悪魔の手の中 番外編

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楓side:悪魔が目覚めた日

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初めて彼を見た時、なんて哀れな生き物だろうと、思った。

恥ずかしげもなく泣きべそをかき、母親の体にしがみついてあやしてもらう。

物心ついた時から、両親から常に完璧を強要されてきて、難なくこなしてきた俺からしたらあり得ない愚かな行動だった。

「楓くん、ごめんね~。
真澄はすごく人見知りな子なの。
このとおり、私からなかなか離れなくてね…」

「大丈夫だよ。僕も同じ立場だったらお母さんと離れたくないし、きっと泣いちゃうと思う。

真澄くんはこのキャラクター知ってる?僕のクラスで、はやってるんだ。」

そんなみっともないこと、誰がするか。

そう思いながらも、小学一年生の頃から既に人受けする笑顔と態度、気遣いは心得ていて、初対面の真澄の母親と真澄の前でも、いつも通りにそれを披露した。

「あら、楓くんはとっても優しい子ね。」

当たり前だ。そう見えるように躾られたんだから。

他の子供や大人のように簡単に騙される真澄の母親に呆れの感情すら湧いてこない。

涙で瞳を潤ませたまま、真澄が俺の手のひらに乗っているキャラクターのぬいぐるみに恐る恐る手を伸ばした。

「真澄も好きよね。
いつもテレビの前から離れないのよ。」

母親の言葉通り、子供向け番組に登場する情けない顔した、そのぬいぐるみを真澄は自らの胸元に引き寄せて、大事そうに抱きしめる。

その不細工でチンケなぬいぐるみは、両親から買い与えられたものだ。あの人達は俺を完璧に躾けることに興味があるが、俺が何に興味があるかは、まるで分かっていなかった。

もしかしたら、知ろうという気もないのかもしれない。

「真澄、泣き止んだわね…。偉いわ。
楓くんも、ありがとう。」

にこりと柔らかい笑みを浮かべる真澄の母親は、つい先ほどまでみっともなく泣いていた息子のことを説教する気はないらしい。

俺が両親の前で同じことをしたら、やつらは教育という名のもと、どんな罰を強いるのだろうか。見ものではある。たまには、出来の悪い子供を演じてみるのもいいかもしれない。

「お母さんは天羽さんとちょっとお話してくるわね。真澄が明日から通う学校の話も聞いてくるの。

楓くんと仲良く、待っていられる?」

母親の言葉にコクリと真澄は無言で頷く。
泣いて涙の跡がついたぷっくりした頬を、真澄の母親が愛おしげに優しく撫でた。

「良い子ね。」

その光景を見て、何かが胸に引っかかったのを感じた。でも何かは分かりそうになかった。


真澄の母親が後にした俺の部屋で、真澄は黒目がちの瞳を俺に向けた。

泣いていた、その瞳は赤く充血してる。

すぐに気まずそうに瞳を逸らし、小さな腕の中にいる不細工なぬいぐるみを力一杯に抱きしめた。

母親と離れて内心、不安で仕方ないのだろう。

そんな真澄を見て、ある感情が頭をもたげる。

「ねぇ、真澄くんって、まだお母さんのおっぱいからミルク飲んでるの?」

泣いて母親から離れようとしなかった姿を、まるで赤ん坊のようだと揶揄しながら、その細い腕を掴む。

ビクリと小さな肩を震わせて、真澄がまたその黒目がちの瞳を俺に向ける。

瞳の奥が揺れていて、怯えているのが分かった。

「もしかして、オムツもつけてたりして?」

滑らかで柔らかいその肌の感触を確かめるように撫でる。

そして、ぎゅっとその皮膚を力強くつまんだ。

真澄の腕の中のぬいぐるみが、ぽとりとフローリングの上に落ちる。

みるみるうちにその瞳に涙が溜まり、ボロボロとこぼれ落ちる。

また泣いた。

でも泣いてはいるが、泣き喚いてはいない。

俺に怒鳴ったり、母親の名を呼んで助けを求めたり、声を張り上げて抵抗することもなかった。

しなかったのではなく、できなかったのだろう。

自分の思ってることを口にすることすら難しい、そんな性格。

なんて惨めなんだろう。

惨めだけど、俺の手一つで壊せそうなその弱すぎる生き物に加虐心というものが、初めて芽生えた。

その感情は今まで完璧を求められるがままに従い、生きてきた俺の渇ききった心に潤いを与えてくれた。

それでもこれから同じ学校に通い、親同士も親しくなるかもしれない子を痛めつけるのはリスクが高すぎる。

「ごめん。僕、意地悪なことしちゃったね。許してくれない?」

仕方なく自分の芽生えた欲求に蓋をし、真澄の腕から手を離し、謝る。

真澄は我慢するようにぎゅっと唇を結んで、静かに頷いた。

初めて真澄に抱いた感情は、お世辞にも綺麗なものではなかった。

それでもどんな時も俺の心を動かすのは、真澄しかいなかった。

初めて会った日のことを真澄は覚えていない。

俺の本性を覚えていたら、きっと、俺の隣にはいない。

だけどあの日、震える手で俺のネクタイを掴んで、強引に真澄の方からキスしてくれた帰り道。

不覚にも、希望を抱いてしまった。
こんな歪んだ俺でも受け入れてくれるのではないかと。

「ねぇ、真澄。俺の全てを受け入れてよ。
どんなに醜くても。

逃げないでね。」

だからあんな言葉を口走ってしまった。

唇を重ねる度に絡まって溶け合う唾液に、一つなれたような幸福感を、俺はこれからも忘れることはないだろう。
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