終焉を迎えそうな世界で、君以外はなんにもいらないんだ

朱月野鈴加

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【三十六話】アナスタシアは全力で行く

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 *

「リツ!」

 呼ぶ声に律は顔を上げ、アナスタシアを見た。

「全力で行くから!」
「ぉ、ぉぅ?」

 アナスタシアは大異変をかなり追い詰めていたようだ。向こうは黒い霧状のものから黒い髪のレジェスに戻っていた。
 アナスタシアは目をつり上げて大異変を睨みつけていた。
 普段も基本は凜とした空気をまとっているけれど、律の前では素が出ていることも多いアナスタシアだが、今はいつも以上に張り詰めた空気をかもしていて、律は美しい、と思った。
 そのアナスタシアの口から、流れるような詠唱が聞こえるが……。
 これ、かなりヤバイヤツじゃない? と気がつき、律は慌てて自分の周りに強固な結界を築いた。
 先ほど、壁に向かって放った風魔法がお遊びに見えるほどのヤバイ魔法。禁呪と言われて等しいのを放とうとしている。

「レジェスの偽物めっ! 死ねっ!」

 うん、アナスタシア。それ、悪役の科白。

 そして放たれる超特上の魔法。
 視界が真っ白に染まるが、律は必死に行方を追う。

 アナスタシアの放った荒れ狂った嵐の魔法は大異変を飲み込み、それからこの空間を破壊していく。
 とそこで、蘭の寝ているベッドが無防備だったことに気がつき、慌ててそちらにも強固な結界を張った。
 ベッドの端が欠けているのが見えたが、間に合ったようだ。荒れ狂う嵐は律の結界に当たって弾かれている。もう少し強度を上げておかないと心許ないと思って上げたが、かなり激しい。ガンガンと凄まじい音を立てている。だが、強度を上げたおかげか、大丈夫なようだ。

「……まだ、のようね?」

 アナスタシアを見ると、こちらがゾクッとするような凄絶な笑みを浮かべ、先ほどの魔法を追加していた。

「え、アナスタシア?」

 アナスタシアの笑顔に、律はゾクゾクしつつ、またもや放たれた禁呪級の魔法を呆然と見た。
 アナスタシアの放った魔法は、この地下だけではなく、地上の建物まで破壊していく。

「どっちが悪いんだか、分からないよ……」

 律はため息交じりに高笑いをしているアナスタシアを見ていた。

 *

 アナスタシアの放った魔法も中央棟を破壊し尽くして満足したのか、急速に収まった。
 建物の破片がどうなったとか、色々と気になることはあるけれど、一番気になるのは、あれだけの魔法を連続で放ったアナスタシアだ。魔力が空っぽになるほど使い切ったとは思えないが、近いものはあるだろう。
 律もここまで来る間にそれなりに消費はしたが、まだまだ余裕がある。産まれながら魔力の保有量が多かったのもあるが、日々の鍛錬でさらに増加していたため、空っぽになったことはない。使い切るほどの魔法を使ったら、一体どうなるのだろうかという興味がないわけではないが、そこまで大量に使うことがないので未だに確認は出来ていない。

 律はまず、魔王がいた辺りを確認した。
 血溜まりは残っておらず、黒い焦げた跡が残っているだけだった。
 本当に存在していたのか、存在していたとしてもきちんととどめを刺せたのか。あの魔法のどさくさに紛れて逃げられたのではないかという不安はあるが、追跡する気にはなれなかった。
 初対面ではあったが、見た目は律に似ていたし、きっと血を分けた兄弟だったのだろう。──あまり実感はないが。
 もしも逃げおおせていたのなら……静かに暮らしてくれるのなら、追うことはしない。だけど、もしもなにか問題を起こしたのなら。
 その時は律が責任を持って始末をしに行こう。
 そう決めて、律はその焦げから視線を外した。

 それから端が欠けたベッドを横目に見て問題がないことを確認して、一番の懸念事項であるアナスタシアの元へ行った。
 アナスタシアはやや放心状態のようだったが、一点を凝視していた。
 律もアナスタシアの視線をたどってそこを見たが、なにもないように見えた。

「アナ?」

 そっと声を掛けると、アナスタシアの肩が面白いくらい飛び跳ねた。そんなに驚かなくても、と思ったが、アナスタシアはぎこちない動きで律に顔を向けてきた。
 アナスタシアの顔色は真っ青で、律は思わず首を傾げた。

