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第二章 愚か者のブックマーク
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「おはよう」
私が一人で自転車を押していると後ろから健次の声が聞こえた。
彼はスポーツバッグを肩から掛け、バスケットシューズの入っている袋をぶら下げていた。
今日は珍しく朝練が無いらしい。
「おはよう」
私は彼の目を見ることなく、言葉だけ返した。
「もうすぐ連休やなぁ! お前どっか行くんか?」
「別に……。どこへも行かへん」
「ああ、そうか……」
素っ気なく返したせいで、私たちの会話はそこで終わってしまった。
健次と栞が付き合ってから、私と健次の関係は目に見えてギクシャクしていた。
健次も後ろめたい気持ちがあるらしく、私のご機嫌取りをしているのがわかる。
「栞とどうなん?」
「え? ああ、栞とは普通やで! まぁボチボチやな」
シオリ……。
健次の口から発せられたその名前に私は酷く動揺した。
「ボチボチか……。けんちゃん、あの子のこと名前で呼んどるんやね!」
「あ……。そうやな。気が付かんかった」
いい加減にして欲しい。気が付かないわけがない。
「仲良うしーや。あの子ナイーブやから心配やわ! けんちゃんガサツやし、無神経なこと言わんといてね!」
私は内心、健次の全てが気に入らなかった。
栞と付き合ったことも気に入らなければ、こうして私に当たり前のように話しかけてくることも気に入らなかった。
教室に入ってからも、私たちはずっと険悪だった。
最悪なことに健次は私の真後ろの席だ。
さらに給食の時間は否応なく隣の席になってしまう。
この時ほど自分の姓を呪ったことはなかった。
鴨川。岸田。木元……。
そんな有り触れた五十音順がとても憎らしかった。
栞と同じクラスではないことがせめてもの救いだと思う。
鴨川。川村。岸田……。
そんなのには耐えられそうにない。
放課後。私は音楽室へと向かった。
「お疲れ様でーす」
私は音楽室の引き戸を開けると先に来ていた部員たちに挨拶した。
窓際のパイプ椅子では、お下げ髪の地味な少女がクラリネットの調整をしている。
「お疲れ!」
「あ、お疲れ様!」
私はその少女の隣に座った。そこが私の定位置だ。
「栞はいつも早いなぁ。毎回一番に来とるんやないの?」
「そだねー。あんまり教室に居たくないんだ……」
栞はクラリネットを専用のクロスで拭きながら笑った。
いつもの見慣れた苦笑い……。
彼女の雰囲気は小学校時代からあまり変わっていないと思う。
基本的に無口だし、他人様に尻尾を振って媚びたりもしなかった。
「せやろなー。あ、そういえば臨時文芸部どうなっとるん?」
「んー……。一〇月に高校生向けの賞があるから夏ぐらいから活動すると思うよ」
「そぉかぁ。そら忙しそうやね」
彼女は吹奏楽部と並行して文芸部にも所属していた。
本来私の通う中学校では、部活の掛け持ちは禁止されていたけれど一部例外があった。
夏しか活動できない水泳部の陸上部との掛け持ち。
あとは、活動する期間が極端に短い文芸部と他の文化部との掛け持ちは許されていたのだ。
「吹奏楽部のみんなには迷惑掛けちゃうけど、今年は頑張りたいんだよね……。賞に応募できるの三回しかないからさ」
「そうやろなー。他の部活と違って文芸はちょっと特殊やかなね。ま、それはみんな知っとるし問題ないと思うで?」
「うん! 本当にみんなには感謝だよー。今年こそ頑張って大賞取りたい!」
昨年の高校生向けの文芸賞で栞は佳作に入選していた。
内容は児童向けのファンタジー小説で、彼女の持つ透明に世界観が表現された作品だ。
普段あまり小説を読まない私が読んでもわかるほど綺麗な文章だったと思う。
「栞はええなぁ。どんどん夢に邁進しとって……。ウチはダメやわ。色々と上手くいかん」
