18 / 67
第二話 ワタリガラス
9
しおりを挟む
「アリスさぁ。もっと楽しそうにしたら?」
「別につまらなくないよ。もともとこういう顔なだけ」
一九七〇年一〇月。私は幼なじみの憂子とある大学の学祭に来ていた。
「いい人見つかるかもしんないんだからさぁ」
憂子は私の態度が気に入らないらしい。完全にむくれている。
「そういうのいいよ……。だいたい今日は単なる付き添いでしょ?」
「それはそうだけどさぁ……。はぁ、なんでアリスっていつもそうなんだろう?」
ほっといてくれ。と素直に思った。私だって誘われなければこんなところには来ない。
ここに来た理由。それは憂子の彼氏の紹介。それだけだ。まぁ……。この場合、紹介というよりは自慢に近いと思う。
「で? 彼氏さんどこにいんの?」
「うーんとね……。美術室だと思う。ほら、彼美術サークルだからさ」
「ふーん……。じゃあ美術室行こうよ」
憂子と話しながら「なぜ大学に美術室があるんだろう?」というささやかな疑問が浮かんだ。大学生も画用紙に水彩風景画を描いたり西洋絵画鑑賞の所感をレポートにまとめたりするのだろうか? そして教授の主観で『優』だとか『不可』だとか付けられるのだろうか? そんなどうしようもない疑問が浮かぶ。
まぁ、無理矢理理由を付けることはできる。世界の絵画やその歴史的背景を学ぶことは就職時のアピールになる……。おそらくはそんな理由だろう。実につまらない理由だ。モネだってレンブラントだってそんなことのために絵を描いたわけではないだろうに。
私のそんな思いを余所に憂子は楽しそうに笑っていた。美術室に向かう途中の出店でチョコバナナまで買っている。人工着色料の塊のようなチョコビーンズ。見ているだけで胃もたれしそうだ。
美術室は学内でも奥まった場所にあった。赤煉瓦の二階建ての校舎。年期も入っている。他の校舎はもっと近代的な建物だったし学生たちはそちらをメインに使っているのだろう。
「えーとね。美術室は二階の奥だね」
「はいはい」
憂子はそう言うとバッグから手鏡を取り出して前髪を整えた。整えた前と後で変化は特にない。
それから私たちは二階の美術室へ向かった。どうやら一階部分は音楽室らしく、軽音楽器の音色が響いていた。ギターとベースとドラム。私にとって最も聞き慣れた音だ。
「あ! 居た居た! おーい!」
憂子が手を振ると美術室前の男子大学生が振り返った。どうやら彼が憂子の彼氏らしい。
憂子の彼氏は良くも悪くも平凡そうな青年だった。『優しそうな人』を絵に描いたような男性でこれといって特徴はない。量産型男子大学生。そう言い換えられるかもしれない。
「初めまして。西浦です。憂子ちゃんにはいつも仲良くして貰ってます」
私は『まともな人間』を装って憂子の彼氏に挨拶した。口元を少しだけ緩めて口角を上げる。これだけでだいたいの男は好感を持ってくれる。異性的な意味ではない。あくまで人間としての好感。
「こちらこそいつも憂子がお世話になってます……」
憂子の彼氏は少し戸惑いながらも挨拶を返してくれた。やはり好青年だ。これといった欠点もない。もしかしたら貞操も固いかも。そんな下卑なことを思った。まぁ、私の童貞診断はほぼ当たるのでおそらく彼もそうだとは思う。
それから私たちは美術室に展示してある絵画を見せて貰った。学生が描いた絵はどれもそれなりで、特別上手いとは思えなかった。あくまで趣味の延長線。そんな絵画が壁一面に並ぶ。
絵を眺めながら適当に感想を言うと少し罪悪感を覚えた。『色使いが良い』とか『温かみがある』とかそんなどうしようもない感想を言うのは苦痛だし、何より彼らの絵を冒涜している気がした。
『普通ですね。面白くないです。コレだったら上野の美術館でも行った方がいいですね』と返せたらどれほど楽だろう。人間性が疑われようがその方が芸術的には正しいのではないだろうか? そんなことを思った。当然口には出さなかったけれど――。
一階からギターの音色が聞こえた。私のよく知っている曲だ。さて……。理由を付けてこの美術室から抜けだそう。私はそう思った。
「別につまらなくないよ。もともとこういう顔なだけ」
一九七〇年一〇月。私は幼なじみの憂子とある大学の学祭に来ていた。
「いい人見つかるかもしんないんだからさぁ」
