誤召喚されたら生徒がアホ王子だった~歴女大学生、古今東西の人物史で教育する~

古木しお

文字の大きさ
38 / 56
アホ王子への教育とこの異世界

第37講 『味覚と哲学とブリア=サヴァラン ~“食べる”が“生きる”になった時~』

しおりを挟む
 昼時。王宮の大食堂に、嵐が吹き荒れていた。

「なんだこのスープ! ぬるい! 味がぼやけてる!」
 ケイ王子が匙を置いて叫ぶ。

「殿下、申し訳ございません!」
 料理長が額に汗を浮かべて頭を下げた。

 私は隣でパンをかじりながら、苦笑いを浮かべた。
「お前、食堂で怒鳴るのやめろ。スープが凍るぞ」
「だってまずいんだもん! 王族の食事がこれじゃ、夢がない!」
「夢のある食卓ねぇ……」

 私はフォークを置いて、軽くため息をついた。
「美食家か。そういう奴なら、私の世界にもいたな……」
「へぇ? 誰だよ、そいつ」
「海原……じゃなくて、ブリア=サヴァラン。」
「誰!?」
「“味覚の哲学者”だ。お前みたいに文句ばっか言ってたが、
 食の本質を悟った偉人だよ」

 ケイ王子の目がきらりと光る。
「哲学者? 食べながら考える奴?」
「そう。食いながら世界を語った変人だ」

  *

「時は十八世紀末、フランス。革命と戦争の荒波の中に、“一人の弁護士”がいた。
 名前は――ジャン・アンテルム・ブリア=サヴァラン。」

 私は黒板に「味覚=文化×哲学」と書いた。

「彼は政治家でもあり、音楽家でもあり、そして大食漢だった。
 だが単なる食いしん坊じゃない。“味”という感覚を哲学の領域に持ち込んだ最初の人物だ」

 ケイ王子はパンを頬張りながら聞いている。
「つまり“食いながら考える人”?」
「そう、“思索するグルメ”。彼の代表作は――
 『美味礼讃(Physiologie du Goût)』。
 これは“味覚の生理学”って意味だ」

 私は黒板に有名な一節を書き出す。

『あなたが何を食べているかを言ってごらん。
そうすれば、あなたがどんな人間かを当ててみせよう。』

「これ、あいつの言葉だ」

「へぇ、かっけーな……」
「つまり、食はその人の生き方そのものってこと。
 ただの贅沢じゃなく、“文化の鏡”だと彼は言った」

 チョークが走る。
「フランス革命の混乱で国がボロボロでも、
 人が“味を楽しむ心”を失わなければ文明は死なない。
 サヴァランはそう信じた。
 食事を整えることは、“人を幸せにする政治”でもあったんだ」

「……え、料理って政治なの?」
「そう。彼にとって“料理人”は芸術家であり、外交官だった。
 ――食卓を囲めば敵も笑う。パンを分け合えば戦も終わる」

「なんか、ナイチンゲールと似てんな。人を救うって点が」
「お、いいとこ突くな。
 サヴァランは“人は食で救われる”と考えた。
 栄養じゃなく、“心を満たす味”。」

 私は少し笑って言った。
「で、彼の口癖がこれだ。
 『食卓は人を結びつける最後の絆である。』」

 教室が静まり返った。
 ケイ王子はパンを止めて、呟くように言った。
「……じゃあ、僕も“民が笑う食卓”を作る王になるか」
「それができたら、お前はサヴァラン超えだな」

 私はチョークを置き、静かに目を閉じた。
 不意に、あの独特のフランス語訛りの声が自分の中から響いた気がした。

「――人は食べるために生きるにあらず。
 生きるために、食を味わうのだ。
 味わうこと、それは“生”を愛することだ。」

「きたっ! コヒロの憑依魔術!!」
 ケイ王子が大声を上げる。
 リョーキューが呆れながら「また始まりましたね」と羊皮紙にメモしている。


 講義が終わると、王子はしばらく黙っていた。
 やがて、ぽつりと呟いた。

「……食べるって、生きることそのものなんだな」
「そうだ。だからお前のスープへの文句も、命がけの主張なんだよ」
「え、マジで!? じゃあ僕、食の哲学者だ!」
「違ぇよ!!!」

