59 / 67
第五話 今、挟まれる栞
3
しおりを挟む
「これから忙しくなりそうだね」
「そうだね。とりあえず来年の二月ぐらいまでは仕事ぎっしりだよ」
栞はそう言うと苦笑いを浮かべた。本当は嫌なのだろう。のんびり屋の栞らしい。
「あんまり無理しない方がいいよ? 編集も営業も作家を食い潰したがるからね」
「ハハハ、さすが本職さんが言うと説得力あるね。……。うん、気をつけるよ」
出版……。そして文壇に関わる連中は栞を食い物しようとするはずだ。どの業界でそうだけれど、甘いモノにはアリが集りやすいのだ。その癖、作家が困窮しても助けようとはしないのだから酷い話だと思う。(もちろん親身になってくれる編集者もいるけれど)
「あーあ、式は少し先になっちゃうねー。まだぜんぜん準備も出来てないしさ」
「そうだね……。来年中に出来ればいいけど」
「だよねー。夏前には色々始めなきゃだね」
正直、『来年は無理かもしれないね』と思った。おそらく栞も同じことを考えていると思う。でも互いにそれを口にはしなかった。希望は欲しいのだ。希望的観測であっても未来は明るくあって欲しい。
「まぁ……。何とかしよう。何とかするしかないからね」
栞はそう言いながらワインを飲み干した。僕は「そうだね」とだけ返した――。
直木賞の受賞後、栞の仕事は目に見えて増えていった。文芸雑誌の取材、昼のバラエティ番組のゲスト。あと、なぜか食レポの依頼まで来た。(さすがに食レポは断っていたけれど)
栞がメディア露出したり、記事を寄稿している間も僕は忙しない毎日を送った。
忙しないといってもいつもと変わらない。作家が書いた原稿を預かって下読みしたり、赤入れして返したりするだけ。単調な作業だ。単調すぎて腰が死にかけた以外は特に変わったこともない。
淡々と熟す仕事。僕はこの仕事にプライドとやりがいを持っている。作家が書いた作品を磨くだけ。それ以上でもそれ以下でもないけれど、磨くだけなら僕より上手い人間は意外と少ないと思う。
これは長所であり同時に短所でもあるのだけれど、僕には主観があまりなかった。だからただ文章を磨くだけなら僕が最適なのだと思う。作家の作品の味は変えない。ただ読みやすくする。そんな編集。
中学時代からの友人には『水貴くんの書く文章って水みたいだよね』とよく言われたものだ。
水。味がなく、ただ潤いを与えるだけの液体。水溶液のベース。そんな文章。
そう言われるたびに『名は体を表す』という慣用句の適当さを感じた。
僕は水のように味のない文章を。栞は人の心に挟まれて残る文章を。互いに書いてきたのだと思う。
でも……。たまに思うのだ。編集という仕事は好きだけれど、作家としてやっていきたかったと。
おそらくこれは栞へのコンプレックスなのだ。彼女のように味と匂いと色のある文章を書きたかった。そんな悔しさにも似た感情。どんなに願ってもたどり着けない。そんな場所への憧れ。
僕のそんな気持ちとは裏腹に栞は僕の文章を好きだと言ってくれた。そして書評を言った後には必ず『水貴くんらしい文章だね』と付け加えた。それはまるで僕のことを肯定するための言葉に聞こえた。『お前の文章にはなんの価値もない』と言う世間へのアンチテーゼのように――。
「そうだね。とりあえず来年の二月ぐらいまでは仕事ぎっしりだよ」
栞はそう言うと苦笑いを浮かべた。本当は嫌なのだろう。のんびり屋の栞らしい。
「あんまり無理しない方がいいよ? 編集も営業も作家を食い潰したがるからね」
「ハハハ、さすが本職さんが言うと説得力あるね。……。うん、気をつけるよ」
出版……。そして文壇に関わる連中は栞を食い物しようとするはずだ。どの業界でそうだけれど、甘いモノにはアリが集りやすいのだ。その癖、作家が困窮しても助けようとはしないのだから酷い話だと思う。(もちろん親身になってくれる編集者もいるけれど)
「あーあ、式は少し先になっちゃうねー。まだぜんぜん準備も出来てないしさ」
「そうだね……。来年中に出来ればいいけど」
「だよねー。夏前には色々始めなきゃだね」
正直、『来年は無理かもしれないね』と思った。おそらく栞も同じことを考えていると思う。でも互いにそれを口にはしなかった。希望は欲しいのだ。希望的観測であっても未来は明るくあって欲しい。