憂子は私の態度が気に入らないらしい。完全にむくれている。
「そういうのいいよ……。だいたい今日は単なる付き添いでしょ?」
「それはそうだけどさぁ……。はぁ、なんでアリスっていつもそうなんだろう?」
ほっといてくれ。と素直に思った。私だって誘われなければこんなところには来ない。
ここに来た理由。それは憂子の彼氏の紹介。それだけだ。まぁ……。この場合、紹介というよりは自慢に近いと思う。
「で? 彼氏さんどこにいんの?」
「うーんとね……。美術室だと思う。ほら、彼美術サークルだからさ」
「ふーん……。じゃあ美術室行こうよ」
憂子と話しながら「なぜ大学に美術室があるんだろう?」というささやかな疑問が浮かんだ。大学生も画用紙に水彩風景画を描いたり西洋絵画鑑賞の所感をレポートにまとめたりするのだろうか? そして教授の主観で『優』だとか『不可』だとか付けられるのだろうか? そんなどうしようもない疑問が浮かぶ。
まぁ、無理矢理理由を付けることはできる。世界の絵画やその歴史的背景を学ぶことは就職時のアピールになる……。おそらくはそんな理由だろう。実につまらない理由だ。モネだってレンブラントだってそんなことのために絵を描いたわけではないだろうに。
私のそんな思いを余所に憂子は楽しそうに笑っていた。美術室に向かう途中の出店でチョコバナナまで買っている。人工着色料の塊のようなチョコビーンズ。見ているだけで胃もたれしそうだ。
美術室は学内でも奥まった場所にあった。赤煉瓦の二階建ての校舎。年期も入っている。他の校舎はもっと近代的な建物だったし学生たちはそちらをメインに使っているのだろう。
「えーとね。美術室は二階の奥だね」
「はいはい」
憂子はそう言うとバッグから手鏡を取り出して前髪を整えた。整えた前と後で変化は特にない。
それから私たちは二階の美術室へ向かった。どうやら一階部分は音楽室らしく、軽音楽器の音色が響いていた。ギターとベースとドラム。私にとって最も聞き慣れた音だ。
「あ! 居た居た! おーい!」
憂子が手を振ると美術室前の男子大学生が振り返った。どうやら彼が憂子の彼氏らしい。
憂子の彼氏は良くも悪くも平凡そうな青年だった。『優しそうな人』を絵に描いたような男性でこれといって特徴はない。量産型男子大学生。そう言い換えられるかもしれない。
「初めまして。西浦です。憂子ちゃんにはいつも仲良くして貰ってます」
私は『まともな人間』を装って憂子の彼氏に挨拶した。口元を少しだけ緩めて口角を上げる。これだけでだいたいの男は好感を持ってくれる。異性的な意味ではない。あくまで人間としての好感。
「こちらこそいつも憂子がお世話になってます……」
憂子の彼氏は少し戸惑いながらも挨拶を返してくれた。やはり好青年だ。これといった欠点もない。もしかしたら貞操も固いかも。そんな下卑なことを思った。まぁ、私の童貞診断はほぼ当たるのでおそらく彼もそうだとは思う。
それから私たちは美術室に展示してある絵画を見せて貰った。学生が描いた絵はどれもそれなりで、特別上手いとは思えなかった。あくまで趣味の延長線。そんな絵画が壁一面に並ぶ。
絵を眺めながら適当に感想を言うと少し罪悪感を覚えた。『色使いが良い』とか『温かみがある』とかそんなどうしようもない感想を言うのは苦痛だし、何より彼らの絵を冒涜している気がした。
『普通ですね。面白くないです。コレだったら上野の美術館でも行った方がいいですね』と返せたらどれほど楽だろう。人間性が疑われようがその方が芸術的には正しいのではないだろうか? そんなことを思った。当然口には出さなかったけれど――。
一階からギターの音色が聞こえた。私のよく知っている曲だ。さて……。理由を付けてこの美術室から抜けだそう。私はそう思った。
0
あなたにおすすめの小説
わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...
MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。
ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。
さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか?