「リッ、リツ!」

 アナスタシアは泣きそうな顔をして、律に抱きついてきた。
 律は驚いたが、アナスタシアを抱きとめた。

「レジェス、殺しちゃった……!」

 その一言に、律はどうしてアナスタシアが蒼白な顔をしていたのか分かった。
 いくら憎くても、死ねだ殺すと言っても、やはり自分の父なのだ。
 いや、この場合は見た目が似ていただけだが、それでもアナスタシアの精神的ダメージは相当らしい。
 だったらあんなすごい魔法を使わなければいいのに、なんて思ったが、アナスタシアもかなり頭に血が上っていたのだろう。

「アナ、大丈夫。あれはレジェスではないから」
「で、でも!」
「見た目がそっくりってだけだよ」
「そうかも……しれない、けど」
「けど?」
「最期、こちらに手を伸ばして、『アナスタシア』って」
「大異変と会話したの?」
「ちょっとだけ。あまりにも一方的な言い分に腹が立って思わずぶっ放しちゃったんだけど」
「…………。アナらしいね」

 とそこで、律は気がついた。
 そういえば、魔王は一言も喋らなかったし、呻き声さえあげなかった。
 もしかして、喋れなかった?
 だからだろうか、一方的な状況で倒したにもかかわらず、律の中には罪悪感などが一切ない。
 もしも一言でも言葉を交わしていたら、少しは違っていたのだろうか。
 そんなことを思ったが、終わってしまったことだ。もうここにはいないのだから、言葉を交わすことは出来ない。

「アナは頑張ったよ」

 そう言って、律はアナスタシアの背中を優しくぽんぽんっと撫でた。
 二人ともなめした皮で出来た軽装備を身につけているため、その厚みが少し邪魔だと律は思ったが、逆にそれが冷静さを保たせてるとも言えた。

「大丈夫、あれはレジェスではない。アナスタシアは立派に勇者の役割を果たしたよ」
「あたし……」
「うん」
「大異変を……倒した、の?」
「うん。ごめん、アナに負担掛けたね」

 だけど、と思う。
 もしもアナスタシアが魔王を相手していたら、と。
 きっと大苦戦以上になって、終わらなかったのではないだろうか。
 最悪な場合、アナスタシアを失っていた可能性がある。
 律はアナスタシアが自分に対して好意を抱いてる、というのは知っていた。
 そうでなければ、速攻で引き返すことになったけれど、大異変を倒す旅の同行を申し出て引き受けてくれなかっただろうし、今だってこうやって抱きつきはしないだろう。
 だから魔王だと分かっていても、律に似たあいつに手も足も出せず、逆に一方的にやられていた可能性もある。
 相対する相手によっては、アナスタシアを失っていたかもしれないのだ。
 それを思うと、アナスタシアを抱きしめる腕に無意識のうちに力を入れてしまっていた。

「リツ?」
「……うん?」
「あの……。その、ちょっと、苦しいんだけど」
「あ、あぁ、ご、ごめん!」

 律は慌てて腕から力を抜いて、アナスタシアから離れた。
 律がそう思いたいからかもしれないが、アナスタシアは律が離れて少し淋しそうな表情をしていたように見えた。

 二人の間に少しだけ沈黙が落ちた。
 大変な戦いではあったが、二人とも無傷だ。それなりに魔力は消費したが、それくらい。
 満身創痍は嫌だけど、なにもないのもそれはそれでなんだか手抜きをしたみたいで微妙な気持ちだ。

「えーっと、うん、どうしようか」
「……帰る、しかないわよね」
「そ、そうだ、ね」

 律はチラリと場違いに残っているベッドに視線を向けた。アナスタシアもそれにつられてベッドを見た。

「なんでこんなところにベッド?」
「あー……、うん」

 あのベッドの上に、律の母である蘭が寝ている。
 顔は見てない。でも黒髪の女性が寝ているのは見えた。

 これだけ大きな音を立てても起きてこないのだけど、生きているのだろうか。
 そんな心配をしていたら、だれかがこの敷地内に踏み入れてきたのを感じ取った。

「……だれか、ここに入ってきた」
「え? 分かるのっ?」
「戦ってるときにだれか来たら分かるように……してた」

 アナスタシアの冷たい視線に、律は言い訳を重ねた。

「や、だ、だれか来て、知らないうちに巻き添えにしたらその、マズいと思って!」
「ふーん。相変わらずそういうのは用意周到っていうか」
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