「まぁ……。何とかしよう。何とかするしかないからね」
栞はそう言いながらワインを飲み干した。僕は「そうだね」とだけ返した――。
直木賞の受賞後、栞の仕事は目に見えて増えていった。文芸雑誌の取材、昼のバラエティ番組のゲスト。あと、なぜか食レポの依頼まで来た。(さすがに食レポは断っていたけれど)
栞がメディア露出したり、記事を寄稿している間も僕は忙しない毎日を送った。
忙しないといってもいつもと変わらない。作家が書いた原稿を預かって下読みしたり、赤入れして返したりするだけ。単調な作業だ。単調すぎて腰が死にかけた以外は特に変わったこともない。
淡々と熟す仕事。僕はこの仕事にプライドとやりがいを持っている。作家が書いた作品を磨くだけ。それ以上でもそれ以下でもないけれど、磨くだけなら僕より上手い人間は意外と少ないと思う。
これは長所であり同時に短所でもあるのだけれど、僕には主観があまりなかった。だからただ文章を磨くだけなら僕が最適なのだと思う。作家の作品の味は変えない。ただ読みやすくする。そんな編集。
中学時代からの友人には『水貴くんの書く文章って水みたいだよね』とよく言われたものだ。
水。味がなく、ただ潤いを与えるだけの液体。水溶液のベース。そんな文章。
そう言われるたびに『名は体を表す』という慣用句の適当さを感じた。
僕は水のように味のない文章を。栞は人の心に挟まれて残る文章を。互いに書いてきたのだと思う。
でも……。たまに思うのだ。編集という仕事は好きだけれど、作家としてやっていきたかったと。
おそらくこれは栞へのコンプレックスなのだ。彼女のように味と匂いと色のある文章を書きたかった。そんな悔しさにも似た感情。どんなに願ってもたどり着けない。そんな場所への憧れ。
僕のそんな気持ちとは裏腹に栞は僕の文章を好きだと言ってくれた。そして書評を言った後には必ず『水貴くんらしい文章だね』と付け加えた。それはまるで僕のことを肯定するための言葉に聞こえた。『お前の文章にはなんの価値もない』と言う世間へのアンチテーゼのように――。
0
あなたにおすすめの小説
わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...
MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。
ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。
さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか?
そのほかに外伝も綴りました。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
母の下着 タンスと洗濯籠の秘密
MisakiNonagase
青春
この物語は、思春期という複雑で繊細な時期を生きる少年の内面と、彼を取り巻く家族の静かなる絆を描いた作品です。
颯真(そうま)という一人の高校生の、ある「秘密」を通して、私たちは成長の過程で誰もが抱くかもしれない戸惑い、罪悪感、そしてそれらを包み込む家族の無言の理解に触れます。
物語は、現在の颯真と恋人・彩花との関係から、中学時代にさかのぼる形で展開されます。そこで明らかになるのは、彼がかつて母親の下着に対して抱いた抑えがたい好奇心と、それに伴う一連の行為です。それは彼自身が「歪んだ」と感じる過去の断片であり、深い恥ずかしさと自己嫌悪を伴う記憶です。
しかし、この物語の核心は、単なる過去の告白にはありません。むしろ、その行為に「気づいていたはず」の母親が、なぜ一言も問い詰めず、誰にも告げず、ただ静かに見守り続けたのか——という問いにこそあります。そこには、親子という関係を超えた、深い人間理解と、言葉にされない優しさが横たわっています。
センシティブな題材を、露骨な描写や扇情的な表現に頼ることなく、あくまで颯真の内省的な視点から丁寧に紡ぎ出しています。読者は、主人公の痛みと恥ずかしさを共有しながら、同時に、彼を破綻から救った「沈黙の救済」の重みと温かさを感じ取ることでしょう。
