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森林警備隊の青年に送られ、僕たちが最寄りの町のビジネスホテルに辿り着いたのは、陽が落ちてからのことだった。
泥だらけの服を着替え、シャワーを浴びて、ようやく人心地つく。
狭いユニットバスから出ると、ベッドの上でリュカが膝を抱えて座っていた。
「……さっぱりしたよ。リュカも、温まった?」
『……ああ』
彼は子供の姿のまま、短く答えた。
その視線は床の一点を見つめたままだ。いつもの尊大な態度は影を潜め、どこか思い詰めたような空気を纏っている。
無理もない。あんな修羅場をくぐり抜けたばかりだ。
「今日はもう疲れたね。コンビニで買ってきたおにぎり食べて、泥のように眠ろう」
僕は努めて明るく振る舞い、買ってきた夕食を広げた。
リュカは黙々とおにぎりを食べたが、いつもなら目を輝かせるツナマヨにさえ、反応が薄い。
「……怪我、痛む?」
『いや。貴様の処置のおかげで、塞がってきている』
「そっか。よかった」
食事を終え、電気を消してベッドに入る。
狭いシングルベッドだが、今のリュカは子供サイズなので窮屈さはない。
いつもなら、すぐに温かい体温が寄ってくるはずなのに、今夜のリュカは背中を向けて、ベッドの端で丸まっていた。
「リュカ……?」
『……寝ろ。明日は早い』
拒絶するような声色。
僕は胸の奥に小さな棘が刺さったような痛みを感じながら、それでも疲労には勝てず、重い瞼を閉じた。
ふと、寒さで目が覚めた。
隣にあったはずの温もりが消えている。
「……リュカ?」
手探りで隣を探るが、シーツは冷たくなっていた。
時計を見ると、深夜二時。
トイレだろうか。そう思って身を起こしかけ、僕は見てしまった。
部屋のドアノブに手をかけ、そっと出て行こうとする小さな背中を。
「――どこに行くつもり?」
僕の声に、リュカの肩がビクリと跳ねた。
彼はゆっくりと振り返る。非常口の誘導灯の薄明かりに照らされたその顔は、泣き出しそうなほど歪んでいた。
『……起きたのか』
「トイレにしては、荷物まですべて持っているね」
彼の手には、自分の着替えが入った袋が握られている。
僕の問いかけに、リュカは観念したように息を吐いた。
『……発つなら、今だと思ったのだ』
「発つって、どこへ?」
『貴様のいない場所へだ』
リュカはドアから手を離し、僕の方へ向き直った。けれど、その目は僕を見ていない。
『我と一緒にいれば、貴様はまた危険な目に遭う。今回は運良く助かったが、次はどうなるかわからん』
「だから、出て行くって言うの?」
『そうだ。奴らが狙っているのは「銀狼」だ。我さえいなくなれば、貴様は元の平穏な生活に戻れる』
彼は拳をぎゅっと握りしめた。
『貴様は弱く、脆い人間だ。我のエゴで連れ回し、あまつさえ盾にさせて傷を負わせた……。これ以上、我のせいで貴様が傷つくのは耐えられん』
それが、彼の出した結論だった。
僕を守るために、僕の前から消える。
いかにも彼らしい、不器用で、独りよがりな優しさ。
僕はベッドから降りて、彼へと近づいた。
「……馬鹿だなぁ、リュカは」
『なに……?』
「僕が『はいそうですか』って納得すると思ったの? 何も言わずにいなくなるなんて、一番卑怯なやり方じゃないか」
『卑怯で構わん! 貴様が生き延びてくれるなら、我は……!』
「僕の気持ちは無視?」
僕はリュカの目の前でしゃがみ込み、彼の両肩を掴んだ。
子供の姿の彼は、今の僕よりもずっと小さい。けれど、その瞳に宿る悲壮な決意は、痛いほど伝わってくる。
「言ったよね。僕たちは家族だって。対等の伴侶だって」
『……それは、貴様を守れる力が我にあった時の話だ。今の我は、貴様のお荷物でしかない』
「お荷物なんかじゃない!」
僕は声を荒げた。
「家事もできない、世間の常識も知らない、すぐ喧嘩腰になる。確かに君は手のかかる同居人だよ。でもね」
僕は彼を抱き寄せた。
小さな身体が、僕の腕の中で強張る。
「君がいなくなったら、誰が野菜をあんなに美味しくしてくれるの? 誰が寒い夜に僕を温めてくれるの? ……誰が、僕の作ったご飯を『美味い』って笑ってくれるのさ」
