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《十二話》麦のお誘い
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みやびが急に泣き出したことに、ぎょっとしたのは麦だった。
先ほど、昼前に見た時は紺色のスーツを着ていたと記憶していたのに、今、目の前に座っている青い顔をしたみやびが着ているのは、グレイのスーツ。
なにかなければ着替える必要がないことは、さすがの麦でも分かった。
それに、見たことがないほど青い顔をしていたものだから、心配になって休憩室に誘ってみたら、やはりなにかあったのか、いきなり泣き始めてしまった。
麦は、見た目がいいため、女性によく声を掛けられるけれど、気の強い姉がいるせいで、どうにも女性は苦手だった。
みやびもどちらかと言えば、気が強い部類に入るだろうけど、なぜだろう、気になって仕方がない存在だった。
それは麦がみやびに仕事を教えたからというのもあるだろうけれど、土曜日の一件以来、みやびに惹かれ始めていることを麦は自覚し始めていたからかもしれない。
みやびはみやびで、まさか泣いてしまうとは思わず、自分でびっくりして、だけど涙を止めることができずに、ポケットをまさぐったが、予備のスーツにハンカチを入れ忘れていたことを思い出した。
手のひらで涙を拭っていると、スッと目の前に紺色のチェックのハンカチが差し出された。
「コレ使って」
「……ありがとうございます」
ここで意地を張っても仕方がないので、みやびは麦からハンカチを受け取り、涙を拭った。
しかし、涙は後から後からあふれてくる。
「あの大行司とかいうヤツとやりあったのか」
「……やり合ったというか……一方的にスーツを破られまして……」
「それは……」
思いもしなかったことを言われて、麦は絶句した。
だからスーツが変わっていたのかと理解したのだが、なにがあったのか分からないが、スーツを破るとは、型破りすぎてなんと言えばいいのか分からない。
「……編集部に来るなり、ダサい部屋と大騒ぎし始めて、メイコさんとやり合い始めたから、オレは逃げてきた」
「…………」
「プレインという雑誌がこんなダサい部屋からうまれていたなんて、とか言ってたけど、そんなの、関係ないと思わないか」
「……はい」
「新しく入れられた机、見たけど、確かに素晴らしいと思ったよ。だけど、あの机、いくらするんだよ。百万くらいはするだろうから、そんなの、編集部員全員になんて、とてもじゃないけど無理だし、落ち着いて仕事ができない」
「百万……」
「今の机で機能は充分だし、使いやすいから問題ない」
もう少し広ければと思うことはあるけれど、資料やパソコンを置いている以上、仕方がないことだし、充分だと思っていたので、みやびは涙を拭きながら、小さくうなずいた。
「それで、どうした?」
麦の優しい声に、みやびはまた、じわりと涙がわいてくるのが分かったが、ぐっとこらえた。強く唇を噛みしめた後、麦から借りたハンカチでまぶたを押さえた後、口を開いた。
「今日、着ていたスーツ、ダサいと言って破られました」
「はぁ? 破られた?」
「幸い、予備を持っていたので、それで……」
「着替えたって訳か」
「はい」
みやびの話を聞いた麦は、大きくため息を吐いた。
「かなり非常識だな。初対面の人間のスーツを破るなんて」
麦はみやびに向けて、不敵な笑みを浮かべた。
どうして今、そんな表情を浮かべるのか分からなかったけれど、みやびはドキリとした。
「それで、秋尾はどうしたい?」
「……え?」
「大行司にやり返したいか?」
思ってもいなかったことを聞かれて、みやびは思わずキョトンとした間の抜けた表情を麦に返した。
「まあ、秋尾は仕返したいとかいう以前に、そんなこと、思ってもいなかったのは分かった」
「わたしは同じこと、やり返せません。だって、服がもったいないじゃないですか」
みやびらしい答えに、麦は面白そうに笑った。
やっぱりその笑みも心臓に悪くて、みやびはさっきから麦にドキドキさせられっぱなしだった。
「もったいないからやり返さないって、面白いな」
「面白くともなんともありません! それに、やり返したって、スーツは元通りにならないです」
「おっしゃるとおり」
麦はおどけたような口調でそう言うと、みやびを真っ直ぐに見つめてきた。
「秋尾の考えは分かった。それと、メイコさんから聞いたけど、大行司の面倒を見なければならないんだろう?」