これは、一つの過ちと、その赦しについての物語です。また、成長とは時に恥ずかしい過去を背負いながら、他者の無償の寛容さによって初めて前を向けるようになる過程であること、そして家族の愛が最も深く現れるのは、時に何も言わない瞬間であることを、静かにしかし確かに伝える物語です。
どうか、登場人物たちの静かなる心の襞に寄り添いながら、ページをめくってください。
つまらない妃と呼ばれた日
柴田はつみ
恋愛
公爵令嬢リーシャは政略結婚で王妃に迎えられる。だが国王レオニスの隣には、幼馴染のセレスが“当然”のように立っていた。祝宴の夜、リーシャは国王が「つまらない妃だ」と語る声を聞いてしまい、心を閉ざす。
舞踏会で差し出された手を取らず、王弟アドリアンの助けで踊ったことで、噂は一気に燃え上がる――「王妃は王弟と」「国王の本命は幼馴染」と。
さらに宰相は儀礼と世論を操り、王妃を孤立させる策略を進める。監視の影、届かない贈り物、すり替えられた言葉、そして“白薔薇の香”が事件現場に残る冤罪の罠。
リーシャは微笑を鎧に「今日から、王の隣に立たない」と決めるが、距離を取るほど誤解は確定し、王宮は二人を引き裂いていく。
――つまらない妃とは、いったい誰が作ったのか。真実が露わになった時、失われた“隣”は戻るのか。
【完結】20年後の真実
ゴールデンフィッシュメダル
恋愛
公爵令息のマリウスがが婚約者タチアナに婚約破棄を言い渡した。
マリウスは子爵令嬢のゾフィーとの恋に溺れ、婚約者を蔑ろにしていた。
それから20年。
マリウスはゾフィーと結婚し、タチアナは伯爵夫人となっていた。
そして、娘の恋愛を機にマリウスは婚約破棄騒動の真実を知る。
おじさんが昔を思い出しながらもだもだするだけのお話です。
全4話書き上げ済み。
還暦の性 若い彼との恋愛模様
MisakiNonagase
恋愛
還暦を迎えた和子。保持する資格の更新講習で二十代後半の青年、健太に出会った。何気なくてLINE交換してメッセージをやりとりするうちに、胸が高鳴りはじめ、長年忘れていた恋心に花が咲く。
そんな還暦女性と二十代の青年の恋模様。
その後、結婚、そして永遠の別れまでを描いたストーリーです。
全7話
同じアパートに住む年上未亡人美女は甘すぎる。
ピコサイクス
青春
大学生の翔太は、一人暮らしを始めたばかり。
真下の階に住むのは、落ち着いた色気と優しさを併せ持つ大人の女性・水無瀬紗夜。
引っ越しの挨拶で出会った瞬間、翔太は心を奪われてしまう。
偶然にもアルバイト先のスーパーで再会した彼女は、翔太をすぐに採用し、温かく仕事を教えてくれる存在だった。
ある日の仕事帰り、ふたりで過ごす時間が増えていき――そして気づけば紗夜の部屋でご飯をご馳走になるほど親密に。
優しくて穏やかで――その色気に触れるたび、翔太の心は揺れていく。
大人の女性と大学生、甘くちょっぴり刺激的な同居生活(?)がはじまる。
根暗令嬢の華麗なる転身
しろねこ。
恋愛
「来なきゃよかったな」
ミューズは茶会が嫌いだった。
茶会デビューを果たしたものの、人から不細工と言われたショックから笑顔になれず、しまいには根暗令嬢と陰で呼ばれるようになった。
公爵家の次女に産まれ、キレイな母と実直な父、優しい姉に囲まれ幸せに暮らしていた。
何不自由なく、暮らしていた。
家族からも愛されて育った。
それを壊したのは悪意ある言葉。
「あんな不細工な令嬢見たことない」
それなのに今回の茶会だけは断れなかった。
父から絶対に参加してほしいという言われた茶会は特別で、第一王子と第二王子が来るものだ。
婚約者選びのものとして。
国王直々の声掛けに娘思いの父も断れず…
応援して頂けると嬉しいです(*´ω`*)
ハピエン大好き、完全自己満、ご都合主義の作者による作品です。
同名主人公にてアナザーワールド的に別な作品も書いています。
立場や環境が違えども、幸せになって欲しいという思いで作品を書いています。
一部リンクしてるところもあり、他作品を見て頂ければよりキャラへの理解が深まって楽しいかと思います。
描写的なものに不安があるため、お気をつけ下さい。
ゆるりとお楽しみください。
こちら小説家になろうさん、カクヨムさんにも投稿させてもらっています。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる