月の女神と夜の女王

海獺屋ぼの

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晦月

月姫 中央の入江

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「お姉! 朝だよー!」
 私は姉を起こすために部屋に行った。ノックをしても返事がない。
「お姉! 入るよ!」
 数回ノックした後、私は姉の部屋のドアを開けた。部屋を覗くとそこに姉の姿はなかった。
「おはよ! ルナ今頃起きたの?」
 後ろから声が聞こえて私が振り返るとそこにはエプロン姿の姉が立っていた。
「おはよ……。お姉早いね」
「えー、普通だよ! そんなことより朝ご飯できたから食べよ!」
 私は姉に促されて一階のダイニングテーブルに向かう。テーブルの上にはご飯と卵焼き、みそ汁が用意してあった。
「どうしたの? 座れば?」
「う、うん」
 私たちはダイニングテーブルに向かい合って座って一緒に朝食を食べた。姉の作った料理を食べるのなんて初めてだ。彼女の料理はとてもおいしく、どことなく母の味だと感じた。
「こうして一緒に朝ご飯食うのすんげー久し振りだね!」
 姉はみそ汁をすすりながら私に話しかけた。
「そうだよねー。それにお姉が作った朝ご飯食べるのなんて初めてだよ!」
「たしかに! 実家だといっつもルナがご飯作ってくれてたもんねー! 今更だけどあんたすごいよ。毎日だもんねー」
 私たちは取り留めのない話をしながら一緒に朝食を食べた。以前と違って姉は明るく私と向き合ってくれている気がする。
 私たちは一か月前に再会した。私と茜ちゃんが攫われたときにお姉と茜ちゃんの親戚のお姉さんが助けにきてくれた。姉の話だと親戚のお姉さんが一人で誘拐魔をやっつけてくれたらしい。
 酷い目にあったけどそのお陰で良いこともあった。私はこうして姉と仲直りできたし、茜ちゃんだって……。
「そういえばルナさぁ、茜ちゃんと連絡取り合ってる?」
「うん、昨日も電話で話したよー。茜ちゃんすっかり怪我も良くなったみたいだね! 傷跡も残らないみたいだからよかったよ」
「そりゃーよかった。あんときは私もビックリしたよ! だって茜ちゃん腕から血流してんだもん」

 私と茜ちゃんはフルフェイスのヘルメットをかぶった男に攫われた。私たちは気がつくと薄暗い倉庫のようなところに閉じ込められていた。暗がりで目を凝らすと横に茜ちゃんの姿を確認できた。
「茜ちゃん!」
 私が茜ちゃんに声をかけると横から声が聞こえた。
「ル……ナ……ちゃ……ん」
 初めて聞いたその声は擦れてはいるけど幼い女の子の声のようだった。その声が茜ちゃんから発せられたと気づくまで数秒時間が掛かった。
「茜ちゃん話せるの!?」
「う……ん。急ぅ……に……はな……せるよ……」
 彼女はおぼつかない口調でそう言うと黙り込んだ。いつもならスマホで会話しているのにどうやら盗られてしまったらしい。暗闇に目が慣れてくると茜ちゃんの姿をしっかり見ることができた。彼女はへたり込むように座っていた。そして、肩から腕に掛けてが何かで濡れている。
「茜ちゃん怪我してるの!?」
 私が聞くと茜ちゃんはゆっくりと頷いた。どうやら腕に怪我をしたらしい。
「痛い……けど、大丈夫……だよ」
 彼女はそう言って俯いた。さっきより滑舌が良くなっているように感じる。
それから私は茜ちゃんに寄り添った。真夏のはずなのに倉庫の中は冷たく、薄着のまま連れてこられた私たちは寒さで震えた。
 しばらくすると上の方が騒がしくなった。まるで地震でも起きてるんじゃないかと思ったほどに、家具や食器が崩れる大きな音が聞こえる。それから間もなくドアを激しく叩く音が聞こえ、私は茜ちゃんを強く抱きしめた。
 ドアが破られて私は茜ちゃんを覆うようにして身を隠した。
「誰かいる?」
 女の人の声が聞こえる。ぶっきらぼうな言い方だけど悪い感じはしなかった。
「誰?」
 私は反射的にその声に返事してしまった。
 その女の人は蹴破ったドアを持ち上げてどけると私と茜ちゃんのところまでやってきた。影から察するにもう一人いるみたいだ。
「お嬢ちゃん一人?」
 その女の人は私に優しく聞いた。
「いえ……。この子も一緒です!」
 私はそう言って茜ちゃんを抱き起こした。
「茜! どうしたの腕!? 怪我してるじゃない!」
 どうやらこの女の人は茜ちゃんの身内らしい。私は急に安心して腰が抜けてしまった。
「ルナ!!」
 聞き覚えのある声が聞こえた。入り口の明かりに照らされてヘカテーが立っている。
「お姉なの……?」
「大丈夫!? やっぱりあんたも!」
 ヘカテーは駆け寄ってきて私を力一杯抱きしめてくれた。
「お姉、苦しいよ……」
 へカテーの力はとても強くて息ができないほどだ。
「もう! あんたはお姉ちゃんに心配かけて! 本当に心配したんだから!!」
 それからヘカテーは涙を流して私の前にへたり込んでしまった。私も彼女の泣いている姿を見たら急に涙腺が緩んで泣いてしまった。本当に最近は毎日泣いてる気がするな……。