「……はい。社長直々に言われて……」
「社長からか……。分かった、オレもできるだけサポートする」
「えっ」
「秋尾のメンターとして、面倒をみないとな。メンティである秋尾は、黙ってオレにサポートされていればいい」
「…………はい」
ここのところ、すっかり対等な気持ちでいたけれど、そうだった、麦はみやびのメンターでもあったのだ。それは分かりきっていたことであったのに、どうしてだろう、胸がズキリと痛んだ。
「オレはそろそろ戻ろうと思うんだが、秋尾はどうする?」
「え、あ」
そうだった、自分のことで手一杯ですっかり忘れていたけれど、プレイン編集部では、今、メイコと撫子がバトルをしているところだったのだ。だれかが止めなければならないだろう。服を破られてすっかり萎縮している場合ではなかった。
「わたしも一緒に戻ります!」
一人で戻るには、勇気がかなり要りそうだったから、麦と一緒に戻ることを選択することにした。
「ん、分かった」
みやびと麦は、飲み物を飲み干すと、立ち上がった。外がなにやら騒がしいような気がしたが、ここからだとよく分からなかった。
「そうだ、秋尾」
缶を捨てようとしたところで、麦が声を掛けてきた。ゴミ箱に缶を入れてから振り返ると、思ったより近くに麦がいて、またもやドキリとした。
「土曜日、なにか予定はあるか?」
「え……と、ない、ですけど?」
「それなら、またショップ巡りをしないか?」
思ってもいなかったことを言われて、みやびは一瞬、固まった。それから何度か瞬きをして、ようやく麦に言われた意味が分かった。
先日、偶然出会った時、一緒にショップ巡りをしたけれど、楽しかった。また行きたいとみやびも思っていたけれど、それは麦も同じだったということだろう。
「なにも予定がないですから、いいですよ!」
先ほどはメンターとメンティの関係だと落ち込んだけれど、お誘いに気持ちが浮上してきた。
そうだ、メンターとメンティという関係だからこそ、こうやって気軽に誘うことも、誘われることもできるのだ。そう思えば、気持ちが少しだけ軽くなった。
「そっか、よかった。秋尾と一緒に回ると、楽しかったからな」
やはり同じ気持ちでいてくれたようだ。それはとても嬉しかった。
たとえ今から戻る先が地獄でも、今、少しでも幸せならば、それでいいとみやびは思った。
先ほど、昼前に見た時は紺色のスーツを着ていたと記憶していたのに、今、目の前に座っている青い顔をしたみやびが着ているのは、グレイのスーツ。
なにかなければ着替える必要がないことは、さすがの麦でも分かった。
それに、見たことがないほど青い顔をしていたものだから、心配になって休憩室に誘ってみたら、やはりなにかあったのか、いきなり泣き始めてしまった。
麦は、見た目がいいため、女性によく声を掛けられるけれど、気の強い姉がいるせいで、どうにも女性は苦手だった。
みやびもどちらかと言えば、気が強い部類に入るだろうけど、なぜだろう、気になって仕方がない存在だった。
それは麦がみやびに仕事を教えたからというのもあるだろうけれど、土曜日の一件以来、みやびに惹かれ始めていることを麦は自覚し始めていたからかもしれない。
みやびはみやびで、まさか泣いてしまうとは思わず、自分でびっくりして、だけど涙を止めることができずに、ポケットをまさぐったが、予備のスーツにハンカチを入れ忘れていたことを思い出した。
手のひらで涙を拭っていると、スッと目の前に紺色のチェックのハンカチが差し出された。
「コレ使って」
「……ありがとうございます」
ここで意地を張っても仕方がないので、みやびは麦からハンカチを受け取り、涙を拭った。
しかし、涙は後から後からあふれてくる。
「あの大行司とかいうヤツとやりあったのか」
「……やり合ったというか……一方的にスーツを破られまして……」
「それは……」
思いもしなかったことを言われて、麦は絶句した。
だからスーツが変わっていたのかと理解したのだが、なにがあったのか分からないが、スーツを破るとは、型破りすぎてなんと言えばいいのか分からない。
「……編集部に来るなり、ダサい部屋と大騒ぎし始めて、メイコさんとやり合い始めたから、オレは逃げてきた」
「…………」
「プレインという雑誌がこんなダサい部屋からうまれていたなんて、とか言ってたけど、そんなの、関係ないと思わないか」
「……はい」
