深夜水溶液

海獺屋ぼの

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第五話 今、挟まれる栞

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 それから僕らは年末に掛けて忙しない日常を送った。僕はデスクワークに追われ、栞は出張やメディア出演に追われていた。同じ屋根の下にいるのに互いが居た痕跡を確認するだけ。それぐらい僕らは顔を合わせなかった。冷蔵庫に貼られた付箋。それだけが僕らの連絡手段になりつつある。
『昨日は京都の講演会でした。お土産の八つ橋は冷蔵庫にあります 栞』とか。
『明日は仙台に一泊します。冷凍庫にカレーが入ってるので温めて食べてね 栞』とか。
 栞からの伝言はそんな内容だ。
 僕は僕で
『お疲れ様。カレー美味しかったよ。ケーキ入れとくから食べてね』とか。
『ラジオ聴いたよ。うまくしゃべれてたね』とか。
 そんなメッセージを書いた。これといって面白いわけではない。でもその付箋でのやりとりは心地良かった。文章と文章のキャッチボール。そんなやりとりをしていると学生時代を思い出す。
 高校時代。僕らはそんなやりとりを部室の黒板でよくしていた。栞が部長、僕が副部長の文芸部。思い返すと懐かしい。
 当時の僕は身体の弱い母の看病に忙しく、あまり部活に顔を出せなかった。そんな中でも栞はいつも僕のことを気に掛けてくれた。付かず離れず。余計なことは聞かない。栞はそれに徹してくれた。
 栞に何か隠し事をしていたわけではないけれど、その距離感は僕の心を軽くしてくれた。話さないからこその充足感。それはまるで行間に意味合いを持たせる純文学のようだった――。
 
 一二月二四日の夜。僕は栞の出張先に電話を掛けた。『メリークリスマス』なんて言わなかったけれど、彼女は僕の意図を察してくれたようだ。
『ごめんねー。せっかくのクリスマスなのにね』
 栞はそう言うと『ふあぁ』とため息ような声を出した。
「大丈夫だよ。明日は帰ってくるんだっけ?」
『うん。明日から二日間は予定ないよ』
「そっか。僕も明日は仕事少ないから定時にはあがれるよ」
『嘘!? やった! じゃあクリスマスパーティー出来るね』
「うん。一応お店予約しといたよ」
『嘘!? 嘘!? 嬉しいよー』
 「嘘!?」の連呼。このリアクションをするときの栞は概ね飛び跳ねているはずだ。彼女はそういう子なのだ。普段は大人しいのに、嬉しいことがあるとそうなる。
「ほら、前に話してた新橋の創作料理のお店だよ。栞行きたがってからさ」
『……。!? ほんっとに!? 水貴くんすごいよ!!』
「いやいや……。じゃあとりあえずそんな感じだから」
『本当にありがとー。うん! 楽しみにしてるね』
「うん。じゃあ気をつけて帰ってきてね」
 そう言うと僕は電話を切った――。
 電話を終えると急に寂しい気持ちがこみ上げてきた。それと同時に喜んでくれた栞の声が頭の中で再生された。嬉しそうな栞の声。思い出すと自然と口元が緩む。
 僕は幸せ者だな。そう思った。
 あんなにいい子と一緒に居られるなんて申し訳ない。そんな風にも思った。
 それから僕はゆっくりとベッドに身を投げた。意識が徐々に遠ざかっていった――。
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