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ビジネスホテルのチェックアウトを済ませ、僕たちはバス停に立っていた。
行き先は、この路線の終点。山奥のさらに奥にある、過疎の村だ。
「……ミナトよ。まだ着かんのか」
僕のリュックの中から、不満げな声が聞こえてくる。
顔を出すと目立つので、リュカには銀色の子犬の姿になってもらい、リュックに入ってもらっているのだ。
「もうすぐだよ。我慢して」
『狭い。暗い。揺れる。……不愉快だ』
「文句言わないの。昨日の夜はあんなに素直だったのに」
『……ッ! 昨夜のことは忘れるのだ! あれは……魔力枯渇による一時的な精神退行だ!』
リュックの中でモゾモゾと動く気配がする。照れている証拠だ。
あの後、僕たちは互いの想いを確認し合い、泥のように眠った。
朝起きたら、リュカはすっかりいつもの尊大な口調に戻っていたけれど、その態度は以前より少しだけ柔らかくなっていた。僕を見る目が、どこか甘いのだ。
バスが到着し、僕たちは乗り込んだ。
乗客はまばらで、一番後ろの席に陣取る。
エンジンの振動が心地よいのか、リュックの中のリュカはすぐに静かになった。
一時間ほど揺られ、終点のバス停に降り立つ。
そこは、山と田んぼに囲まれた、静かな集落だった。
コンビニもない。信号機さえない。あるのは、豊かな自然と澄んだ空気だけ。
「……ここなら、誰も追ってこないね」
僕はリュックを開けた。
ひょこっ、と銀色の顔が飛び出してくる。
鼻をヒクヒクさせて周囲の匂いを嗅ぐと、リュカはポンッと煙を出して、子供の姿に戻った。
「うむ。……悪くない空気だ。精霊の気配も濃い」
十歳児姿のリュカが、生意気そうに腕を組んで頷く。
ブカブカの服が、相変わらず愛くるしい。
「ここから少し山に入ったところに、古い神社があるんだって。今はもう誰も管理してなくて廃墟になってるらしいけど……そこを借りようかと思って」
「廃墟か。……フン、貴様と我の愛の巣にするには少々ボロいが、まあいいだろう」
「愛の巣って言わないでくれる? 空き家バンクで見つけた物件だよ」
ネットで調べたわけではない。以前、お梅さんが「あそこの神社の裏手は気がいい」と言っていたのを思い出して、役場に問い合わせてみたのだ。
持ち主はもうおらず、管理してくれるならタダ同然で住んでいいという話だった。
山道を登ること二十分。
木々が開け、古びた鳥居が見えてきた。
その奥に、小さなお社と、神職が寝泊まりしていたと思われる社務所がひっそりと建っていた。
「……ここか」
瓦はところどころ欠け、壁には蔦が這っている。庭は雑草だらけだ。
けれど、不思議と荒れ果てた感じはしなかった。
木漏れ日が優しく降り注ぎ、風がサワサワと木々を揺らす。
なんとなく、前の家と同じような「懐かしさ」を感じた。
「どうかな、リュカ」
僕が尋ねると、リュカは境内をスタスタと歩き回り、社務所の縁側に腰掛けた。
「……良い場所だ」
彼は満足げに目を細めた。
「結界の残滓を感じる。かつては、ここにも神獣かそれに近しいものが祀られていたのだろう。……我らが住むには丁度いい」
「よかった。……じゃあ、ここを僕たちの新しい家にしよう」
僕はリュックをろし、大きく伸びをした。
ここなら、誰にも邪魔されない。
畑を作るスペースも十分にあるし、裏山には木の実や山菜もありそうだ。
何より、リュカが本来の姿で走り回っても、誰にも見咎められない。
「まずは掃除からだな」
リュカが立ち上がり、小さな腕まくりをした。
「我の魔力が戻れば一瞬で片付くが……今は貴様の手を借りるしかない」
「はいはい。また二人で頑張ろうね」
僕たちは顔を見合わせて笑った。
家を追われ、職を失い、何もかもゼロからのスタート。
普通なら絶望的な状況かもしれない。
でも、不思議と心は晴れやかだった。
