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第二話 ワタリガラス
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忍野さんと出会ってからの日々はあっという間に過ぎていった。大学で彼と一緒に過ごした時間は特に短かったと思う。まぁ、私が入学した時点で彼は四年生だったので当然だと思う。
彼とは卒業してからもよく一緒に出かけた。週末には喫茶店や彼の部屋に入り浸って、互いの楽譜や歌詞を見せ合いっこした。それだけ近い関係だったのにプラトニックだったのはおそらく互いに兄妹のように思っていたからだと思う。年齢的なものというより精神性がそうさせたのだ。言い得て妙だけれど、忍野さんは私の実の兄以上に兄らしかったのだと思う。
当時から彼はよく「若者の音楽活動をサポートする仕事がしたい」と語っていた。彼自身もバンド活動や作詞作曲をしていたけれど、それ以上に彼は他人の音楽活動のサポートが好きだった。忍野さんはそういう人間なのだ。自分で何かを成すより他人を喜ばせたり育てたりすることが好き。そんな人だった。
私は短い大学生活の中で生きる術とそれなりの人脈を築いた。私の通っていた大学で……。というよりもそれは忍野さんやその周りの人たちとの間で育まれていった。類は友を呼ぶ。とはよく言ったもので、気がつくと私の周りは音楽に関わる人たちで溢れていた。作詞作曲者、楽器のエキスパート、プロモーションのプロ……。そんな人たちと普通に親密になっていったのだ。
そんな生活を数年送り大学を卒業した。卒業する頃には実家ともすっかり疎遠で両親は私がどうなろうが知ったことではないような顔をしていた。その証拠に私の卒業式に両親は来なかった。きっと彼らにとって私はもう自分の子供ではないのだろう……。そう感じた。
でも別に嫌だとか寂しいだとかは感じなかった。始めからこうだったのだ。高級官僚の両親、将来有望な兄、空気のような祖父。(ちなみに祖父は私が大学在学中に逝去した)彼らから見たら私は異物そのものだったのだろう。
私が大学を卒業した頃、忍野さんが会社を立ち上げた。終生、私がお世話になる会社だ。
その頃には私も忍野さんを社長と呼ぶようになった。まぁ……。彼は私の兄で上司みたいなものなので呼び名が変わっただけだけれど。
インディーズレーベルとしてスタートしたその会社はお世辞にも順風満帆とは言えなかった。老朽化したテナントの事務所に古女房のような社員。残業に残業を重ねても微々たる給料。もし私の旦那がこの会社の社員だったならきっと転職を勧める……。そんな環境だ。控えめに言って最悪だと思う。
それでも仕事が楽しかったのは社長の人柄だろう。まぁ……。当時は必死すぎてそんなこと思ってる余裕なんてなかったけれど。
そんな毎日の全てが夢のようだった。あまりにも非現実的で浮世離れしていた。すっかりいい歳になった今でもそう思う――。
私は立ち上がると壁の傷を撫でた。傷の上にうっすらと埃が積もっている。
「あの頃はまだ僕も子供だったからね……。とはいえ物に八つ当たりしたのは失敗だったよ」
社長は首を横に振った。
「フフフ、まぁ……。でもあれは広瀬くんも悪かったですよ? ほら彼ってカッカする人だし」
「ふむ……」
心なしかそう言う社長の顔は強ばっていた。過去の失敗、若気の至り。その象徴である壁の傷を見ていると居たたまれなくなるのだろう。
この傷が生まれたとき、私も社長も若かった。そして社長は今よりもずっと情熱的だった。その情熱をどこに向けていいのか分からない。それぐらいには若かったのだと思う。
だから当時の社長は広瀬部長と口論になったのだと思う。そしてついうっかり手が出た。そんな感じだった。
「有栖ちゃん、何かあったら戻ってきなね」
社長は私の方を向かずにそう呟いた。
私は「そうね」とだけ返した。
ワタリガラス 終
彼とは卒業してからもよく一緒に出かけた。週末には喫茶店や彼の部屋に入り浸って、互いの楽譜や歌詞を見せ合いっこした。それだけ近い関係だったのにプラトニックだったのはおそらく互いに兄妹のように思っていたからだと思う。年齢的なものというより精神性がそうさせたのだ。言い得て妙だけれど、忍野さんは私の実の兄以上に兄らしかったのだと思う。
当時から彼はよく「若者の音楽活動をサポートする仕事がしたい」と語っていた。彼自身もバンド活動や作詞作曲をしていたけれど、それ以上に彼は他人の音楽活動のサポートが好きだった。忍野さんはそういう人間なのだ。自分で何かを成すより他人を喜ばせたり育てたりすることが好き。そんな人だった。
私は短い大学生活の中で生きる術とそれなりの人脈を築いた。私の通っていた大学で……。というよりもそれは忍野さんやその周りの人たちとの間で育まれていった。類は友を呼ぶ。とはよく言ったもので、気がつくと私の周りは音楽に関わる人たちで溢れていた。作詞作曲者、楽器のエキスパート、プロモーションのプロ……。そんな人たちと普通に親密になっていったのだ。
そんな生活を数年送り大学を卒業した。卒業する頃には実家ともすっかり疎遠で両親は私がどうなろうが知ったことではないような顔をしていた。その証拠に私の卒業式に両親は来なかった。きっと彼らにとって私はもう自分の子供ではないのだろう……。そう感じた。
でも別に嫌だとか寂しいだとかは感じなかった。始めからこうだったのだ。高級官僚の両親、将来有望な兄、空気のような祖父。(ちなみに祖父は私が大学在学中に逝去した)彼らから見たら私は異物そのものだったのだろう。
私が大学を卒業した頃、忍野さんが会社を立ち上げた。終生、私がお世話になる会社だ。
その頃には私も忍野さんを社長と呼ぶようになった。まぁ……。彼は私の兄で上司みたいなものなので呼び名が変わっただけだけれど。
インディーズレーベルとしてスタートしたその会社はお世辞にも順風満帆とは言えなかった。老朽化したテナントの事務所に古女房のような社員。残業に残業を重ねても微々たる給料。もし私の旦那がこの会社の社員だったならきっと転職を勧める……。そんな環境だ。控えめに言って最悪だと思う。
それでも仕事が楽しかったのは社長の人柄だろう。まぁ……。当時は必死すぎてそんなこと思ってる余裕なんてなかったけれど。
そんな毎日の全てが夢のようだった。あまりにも非現実的で浮世離れしていた。すっかりいい歳になった今でもそう思う――。
私は立ち上がると壁の傷を撫でた。傷の上にうっすらと埃が積もっている。
「あの頃はまだ僕も子供だったからね……。とはいえ物に八つ当たりしたのは失敗だったよ」
社長は首を横に振った。
「フフフ、まぁ……。でもあれは広瀬くんも悪かったですよ? ほら彼ってカッカする人だし」
「ふむ……」
心なしかそう言う社長の顔は強ばっていた。過去の失敗、若気の至り。その象徴である壁の傷を見ていると居たたまれなくなるのだろう。
この傷が生まれたとき、私も社長も若かった。そして社長は今よりもずっと情熱的だった。その情熱をどこに向けていいのか分からない。それぐらいには若かったのだと思う。
だから当時の社長は広瀬部長と口論になったのだと思う。そしてついうっかり手が出た。そんな感じだった。
「有栖ちゃん、何かあったら戻ってきなね」
社長は私の方を向かずにそう呟いた。
私は「そうね」とだけ返した。
ワタリガラス 終
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