愛を忘れた令嬢が平民に扮した公爵子息様に娶られる話

rifa

文字の大きさ
48 / 58

47

 ミレーはオリヴァーに支えられながら立ち上がり、化粧室の洗面台付近に置いてあるちり紙を二枚取り、それを重ね折ってからアリサのほうへ向かった。
 ヒールが折れて歩きにくいので、オリヴァーを支えにしながら。
「オリヴァー。少しだけアリサが暴れないように押さえておいてくれる?」
「ああ」
 オリヴァーはアリサの背後に回ると、彼女が逃げられないように肩を掴んだ。
 するとアリサは借りてきた猫のようにおとなしくなり、潤んだ瞳でオリヴァーを見つめている。
 正直、今の目元で見つめられてもホラーにしかならないが、それに気づいていない様子だ。
 ミレーはアリサの顔を左手で押さえながら、右手に持ったちり紙で目元を優しく擦った。
「ちょ、なにするのよ……!」
 アリサが暴れようとするが、支えているのがオリヴァーだからか、抵抗が出来ない。
 それを幸いと、ミレーはアリサのメイクを落としてやった。
 思ったより簡単に拭き取れたため、改めて水で洗い流す必要はなさそうだ。
「よかった。綺麗に拭き取れたわ」
 ようやくアリサの目元が綺麗になり、先ほどまでの形相はなくなった。
 ミレーより若く、健康的な生活をしていたはずのアリサだが、メイクを取ると、化粧荒れした素肌をしていた。
 すっぴんを晒されたアリサは、オリヴァーから顔を背けて、ミレーを睨んだ。
「あんた、どういうつもり!? オリヴァー様の前で、人のメイクを取ってすっぴんを晒すなんて……!」
「安心して。あなたがメイクをしていようとしていなかろうと、オリヴァーがあなたになびくことなんて絶対にないから」
「はあぁぁ?! なにそれ、負け犬の遠吠え? 醜い女の嫉妬?」
「だって、あなた、もうバークスファー伯爵と結婚しているのでしょう? 既婚者にオリヴァーがなびくわけがないじゃない」
「そ、そんなことないわ! 愛があれば、オリヴァー様があの豚野郎と別れさせてくれ……」
「豚って、あなたは伯爵のもとに嫁いだのでしょう? いつ家畜に嫁いだの?」
 先ほどオリヴァーが言ったが流されたセリフを、ミレーが改めて伝えた。
「家畜のことじゃないわよ! 伯爵が豚だって言ったの! あんな、丸々太って脂滾った変態……! このドレスだって、私の好みじゃない! 全部あいつの……!」
「そんな悪口を言う人のところに、お父さまは私を嫁がせようとしたの?」
「あんたは豚と同じレベルなんだから問題ないでしょう! あばずれらしく、あんたがあいつの下で腰振ってりゃいいのよ! なんで私が……!」
「ミレー。オレはいつまでこいつの肩掴んでいなくちゃいけないんだ?」
 アリサの言葉を遮るように、オリヴァーが苛立った口調でミレーに話しかける。
「あ、もう顔のお掃除は終わったから、離れて良いわ。汚れ役を任せてごめんなさい。すぐに手を洗って消毒を……」
「ちょっと、あんたなに人をばい菌扱いしてるのよ!」
 ミレーの言葉に怒りを示したアリサの叫びに、オリヴァーが手を洗いながら目も見ずに答えた。
「だって、汚いだろう。お前」
「…………え」
「さっきだって、化粧が溶けて酷い顔して汚らしいお前の顔を、ミレーがマシに整えてくれたんだ。それに感謝することなく、旦那の悪口を言い、義姉だったミレーを罵り続けるお前の、どこが汚くないんだ?」
「っ……ゎ、わ、わたし……は……」
 アリサが声と身体を震わせ、手を洗って消毒をするオリヴァーの背を見つめ続ける。
「そもそも、愛がどうとか……どうしてオレがお前なんかを愛していることが前提なんだ?」
 手を洗い終えたオリヴァーに、ミレーは持っていたハンカチを手渡す。
「はっきり言ってやる。オレはお前になどまったく興味が無い。オレが愛しているのは、この世でただ一人、ここにいるミレー嬢だけだ」
 周囲のざわめきが大きくなる。
 きゃあと黄色い歓声もあれば、わぁっと泣きそうな声も聞こえる。
「……アリサ。あなたの姉だったコトと、あの日の感謝の気持ちも込めて、あなたがこの後で旦那さんに失望されないよう、酷いメイク崩れを落としただけ。メイクを落としたことに、それ以上の意味はないわ。仮にも伯爵夫人であるならば、身なりへの配慮はしっかりしなさい」
「あんたのほうが酷い身なりのくせに、何を偉そうに……!」
「酷い身なりにさせた張本人が言う?」
 オリヴァーが皮肉めいた口調で言うと、アリサはぐっと言葉を詰まらせる。
「もちろん私も、この後身なりを整えるわ。この場で整えることが出来ないだけよ。……オリヴァー、肩を貸してくれる?」
 お願いをされたオリヴァーは、顔を綻ばせて嬉しそうに駆け寄ってくる。
 ミレーはそんな子犬のような彼の腕に、自分の腕を絡ませた。
「……ところでミレー。あの日の感謝って、なんのことだ?」
 オリヴァーの質問に、ミレーは目を細めて言う。
「暴漢に襲われたあの日……私はアリサに使いを頼まれて外に出た。それを暴漢に襲わせたことは、今もとてもショックなの。でも、結果的にそれでオリヴァーと会えた。オリヴァーに助けてもらって看護されているうちに、私たちの間に愛が芽生えたのよ。あの日出来た心の傷も恐怖も、オリヴァーと二人でなら乗り越えて行ける。この先もずっと、この人と離れない。そう誓い合ったの」
「ミレー……」
 嬉しそうに見つめてくるオリヴァーに、ミレーも笑顔を向ける。
 そしてアリサへ向き直った。
「だから結果的にオリヴァーに逢うきっかけと、私たちが結ばれるきっかけを作ってくれたアリサには、とても感謝しているの。ありがとう」
 伝え終わると、ミレーはにっこりと笑みを浮かべた。
 化粧室の中は、先ほどのざわめきを忘れたように静まりかえっていた。化粧室の外から、パーティー会場に流れる音楽が聞こえるだけで、ここはしんと音をなくしている。
「オリヴァー、そろそろ行きましょう。けがを手当てして、身なりを整えないと」
「そうだな。よっと」
「え、ちょっ……!」
 オリヴァーはまたミレーを両手に抱きかかえた。
「こんな足元じゃ歩きにくいだろう。救護室に行くまでの間だ、こっちのほうが早い」
「う、うぅ……」
 恥ずかしいけれど、彼の言うコトが今はいい提案ではある。
 文句を言われないと分かったオリヴァーは、ふふんと満足そうに微笑んでから、化粧室を出て行こうとする。

