35 / 35
35.
しおりを挟む
厳しい冬が過ぎ去り、山奥の廃神社にも遅い春がやってきた。
雪解け水がせせらぎを作り、枯れ木だと思っていた桜の古木が、驚くほど満開の花を咲かせている。
「……よし。今年の畑はこれで準備万端だね」
僕は鍬を置き、額の汗をぬぐった。
境内の隅を開墾して作った畑には、夏野菜の苗が植えられている。
「ジャングル化」を防ぐため、リュカには「魔法禁止、肥料やり禁止」を言い渡してある。おかげで、今のところは常識的なサイズの畑だ。
「ミナトよ、茶にするぞ」
縁側から、のんびりとした声がかかる。
見れば、リュカが七輪でお湯を沸かしていた。
春の日差しを浴びて、彼の銀髪がきらきらと輝いている。白いシャツの袖をまくり、長い足を投げ出して座る姿は、ここが廃神社であることを忘れさせるほど優雅だ。
「はーい、今行くよ」
僕は長靴を脱ぎ、手を洗って縁側へ上がった。
リュカが淹れてくれたお茶と、僕が作った桜餅が盆に乗っている。
「……ふぅ。いい天気だなぁ」
「うむ。絶好の日向ぼっこ日和だ」
僕たちは並んで座り、満開の桜を眺めた。
時折、風が吹くと桜吹雪が舞い散る。その花びらがリュカの髪に留まるのを、僕はそっと取ってやった。
「……どうだ、ミナト。ここでの暮らしは」
リュカが不意に尋ねてきた。
湯呑みを両手で包み込み、黄金の瞳だけで僕を見ている。
「飽きたか? 不便か? ……街が恋しいか?」
少しだけ不安そうな響き。
彼は時々、こうして確認してくる。僕が無理をしていないか、後悔していないか。
僕は笑って首を横に振った。
「ううん。最高だよ」
嘘偽りのない本心だった。
朝、鳥の声で目覚め、畑を耕し、美味しいご飯を作る。
夜は静寂の中で本を読み、眠くなったら温かい布団に潜り込む。
会社員時代に求めていた「丁寧な暮らし」が、ここにはある。
そして何より。
「君がいるからね。それだけで、他には何もいらないよ」
僕が言うと、リュカは照れくさそうにふいっと顔を背けた。
耳が少し赤くなっている。
「……フン。なら、よい」
彼は湯呑みを置くと、パンッ、と軽い音を立てて姿を変えた。
一瞬で、縁側いっぱいの巨大な銀狼が現れる。
『膝が空いているな。貸せ』
「ええっ、重いよ……」
『文句を言うな。我は今、猛烈に撫でられたい気分なのだ』
リュカは強引に僕の膝の上に頭を乗せ、ゴロンと横になった。
ズシリとした重量感。でも、不思議と苦しくはない。
日向の匂いがする極上の毛並みが、僕の太ももを埋め尽くす。
「はいはい、わかったよ」
僕は諦めて、彼の頭を撫で始めた。
耳の後ろ、首筋、顎の下。
指を埋めると、ふかふかで、温かい。
リュカが気持ちよさそうに目を細め、ゴロゴロと喉を鳴らす。その振動が膝から伝わってきて、僕まで眠くなってくる。
左手の薬指に、銀色の紋様が光った。
あの大晦日の夜に刻まれた、魂の契約の証。
普段は薄くて見えないけれど、こうして彼と触れ合っている時だけ、淡く発光するのだ。
『……ミナト』
頭の中に、穏やかな声が響く。
『幸せか?』
「うん。すごく幸せ」
僕は答えて、彼の鼻先にキスをした。
湿った鼻先がピクリと動く。
『そうか。……我もだ』
リュカが僕の手を舐める。ザラリとした感触。
それは、最大の愛情表現だ。
かつて、傷ついて倒れていた彼を拾った雨の日。
あの日、僕が手を差し伸べなければ、この温もりは消えていたかもしれない。
そして僕も、あのまま都会で心をすり減らし、色のない世界で生きていたかもしれない。
お互いがお互いを救い、そして居場所になった。
『ずっと、一緒だぞ。……貴様がおじいちゃんになってもな』
「ふふ、覚えてたの? その時は、君が背中に乗せて散歩に連れて行ってね」
『任せろ。世界の果てまで連れて行ってやる』
春風が吹き抜け、桜の花びらが僕たちの上に降り注ぐ。
膝の上には、愛しい銀色の毛玉。
繋いだ手のひらには、確かな体温。
これ以上の幸せなんて、きっとどこを探してもないだろう。
「……おやすみ、リュカ」
『うむ。……起きるまで、撫でていろよ』
我儘な神獣様の寝息を聞きながら、僕もゆっくりと目を閉じた。
ポカポカと温かい日差しの中で、僕たちの穏やかなスローライフは、これからもずっと続いていく。