 私は朝食を済ませると学校に行く準備をした。姉は朝ご飯の食器を洗ってくれている。私は制服に袖を通すとスクールバッグを肩から提げた。
「じゃあ、お姉! 学校いくよー」
「はーい、いってらっしゃい! 明日までは私も実家いるから留守番は心配しないでいいよー」
「ありがとー、いってきます」
 私は玄関でローファーに足をねじ込む。エプロン姿の姉はニコニコしながら私を送り出してくれた。外に出るとすっかり秋の気配だ。もうあと一週間くらいで制服も冬服に変わる。
 父さんは相変わらず帰っては来ない。姉と一緒に親戚を当たってみたけど意味がなかった。ベリストアには新しい委託店長が来たらしい。SVにバイトに戻る気がないかと聞かれたけど私は断った。もう就職の時期だし、そろそろ本格的に将来のことを考えなければいけない……。茉奈美と麗奈はそのままバイトに残るようだし人員は問題ないと思う。
 私は学校の授業を上の空で聞いていた。茜ちゃんや菊丸さんはどうしているんだろう? なんてことを考えていたら一日があっという間に終わってしまう。
 菊丸さんと茜ちゃんは例の誘拐事件のあと実家に戻った。茜ちゃんの話だと彼らのお父さんにそれはそれは怒られたらしい。でも菖蒲さんの口添えもあってどうにか許してもらえたらしいけど。
 後で聞いたら茜ちゃんは銃で撃たれたらしかった。幸いかすり傷程度だったらしいけど、それでも血で服はびっしょりになってしまった。
 怪我の功名。茜ちゃんは銃で撃たれたショックで言語障害は回復傾向らしい。昨日も茜ちゃんと話したらすっかり普通の中学生のようだったし、もう問題はないだろう。
 それにしても八月は色々なことがあった。初恋の人にフラれて、父さんが行方不明になり、そして私は誘拐された。もしかしたら一生分の厄が一か月にまとめてやってきたのかな?
 でも……。私は大切なものを取り戻すことができた気がする。
「ただいまー」
 私は玄関を開ける。
「おかえりー」
 姉は中学校の頃のジャージ上下で私を出迎えた。
「お姉さぁ……。いくら家だからってその格好は……」
「いいじゃんよ! 見てよ! 私中三からまったく体型変わってないよ!」
 確かに姉の体型はほとんど変わっていない気がする。むしろ筋肉がついて細くなったかな?
「いいなー。私はちょっと増えたよ……体重……」
「ごっつぁんです! ルーちゃん!」
 姉は張り手するような仕草で私をからかう。
「はいはい、どーせ私はぽっちゃりですよ! お姉みたいにスレンダーじゃないし……」
「ハハハ、見たまえこの割れた腹筋を!」
 姉はジャージを捲って腹筋を見せてきた。たしかに割れてる。
「うわー。女子力ゼロじゃん!」
「いーの! 誰も私に可愛らしさなんて期待してないから!」
 こんな風に普通に話しているのがたまらなく幸せだった。姉は私の他愛のない話を楽しそうに聞いてくれたし、私も姉の話を聞くのが楽しかった。
 姉の話。ヘカテーは例の誘拐事件のあと、神奈川にライブ遠征に行った。確かドラムの大志さんとベースの純さん、あと茜ちゃんも一緒だった。残念ながら私は学校が始まったから行けなかったけど……。
 姉の話だとライブは大成功だったらしい。それがきっかけで水戸市から拠点を首都圏に移すとか……。
 姉の話を聞いていると私は自分がとても小さい存在に思えた。父さんにすがり付いて、人の顔色を見ながら過ごしてきてしまった。たしかにアルバイトは楽しかったけど、私が本当にやりたいことが何なのかは未だにわからない。
「ルナさぁ、晩ご飯の前にちょっと出かけない?」
 姉はジャージから私服に着替えながら私に聞いてきた。