そのほかに外伝も綴りました。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
母の下着 タンスと洗濯籠の秘密
MisakiNonagase
青春
この物語は、思春期という複雑で繊細な時期を生きる少年の内面と、彼を取り巻く家族の静かなる絆を描いた作品です。
颯真(そうま)という一人の高校生の、ある「秘密」を通して、私たちは成長の過程で誰もが抱くかもしれない戸惑い、罪悪感、そしてそれらを包み込む家族の無言の理解に触れます。
物語は、現在の颯真と恋人・彩花との関係から、中学時代にさかのぼる形で展開されます。そこで明らかになるのは、彼がかつて母親の下着に対して抱いた抑えがたい好奇心と、それに伴う一連の行為です。それは彼自身が「歪んだ」と感じる過去の断片であり、深い恥ずかしさと自己嫌悪を伴う記憶です。
しかし、この物語の核心は、単なる過去の告白にはありません。むしろ、その行為に「気づいていたはず」の母親が、なぜ一言も問い詰めず、誰にも告げず、ただ静かに見守り続けたのか——という問いにこそあります。そこには、親子という関係を超えた、深い人間理解と、言葉にされない優しさが横たわっています。
センシティブな題材を、露骨な描写や扇情的な表現に頼ることなく、あくまで颯真の内省的な視点から丁寧に紡ぎ出しています。読者は、主人公の痛みと恥ずかしさを共有しながら、同時に、彼を破綻から救った「沈黙の救済」の重みと温かさを感じ取ることでしょう。
これは、一つの過ちと、その赦しについての物語です。また、成長とは時に恥ずかしい過去を背負いながら、他者の無償の寛容さによって初めて前を向けるようになる過程であること、そして家族の愛が最も深く現れるのは、時に何も言わない瞬間であることを、静かにしかし確かに伝える物語です。
どうか、登場人物たちの静かなる心の襞に寄り添いながら、ページをめくってください。
つまらない妃と呼ばれた日
柴田はつみ
恋愛
公爵令嬢リーシャは政略結婚で王妃に迎えられる。だが国王レオニスの隣には、幼馴染のセレスが“当然”のように立っていた。祝宴の夜、リーシャは国王が「つまらない妃だ」と語る声を聞いてしまい、心を閉ざす。
舞踏会で差し出された手を取らず、王弟アドリアンの助けで踊ったことで、噂は一気に燃え上がる――「王妃は王弟と」「国王の本命は幼馴染」と。
さらに宰相は儀礼と世論を操り、王妃を孤立させる策略を進める。監視の影、届かない贈り物、すり替えられた言葉、そして“白薔薇の香”が事件現場に残る冤罪の罠。
リーシャは微笑を鎧に「今日から、王の隣に立たない」と決めるが、距離を取るほど誤解は確定し、王宮は二人を引き裂いていく。
――つまらない妃とは、いったい誰が作ったのか。真実が露わになった時、失われた“隣”は戻るのか。
【完結】20年後の真実
ゴールデンフィッシュメダル
恋愛
公爵令息のマリウスがが婚約者タチアナに婚約破棄を言い渡した。
マリウスは子爵令嬢のゾフィーとの恋に溺れ、婚約者を蔑ろにしていた。
それから20年。
マリウスはゾフィーと結婚し、タチアナは伯爵夫人となっていた。
そして、娘の恋愛を機にマリウスは婚約破棄騒動の真実を知る。
おじさんが昔を思い出しながらもだもだするだけのお話です。
全4話書き上げ済み。
還暦の性 若い彼との恋愛模様
MisakiNonagase
恋愛
還暦を迎えた和子。保持する資格の更新講習で二十代後半の青年、健太に出会った。何気なくてLINE交換してメッセージをやりとりするうちに、胸が高鳴りはじめ、長年忘れていた恋心に花が咲く。
そんな還暦女性と二十代の青年の恋模様。
その後、結婚、そして永遠の別れまでを描いたストーリーです。
全7話
同じアパートに住む年上未亡人美女は甘すぎる。
ピコサイクス
青春
大学生の翔太は、一人暮らしを始めたばかり。
真下の階に住むのは、落ち着いた色気と優しさを併せ持つ大人の女性・水無瀬紗夜。
引っ越しの挨拶で出会った瞬間、翔太は心を奪われてしまう。
偶然にもアルバイト先のスーパーで再会した彼女は、翔太をすぐに採用し、温かく仕事を教えてくれる存在だった。
ある日の仕事帰り、ふたりで過ごす時間が増えていき――そして気づけば紗夜の部屋でご飯をご馳走になるほど親密に。
優しくて穏やかで――その色気に触れるたび、翔太の心は揺れていく。
大人の女性と大学生、甘くちょっぴり刺激的な同居生活(?)がはじまる。
つまらなかった乙女ゲームに転生しちゃったので、サクッと終わらすことにしました
蒼羽咲
ファンタジー
つまらなかった乙女ゲームに転生⁈
絵に惚れ込み、一目惚れキャラのためにハードまで買ったが内容が超つまらなかった残念な乙女ゲームに転生してしまった。
絵は超好みだ。内容はご都合主義の聖女なお花畑主人公。攻略イケメンも顔は良いがちょろい対象ばかり。てこたぁ逆にめちゃくちゃ住み心地のいい場所になるのでは⁈と気づき、テンションが一気に上がる!!
聖女など面倒な事はする気はない!サクッと攻略終わらせてぐーたら生活をGETするぞ!
ご都合主義ならチョロい!と、野望を胸に動き出す!!
+++++
・重複投稿・土曜配信 (たま~に水曜…不定期更新)
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる