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第3章:リサとネイト
33:料理と夜食
しおりを挟む「フィオナ、ゆっくり……ゆっくりね……!」
リサが緊張した面持ちで言う。
手に汗をにぎりながら見つめるのは、フィオナの手元。
「うん……」
台所に立つフィオナはごくりと息を飲む。
左手で半円のジャガイモをそっと押さえ、右手に持つ包丁を慎重にあてがう。
(真下じゃなくて、前に押すように……)
トン――。
包丁がまな板に当たる。
「!」
綺麗に半分になったジャガイモを見て、フィオナは嬉しそうに目を輝かせた。
「も~、指切っちゃいそうでハラハラしたよー」
「初めてだったから」
リサは大きく息を吐き、肩の力を抜いた。
「ありがとう。いい感じよ」
いつの間にか近くまで来ていたカリンがまな板を持ち上げる。
ぎこちない包丁捌きを褒められ、フィオナは照れくさそうにはにかんだ。
ぽとぽと、とカリンが手際良く切った材料を鍋に落としていく。
フィオナは興味津々に鍋を覗き込む。
中にはジャガイモの他に、タマネギと豆が水に浮かんでいた。
「熱いから気をつけて」
「はい」
「しばらく煮込んで具材が柔らかくなったら、ミルクと小麦粉を入れるのよ」
そう言ってカリンは鍋に蓋をし、エプロンの紐を解いた。
「ちょっと休憩しましょ」
「しよー」
休憩と聞いて、リサが真っ先にテーブルへ向かう。
テーブルの上には既にティーカップが三つ並んでいた。
「ローズヒップティー……」
カップの中身が赤いことに気づいて、フィオナが小さく呟いた。
「ごめんね、うちにはこれしかないのよ」
「わ、私、これ好きです」
苦笑するカリンに、フィオナは慌てて弁明する。
「ルゼオン帝国にはローズヒップティーないんだって!」
「へえ……そうなのね」
リサのフォローに何度も頷いていると、優しく笑ったカリンと目が合った。
ドキ、と小さく心臓が跳ねる。
同性のフィオナでも思わず目を奪われる、女性的な魅力と少しの妖しさの混じる笑顔だった。
(カリンさんは……何かの能力を受け継いだのかな……)
そんなことを考えていると、カリンが小さく首を傾げた。
「なあに?」
優しく尋ねられ、フィオナはもじもじとカップの持ち手を撫でる。
「カリンさんは……何か、能力を受け継いだんですか……?」
そして、飲み込みかけた疑問を思い切って尋ねてみた。
「……いいえ」
カリンは優しい笑みを崩さず、静かに首を横に振った。
「私の母は人の心が読める能力を持っていたけど……生前から"継承しない"と言っていたわ。……私もそれで良かったと思ってる」
そう言いながら瞼を伏せ、カップに口をつける。
紫色のアイシャドウが照明の光を反射してキラキラと輝いた。
「人の心の内なんて……わからない方が、幸せだもの」
「……」
人の心が読める能力――……人によっては魅力的に思えるかもしれない。
けれどフィオナは想像してみて、カリンの考えに共感した。
ただ、「そうですね」と頷くのも違う気がして、静かにローズヒップティーを口に含んだ。
先日と同じ甘いバラの風味が広がり、フィオナの胸を温めていく。
(あれ……?)
フィオナはある違和感に気づき、クリーム色のティーカップを見つめる。
初めてリサの家を訪れ、イータ族についての話を聞いた時も、こうやってローズヒップティーを飲んでいた。
しかし――
(あの時、ボルジャー教授はいなかった……)
その会話にボルジャーは参加していなかったはずだ。
ボルジャーが花束を手に訪れたのは、その後だった。
"カリンさんから能力継承のルールを聞いたのでは?"