「いいけどさぁ、どこ行くの?」
「いいとこ!」
 私は姉に手を引かれ、かつて私たちが卒業した小学校の裏山に向かって歩いた。彼女にいきなり言われたので、私は制服のままだ。すっかり肌寒くなった秋の風が私たちの肌を撫でた。虫の声も夏の虫から秋の虫の声に変わっている。夜空にはくっきりと切り取られた三日月が浮かんでいた。私と姉の天体。
「ルナさー。母さんとここ来たの覚えてるかな? つーかお母さんについて覚えてないんだっけね?」
 姉は裏山の頂上に着くと私に聞いてきた。彼女の声は本当に穏やかになったと思う。
「うん、私はお母さんについてほとんど覚えてないんだ……。父さんもお母さんの話すると 嫌な顔したしさ」
「そうだよね……。父さんもあんまり思い出したくなかったのかもね……」
「ねえお姉? よかったらお姉が覚えてるお母さんの話聞かせてくれない?」
「もちろん!」
 姉は私たちのお母さんの話をいっぱいしてくれた。一緒に出かけた思い出、得意だった料理、寝る前にキスをしてくれたこと……。
「それでそれで?」
 私は夢中になって姉に話をせがんだ。
「お母さんは本当に天然だったんだよねー。鍋焦がしたり、やたら転んだりしてた気がするよ」
「へー、そうだったんだね! あーあ、私もお母さんとの思い出残ってたらよかったのになー」
 私にはお母さんとの思い出がほとんどなかった。姉と一緒に成長したのだから私にだけないというのはおかしい気がするけど……。
「ルナはお母さんにべったりだったからねー。たぶん、いなくなったショックで忘れちゃったんだろうねー。そう考えると覚えている私は薄情なのかも知んないけど……」
「でも私はお姉が羨ましいよ……。もし私がお母さんっ子だったんなら、覚えていたかった……」
 それから私たちは裏山の頂上で寝転んで天上いっぱいに広がる星を眺めた。ここまで来ると明かりもほとんどない。星空はまるで宇宙のようだ。その星たちを従えるように煌煌と三日月が夜空に浮かんでいる。
「《つきのめがみとよるのじょおう》」
 姉は急にそう言った。
「え?」
「私たちが小さい頃にお母さんに読んでもらった絵本のタイトルだよ。私はあの絵本が大好きでねー。実はその絵本の登場人物はね……」
「ルナとヘカテー!」
 私は姉の言葉を遮ってそう言った。
「そう! 覚えてたんだね。ウチらと同じ名前の女神と女王が出てくる話だったんだよねー。あれは母さんが好きな絵本だったから私もよく覚えてるんだ」
 姉はそう言うと立ち上がった。月を背にして立つ彼女はどこか寂しげで凛としていて綺麗に見えた。
「来週末にね! 水戸市でライブやるんだ! もしかしたら水戸市でやる最後のライブになるかもしんない!」
「そっか……。お姉たち東京行くんだもんね」
「まぁ、大志とジュン次第だけどね! あいつらがいかねーっつうなら私一人でも行くけどね!」
「頑張ってね! 私は応援してるよ! お姉ならきっとうまくいくって!」
「ありがとうルナ! だからお願い! ライブには必ず来てほしいんだ! 茉奈美や麗奈にも話してあるから一緒おいで! 私の歌を聞いてほしい」
「もちろん行くよ! お姉の晴れ姿だもん。ちゃんと見なきゃね!」
 私がそう言うと姉はとても嬉しそうに笑った。笑顔の彼女はさっきの凛とした表情よりもさらに美しく見える。夜の女王。
「賢者の海で君を待つ!」
 姉はそう言って私に手を差し出した。
 夜の女王は賢者の海で待っている。
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