雑巾がけをして、窓を開け放つ。
畳を叩き、積もった埃を払い落とす。
二人で働く時間は、やっぱり楽しい。
リュカは身体が小さい分、狭い隙間の掃除を担当してくれた。「埃まみれだ!」と文句を言いながらも、その表情は生き生きとしている。
夕方。
掃除を終え、綺麗になった縁側で、僕たちは並んで座った。
買ってきたお茶と、お饅頭で一服する。
「……ふぅ。いい風だ」
リュカがお茶をすすりながら、大人びた溜息をつく。見た目は子供なのに、中身はやっぱりお爺ちゃんだ。
「ねえ、リュカ」
「なんだ」
「僕、決めたよ」
僕は夕焼けに染まる空を見上げながら言った。
「もう、逃げない。ここで、君と一緒に生きていく」
会社から逃げて、前の家からも逃げて。
ずっと「仮初め」の生活だと思っていた。いつか終わる夢だと。
でも、もう違う。
ここは僕が選んだ場所だ。彼と共に生きると決めた、僕たちの城だ。
「……フン。当たり前だ」
リュカは饅頭を口に放り込み、もぐもぐと咀嚼してから言った。
「貴様は我の番だと言っただろう。骨が土に還るまで、いや、魂が輪廻の輪に戻るまで、我のそばにいてもらう」
「重いなぁ……。でも、望むところだよ」
僕は彼の頭を撫でた。
サラサラの銀髪。温かい体温。
この小さな身体が、いつかまた大きく逞しい姿に戻るその日まで。いや、戻ってからもずっと。
僕は彼を守り、彼に守られて生きていくんだ。
「さて、夕飯にしようか。今日は買ってきたお弁当だけど」
「肉は入っているのか?」
「唐揚げ弁当だよ」
「でかした! 貴様はやはり有能な飼い主だ」
リュカがパァッと顔を輝かせる。
その無邪気な笑顔を見ているだけで、僕の心は満たされた。
何もない山奥の廃神社。
不便だし、虫も出るし、冬は寒そうだ。
けれど、ここには「愛」がある。
ポンコツで、尊大で、寂しがり屋な神獣様との、新しい生活。
それはきっと、どんな都会の暮らしよりも、豊かで温かいものになるはずだ。
日が落ちて、一番星が光りだす。
行き先は、この路線の終点。山奥のさらに奥にある、過疎の村だ。
「……ミナトよ。まだ着かんのか」
僕のリュックの中から、不満げな声が聞こえてくる。
顔を出すと目立つので、リュカには銀色の子犬の姿になってもらい、リュックに入ってもらっているのだ。
「もうすぐだよ。我慢して」
『狭い。暗い。揺れる。……不愉快だ』
「文句言わないの。昨日の夜はあんなに素直だったのに」
『……ッ! 昨夜のことは忘れるのだ! あれは……魔力枯渇による一時的な精神退行だ!』
リュックの中でモゾモゾと動く気配がする。照れている証拠だ。
あの後、僕たちは互いの想いを確認し合い、泥のように眠った。
朝起きたら、リュカはすっかりいつもの尊大な口調に戻っていたけれど、その態度は以前より少しだけ柔らかくなっていた。僕を見る目が、どこか甘いのだ。
バスが到着し、僕たちは乗り込んだ。
乗客はまばらで、一番後ろの席に陣取る。
エンジンの振動が心地よいのか、リュックの中のリュカはすぐに静かになった。
一時間ほど揺られ、終点のバス停に降り立つ。
そこは、山と田んぼに囲まれた、静かな集落だった。
コンビニもない。信号機さえない。あるのは、豊かな自然と澄んだ空気だけ。
「……ここなら、誰も追ってこないね」
僕はリュックを開けた。
ひょこっ、と銀色の顔が飛び出してくる。
鼻をヒクヒクさせて周囲の匂いを嗅ぐと、リュカはポンッと煙を出して、子供の姿に戻った。
「うむ。……悪くない空気だ。精霊の気配も濃い」
十歳児姿のリュカが、生意気そうに腕を組んで頷く。
ブカブカの服が、相変わらず愛くるしい。
「ここから少し山に入ったところに、古い神社があるんだって。今はもう誰も管理してなくて廃墟になってるらしいけど……そこを借りようかと思って」
「廃墟か。……フン、貴様と我の愛の巣にするには少々ボロいが、まあいいだろう」
