深夜水溶液

海獺屋ぼの

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第二話 ワタリガラス

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 数日後。私は新宿にある新人養成所を訪れていた。
「西浦部長! 今日はよろしくお願いします!」
「ええ、よろしくお願いします」
 会場に着くなり鈴原専務に声を掛けられた。彼は社長の甥でゆくゆくは会社の経営者になる人物だ。
「初めてなので少し緊張しますね……」
「フフフ、まぁ気楽にしててください。あんまり緊張してると参加者に舐められますよ」
「そ、そうですね。肝に銘じておきます……」
 彼はそう言うとハンカチで汗を拭った。余程緊張しているのか、額には玉のような汗が滲んでいる。
 鈴原専務はまだ三〇手前の男性だ。印象としてはかなりの好青年だと思う。表情や所作から混じりっけない正義だとか真摯さを感じる。例えるなら政治家向きの風貌……。それに近いかも知れない。
「予定では今回の参加者は二〇〇名です。選考は面接と歌唱だけなので淡々と熟しましょう」
「はい!」
 やれやれ。これじゃどっちが上役か分からない……。まぁ、コネ入社の役員なんてこんなものだとは思うけれど。
 会場には参加者が続々と集まって来ていた。顔ぶれを見るに去年落ちた参加者も何人かいるようだ。何度も挑戦してくれるのは会社としては嬉しいことだ。あくまで会社としては。
 参加者たちも鈴原専務と変わらないくらい緊張していた。ある者は檻の中のライオンのようにウロウロし、またある者は神に祈るように手を合わせていた。毎年見ているけれどこの様子は変わらない。独特の空気。彼らにとってオーディションはは人生を変える一大イベントなのだろう。
「西浦部長。そろそろお願いします」
「はい、では始めましょうか……」
 そしてオーディションは開幕した――。
 私は会議テーブルの前に腰を下ろして淡々と審査していった。これだって事務作業の一環なのだ。参加者の応募書類と本人を見比べながら合格者を選ぶ。そんな作業だ。そこには情熱だとか感動なんてものはない。あくまで事務的に進める。まぁ……。もし事務的に判断できない参加者がいたとすれば、私は何を置いても合格させたいと思うのだけれど。
 二〇〇人をひたすらに捌いていく。柔道で百人組み手している要領だ。組んだらすぐ投げ飛ばす。そして組む。その繰り返し。そんな事務的百人組み手を進めながら数名の合格者候補を選んでいく。作詞能力の高い小説家見習いの青年とピアノ奏者志望の女子音大生の二人はまずまずだ。彼らはとりあえず保留にしておこう。ウチの会社と毛色は違うけれど悪くない。むしろ毛色が違う人間は欲しいくらいだ。
 こんなものか。と私は思った。決して悪くはない。例年通りの参加者。あくまで事務作業の延長線……。実につまらない。
「西浦部長。少し休憩にしませんか?」
 鈴原専務は背伸びをしながら私の方を見た。
「そうですね。私もちょっとニコチン補給したいです」
「おお、ではご一緒します!」
 少しだけ休憩しよう。残り半分くらいだしその前にリフレッシュだ。
 喫煙所に着くなり鈴原専務は大きなため息を吐いた。
「ふぅー。初めてオーディション見ましたけど、みんなすごい熱意ですね」
「まぁ……。そうですね。彼らは自分の将来を掛けてやってますから」
 タバコに火を付ける。タバコはチリチリと音を立てて赤い火を灯した。
「西浦部長としては良い子いましたか?」
「ええ、何人かは悪くないと思います。ただ……。経費に見合った人材かは分かりかねますね」
「そうですね……。こればっかりは博打みたいなもんなんで難しいですよねー」
 博打。まさにギャンブルだ。金の卵か腐った卵かは温めてみないとわからない。
「それでも……。やはり見所ある子を選んで残すしかないんですよね。仮にそれが失敗だとしてもそれ以外に手がないですから」
 我ながら無責任な発言だと思う。しかし人を見るというのはとても難しいことなのだ。よく大企業には人事部というものがあるけれど、彼らだって実績を元に判断しているに過ぎないと思う。前例。人事はそれにしがみつくしかないのだ。
 タバコを吹かしながら空を見上げた。新宿の空はお世辞にも綺麗とは言えない。
「鈴原専務もこれから目を養ってください。何事も経験ですから」
「はい!」
 私はあえて偉そうなことを言った。我ながら嫌な部下だ――。
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