 その去る背に、アリサが悲痛な声で呼び止めかける。
「か、感謝しているというのなら、その証明をしなさいよ! お、オリヴァー様の婚約者の座を私に譲るとか……! なにか証明……」
「見苦しいよ、おまえ」
 もう答えようとしないオリヴァーの代わりに、マルクが冷たい声でアリサをなじる。
 マルクの声に、アリサは心臓が止まったような感覚だった。
 オリヴァーとミレーが化粧室を出て行ったことを確認すると、マルクはアリサを蹴飛ばして、床に転がした。
「きゃっ!」
「大事な友人に気持ち悪い色仕掛けをして、人の妹を汚い言葉で罵って、あげく怪我をさせて……。お前このままで済むと思うなよ?」
 いつも穏やかな深緑の瞳に、怨讐の赤色が混じっている。
「い、いたい……ヒールが、ヒール折れちゃっ……」
 アリサはマルクの声にガタガタと震えながら、転倒した際に折れた足元のヒールを見る。
 それを見て、マルクの口元がゆるく弧を描いた。
「替えの靴に履き替えるか、もう帰れば?」
「…………」
 呆然とした表情でマルクを見つめるアリサ。
 おそらく他の令嬢も、アリサと同じ表情をしているだろう。
 穏やかな貴公子として知られるマルクの、こんな殺伐とした態度は見たことがなかったからだ。
 間近で彼からにじみ出る殺気を感じているアリサは、「殺されるのではないか」と怯えた。
 だが、それ以上マルクが何かをすることはなかった。
 マルクはエドワードのほうへ向き直り、丁寧に頭を下げる。
「城内でこのように見苦しい行為をしてしまったこと、深くお詫びいたします。どのような罰も受ける所存でございます」
「ん? 見ていなかった。なにかあったのか?」
 エドワードはマルクの謝罪を受けると、けろっとした口調で「何もみていなかった」と告げる。
「オレは何も見ていなかった。オレが何も見ていないということは、ここでは何も起きていなかった。……そうだろう?」
 エドワードは、そこに集まる野次馬に確認をするように語りかけた。
 この化粧室を一歩出れば、そのような雑な詭弁は成り立たないが、この化粧室の中で一番偉い立場にあるエドワードが「なにもない」と言えば、ここでは「なにもなかった」ことになる。
 それを弁えて、皆一様に化粧室を離れて行った。
 マルクとエドワード、そしてアリサだけが残った化粧室で、マルクはエドワードに頭を下げる。
「では、パーティーに戻ります」
「あぁ。ついでだからその前にあいつらの様子を見に行こうぜ」
「……オリヴァーと喧嘩をするためですか?」
「見舞いだっつーの」
 マルクとエドワードが言葉を交わしながら、化粧室を出て行く。
 取り残されたアリサはしばらく、化粧室の床で座り込んだまま呆然としていた。
感想 0

あなたにおすすめの小説

とっていただく責任などありません

まめきち
恋愛
騎士団で働くヘイゼルは魔物の討伐の際に、 団長のセルフイスを庇い、魔法陣を踏んでしまう。 この魔法陣は男性が踏むと女性に転換するもので、女性のヘイゼルにはほとんど影響のない物だった。だか国からは保証金が出たので、騎士を辞め、念願の田舎暮らしをしようとしたが!? ヘイゼルの事をずっと男性だと思っていたセルフイスは自分のせいでヘイゼルが職を失っただと思って来まい。 責任を取らなければとセルフイスから、 追いかけられる羽目に。

無能だとクビになったメイドですが、今は王宮で筆頭メイドをしています

如月ぐるぐる
恋愛
「お前の様な役立たずは首だ! さっさと出て行け!」 何年も仕えていた男爵家を追い出され、途方に暮れるシルヴィア。 しかし街の人々はシルビアを優しく受け入れ、宿屋で住み込みで働く事になる。 様々な理由により職を転々とするが、ある日、男爵家は爵位剥奪となり、近隣の子爵家の代理人が統治する事になる。 この地域に詳しく、元男爵家に仕えていた事もあり、代理人がシルヴィアに協力を求めて来たのだが…… 男爵メイドから王宮筆頭メイドになるシルビアの物語が、今始まった。

前世の記憶が蘇ったので、身を引いてのんびり過ごすことにします

柚木ゆず
恋愛
 ※明日(3月6日)より、もうひとつのエピローグと番外編の投稿を始めさせていただきます。  我が儘で強引で性格が非常に悪い、筆頭侯爵家の嫡男アルノー。そんな彼を伯爵令嬢エレーヌは『ブレずに力強く引っ張ってくださる自信に満ちた方』と狂信的に愛し、アルノーが自ら選んだ5人の婚約者候補の1人として、アルノーに選んでもらえるよう3年間必死に自分を磨き続けていました。  けれどある日無理がたたり、倒れて後頭部を打ったことで前世の記憶が覚醒。それによって冷静に物事を見られるようになり、ようやくアルノーは滅茶苦茶な人間だと気付いたのでした。 「オレの婚約者候補になれと言ってきて、それを光栄に思えだとか……。倒れたのに心配をしてくださらないどころか、異常が残っていたら候補者から脱落させると言い出すとか……。そんな方に夢中になっていただなんて、私はなんて愚かなのかしら」  そのためエレーヌは即座に、候補者を辞退。その出来事が切っ掛けとなって、エレーヌの人生は明るいものへと変化してゆくことになるのでした。

