アルテミスデザイア ~Lunatic moon and silent bookmark~

海獺屋ぼの

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第二章 愚か者のブックマーク

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 川村栞は本当にいい子だった。
 彼女はあまり華がある感じではないけれど、顔の造形自体は整っていた。
 全てにおいて大人しく、表情が豊かとは言いがたい子だった。
 それでも栞が笑った顔はとても可愛らしかった。
 栞は私と同じ小学校で、五年生の時に転校してきた少女だった。
 彼女は関西圏の出身ではなく、関東から転校生だった。
 初めて話したとき、彼女の綺麗な言葉使いに感動したのを今でも覚えている。
 転校当時の彼女は、引っ込み思案なのかあまり周りと打ち解けようとはしなかった。
 彼女はあまり自分の意見を言う子ではなかったし、他の女子に話を振られても愛想笑いする程度だった。
 栞は周りの女子たちと噂話するよりも物語の世界に入り込むのが好きだった。
 彼女は図書室から借りてきた児童書を休み時間の度に読み、時間になると授業に集中していた。
 そんな栞に対してクラスメイトは次第に悪い態度を取るようになっていった。
 小学生の女子とは残酷な生き物だと思う。
 女子たちはそんな彼女を次第に馬鹿にするようになったのだ。
 私はそんな風に陰湿に特定の人間をいじめるクラスメイトがとても嫌いだった。
 正義感からそう思ったわけではない。
 その様子が母の姿の重なって嫌になったのだ……。

 とある放課後。
 教室に忘れ物をして取りに戻ることがあった。
 私が五年一組の教室を開けると教室には栞が一人ぼっちで座っていた。
「あれ? 栞ちゃんひとり?」
「そうだよー」
 栞は私の方を向くと、ニッコリ笑って恥ずかしそうに下を向いた。
 彼女の手には児童書が握られている。
「そぉかぁ、栞ちゃん本好きなん?」
「え! う……。うん」
 私の質問が予想外だったのか、栞は戸惑って困った表情を浮かべる。
「ええね! 好きな物に熱中できるんはええことやで! ウチも女同士で仲良しごっこするより好きなことやってる方がええもん!」
 私は栞に言うと同時に、他のクラスの女子たちを否定する言葉を吐いた。
 私の言葉に驚いたのか、栞の顔は不器用な笑顔が浮かべた。
「そ……。だね」
「せやで! ウチはな! 女がたむろして誰かの悪口言うのがほんまに大嫌いなんや! 何が楽しいのか理解できへんてマジ!」
 自分で言っていても矛盾していると思う。
 私はその時、特定の女子グループに対して彼女たちと同じことをしていた。
 傲慢なダブルスタンダード。
「月子ちゃんは強いよね……。私はダメなんだよ。身体は弱いし、あんまり明るくもないし」
 栞はそう呟くと俯いた。
「栞ちゃんはダメやあらへんて! 好きな物に打ち込めるんは才能やで! 本が好きで本を読むのが得意やったらそれは立派な才能やとウチは思う!」
 思わず大きな声を出してしまった。教室には私の声が響き渡る。
 少し間を置いて栞がゆっくりと顔を上げた。
 顔を上げた彼女の瞳は美しく輝いていた。
 ダイヤモンドのように透き通り、私の顔がその瞳に映り込んでいる。
「ありがとう……」
 彼女はただ一言そう呟くと、私にぺこりと小さく頭を下げた……。

 それから私たちは放課後、一緒に話し込むようになった。
 最初こそ、あまり自分のことを話さなかった栞も、次第に自分の話をしてくれるようになった。
 彼女の母親はエンタメ作家をしているらしく、幼い頃から本に囲まれて育ったらしい。
「へー! すごいやん! 作家とかウチは絶対に縁がない世界やから尊敬する!」
「エヘヘ、ありがとう。お母さんの本すごいんだよ! 私もお母さんの本大好きでさ」
「ほんまやね! 家族が作家なんてかっこええと思うで? 自慢のお母さんが居て羨ましいわぁ」
 意外なことに彼女は自身の母親の話になると謙遜しなかった。
 むしろそれは自慢と言って良いのではないだろうか。
 でも、そんな彼女の自慢話を聞くのが私は好きだった。
 少なくとも、自分の身内を謙遜の道具に使うよりは余程健全だと思う。
「月子ちゃんは歌手になりたいの?」
 栞は瞳を輝かせながら私に尋ねてきた。
「せやで! 目標もあるんや! ウチは大きくなったら絶対、武道館で歌ったたる! そんでな! 一万人もの歓声を浴びるんや」
「うん! 素敵! 月子ちゃん歌上手いしきっとなれるよ!」
「ありがとう。そうゆうてくれるの栞ちゃんだけや」
 栞のそんな言葉が本当に嬉しかった。
 父以外で私の夢を真剣に応援してくれたのは彼女が初めてだった。
「栞ちゃんは? 夢とかある?」
「私は……。お母さんと同じ……。作家になりたいな……」
「ええやん! 栞ちゃんにぴったりや! よっしゃ! したら一緒に目標立てよ」
 私は学習帳の最後のページを破ると一枚彼女に手渡した。
「ここに目標書いてお互いに交換しよ! そんでな! もし諦めそうになったらお互い励まし合おう! したら少しずつでも目標に近づけると思うねん!」
「そうだね! じゃあ……」
 栞は私の手渡したノートの切れ端に自身の目標を書き始めた。
 私も同じように目標を書いた。
「よっしょ……。出来たで!」
「私もー」
 私はノートに『武道館単独公演!!』と大きく書いた。
「すごい月子ちゃんぽいね」
「せやろ? 栞ちゃんのも見せて!」
 私が手を伸ばすと彼女は自分の書いたノートを私に差し出した。
 彼女の字は線が細く、本当に女性らしいものだった。
 流れるような字体で、ノートに溶け込むようにその目標は書き込まれていた。
 
『直木三十五賞受賞』

 そこに書かれている目標に私は思わず息をのんだ。
 全く文芸に縁がない私でさえ知っている賞がそこには書き込まれていたのだ。
「すごい! 栞ちゃんめっちゃ野心家やん!」
 私は感心したようにそう言うと、彼女の顔を覗いた。
「ちょっと……。目標高すぎたかな……」
「ええって! ええって! 高いに越したことないわ」
「うん……。私、頑張る!」
 それから私たちはお互いの目標を書いた紙を交換した。
 ランドセルに紙をしまうと、一歩前進したような気持ちになる。
「したら約束やで! ウチは武道館。栞ちゃんは直木賞や!」
 その時、私たちはお互いの夢を共有する特別な存在になった――。

 思い返せば、小学校高学年が有意義なものになったのは栞のお陰だと思う。
 悩みごとがあれば互いに相談し合ったし、楽しいことも互いに共有した。
 そんな彼女だからこそ、私は健次の件が納得がいかなかった。
 中学二年の春先。
 私は二つ大切な物を失おうとしていた……。
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