 その日の夜、王子は王宮の厨房に乗り込んだ。
 料理長や職人たちを呼び集め、こう宣言した。

「王宮料理を“民の舌”で決める!
 来週、“第一回トラディア王国美味礼讃祭”を開催する!!」

 *

 ……翌週。
 城下から庶民たちが集まり、王宮中庭は大混乱になった。
 出店・試食・即興の料理対決。
 王子は真顔で審査員席に座り、パンを千切って味見している。

「うーん、こっちは庶民の幸福があるな! 星三つ!」
「殿下、それ別の世界の採点方式です!」
 私は頭を抱えながらも、笑ってしまった。

(……サヴァラン、見てるか?
 あんたの“食の哲学”は、異世界でもちゃんと受け継がれてるぞ)
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

敵に貞操を奪われて癒しの力を失うはずだった聖女ですが、なぜか前より漲っています

藤谷 要
恋愛
サルサン国の聖女たちは、隣国に征服される際に自国の王の命で殺されそうになった。ところが、侵略軍将帥のマトルヘル侯爵に助けられた。それから聖女たちは侵略国に仕えるようになったが、一か月後に筆頭聖女だったルミネラは命の恩人の侯爵へ嫁ぐように国王から命じられる。 結婚披露宴では、陛下に側妃として嫁いだ旧サルサン国王女が出席していたが、彼女は侯爵に腕を絡めて「陛下の手がつかなかったら一年後に妻にしてほしい」と頼んでいた。しかも、侯爵はその手を振り払いもしない。 聖女は愛のない交わりで神の加護を失うとされているので、当然白い結婚だと思っていたが、初夜に侯爵のメイアスから体の関係を迫られる。彼は命の恩人だったので、ルミネラはそのまま彼を受け入れた。 侯爵がかつての恋人に似ていたとはいえ、侯爵と孤児だった彼は全く別人。愛のない交わりだったので、当然力を失うと思っていたが、なぜか以前よりも力が漲っていた。 ※全11話 2万字程度の話です。

【㊗️受賞!】神のミスで転生したけど、幼児化しちゃった!〜もふもふと一緒に、異世界ライフを楽しもう!〜

一ノ蔵(いちのくら)
ファンタジー
※第18回ファンタジー小説大賞にて、奨励賞を受賞しました!投票して頂いた皆様には、感謝申し上げますm(_ _)m ✩物語は、ゆっくり進みます。冒険より、日常に重きありの異世界ライフです。 【あらすじ】 神のミスにより、異世界転生が決まったミオ。調子に乗って、スキルを欲張り過ぎた結果、幼児化してしまった!   そんなハプニングがありつつも、ミオは、大好きな異世界で送る第二の人生に、希望いっぱい!  事故のお詫びに遣わされた、守護獣神のジョウとともに、ミオは異世界ライフを楽しみます! カクヨム(吉野 ひな)にて、先行投稿しています。

祝・定年退職!? 10歳からの異世界生活

空の雲
ファンタジー
中田 祐一郎(なかたゆういちろう)60歳。長年勤めた会社を退職。 最後の勤めを終え、通い慣れた電車で帰宅途中、突然の衝撃をうける。 ――気付けば、幼い子供の姿で見覚えのない森の中に…… どうすればいいのか困惑する中、冒険者バルトジャンと出会う。 顔はいかついが気のいいバルトジャンは、行き場のない子供――中田祐一郎(ユーチ)の保護を申し出る。 魔法や魔物の存在する、この世界の知識がないユーチは、迷いながらもその言葉に甘えることにした。 こうして始まったユーチの異世界生活は、愛用の腕時計から、なぜか地球の道具が取り出せたり、彼の使う魔法が他人とちょっと違っていたりと、出会った人たちを驚かせつつ、ゆっくり動き出す―― ※2月25日、書籍部分がレンタルになりました。