「ええ!? そんなことないと思うよ! 月子ちゃん模試でも毎回トップだし、体育祭でも大活躍だったじゃん!」
「それは……。確かにそうやけど……。ウチのやりたいことではまだまだ前に進めてへんよ」
謙遜……。ではない。
これは事実だと思う。
私の欲しかったものは何一つ手に入っていなかった。
近づいてさえいないと思う。
「じゃあ月子ちゃんも何かコンクールとかに応募すれば良いと思うよ! 月子ちゃんならきっと入賞するって!」
純粋そうに私に笑いかける栞がとても憎らしかった。
彼女は私と違って欲しいものをいくつも手に入れている。
「まぁなぁ……。アイドルのオーディションとかもええかもな……」
「そうだよ! 月子ちゃんカッコいいもん!」
「ありがとう……」
感謝の言葉を呟きながら私は自分の中に感謝がないと判っていた。
栞が悪いわけではない。
単純に私の自業自得――。
栞は告白したことも、健次と付き合ったことも私に言わなかった。
廊下ですれ違っても自然と会話するだけだし、部活で会っても以前と態度が変わることはなかった。
そんな変わらなさに私はほとほとウンザリしていた。
普通の女子ならもっと態度に変化があるはずなのだ。
少なくとも、彼氏の幼なじみとこんな普通に接し続けられるはずがない。
なぜ栞は私に健次と付き合ったことを話さないのだろうか?
私にはその理由が判らなかった。
もしかしたら……。言えば私と健次が険悪になると思っているのかもしれない。
もしかしたら……。ただ言うタイミングを逃し続けているだけなのかもしれない。
あるいは……。あえて言わないことで私を苦しめているのかもしれない。
そんなどうしようもない推測が浮かぶだけで、彼女の真意をつかみ取ることは出来なかった。
直接聞ければどれほど楽だろう。
健次の細切れな話から推測するに、彼女は健次と付き合っていることを公表したくないようだ。
今の状況を表現するには『じれったい』という言葉がぴったりだと思う。
中途半端な二人の間に挟まれているのは、耐えられないくらい苦痛だ……。
苦痛に歪んだ日常にヒビが入ったのはそれから数日後のことだった――。
私が一人で自転車を押していると後ろから健次の声が聞こえた。
彼はスポーツバッグを肩から掛け、バスケットシューズの入っている袋をぶら下げていた。
今日は珍しく朝練が無いらしい。
「おはよう」
私は彼の目を見ることなく、言葉だけ返した。
「もうすぐ連休やなぁ! お前どっか行くんか?」
「別に……。どこへも行かへん」
「ああ、そうか……」
素っ気なく返したせいで、私たちの会話はそこで終わってしまった。
健次と栞が付き合ってから、私と健次の関係は目に見えてギクシャクしていた。
健次も後ろめたい気持ちがあるらしく、私のご機嫌取りをしているのがわかる。
「栞とどうなん?」
「え? ああ、栞とは普通やで! まぁボチボチやな」
シオリ……。
健次の口から発せられたその名前に私は酷く動揺した。
「ボチボチか……。けんちゃん、あの子のこと名前で呼んどるんやね!」
「あ……。そうやな。気が付かんかった」
いい加減にして欲しい。気が付かないわけがない。
「仲良うしーや。あの子ナイーブやから心配やわ! けんちゃんガサツやし、無神経なこと言わんといてね!」
私は内心、健次の全てが気に入らなかった。
栞と付き合ったことも気に入らなければ、こうして私に当たり前のように話しかけてくることも気に入らなかった。
教室に入ってからも、私たちはずっと険悪だった。
最悪なことに健次は私の真後ろの席だ。
さらに給食の時間は否応なく隣の席になってしまう。
この時ほど自分の姓を呪ったことはなかった。
鴨川。岸田。木元……。
そんな有り触れた五十音順がとても憎らしかった。
栞と同じクラスではないことがせめてもの救いだと思う。
鴨川。川村。岸田……。
そんなのには耐えられそうにない。
放課後。私は音楽室へと向かった。
「お疲れ様でーす」
私は音楽室の引き戸を開けると先に来ていた部員たちに挨拶した。
