもきっと、異変を感じて泣いてるんだろう?」
「──だとすればこれは、死よりも最悪な状況だね」
「いや、ランが生きているのなら、希望はあります」

 とは言うが、三人は口に出さないが同じことを思っていた。

 大異変に蘭の身体が奪われた、と。

 大異変に攫われてから、覚悟はしていた。
 だけどそれはすぐには訪れず、忘れていた頃にやってきた。

「生きていれば……」

 そう、生きていればそれでいい。
 身体は奪われても、心が奪われなかったのなら──。
 そう思わなければ、やりきれない。
 辛いのは三人よりも当の蘭なのだから。

「──力がないのが、とても悔しい」

 イバンの言葉に、それまで泣き喚いていたリツが泣き止んだ。

「とーた?」
「リツ、とても悔しいよ。おれたちに力がないばかりにおまえの大切な母さんを奪われて、取り返せないのだから」
「かーた?」
「リツは覚えているか? おまえはランのお腹の中にいたんだぞ。産まれてくるまで、常に一緒にあったのに」

 アーロンの言葉に、律は思い出していた。
 暗いけれど温かななにかの中にたゆたっていた時を。
 そして、その時がとても幸せだったことを。
 たまに外から聞こえるにぎやかな声はどれも聞き覚えのあるもので、でも、その中にあった、優しくていつまでも聞いていたい声が、今はない。
 それが彼らが言う『母さん』『ラン』のものなら──。

 律はそれを取り戻さなくてはならない。

 そして律には、それをするだけの力があることを『識った』。

「とーた」

 まだ律にはこの想いをどうやって伝えればいいのか、言葉を持たない。
 でも、泣いている場合ではない。
 一刻も早く力を手に入れて、助けに行かなくてはならない。
 焦る気持ちに律はトマスの腕の中でバタバタと暴れた。

「リツ、落ち着いてください!」
「まぁ、気持ち的に落ち着けないのは分かるが、まずはメシを食って大きくならなきゃな!」

 アーロンの言葉に、律のお腹はちいさく、くぅ、と鳴った。

「お腹、空きましたか? 食堂で食べましょう」

 トマスの言葉に、律は大きく手を上げた。

 *

 蘭は大異変に貫かれ、身体を強く揺さぶられていた。だけどその瞳はなにも映していなかった。

『ふむ。静かになったと思ったら、心を殺したか』

 本当に人間というのは厄介だ、と大異変は思う。
 大異変の目的は、この世界に終焉をもたらすことだ。
 ただ、そのためだけに存在している。
 それなのに未だに達成できていないのは、すべては人間のせいである。

 大異変が最初に現れたとき、人類は無力で、終焉の一歩手前まで来ていた。
 現れてすぐに終わりかと思った時。
 そう、きっとその油断がいけなかったと、大異変は振り返って思う。

 一人の男が現れたのだ。

 その男は大異変と同じく、突然、現れた。
 いや、大異変と違って、元々、存在していたのかもしれないが、大異変にしてみれば、突然だ。
 そして、その男は渾身の力を奮って大異変に封印という名の呪いをかけた。
 そう、それは大異変にしてみれば呪いとしか思えないもの。
 身体を封じられ、動けなくされたのだから。

 そしてその男がその後、どうなったのかは、封印された大異変は知らない。
 だが、永い時を存在していて、大異変はその後の男の行方をなんとなく知った。
 その男は大異変を封印した後、次に大異変が復活したときにも対抗できるように一つの仕組みを作ったようなのだ。
 それが今も残っていて、さらに強力になり──大異変の存在を脅かすところまで来ているのだ。
 何度も人間と戦い、最近では大異変が押され気味である。
 このままでは滅びてしまう。
 大異変はこの劣勢をどうにかしたかった。

 そして──知ってしまった。
 大異変に唯一対抗できると言われている勇者を産む聖女が、勇者の対である存在の魔王を産むことが出来る、と。
 それならば、聖女を手に入れて、魔王を産ませればいい。なんと簡単なことだろう、と大異変は思わず笑った。
 だが、大異変が思うほど、事は簡単には進まなかったのだ。
 まず、大異変は概念の存在だったので、身体がない。さらに概念のため、見えない。
 それなのに大異変の身体を封印した男は──改めて考えてもおかしい、としかいえない。
 そして、勇者と言われる存在も大異変を見ることが出来、さらには封じることが出来るのだから、おかしいとしか言いようがない。
 そんな存在なので、まず、聖女に認識されない。
 認識されなければ、大異変が直接、人間に触れることは出来ない。
 ただし、例外がある。
 大異変は認識されなくても、触れることは出来ないが、人間を殺すことは出来た。なんとも厄介な存在である。