「愛の巣って言わないでくれる? 空き家バンクで見つけた物件だよ」
ネットで調べたわけではない。以前、お梅さんが「あそこの神社の裏手は気がいい」と言っていたのを思い出して、役場に問い合わせてみたのだ。
持ち主はもうおらず、管理してくれるならタダ同然で住んでいいという話だった。
山道を登ること二十分。
木々が開け、古びた鳥居が見えてきた。
その奥に、小さなお社と、神職が寝泊まりしていたと思われる社務所がひっそりと建っていた。
「……ここか」
瓦はところどころ欠け、壁には蔦が這っている。庭は雑草だらけだ。
けれど、不思議と荒れ果てた感じはしなかった。
木漏れ日が優しく降り注ぎ、風がサワサワと木々を揺らす。
なんとなく、前の家と同じような「懐かしさ」を感じた。
「どうかな、リュカ」
僕が尋ねると、リュカは境内をスタスタと歩き回り、社務所の縁側に腰掛けた。
「……良い場所だ」
彼は満足げに目を細めた。
「結界の残滓を感じる。かつては、ここにも神獣かそれに近しいものが祀られていたのだろう。……我らが住むには丁度いい」
「よかった。……じゃあ、ここを僕たちの新しい家にしよう」
僕はリュックをろし、大きく伸びをした。
ここなら、誰にも邪魔されない。
畑を作るスペースも十分にあるし、裏山には木の実や山菜もありそうだ。
何より、リュカが本来の姿で走り回っても、誰にも見咎められない。
「まずは掃除からだな」
リュカが立ち上がり、小さな腕まくりをした。
「我の魔力が戻れば一瞬で片付くが……今は貴様の手を借りるしかない」
「はいはい。また二人で頑張ろうね」
僕たちは顔を見合わせて笑った。
家を追われ、職を失い、何もかもゼロからのスタート。
普通なら絶望的な状況かもしれない。
でも、不思議と心は晴れやかだった。
雑巾がけをして、窓を開け放つ。
畳を叩き、積もった埃を払い落とす。
二人で働く時間は、やっぱり楽しい。
リュカは身体が小さい分、狭い隙間の掃除を担当してくれた。「埃まみれだ!」と文句を言いながらも、その表情は生き生きとしている。
夕方。
掃除を終え、綺麗になった縁側で、僕たちは並んで座った。
買ってきたお茶と、お饅頭で一服する。
「……ふぅ。いい風だ」
リュカがお茶をすすりながら、大人びた溜息をつく。見た目は子供なのに、中身はやっぱりお爺ちゃんだ。
「ねえ、リュカ」
「なんだ」
「僕、決めたよ」
僕は夕焼けに染まる空を見上げながら言った。
「もう、逃げない。ここで、君と一緒に生きていく」
会社から逃げて、前の家からも逃げて。
ずっと「仮初め」の生活だと思っていた。いつか終わる夢だと。
でも、もう違う。
ここは僕が選んだ場所だ。彼と共に生きると決めた、僕たちの城だ。
「……フン。当たり前だ」
リュカは饅頭を口に放り込み、もぐもぐと咀嚼してから言った。
「貴様は我の番だと言っただろう。骨が土に還るまで、いや、魂が輪廻の輪に戻るまで、我のそばにいてもらう」
「重いなぁ……。でも、望むところだよ」
僕は彼の頭を撫でた。
サラサラの銀髪。温かい体温。
この小さな身体が、いつかまた大きく逞しい姿に戻るその日まで。いや、戻ってからもずっと。
僕は彼を守り、彼に守られて生きていくんだ。
「さて、夕飯にしようか。今日は買ってきたお弁当だけど」
「肉は入っているのか?」
「唐揚げ弁当だよ」
「でかした! 貴様はやはり有能な飼い主だ」
リュカがパァッと顔を輝かせる。
その無邪気な笑顔を見ているだけで、僕の心は満たされた。
何もない山奥の廃神社。
不便だし、虫も出るし、冬は寒そうだ。
けれど、ここには「愛」がある。
ポンコツで、尊大で、寂しがり屋な神獣様との、新しい生活。
それはきっと、どんな都会の暮らしよりも、豊かで温かいものになるはずだ。
日が落ちて、一番星が光りだす。
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