『……そんなこと、他の誰かでも……』
「代わりなんていない!」
僕は彼の言葉を遮った。
「僕は、リュカじゃなきゃダメなんだ。神獣だからとか、守ってくれるからとか、そんな損得勘定じゃない」
僕は彼の耳元で、はっきりと告げた。
「僕は、君のことが大好きなんだよ。君がいない未来なんて、ちっとも幸せじゃない」
リュカの身体から、力が抜けた。
彼は震える手で、僕の服の裾を掴んだ。
『……我は、貴様を不幸にするかもしれんぞ』
「その時は一緒に不幸になろうよ。一人で幸せになるより、二人で苦労する方がずっとマシだ」
『……物好きな人間め』
リュカの声が湿り気を帯びる。
彼は僕の胸に顔を押し付け、くぐもった声で言った。
『行くなと言ってくれ。我を、必要だと言ってくれ』
「行かないで。僕には君が必要だ。……一生、僕のそばにいて」
それが、僕の偽らざる本心だった。
リュカは小さく嗚咽を漏らすと、僕の首に腕を回し、力いっぱいしがみついてきた。
子供の姿でも、その力は強かった。
痛いくらいの抱擁。それが、彼の答えだった。
『……わかった。もう、離れん』
彼は顔を上げ、潤んだ瞳で僕を見つめた。
そして、背伸びをして、僕の唇に自分の唇を重ねた。
チュッ。
軽い、触れるだけのキス。
けれど、そこには誓いのような熱が込められていた。
『貴様がそこまで言うのなら、仕方がない。……死ぬまで、我の世話を焼かせてやる』
「ふふ、偉そうだなぁ」
「当然だ。我は神獣だからな」
いつもの口調に戻った彼を見て、僕は安堵のため息をついた。
僕は彼を抱き上げたまま、ベッドへと戻った。
毛布に包まり、今度こそ逃がさないように、手足を絡ませて抱きしめる。
「明日は、どこへ行こうか」
『どこでもいい。貴様がいる場所が、我の居場所だ』
リュカが僕の懐に潜り込み、温かい体温を伝えてくる。
その温もりに包まれながら、僕は思った。
大変なことはこれからも山積みだろう。
でも、雨降って地固まる、ということわざがあるように。
この逃避行が、僕たちの絆を、もう誰にも断ち切れないほど強くしてくれたのだと。
泥だらけの服を着替え、シャワーを浴びて、ようやく人心地つく。
狭いユニットバスから出ると、ベッドの上でリュカが膝を抱えて座っていた。
「……さっぱりしたよ。リュカも、温まった?」
『……ああ』
彼は子供の姿のまま、短く答えた。
その視線は床の一点を見つめたままだ。いつもの尊大な態度は影を潜め、どこか思い詰めたような空気を纏っている。
無理もない。あんな修羅場をくぐり抜けたばかりだ。
「今日はもう疲れたね。コンビニで買ってきたおにぎり食べて、泥のように眠ろう」
僕は努めて明るく振る舞い、買ってきた夕食を広げた。
リュカは黙々とおにぎりを食べたが、いつもなら目を輝かせるツナマヨにさえ、反応が薄い。
「……怪我、痛む?」
『いや。貴様の処置のおかげで、塞がってきている』
「そっか。よかった」
食事を終え、電気を消してベッドに入る。
狭いシングルベッドだが、今のリュカは子供サイズなので窮屈さはない。
いつもなら、すぐに温かい体温が寄ってくるはずなのに、今夜のリュカは背中を向けて、ベッドの端で丸まっていた。
「リュカ……?」
『……寝ろ。明日は早い』
拒絶するような声色。
僕は胸の奥に小さな棘が刺さったような痛みを感じながら、それでも疲労には勝てず、重い瞼を閉じた。
ふと、寒さで目が覚めた。
隣にあったはずの温もりが消えている。
「……リュカ?」
手探りで隣を探るが、シーツは冷たくなっていた。
時計を見ると、深夜二時。
トイレだろうか。そう思って身を起こしかけ、僕は見てしまった。
部屋のドアノブに手をかけ、そっと出て行こうとする小さな背中を。
「――どこに行くつもり?」
僕の声に、リュカの肩がビクリと跳ねた。
彼はゆっくりと振り返る。非常口の誘導灯の薄明かりに照らされたその顔は、泣き出しそうなほど歪んでいた。
『……起きたのか』
「トイレにしては、荷物まですべて持っているね」
彼の手には、自分の着替えが入った袋が握られている。