 そして、とある聖女に認識されたのだが。
 すでに勇者が成長していて、大異変が聖女を攫う前に封印されてしまった。

 大異変は封印されていても、意識はあった。
 せっかく聖女が手に入りそうだったのに、あと少しだったのに! 聖女さえ手に入れば、この世界に終焉をもたらすことができるのに──。

 敗因はなにか。
 大異変は永い時をかけて、分析した。
 いや、本当はそんな永い時は必要なかったのかもしれないが、大異変はあまりにも永い時を存在していたのと、繰り返し封印されていて、悔しくて頭に血が上っていて、冷静に分析出来なかった。

 そして、あるとき、気がついてしまった。

 そう、敗因は──勇者の存在だ。
 いやもう、そこは分かりきっていたのだろうが、大異変にとっては復活したら勇者にやられる、という、ある意味、刷り込まれた状態が当たり前で、気がつけなかったのだ。灯台下暗し、である。
 大異変は、封印されても意識はある。だが、動けない。
 そして、動けるようになった途端、勇者にまた、封印される。
 その繰り返しである。
 これを打破するには?
 答えは簡単だ。
 封印される前に勇者を殺すしかない。
 だが、それが出来ていれば、今頃──。

 勇者が力を付ける前に殺せれば、それが一番だ。
 しかし、人間たちは大異変の復活の周期を知っているようで、封印が解けるのに合わせて、全力の勇者をぶつけてくるのだ、勝てるわけがない。
 では、どうすれば勝てる?
 大異変も試行錯誤した。
 したが、勝てなかった。

 そこで、また気がついた。
 これ、どう考えても大異変側が不利なのではないか、と。

 そうだ、勇者は全力だが、大異変は封印が解けたばかりで全力を出せていないのだ。
 となると。
 ──どうすればいい?
 まったく思いつかない。

 大異変は封印されることが前提で考えていたのだが、仮に封印されなかったら?
 いや、それはあり得ない。
 大異変は復活したら今まで必ず勇者に封印され続けてきた。
 もしも封印がされなければそれは大異変の勝利で、その時点で世界は終わりを迎える。そしてそれは、同時に大異変の存在の終わりも示している。

 なるほど、大異変はこの世界に終焉が訪れたら、大異変の存在自体もなくなることを恐れていたのか。だから勇者の封印を甘んじていたのか。

 いや、それはおかしい。
 この世界に終焉をもたらすのが大異変の存在で、存在意義だ。
 それを否定してまで存在して、どうする?

 では、なにが問題なのか?

 大異変は人間のことをよく知っているようで、知っていなかった。
 そして、復活する度に封印する勇者は毎回、違う人間だということにも、考えが至らなかった。
 なんというか、非常に憐れで残念な存在であるともいえた。

 だが、そんな大異変にも、逆転できるかもしれないチャンスが訪れた。
 それが今回なのだが、果たして、大異変は今までの違いに気がついているのだろうか?

 そう、今回はなにが原因か分からないが、封印が緩み始めるのがいつもより早かったのだ。
 それは封印した勇者の実力不足のせいだったのかもしれないし、この世界を創ったといわれる、いわゆる神、と呼ばれる存在の意思、だったのかもしれない。
 いい加減、決着をつけろよ、と。

 そして、大異変の一部──そう、あくまでもこの人間の形をしたモノは大異変の一部、なのだ──は、幸運にも、蘭にしてみれば不運にも、大異変のことを認識できる聖女がいて、攫うことが出来た。

 人間は厄介だが、この、子を作るための行為は気持ちがいい、良すぎる。
 こんなに気持ちが良ければ、それを繰り返しヤッてしまい、人間が増えていくのは当たり前だ、と大異変は初めて知った。

 大異変は初めての快感に夢中になった。
 蘭が反応しようとするまいが、大異変はただひたすらに気持ちが良かった。
 ナカに埋め込み、腰を振れば脳天を突き抜けるような快感が訪れる。
 気持ちいい、気持ちいい、気持ちいい。
 そしてたまに来る射精は、気持ちが良くて最高だった。
 新たな刺激に夢中な大異変。

 人間の身体を模した大異変は、疲れを知らない。
 だが、蘭は人間だ。
 心を殺してしまっているが、身体まで殺すつもりはない。むしろ、死なれたら困る。
 だから延々とこの行為を続けたいのを我慢して、大異変はたまに蘭に休憩を与えた。
 蘭にマリと名づけられた人形は、蘭のことを甲斐甲斐しく世話をしていた。
 そして、大異変が夢中になりすぎていると、蘭に休みを与えるためにマリが中断を促してくるようになった。
 鬱陶しいが、これもこの世界を終わらせるためと思えば、ガマンも出来る。
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