強引な男はお断りです!

朱月野鈴加

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《五話》勇馬の休日 前編

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 土曜日の昼過ぎ。勇馬は、婚約者である大行司撫子だいぎょうじ なでしこに呼ばれ、大行司家へやってきていた。
 お見合い自体は、大行司系列のホテルで行われたため、大行司家へ訪れるのは初めてである。勇馬は自分で運転して、撫子の元へとやってきた。
 大行司家は、高級住宅が建ち並ぶ一角に、豪邸と呼んで差し支えない建物だった。しかも撫子曰く、明治時代に建てられた物だという。
 沖谷家は、戦後の成長期に波に乗って大きくなった家のため、影では成金と言われているのを知っている。
 だから、沖谷家は、このような高級住宅地ではなく、普通の民家が建ち並ぶ場所に、すでに引退して、悠々自適な生活を送っている祖父母と両親と住んでいる。
 勇馬は大行司の優美な外観を見ながら、撫子に連れられて、屋敷へと入った。
 外も華美であったが、内装も目が痛くなるほど輝かしかった。

「勇馬さま、いきなりお呼び立てして、申し訳ございません」

 応接間に通されて、勇馬がソファに座るなり、撫子は頭を下げてきた。
 勇馬には、撫子がそうやって頭を下げてくる理由が見当たらなかった。
 先週のお見合いの席ではかなり乗り気だったし、その後の両親の反応も良かったけれど、もしかして、気が変わったのだろうか。
 昨日、みやびから是非とも話を進めるようにと言われたし、個人的感情を抜きにして、ここは是非とも大行司と婚姻関係を結んでおきたいと思ったので、勇馬は内心、焦った。

「大行司さん」
「まあ、勇馬さま。そんな他人行儀な。わたくしたち、夫婦になろうとしているのに」

 撫子は、勇馬の一言に驚き、頭を上げた。

「いや、きみが頭を下げるから、見合い話はなかったことにしてくれと言われるのかと……」

 勇馬の憂慮の言葉に、撫子はころころと鈴が転がったような笑い声を上げた。

「勇馬さま、それは万が一にもあり得ませんわ」

 その一言に、勇馬はホッとしたものの、どうして頭を下げられたのかやはり分からず、首を傾げた。

「お仕事のお休みの日に、いきなり呼びつけたのですもの。お詫びしなければならないと思いませんこと?」

 撫子のその言葉に、勇馬はようやく頭を下げられた意味が分かった。

「あぁ、そんなことか。きみは僕の婚約者なのだから、そんな遠慮は要らないよ」
「さすが勇馬さまですわ。広いお心をお持ちで、撫子、感激いたしましたの」

 撫子は頬を赤くして、勇馬のことを、したった瞳で見つめてきた。みやびからはまったく向けられたことのない、その視線。
 だけど、どうしてだろう。撫子からそんな視線を向けられても、嬉しいと思わない。むしろ、これがみやびだったらどれだけ嬉しかっただろうか、なんてことを考えてしまっていた。
 しかし、今は撫子と話をしているのだ。相手はみやびではないのだから、気を許していたら足をすくわれかねない。

「勇馬さま、撫子、二つほどお願いがありますの」
「……お願い?」
「はい。お願い事ですから、本当ならばわたくしから赴かなければならないのに、お呼び立てしたので、まずはお詫びをと思いまして……」

 そう言うと、撫子は立ち上がり、ソファの横に用意されていたワゴンから、紅色のお皿に乗ったモンブランを勇馬の前に置いた。

「このモンブランは……っ」
「ふふ、そうですわ。ソーシャのモンブランですわ」

 撫子のその一言に、勇馬は思わず唾をのみこんだ。
 勇馬は酒も飲まず、たばこも吸わないが、実は甘い物に目がなかった。その中でも、ソーシャのモンブランが大好物なのだ。

