月の女神と夜の女王

海獺屋ぼの

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上弦の月

裏月 クーロン・サートン

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 私と大志は全力で演奏した。マジ半端無く気持ちいい。通りがかりの観客たちから拍手が贈られて私は気を良くしていた。ギターとドラムの反響の余韻に浸りながら、私は千波湖とインスタントな観客をステージ上から見下ろす。本当に祭りは終わった。音楽祭は明日だけどね。
 ステージから降りると、里奈たちが拍手で私たちを出迎えてくれた。
「すごーい。ウラちゃんも大志さんもかっこ良かったよー! ねえ健ちゃん、すごく良かったよねー?」
 里奈は興奮気味にそう言うと健次郎さんにも同意を求める。
「ほんっとにすごいですね! お二人の演奏に飲まれちゃいました!」
「ありがとー。お褒めに預かり光栄ですわ!」
 私は店じまいしかけてる屋台まで行ってジュースを数本と粉ものを買ってきて音楽祭の運営スタッフのお兄さんに渡した。
「ありがとうございましたー。すんげー気持ちよかったです! これはウチらからの気持ちです! スタッフの皆さんでどうぞ」
「わー、すんません! ありがとーございます! それにしてもお姉さんたちの演奏すごいっすね! ノリがいいし、お姉さんの歌はうまいし、明日の楽祭出ればいいのに……」
「うーん、出てみたい気もするんですけどねー。ウチらのベースちゃんが明日は彼女さんとデートらしいんですよねー」
 明日、ジュンは例の彼女とデートをする予定が入っているようだ。かなり束縛が激しい女らしく、私がジュンと普通に会話するだけでやきもちを焼くようだった。あの女のせいでいつもジュンとの予定が合わなくて苦労していた。
「そうなんすかー? えーと姉さんたちのバンド名はたしか……」
「ウチらのバンド名は《The birth of Venus》です! 直訳すると『ビーナスの誕生』って意味っすね!」
「《The birth of Venus》ですね! 覚えときます! ライブとかあったら行かせてもらいまーす!」
 どうやら私たちはファンをゲットしたようだ。
「おーいウラー! そろそろ行くぞー」
 大志に呼ばれて私は千波湖を後にした。
 インスタントライブをやっている間に千波湖周辺から人が少なくなったようだ。私たちは疎らにあるく人の群れに混ざって水戸駅の南口に向かって歩いた。
「そういえばウラちゃんさー。話が途中だったけど、大志さんと初めて会ったときどんな感じだったの?」
 歩きながら里奈に聞かれた。
「ああ、さっきそんな話してたっけね。私と大志、あとジュンは丸井の地下の楽器店で初めて会ったんだ。あの頃は私もだいぶ荒れてたからねー。大志からの第一印象は最悪だったと思うなぁ……。ねぇ大志?」
「お前は人にそんな話してたのかよ! そうだなー、最初にウラを見た時はとにかく楽しそうにギター弾く奴だなーって思ったよ! うっかり聴きいっちまったし、でも話しかけたらめっちゃ感じ悪くてよー。正直あんときは俺もショックだったなー!」
「ああやっぱり」
 当時のことを思い出す。今更ながらその当時、私は大志に噛み付くようにガンを飛ばした気がする。かなりヤサグレた女だった。
「ふーん、そうなんだねー。でもバンド組んじゃったんだもんねー。何かきっかけがあったのかな?」
 里奈にそう言われてきっかけはなんだったのだろうと考えてみた。そうだ! あの頃私は……。

