強引な男はお断りです!

朱月野鈴加

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《一話》不審な電話

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 外線のコール音が鳴ったので、秋尾あきおみやびは、校正紙ゲラから視線を上げた。素早く周りを見回すと、先ほどまでフロアにはだれかいたのに、今はみやび一人だった。受話器を取ると、元気よく社名を名乗った。

「はい、エダス出版プレイン編集部です!」

 今の時期は、取材を終えて、だいぶ落ち着いたタイミング。みやびも数日前までは撮影に取材にと外に出ていることが多かったが、それらを終えて、入稿したり、先に上がってきた原稿をチェックしたりという作業をしていた。
 電話はだれ宛てにかかってきたのだろうかと思ったが、みやびが名乗ったにも関わらず、向こうは無言だった。

「もしもし、プレイン編集部ですが……」
『……秋尾みやびはいるか』

 くぐもった、聞いたことのない暗い声。
 とっさにみやびは、電話機についていた『録音』ボタンを押した。

「秋尾みやびは、わたくしですが」

 ぶるりと震えながら、みやびは素直に答えた。
 そういえば、みやびが取材に出ているときにも、不審な男から電話がかかっていたと澤村由紀子さわむら ゆきこから聞いていたけれど、これがそうだろうか。
 このフロアにだれもいないことを知って、電話をかけてきたとしたのなら、どうしようとみやびは思ったが、電話の向こうの男は、なにも告げずに唐突にぶつりと電話を切った。
 プープーという音がみやびの耳に聞こえて、ドッと身体から力が抜けた。

 受話器を取り落としそうになりながらも、みやびは震える手で電話機に戻した。
 今の電話は、いったいなんだったのだろう。
 呆然としていたところに、フロアにだれかが帰ってきた気配がした。
 ようやく人が戻ってきたことにホッとしたところで、視線を向ければ、黒縁眼鏡をかけた水無瀬麦みなせ むぎがコンビニ袋を手に、編集部の入口に立っていた。
 麦の顔を見たみやびは、がたんと音を立てて、椅子から立った。
 それを見た麦は、不思議そうに首を傾げた。

「どうしたんだ、秋尾」
「え……、あ、いや、その。気がついたらフロアにだれもいなかったから、その……」
「あぁ、今永いまながじゅんさんは、メイコさんからリテイクくらって撮影をし直しに出た」
「リテイク、ですか……」
武藤むとうさんと澤村さわむらさんは、給湯室で真剣な顔して、仕事の話してたよ。マグカップがどうとかって言ってたな」
「で、水無瀬さんは」
「小腹が空いたのと、気分転換にコンビニ」
「そ、そうですか……」

 フロアに人が戻ってきて、麦と話をして、みやびは少しだけ落ち着いた。

「それにしても秋尾。おまえ、すごい顔色悪いけど、大丈夫か」
「え……あ、顔色、悪いですか?」
「あぁ。顔もすごいひきつってるし、なんかあったのか?」

 とそこへ、ドアが開き、プレイン編集部の編集長である永島えいじまメイコがフロアへと入ってきた。

「ただいまーっと、どうした、麦、そんなところに突っ立って」
「あ、いや、ちょっとコンビニに行ってて」
「まーたサボりか?」
「違いますよ! 紙面作ってたら、頭使って糖分が足りなくなったから、甘いものを補給するために」
「あー、分かった、分かった。……っと」

 開いたドアの後ろから、武藤と澤村も戻ってきたようだった。

「あ、メイコさん、お帰りなさーい」
「ただいま。……で、そのマグカップはなんだ?」
「メイコさーん、どっちのマグカップがいいと思いますー?」

 そう言って武藤は、水色の丸みを帯びたマグカップと、ピンク色の六角形のマグカップをメイコに見せていた。

「秋尾さんもどっちがいいと思う?」
「……え?」

 いきなり話を振られて、みやびは思わず瞬いた。

「この水色の、丸いラインがかわいいと思わない?」

 とは澤村。

「いーや、こっちでしょ。かわいらしい淡いピンクなのに、丸みが一切ないフォルム!」

 就業中にそんなことを聞いてくれば、普通の会社であれば、『そんなのどっちでもいいから仕事をしろ!』と怒られるところであるが、ここはプレインというインテリア・雑貨の月刊誌を作っている編集部。怒られるどころか、編集長であるメイコは、ふむと唸ると、あごに手を当てた。

「どちらもいいけど、なぜ今、それを争っている?」

 すでに入稿を済ませていて、続々と紙面が出来上がってくるタイミングで、どうしてマグカップで争っているのだろうか、と、みやびも疑問に思っていた。
 すると、武藤が情けない表情を浮かべて、マグカップに視線を落とした。

「それがですね……」

 今回の紙面には、武藤が担当している『カッコかわいい大人の女性の朝食雑貨』という特集ページがあり、初校が上がっていて、現在、チェックをしているところなのだが……。

「澤村さんが紙面を見て、こっちの水色のマグカップのほうが見栄えがすると言うんですよ」
「朝ですよ、朝! さわやかな水色のマグカップがいいに決まってますよ! それにこれ、すごく触り心地がいいんですよ」

 澤村の主張に、メイコは目を細め、両方のマグカップに視線を落とした。

「で、その紙面は?」
「え、あ、はい! すぐに持ってきます!」

 武藤は慌てて自席に戻ると、ゲラを持ってくると、メイコに渡した。メイコは紙面を見て、それから澤村が持っているマグカップを見て、口を開いた。

「このままでいい」

 メイコのその一言に、明らかに武藤はホッとした表情を浮かべた。

「この水色のマグカップも悪くないが、丸すぎてかわいすぎる」

 みやびもまだ武藤の紙面を見ていなかったため、メイコの後ろから覗き込んでみた。
 特集は見開き二ページ物で、右上半分に写真が掲載されていた。
 木の四角いテーブルの上に、オフホワイトのテーブルリネンが敷かれ、その上に白いお皿の上にはサラダとトーストにオムレツ、そしてピンクのマグカップが置かれていた。
 みやびはこのマグカップを水色の物に変えて想像してみた。
 澤村が言うように、爽やかさはあるけれど、カッコかわいいからは少し遠ざかるような気がした。

「わたしも今のままでいいと思います」
「えー、秋尾ちゃんまでそんなこと言うのぉ?」
「え、と、あのっ、この構成だったらの前提ですけど、色合いと形が、ピンクのマグカップの方がコンセプトに合ってると思うんです」

 みやびのその言葉に、澤村はがっくりと肩を落とした。それを見たみやびは、言葉を付け足す。

「わたし、この水色のマグカップも好きですよ」
「……うん、慰め、ありがと」
「慰めのつもりで言ったわけではないんですけど……」
「いーの、いーの、秋尾ちゃん、優しいから」

 みやびがなにを言っても、今の澤村には言葉は届かないと思ったので、口を閉じた。

「でも、澤村さん、実はこの水色のマグカップ、ここで紹介してるんですよ」

 武藤の言葉に、全員の視線が紙面へと向いた。
 武藤が言うように、紙面の左下端に、水色のマグカップの紹介もされていた。

「なーんだ、それなら最初から言ってよぉ」

 澤村の少し拗ねたような声に、みんなして同時に笑った。

 そんないつもどおりの和気あいあいとした雰囲気のせいで、みやびは先ほどの不審な電話のことはすっかりと忘れていたのだった。
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