酒の席での戯言ですのよ。

ぽんぽこ狸
恋愛
 成人前の令嬢であるリディアは、婚約者であるオーウェンの部屋から聞こえてくる自分の悪口にただ耳を澄ませていた。  何度もやめてほしいと言っていて、両親にも訴えているのに彼らは総じて酒の席での戯言だから流せばいいと口にする。  そんな彼らに、リディアは成人を迎えた日の晩餐会で、仕返しをするのだった。

目覚めたら公爵夫人でしたが夫に冷遇されているようです

MIRICO
恋愛
フィオナは没落寸前のブルイエ家の長女。体調が悪く早めに眠ったら、目が覚めた時、夫のいる公爵夫人セレスティーヌになっていた。 しかし、夫のクラウディオは、妻に冷たく視線を合わせようともしない。 フィオナはセレスティーヌの体を乗っ取ったことをクラウディオに気付かれまいと会う回数を減らし、セレスティーヌの体に入ってしまった原因を探そうとするが、原因が分からぬままセレスティーヌの姉の子がやってきて世話をすることに。 クラウディオはいつもと違う様子のセレスティーヌが気になり始めて……。 ざまあ系ではありません。恋愛中心でもないです。事件中心軽く恋愛くらいです。 番外編は暗い話がありますので、苦手な方はお気を付けください。 ご感想ありがとうございます!! 誤字脱字等もお知らせくださりありがとうございます。順次修正させていただきます。 小説家になろう様に掲載済みです。

突然決められた婚約者は人気者だそうです。押し付けられたに違いないので断ってもらおうと思います。

橘ハルシ
恋愛
 ごくごく普通の伯爵令嬢リーディアに、突然、降って湧いた婚約話。相手は、騎士団長の叔父の部下。侍女に聞くと、どうやら社交界で超人気の男性らしい。こんな釣り合わない相手、絶対に叔父が権力を使って、無理強いしたに違いない!  リーディアは相手に遠慮なく断ってくれるよう頼みに騎士団へ乗り込むが、両親も叔父も相手のことを教えてくれなかったため、全く知らない相手を一人で探す羽目になる。  怪しい変装をして、騎士団内をうろついていたリーディアは一人の青年と出会い、そのまま一緒に婚約者候補を探すことに。  しかしその青年といるうちに、リーディアは彼に好意を抱いてしまう。 全21話(本編20話+番外編1話)です。

【完結】妹ばかり愛され追い出された姉ですが、無口な夫と暮らす日々が幸せすぎます

コトミ
恋愛
 セラフィナは、実の親と、妹によって、家から追い出されることとなった。セラフィナがまだ幼い頃、両親は病弱なカタリナのため設備環境が良い王都に移り住んだ。姉のセラフィナは元々両親とともに住んでいた田舎に使用人のマーサの二人きりで暮らすこととなった。お金のない子爵家な上にカタリナのためお金を稼がなくてはならないため、子供二人を王都で暮らすには無理があるとセラフィナだけ残されたのだ。そしてセラフィナが19歳の時、3人が家へ戻ってきた。その理由はカタリナの婚約が上手くいかず王宮にいずらくなったためだ。やっと家族で暮らせると心待ちにしていたセラフィナは帰宅した父に思いがけないことを告げられる。 「お前はジェラール・モンフォール伯爵と結婚することになった。すぐに荷物をまとめるんだ。一週間後には結婚式だ」  困惑するセラフィナに対して、冷酷にも時間は進み続け、結婚生活が始まる。

【完結】身を引いたつもりが逆効果でした

風見ゆうみ
恋愛
6年前に別れの言葉もなく、あたしの前から姿を消した彼と再会したのは、王子の婚約パレードの時だった。 一緒に遊んでいた頃には知らなかったけれど、彼は実は王子だったらしい。しかもあたしの親友と彼の弟も幼い頃に将来の約束をしていたようで・・・・・。 平民と王族ではつりあわない、そう思い、身を引こうとしたのだけど、なぜか逃してくれません! というか、婚約者にされそうです!