 当時の私は住む家も無く、バイトはしているものの収入は微々たるものだった。バイト先には仲良くなった同世代くらいの女の子もいたけど(里奈のことだ)、その頃はまだ泊めてもらえるほどの仲ではなかった。
 私はとりあえず家賃が安い家を探すことにした。そもそも未成年が親の同意もなしに普通に部屋を借りることなんてできないと思ったけどやるしかない。
 スマホの賃貸物件サイトを調べてみると、私が家賃を払っていけるような物件は皆無だった。仲介手数料と敷金礼金を支払っただけであっという間に破産する。
「どうしよう……」
 さすがの私もそんな状況に頭を抱えた。外はものすごい寒いし、お金だって長くはもたないだろう。
 このスマホの通信料だってあっという間に払えなくなってしまうだろう。マジで困った。
   私はひたすら不動産屋のサイトを梯子して見て回った。どうにか私が払っていける賃貸物件はないかとサイトをなめるように探した。そして、一件だけ、本当に一件だけ破格で敷金も礼金も無く住める家を見つけることができた。私はすぐにそのアパートを管理している大家さんに連絡することにした。
 電話をかけると四〇代後半くらいの女性の声が聞こえてくる。
『はい、湯野です』
「あのー、賃貸物件のサイト見た者なんですけど、内見とかさせてもらえませんか?」
『はいはい、内見ねー。今は部屋も空いてるから大丈夫ですよー! いつ来ますー?』
 私は「今から行く!」と大声で伝えてすぐ、掘り出し物件へと向かった。
 そのアパートは水戸駅からバスで一〇分程度の場所に建っていた。アパートとは言ったけど、実際はシェアハウスのようなもので、水回りの設備は共用で各部屋は六畳間があるだけのようだった。
「こんにちはー」
 私はそのシェアハウスの重い扉を開けて中に入ると挨拶をした。入り口には共用スペースのようなものがあり、小さなガラステーブルと古ぼけたソファーが並んでいる。少しすると奥からくたびれた四〇後半くらいの女性が欠伸をしながらこちらに歩いてきた。
「はーい、こんちは! お姉さん内見希望の人だね。待ってたよ」
「急にすいません。住むところなくて本当に困ってたんです」
「あ、そう。お姉さんなんか訳アリかい?」
 私はその女性に聞かれて言葉に詰まった。さすがに「家出してきたから住む場所がほしいです!」なんて言えない。私が困っているのを見てその女性はニヤッと笑った。
「ああ、別に訳アリでも構わないよ。つーか、ここは訳アリの奴しか来ないからねー。ま、どうせ家出したとか暴力彼氏から逃げてきたとかそんなところだろうけどさ」
 ズバリ当てられた。
「はい、家出してきました! 親父と妹と喧嘩して出てきました」
「ふんふん、まぁ生きてりゃ色々あるわな。そんじゃお姉さん、部屋に案内するよ! えっと確か名前は……」
「はい! 京極裏月です」
 私は不思議なほど元気な声で自分の名前を言った。
「はいはい、京極さんね! 変わった名前だねー。今の子は洒落た名前してること。私は湯野京子、ここの大家兼管理人してる。細かいことは気にしないがモットー。好きなものはタバコと酒、嫌いなのは借金だ。よろしく」
 私は湯野さんから奇妙な自己紹介をされて変な気持ちになった。本当にこのシェアハウスは大丈夫だろうか? でも背に腹は代えられない。
 それから湯野さんとのやりとりはとんとん拍子で進み、あっという間に部屋を借りることができた。家賃は毎月五日までに前払い、払わない場合は鍵を返却して出て行くこと。敷金礼金はいらないけど、もし退室時に大きな破損があった場合は別途請求する。契約内容はその程度だった気がする。
「あと、お姉さん楽器やんなら昼間にしてちょうだいね! 夜はみんなぐっすりだから迷惑だ」
「え? 昼間ならギター弾いてもいいんですか?」
「ん? かまわないよ! ここは奥まったところにあるし入居者以外にはあんまり迷惑がかかんないんだ。私は音楽好きだし、むしろ演奏とかしてもらえると嬉しいかなー」
 話せば話すほど、彼女がいい意味で「変人」であることがわかってきた。容姿が普通なのに未婚だということ(バツイチかもしれないけど)、親兄弟がどうしているか謎に包まれているということ、それ以外にも彼女の価値観のようなものはかなり偏屈だった。あくまでいい意味で。
「それじゃあ京極さん、今日から入居ということで! 初月だけは入居日に日割りでもらってるんだ。手持ちはあるかい?」