「新しく入れられた机、見たけど、確かに素晴らしいと思ったよ。だけど、あの机、いくらするんだよ。百万くらいはするだろうから、そんなの、編集部員全員になんて、とてもじゃないけど無理だし、落ち着いて仕事ができない」
「百万……」
「今の机で機能は充分だし、使いやすいから問題ない」
もう少し広ければと思うことはあるけれど、資料やパソコンを置いている以上、仕方がないことだし、充分だと思っていたので、みやびは涙を拭きながら、小さくうなずいた。
「それで、どうした?」
麦の優しい声に、みやびはまた、じわりと涙がわいてくるのが分かったが、ぐっとこらえた。強く唇を噛みしめた後、麦から借りたハンカチでまぶたを押さえた後、口を開いた。
「今日、着ていたスーツ、ダサいと言って破られました」
「はぁ? 破られた?」
「幸い、予備を持っていたので、それで……」
「着替えたって訳か」
「はい」
みやびの話を聞いた麦は、大きくため息を吐いた。
「かなり非常識だな。初対面の人間のスーツを破るなんて」
麦はみやびに向けて、不敵な笑みを浮かべた。
どうして今、そんな表情を浮かべるのか分からなかったけれど、みやびはドキリとした。
「それで、秋尾はどうしたい?」
「……え?」
「大行司にやり返したいか?」
思ってもいなかったことを聞かれて、みやびは思わずキョトンとした間の抜けた表情を麦に返した。
「まあ、秋尾は仕返したいとかいう以前に、そんなこと、思ってもいなかったのは分かった」
「わたしは同じこと、やり返せません。だって、服がもったいないじゃないですか」
みやびらしい答えに、麦は面白そうに笑った。
やっぱりその笑みも心臓に悪くて、みやびはさっきから麦にドキドキさせられっぱなしだった。
「もったいないからやり返さないって、面白いな」
「面白くともなんともありません! それに、やり返したって、スーツは元通りにならないです」
「おっしゃるとおり」
麦はおどけたような口調でそう言うと、みやびを真っ直ぐに見つめてきた。
「秋尾の考えは分かった。それと、メイコさんから聞いたけど、大行司の面倒を見なければならないんだろう?」
「……はい。社長直々に言われて……」
「社長からか……。分かった、オレもできるだけサポートする」
「えっ」
「秋尾のメンターとして、面倒をみないとな。メンティである秋尾は、黙ってオレにサポートされていればいい」
「…………はい」
ここのところ、すっかり対等な気持ちでいたけれど、そうだった、麦はみやびのメンターでもあったのだ。それは分かりきっていたことであったのに、どうしてだろう、胸がズキリと痛んだ。
「オレはそろそろ戻ろうと思うんだが、秋尾はどうする?」
「え、あ」
そうだった、自分のことで手一杯ですっかり忘れていたけれど、プレイン編集部では、今、メイコと撫子がバトルをしているところだったのだ。だれかが止めなければならないだろう。服を破られてすっかり萎縮している場合ではなかった。
「わたしも一緒に戻ります!」
一人で戻るには、勇気がかなり要りそうだったから、麦と一緒に戻ることを選択することにした。
「ん、分かった」
みやびと麦は、飲み物を飲み干すと、立ち上がった。外がなにやら騒がしいような気がしたが、ここからだとよく分からなかった。
「そうだ、秋尾」
缶を捨てようとしたところで、麦が声を掛けてきた。ゴミ箱に缶を入れてから振り返ると、思ったより近くに麦がいて、またもやドキリとした。
「土曜日、なにか予定はあるか?」
「え……と、ない、ですけど?」
「それなら、またショップ巡りをしないか?」
思ってもいなかったことを言われて、みやびは一瞬、固まった。それから何度か瞬きをして、ようやく麦に言われた意味が分かった。
先日、偶然出会った時、一緒にショップ巡りをしたけれど、楽しかった。また行きたいとみやびも思っていたけれど、それは麦も同じだったということだろう。
「なにも予定がないですから、いいですよ!」
先ほどはメンターとメンティの関係だと落ち込んだけれど、お誘いに気持ちが浮上してきた。
そうだ、メンターとメンティという関係だからこそ、こうやって気軽に誘うことも、誘われることもできるのだ。そう思えば、気持ちが少しだけ軽くなった。
「そっか、よかった。秋尾と一緒に回ると、楽しかったからな」
やはり同じ気持ちでいてくれたようだ。それはとても嬉しかった。
たとえ今から戻る先が地獄でも、今、少しでも幸せならば、それでいいとみやびは思った。
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