僕の問いかけに、リュカは観念したように息を吐いた。
『……発つなら、今だと思ったのだ』
「発つって、どこへ?」
『貴様のいない場所へだ』
リュカはドアから手を離し、僕の方へ向き直った。けれど、その目は僕を見ていない。
『我と一緒にいれば、貴様はまた危険な目に遭う。今回は運良く助かったが、次はどうなるかわからん』
「だから、出て行くって言うの?」
『そうだ。奴らが狙っているのは「銀狼」だ。我さえいなくなれば、貴様は元の平穏な生活に戻れる』
彼は拳をぎゅっと握りしめた。
『貴様は弱く、脆い人間だ。我のエゴで連れ回し、あまつさえ盾にさせて傷を負わせた……。これ以上、我のせいで貴様が傷つくのは耐えられん』
それが、彼の出した結論だった。
僕を守るために、僕の前から消える。
いかにも彼らしい、不器用で、独りよがりな優しさ。
僕はベッドから降りて、彼へと近づいた。
「……馬鹿だなぁ、リュカは」
『なに……?』
「僕が『はいそうですか』って納得すると思ったの? 何も言わずにいなくなるなんて、一番卑怯なやり方じゃないか」
『卑怯で構わん! 貴様が生き延びてくれるなら、我は……!』
「僕の気持ちは無視?」
僕はリュカの目の前でしゃがみ込み、彼の両肩を掴んだ。
子供の姿の彼は、今の僕よりもずっと小さい。けれど、その瞳に宿る悲壮な決意は、痛いほど伝わってくる。
「言ったよね。僕たちは家族だって。対等の伴侶だって」
『……それは、貴様を守れる力が我にあった時の話だ。今の我は、貴様のお荷物でしかない』
「お荷物なんかじゃない!」
僕は声を荒げた。
「家事もできない、世間の常識も知らない、すぐ喧嘩腰になる。確かに君は手のかかる同居人だよ。でもね」
僕は彼を抱き寄せた。
小さな身体が、僕の腕の中で強張る。
「君がいなくなったら、誰が野菜をあんなに美味しくしてくれるの? 誰が寒い夜に僕を温めてくれるの? ……誰が、僕の作ったご飯を『美味い』って笑ってくれるのさ」
『……そんなこと、他の誰かでも……』
「代わりなんていない!」
僕は彼の言葉を遮った。
「僕は、リュカじゃなきゃダメなんだ。神獣だからとか、守ってくれるからとか、そんな損得勘定じゃない」
僕は彼の耳元で、はっきりと告げた。
「僕は、君のことが大好きなんだよ。君がいない未来なんて、ちっとも幸せじゃない」
リュカの身体から、力が抜けた。
彼は震える手で、僕の服の裾を掴んだ。
『……我は、貴様を不幸にするかもしれんぞ』
「その時は一緒に不幸になろうよ。一人で幸せになるより、二人で苦労する方がずっとマシだ」
『……物好きな人間め』
リュカの声が湿り気を帯びる。
彼は僕の胸に顔を押し付け、くぐもった声で言った。
『行くなと言ってくれ。我を、必要だと言ってくれ』
「行かないで。僕には君が必要だ。……一生、僕のそばにいて」
それが、僕の偽らざる本心だった。
リュカは小さく嗚咽を漏らすと、僕の首に腕を回し、力いっぱいしがみついてきた。
子供の姿でも、その力は強かった。
痛いくらいの抱擁。それが、彼の答えだった。
『……わかった。もう、離れん』
彼は顔を上げ、潤んだ瞳で僕を見つめた。
そして、背伸びをして、僕の唇に自分の唇を重ねた。
チュッ。
軽い、触れるだけのキス。
けれど、そこには誓いのような熱が込められていた。
『貴様がそこまで言うのなら、仕方がない。……死ぬまで、我の世話を焼かせてやる』
「ふふ、偉そうだなぁ」
「当然だ。我は神獣だからな」
いつもの口調に戻った彼を見て、僕は安堵のため息をついた。
僕は彼を抱き上げたまま、ベッドへと戻った。
毛布に包まり、今度こそ逃がさないように、手足を絡ませて抱きしめる。
「明日は、どこへ行こうか」
『どこでもいい。貴様がいる場所が、我の居場所だ』
リュカが僕の懐に潜り込み、温かい体温を伝えてくる。
その温もりに包まれながら、僕は思った。
大変なことはこれからも山積みだろう。
でも、雨降って地固まる、ということわざがあるように。
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