おばさんは、ひっそり暮らしたい

波間柏
恋愛
30歳村山直子は、いわゆる勝手に落ちてきた異世界人だった。 たまに物が落ちてくるが人は珍しいものの、牢屋行きにもならず基礎知識を教えてもらい居場所が分かるように、また定期的に国に報告する以外は自由と言われた。 さて、生きるには働かなければならない。 「仕方がない、ご飯屋にするか」 栄養士にはなったものの向いてないと思いながら働いていた私は、また生活のために今日もご飯を作る。 「地味にそこそこ人が入ればいいのに困るなぁ」 意欲が低い直子は、今日もまたテンション低く呟いた。 騎士サイド追加しました。2023/05/23 番外編を不定期ですが始めました。

異世界に行った、そのあとで。

神宮寺 あおい
恋愛
新海なつめ三十五歳。 ある日見ず知らずの女子高校生の異世界転移に巻き込まれ、気づけばトルス国へ。 当然彼らが求めているのは聖女である女子高校生だけ。 おまけのような状態で現れたなつめに対しての扱いは散々な中、宰相の協力によって職と居場所を手に入れる。 いたって普通に過ごしていたら、いつのまにか聖女である女子高校生だけでなく王太子や高位貴族の子息たちがこぞって悩み相談をしにくるように。 『私はカウンセラーでも保健室の先生でもありません!』 そう思いつつも生来のお人好しの性格からみんなの悩みごとの相談にのっているうちに、いつの間にか年下の美丈夫に好かれるようになる。 そして、気づけば異世界で求婚されるという本人大混乱の事態に!

『異世界に転移した限界OL、なぜか周囲が勝手に盛り上がってます』

宵森みなと
ファンタジー
ブラック気味な職場で“お局扱い”に耐えながら働いていた29歳のOL、芹澤まどか。ある日、仕事帰りに道を歩いていると突然霧に包まれ、気がつけば鬱蒼とした森の中——。そこはまさかの異世界!?日本に戻るつもりは一切なし。心機一転、静かに生きていくはずだったのに、なぜか事件とトラブルが次々舞い込む!?

ぽっちゃり女子の異世界人生

猫目 しの
ファンタジー
大抵のトリップ&転生小説は……。 最強主人公はイケメンでハーレム。 脇役&巻き込まれ主人公はフツメンフツメン言いながらも実はイケメンでモテる。 落ちこぼれ主人公は可愛い系が多い。 =主人公は男でも女でも顔が良い。 そして、ハンパなく強い。 そんな常識いりませんっ。 私はぽっちゃりだけど普通に生きていたい。   【エブリスタや小説家になろうにも掲載してます】

ゲーム未登場の性格最悪な悪役令嬢に転生したら推しの妻だったので、人生の恩人である推しには離婚して私以外と結婚してもらいます!

クナリ
ファンタジー
江藤樹里は、かつて画家になることを夢見ていた二十七歳の女性。 ある日気がつくと、彼女は大好きな乙女ゲームであるハイグランド・シンフォニーの世界へ転生していた。 しかし彼女が転生したのは、ヘビーユーザーであるはずの自分さえ知らない、ユーフィニアという女性。 ユーフィニアがどこの誰なのかが分からないまま戸惑う樹里の前に、ユーフィニアに仕えているメイドや、樹里がゲーム内で最も推しているキャラであり、どん底にいたときの自分の心を救ってくれたリルベオラスらが現れる。 そして樹里は、絶世の美貌を持ちながらもハイグラの世界では稀代の悪女とされているユーフィニアの実情を知っていく。 国政にまで影響をもたらすほどの悪名を持つユーフィニアを、最愛の恩人であるリルベオラスの妻でいさせるわけにはいかない。 樹里は、ゲーム未登場ながら圧倒的なアクの強さを持つユーフィニアをリルベオラスから引き離すべく、離婚を目指して動き始めた。

処理中です...