窓際のパイプ椅子では、お下げ髪の地味な少女がクラリネットの調整をしている。
「お疲れ!」
「あ、お疲れ様!」
私はその少女の隣に座った。そこが私の定位置だ。
「栞はいつも早いなぁ。毎回一番に来とるんやないの?」
「そだねー。あんまり教室に居たくないんだ……」
栞はクラリネットを専用のクロスで拭きながら笑った。
いつもの見慣れた苦笑い……。
彼女の雰囲気は小学校時代からあまり変わっていないと思う。
基本的に無口だし、他人様に尻尾を振って媚びたりもしなかった。
「せやろなー。あ、そういえば臨時文芸部どうなっとるん?」
「んー……。一〇月に高校生向けの賞があるから夏ぐらいから活動すると思うよ」
「そぉかぁ。そら忙しそうやね」
彼女は吹奏楽部と並行して文芸部にも所属していた。
本来私の通う中学校では、部活の掛け持ちは禁止されていたけれど一部例外があった。
夏しか活動できない水泳部の陸上部との掛け持ち。
あとは、活動する期間が極端に短い文芸部と他の文化部との掛け持ちは許されていたのだ。
「吹奏楽部のみんなには迷惑掛けちゃうけど、今年は頑張りたいんだよね……。賞に応募できるの三回しかないからさ」
「そうやろなー。他の部活と違って文芸はちょっと特殊やかなね。ま、それはみんな知っとるし問題ないと思うで?」
「うん! 本当にみんなには感謝だよー。今年こそ頑張って大賞取りたい!」
昨年の高校生向けの文芸賞で栞は佳作に入選していた。
内容は児童向けのファンタジー小説で、彼女の持つ透明に世界観が表現された作品だ。
普段あまり小説を読まない私が読んでもわかるほど綺麗な文章だったと思う。
「栞はええなぁ。どんどん夢に邁進しとって……。ウチはダメやわ。色々と上手くいかん」
「ええ!? そんなことないと思うよ! 月子ちゃん模試でも毎回トップだし、体育祭でも大活躍だったじゃん!」
「それは……。確かにそうやけど……。ウチのやりたいことではまだまだ前に進めてへんよ」
謙遜……。ではない。
これは事実だと思う。
私の欲しかったものは何一つ手に入っていなかった。
近づいてさえいないと思う。
「じゃあ月子ちゃんも何かコンクールとかに応募すれば良いと思うよ! 月子ちゃんならきっと入賞するって!」
純粋そうに私に笑いかける栞がとても憎らしかった。
彼女は私と違って欲しいものをいくつも手に入れている。
「まぁなぁ……。アイドルのオーディションとかもええかもな……」
「そうだよ! 月子ちゃんカッコいいもん!」
「ありがとう……」
感謝の言葉を呟きながら私は自分の中に感謝がないと判っていた。
栞が悪いわけではない。
単純に私の自業自得――。
栞は告白したことも、健次と付き合ったことも私に言わなかった。
廊下ですれ違っても自然と会話するだけだし、部活で会っても以前と態度が変わることはなかった。
そんな変わらなさに私はほとほとウンザリしていた。
普通の女子ならもっと態度に変化があるはずなのだ。
少なくとも、彼氏の幼なじみとこんな普通に接し続けられるはずがない。
なぜ栞は私に健次と付き合ったことを話さないのだろうか?
私にはその理由が判らなかった。
もしかしたら……。言えば私と健次が険悪になると思っているのかもしれない。
もしかしたら……。ただ言うタイミングを逃し続けているだけなのかもしれない。
あるいは……。あえて言わないことで私を苦しめているのかもしれない。
そんなどうしようもない推測が浮かぶだけで、彼女の真意をつかみ取ることは出来なかった。
直接聞ければどれほど楽だろう。
健次の細切れな話から推測するに、彼女は健次と付き合っていることを公表したくないようだ。
今の状況を表現するには『じれったい』という言葉がぴったりだと思う。
中途半端な二人の間に挟まれているのは、耐えられないくらい苦痛だ……。
苦痛に歪んだ日常にヒビが入ったのはそれから数日後のことだった――。
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