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DISK2

第四十五話 溝鼠は月の下で何を思う?

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 西浦有栖。ニンヒアレコードに在籍する音楽プロデューサーだ。

 数多くのアーティストを育ててきた業界の生き字引で、彼女の手がけてきたアーティストは数知れない。

 その中で最高傑作が『アフロディーテ』だった。

 彼女はまだ若い頃の鴨川月子の才能に目を付け精力的に育てた。(ウラの話だとかなり酷いやり方をしていたらしいが……)

 西浦有栖は業界ではかなりの異端児だった。

 今はもう還暦も過ぎて大人しくなったらしいが、それでも業界での影響力はかなり大きい……。

 とまぁ、そんな話をウラがしてくれた。

 正直俺は全く知らなかったし興味もなかった。

 だからウラの話も話半分で聞いていた。

 俺たち4人はニンヒアレコード近くの喫茶店を訪れた。

 今日は百華さんも商談に参加する予定だ。

 ウラもジュンが今回ばかりは緊張している。

 逆に俺と七星はあまりピンと来ていない。

「はぁー。今から西浦さんと会うのか……」

「なんだよ今更。そんな考えてもしゃーねーだろ?」

「大志はいーよー。あの人のことよく知らないんだからさぁー。知ってるこっちとしてはかんなり気を使う相手なんだよ!」

 彼女は喫茶店の前で大きくため息を吐いた。精神的にきついらしい。

 それからウラは喫茶店の重い扉を開けた。

 喫茶店の店内はタバコの煙が充満していた。

 分煙していないらしい。いまどき珍しい。

 店員に話を通して待ち合わせの相手の元へと向かう。

 奥の席に彼女は居た。空間に馴染みすぎて最初からあるオブジェのようだ。

 年齢を称える皺のある顔。白髪交じりの髪をヘアピンで留めた初老の女性だった。

 こんな凡庸な女が『業界最強の魔女』と呼ばれる敏腕プロデューサーなのだろうか?。

 本当にどこにでもいる平凡なオバサンにしか見えない。

「お久しぶりです!!」

 ウラは彼女を見つけるなり、ガチガチに固まってお辞儀した。

「あらぁー。京極さん本当に久しぶりねぇー。髪の色変えたのねー」

「はい! バンド活動を一新したときに髪色変えたんです! 今日はお忙しい中ありがとうございます!」

「うーん。とっても似合ってるわよ! 京極さんは可愛らしい顔立ちだから清楚系でもいけるのねー」

 やはり俺にはこの女性がそんな大層な人間には見えなかった。

 穏やかで優しい物腰のご婦人……。にしか見えない。

「今、真木さん来るからちょっと待っててあげてね! ……。その前に簡単に話させてもらってもいいかしら?」

 西浦さんは店員を呼ぶと俺たちに何を飲むかを尋ねた。

 とりあえず、全員コーヒーを注文する。

「あの……。西浦さん……。今回お声がけ頂きましてありがとうございます!」

「こちらこそ来てくれてありがとう。貴女のことはあの子のところにいた頃から気に入ってたのよ? でもあの子って我が儘でヤキモチ焼きでしょ? だからこうやってあの子抜きで話せる機会が持てて本当に良かった」

 あの子……。は文脈から察するに鴨川月子のことだ。

「ニンヒアさんには月子さんのとこにいた頃に散々ご迷惑お掛けしてしまいまして……」

 ウラがそう言いかけると西浦さんはウラの唇に人差し指を立てた。

「もういいのよ。貴女も辛かったんでしょ? だから月子のことはもう気にしないでいいのよ」

「……。本当にありがとうございます!」

「まぁねぇ、あの子のことは相当面倒見たんだけれどね。お互い意地を張りすぎたのかしらね? もう月子は私には会いたくないみたい。でもあの子も元気でやっててくれるみたいだから私としては安心よ!」

 西浦さんはそう言うと笑った。顔がクシャクシャになる。

「それにしても京極さんのお友達は楽しそうな人たちばかりね。多賀木さんとこの息子さんは知ってたけど、そこの背の高いお兄さんと若くて元気そうなお兄さんも素敵じゃない。みんな好青年ね」

「あの……。西浦さん、ちょっと聞いてもいいですか?」

 俺は彼女に声を掛けた。

「あら、何かしら? 松田大志君よね?」

「ども……。あの、今回メジャーデビューの話もらったのは良いんですけど、イマイチ理由が分からなくて……。やっぱウラが……。京極がいたから声を掛けてくれたんですか?」

 俺がそう聞くと西浦さんはニッコリ笑って俺の瞳を見つめた。

 彼女は自身の左手薬指の指輪をくるくる回しながら話し始める。

「そーね。確かに京極さんがいたっていうのは理由としては大きいかしら? この子は月子の見習いで頑張っていた子でしょ? この業界に長くいると育つ子と上手くいかない子の違いはよく分かるようになるのよ。私も商売でこんなことしてる身だから、ちゃんと利益を上げてくれる子にしか投資できないしね」

「じゃあやっぱり……。ウラが今回俺たちを選んだ理由なんですね」

「それも理由の1つよ。でもね、それだけじゃあない。貴方たち3人がいてくれるのが大きかった。多賀木君は前から知っていたし、高嶺君のギターの腕は荒削りだけど悪くないと思ったわ。そしてね……」

「そして……?」

「そして、松田君、君がいてくれるのが良かったのよ。正直に言うと君のバンドマンとしての腕は最低レベル。これに関しては自覚があるかしら?」

 俺は思わず顔を顰めた。

 確かに俺クラスのドラマーは世間にごまんと居る。

 だが面と向かってはっきり言われるとさすがに腹が立った。

「癇に触ったのなら謝るわ。ごめんなさい。でも事実として受け止めて欲しいの。君は他のメンバーと比べて明らかに劣っている。平凡、特に目立ったことが出来るわけでもなく、正確性があるわけでもない」

「それは……。確かに言われると通りかもしれませんね。こいつらと比べたら俺のレベルが低いのは認めざる得ないですから」

 俺が怒りの感情を抑えながら応えた。横ではウラが引きつった顔をしている。

「あの……。西浦さん、大志のこと悪く言うのはちょっと……」

 ウラは引きつった顔のまま西浦さんに反論した。

 彼女の肩はピクピク震えている。

「京極さんごめんなさいね。でもここからが肝心なのよ。松田君は技術的にもその他の……。何というのかな……。バンドマンとして華のようなモノが欠けている。それが私が感じた正直な意見……。でもね、貴方たち4人が揃うと不思議とそれがいいのよね。不完全さが聴いていて心地良い」

 西浦さんは終始表情を変えない。淡々と話を続ける。

「だから、これから松田君はもっともっと努力が必要ではあるけど、『バービナ』にはなくてはならない人物だと思う。それも含めて今回はウチで面倒見ようと思ったのよ。もし貴方たちさえよければ、ウチのレーベルで活動して欲しい」

 そこまで話すと彼女はコーヒーをゆっくりと飲み干した――。

 少し遅れて百華さんがやってきた。

 その後は事務的な話だけして、その日の面談は無事終了した。

 帰り道。

 俺たちは特に話すこともなく駅への道を歩いた。

 気がつけば街路樹の桜の蕾が桃色に染まっている。

 あと数日で俺たちも結成5周年を迎えることになる――。

 俺はウラの横顔を見ながら自分がまるで溝鼠にでもなってしまったような気分になっていた。

 ただひたすらに、空に浮かぶ大きな月を見上げて何も出来ない溝鼠のような気分だ……。
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