(何で、知ってたんだろう……)
フィオナがティーカップを置いたのと同時に、鍋の中身がぐつぐつと音を立て始めた。
蓋の隙間から湯気が立ちのぼり、野菜の優しい香りが部屋に充満していく。
「さあ、味付けをしようかしら。フィオナやる?」
「……はい」
小さな違和感はそっと胸の奥に仕舞い、フィオナは席を立った。
***
「ちゃんとかけてる? 寒くない?」
「うん」
しんしんと雪が降る夜。
ランタンのみが灯された薄暗い部屋で、フィオナとリサはソファに座り、それぞれ毛布にくるまっていた。
テーブルの上には花柄のお皿に乗ったクッキー。深めのカップからは、ホットミルクの湯気がゆらゆらと立ちのぼっている。
「ママには内緒だから小声でね」
「うん」
リサがいたずらに笑い、口の前で人差し指を立てる。
フィオナも同じように人差し指を立て、口元を緩めた。
「クッキー美味しい~」
リサがクッキーを頬張る。その幸せそうな顔を見ながら、フィオナは口を開く。
「リサは……カリンさんがボルジャー教授と再婚するのイヤ?」
「ん、んん!?」
突拍子もない質問に、リサは口の中身を噴き出しそうになった。
「あはは! 一発目にぶっ込んだこと聞いてくるね!?」
「あ……ごめん、答えなくても……」
「いいよ全然!」
リサは無邪気に笑い、ホットミルクを一口含んだ。
「うーん……ママがいいなら別にいいんだけど……」
両手でカップを包み込むと、じわじわと温かい熱が伝わる。
「普通に脈なしだし、ボルジャー教授にママは落とせないと思う」
「……そっか」
「ママとパパってね、恋愛結婚だったの! すっごくラブラブだったんだ」
静かに話していたリサが、急に目を輝かせてフィオナを見る。
「でも……パパが馬車の事故で死んじゃってからは……何も残らなかった。誰も……ママを護ってくれなかった」
しかし、すぐに瞼がその瞳を覆ってしまう。
瞼の裏に思い浮かぶのは、苦労を隠すように笑う母、カリンの姿ばかりだった。
「だから私は、自分でお金を稼げる職について、ママに楽をさせてあげるの!」
「うん……すごくいいと思う」
リサがアカデミーに通う理由を知り、フィオナは目を細め、深く頷いた。
「……フィオナは、どうして留学しようと思ったの?」
フィオナの顔色を窺いながら、リサが尋ねる。
この質問の答えが、フィオナの家庭環境の核心を突いてしまうと、なんとなくわかっていたのだろう。
「私も……自分で稼げるようになって……一人でも、生きていけるようになりたい」
後半は消え入りそうな、小さな声だった。
フィオナは毛布の合わせ目をきゅ、とにぎる。
その様子を見て、リサはゆったりとした動作で、もう一枚クッキーを手に取った。
「わかる。女も財力を持つべき」
そして力強く、フィオナの言葉を肯定した。
リサの口の中からクッキーを噛み砕く音がわずかに聞こえる。
そんなリサの悠然とした態度が、フィオナの中に小さく芽生えた勇気を後押しした。
「お母様は……病気で亡くなってて……」
時折言葉を詰まらせながら、ぽつりぽつりとフィオナが話し始める。
「お父様は、出兵に出てることが多いから、あまり交流がなくて……」
「うん」
「弟には……近づかせてもらえない……」
「何で? 誰に?」
「小さい頃、霊から遠ざけようとしたら転ばせちゃって……。侍女長に近寄るなって言われてる」
「はあ? 何それ、フィオナ悪くないじゃん」
思い切り眉間に皺を寄せるリサを見て、フィオナは苦笑しながらカップを手に取った。
「だから、きっと私が家にいない方が……みんな安心するし……私も、その方が楽だと思う」
「……」
ふう、と小さく吐いた息が、ホットミルクの湯気を揺らす。
「ねえ、めっちゃいいこと思いついた……」
「……?」
ふいに、リサが真剣なトーンで呟いた。
「私と二人で商売始めない!? そこらへんの貴族よりガンガン稼いで、首都に豪邸建てようよ!」
フィオナは三秒ほどぽかんと固まったあと、ふにゃりと笑った。
「私、二年間はルゼオンの皇宮で働いて学費を返さなきゃ」
「えーそうなの? まあすぐには無理かー」
リサは残念そうにソファの背もたれに項垂れる。
しかし「あ!」と大きな声をあげたあと、その身体を前のめりに起こした。
「私のママとフィオナのパパが再婚するのは!?」
「え……」
「そしたら私たち姉妹だねっ」
「!」
リサの大発見に、フィオナは思わずハッと口を開ける。
「フィオナのパパかっこいい?」
「……筋肉はある」
「え、最高なんだけど!」
***
翌朝。
「リサ、フィオナ、起きてる?」
カリンが部屋のドアを叩く。
中から返事はない。
「朝食の準備を……」
ドアを開け、目に入った光景にカリンは動きを止めた。
そして眉を下げ、微笑む。
「……もう」
大きなため息一つだけを残し、静かに出ていく。
部屋のテーブルの上には空になったお皿と白いカップ二つ。
ソファの上には、未だ夢の中にいるフィオナとリサが、毛布にくるまって寝転がっていた。
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