「モンブランにダージリンティがお好きなんですよね」
「あ、あぁ」

 撫子のそれらの言葉で、勇馬は色々と調べられているということが分かった。それは勇馬も同じことをしているので、お互い様と言うべきか。

「わたくし、勇馬さまのこと、一目で気に入りましたの。これを俗にいう、一目惚れというものなんですね」

 撫子は顔を赤くしながら、手慣れた手つきでティサーバーに湯を注ぎ、紅茶を淹れ始めた。部屋の中にとてもよい香りが広がる。よほどよい茶葉を使っているらしいというのが分かった。

「最高級のダージリンが手に入りましたの。だから、早く勇馬さまに味わっていただきたくて、無礼を承知でご連絡したのです」
「うん、ありがとう。すごく嬉しいよ」

 口では礼を言いながらも、勇馬はまったくもってありがたいと思っていなかった。
 同じことをみやびがしてくれたら、どれだけ嬉しいだろうという思いが、やはり浮かんでくる。
 それは表情に出ていたのか、撫子は眉を下げて、悲しそうな視線を向けて来た。

「勇馬さま」
「……うん」
「わたくしとお話するのは、楽しくありませんか?」
「いや、そうじゃないよ。してもらうことがないから、ちょっと戸惑っているんだ」

 そう口にしてから、勇馬は気がついた。
 そうだ、いつもこういうことはしてもらうよりも、みやびにしてあげてばかりいたのだ。逆の立場になると、なんというか、いたたまれない気持ちになる。とそこで、どうしてみやびがいつも困ったような表情をしていたのか分かり、申し訳ない気持ちになっていた。

「あら、勇馬さまのところには、使用人はいらっしゃらないのですか?」
「祖父が厳しい人で、なんでも自分でできなくてはならないと言って、使用人はいないよ」
「まあ、そうなのですね。それでしたら、勇馬さまと結婚したら、わたくしが家事をしないといけないですわね」

 そんな先のことを考えてもなかった勇馬は、撫子に言われて、ようやく実感が湧いてきた。

「安心してくださいね、勇馬さま。これでもわたくし、家事は一通り、できますのよ。来週はわたくしの作った手料理をおもてなしいたしますわ。勇馬さまは好き嫌いはありますか?」
「いや、特にはないよ」

 話をしている間に、蒸らし終わったようで、お皿とお揃いの赤いカップに紅茶を注いだ。

「お待たせいたしました」

 撫子は銀色のトレイにモンブランと紅茶を乗せて、勇馬の前にそれらを出した。

「さあ、遠慮なさらず、召し上がってください」
「ありがとう」

 勇馬はお礼を口にして、遠慮せずにフォークを手に取ると、ソーシャのモンブランを切り分け、口に運んだ。
 しっとりとしたスポンジに、濃厚な生クリームとモンブランが口の中で溶け合って、それだけで幸せな気分になってしまう。
 そして次に、ダージリンティを口に含んだ。
 口内へと入った瞬間、鼻に抜ける香りが最高で、しかもモンブランとの相性が抜群過ぎて、勇馬は撫子の前だというのに、すっかり忘れて無我夢中になって食べて飲んだ。
 紅茶が空になる頃、撫子がよいタイミングでお代わりを注いでくれたことにも気がつかず、勇馬はとにかく貪った。
 勇馬がすべてを食べ終わった後、撫子は嬉しそうに笑った。

「ふふふ、お茶をしながらお話をしようと思いましたのに」
「あ……。すまない、つい、大好きなものが目の前にあって我慢ができなくて……」
「かわいいですわ」

 男にかわいいとはなにを言っているのだと勇馬は思ったが、勇馬の取った態度はあまり褒められたものではなかったので、黙っておいた。

「それで、お話なんですが……」
「あぁ、うん」

 撫子と話をしているのに、急に眠気が襲ってきた。
 勇馬は必死になって目を開けるのだが、まぶたが言うことをきいてくれない。どうしてだろうと思っているうちに、勇馬の身体はソファの上に横たわった。
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