「はい! お金は持ってきてます!」
 私は湯野さんに初の家賃を払った。
「はい! 毎度あり、ようこそ京極さん! これからここがあんたの我が家だから、気になることあったらなんでも言いな。お金が掛からないことなら手を貸してやるよ」
「はい! よろしくお願いします!」
 その日から私は水戸市民になった。実際の住民票は鉾田市にあるけど、この街で暮らしていくことに決めた。
 次の日から私の新生活が始まった。一昨日まで住んでいた町から一気に生活が変わった。バイト先が変わらないことは幸いだった。早朝から水戸駅まで行って、私は毎日パンを焼き続けた。火傷もしたし、店長にはしょっちゅう怒られた。それでも必死だったので、不思議と苦しいとは感じなかった。
 そんな生活を一か月ほど送ると私は水戸市の生活にすっかり慣れていた。その頃には普通に里奈とも遊ぶようになっていたし、湯野さんとも打ち解けて軽口をきくようになっていた。自炊もするし、洗濯だって、掃除だって全部、自分でやれるようになっていた。我ながら適応能力があると思う。京極家には一六年いても適応できなかったのに不思議だけど。
 気がつくとあんなに肌を刺すように冷たかった風も、優しい春風に変わっていた。その風はヤサグレた私を優しく撫でて、穏やかな気持ちしてくれた。思い返せばルナにも父さんにも酷いことしてしまったと思った。覆水盆に返らず、だ。
 大志と再会したのはたしかそんな頃だった気がする。
 バイトが休みのある日、私は前にもらった大志の連絡先を見つけた。その場で捨ててしまっても良かったのかもしれないけど、私のギターを褒めてくれた人のものをあまり粗末には扱えなかった。
 彼の番号をスマホに打ち込み、発信しようか迷って手が滑る。まだ覚悟を決めていなかったのに、結果的に通話は繋がってしまった。
『はい、松田です!』
 電話口から男らしい低い声が聞こえる。
「あの、私は京極って言います。前にマルイの地下で会った……」
『はい? マルイの……? あぁ!! あの時の娘かぁ! 電話くれたんだね!』
「はい! そうです! この前はどうもでした……」
 酷いことを言ってしまった記憶があるので、彼になんて言っていいかわからなかった。
『こっちこそどうもね! いやー、連絡くれて嬉しいよ! 今日はどうした?』
「あの、この前は酷いこと言ってすいませんでした。それを謝りたくて……。あんときは私も色々あって、気が立ってたんだよね。それを伝えたくてさ……」
 私は彼に真摯に謝った。珍しく自分が悪いと本気で思っていた。
『ハハハ、いいって! こうして連絡くれただけでいいんだ! なぁ、この前も言ったけど俺らとセッションしてみる気ねーか? ちょうど明日、マルイの地下のスタジオ借りてるからよかったら一緒にやろう! ベースやってる幼なじみも紹介すっからさ!』
「うん……。やってみたい! 明日バイト終わったら合流するよ!」
 気がつくと私は大志と会ってセッションすることになっていた。彼との電話が終わると私は自分のSGのメンテナンスを念入りに行った。明日は久し振りに思いっきり鳴かせてあげるからね。
 翌日、私はいつも通り火傷しながらパンを焼き、早朝のバイトをこなしていった。
「京極ちゃーん! バイトあがろー」
 一緒に早朝のバイトに入っていた里奈に言われて私はタイムカードを切った。
「河瀬ちゃん、お疲れさん! 今日もあっちーね!」
 私は汗を拭きながら里奈と話していた。
「そだねー、あっついねー。京極ちゃん荷物多いけど、今からお出かけー?」
「うん! 久し振りにギターの練習するんだ! マルイだからすぐ近くだけどね!」
「そうなんだー。京極ちゃんのギター聞いてみたいなー」
「バンドとか組んだらライブおいでよ! チケット用意してあげっからさ」
「わーい! 絶対だよー」
 私はバイト先の更衣室でパーカーに着替えて、赤のキャップをかぶるとSGと着替えの入ったバックを持ってマルイの地下へと直行した。大志達は大学が春休みで昼からスタジオで練習をしているようだ。
 楽器店に着くと、店員さんに話してスタジオに案内してもらった。一人になって、ドアを開けるのに少しためらいを覚える。珍しく緊張していたのだ。どんな顔をして入っていけばいいのだろうか?
 それでも意を決して一気に重い扉を押した。もう後戻りはできない。
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