雪解け水がせせらぎを作り、枯れ木だと思っていた桜の古木が、驚くほど満開の花を咲かせている。
「……よし。今年の畑はこれで準備万端だね」
僕は鍬を置き、額の汗をぬぐった。
境内の隅を開墾して作った畑には、夏野菜の苗が植えられている。
「ジャングル化」を防ぐため、リュカには「魔法禁止、肥料やり禁止」を言い渡してある。おかげで、今のところは常識的なサイズの畑だ。
「ミナトよ、茶にするぞ」
縁側から、のんびりとした声がかかる。
見れば、リュカが七輪でお湯を沸かしていた。
春の日差しを浴びて、彼の銀髪がきらきらと輝いている。白いシャツの袖をまくり、長い足を投げ出して座る姿は、ここが廃神社であることを忘れさせるほど優雅だ。
「はーい、今行くよ」
僕は長靴を脱ぎ、手を洗って縁側へ上がった。
リュカが淹れてくれたお茶と、僕が作った桜餅が盆に乗っている。
「……ふぅ。いい天気だなぁ」
「うむ。絶好の日向ぼっこ日和だ」
僕たちは並んで座り、満開の桜を眺めた。
時折、風が吹くと桜吹雪が舞い散る。その花びらがリュカの髪に留まるのを、僕はそっと取ってやった。
「……どうだ、ミナト。ここでの暮らしは」
リュカが不意に尋ねてきた。
湯呑みを両手で包み込み、黄金の瞳だけで僕を見ている。
「飽きたか? 不便か? ……街が恋しいか?」
少しだけ不安そうな響き。
彼は時々、こうして確認してくる。僕が無理をしていないか、後悔していないか。
僕は笑って首を横に振った。
「ううん。最高だよ」
嘘偽りのない本心だった。
朝、鳥の声で目覚め、畑を耕し、美味しいご飯を作る。
夜は静寂の中で本を読み、眠くなったら温かい布団に潜り込む。
会社員時代に求めていた「丁寧な暮らし」が、ここにはある。
そして何より。
「君がいるからね。それだけで、他には何もいらないよ」
僕が言うと、リュカは照れくさそうにふいっと顔を背けた。
耳が少し赤くなっている。
「……フン。なら、よい」
彼は湯呑みを置くと、パンッ、と軽い音を立てて姿を変えた。
一瞬で、縁側いっぱいの巨大な銀狼が現れる。
『膝が空いているな。貸せ』
「ええっ、重いよ……」
『文句を言うな。我は今、猛烈に撫でられたい気分なのだ』
リュカは強引に僕の膝の上に頭を乗せ、ゴロンと横になった。
ズシリとした重量感。でも、不思議と苦しくはない。
日向の匂いがする極上の毛並みが、僕の太ももを埋め尽くす。
「はいはい、わかったよ」
僕は諦めて、彼の頭を撫で始めた。
耳の後ろ、首筋、顎の下。
指を埋めると、ふかふかで、温かい。
リュカが気持ちよさそうに目を細め、ゴロゴロと喉を鳴らす。その振動が膝から伝わってきて、僕まで眠くなってくる。
左手の薬指に、銀色の紋様が光った。
あの大晦日の夜に刻まれた、魂の契約の証。
普段は薄くて見えないけれど、こうして彼と触れ合っている時だけ、淡く発光するのだ。
『……ミナト』
頭の中に、穏やかな声が響く。
『幸せか?』
「うん。すごく幸せ」
僕は答えて、彼の鼻先にキスをした。
湿った鼻先がピクリと動く。
『そうか。……我もだ』
リュカが僕の手を舐める。ザラリとした感触。
それは、最大の愛情表現だ。
かつて、傷ついて倒れていた彼を拾った雨の日。
あの日、僕が手を差し伸べなければ、この温もりは消えていたかもしれない。
そして僕も、あのまま都会で心をすり減らし、色のない世界で生きていたかもしれない。
お互いがお互いを救い、そして居場所になった。
『ずっと、一緒だぞ。……貴様がおじいちゃんになってもな』
「ふふ、覚えてたの? その時は、君が背中に乗せて散歩に連れて行ってね」
『任せろ。世界の果てまで連れて行ってやる』
春風が吹き抜け、桜の花びらが僕たちの上に降り注ぐ。
膝の上には、愛しい銀色の毛玉。
繋いだ手のひらには、確かな体温。
これ以上の幸せなんて、きっとどこを探してもないだろう。
「……おやすみ、リュカ」
『うむ。……起きるまで、撫でていろよ』
我儘な神獣様の寝息を聞きながら、僕もゆっくりと目を閉じた。
ポカポカと温かい日差しの中で、僕たちの穏やかなスローライフは、これからもずっと続いていく。
32
この作品の感想を投稿する
あなたにおすすめの小説
番に見つからない街で、子供を育てている
はちも
BL
目を覚ますと、腕の中には赤ん坊がいた。
異世界の青年ロアンとして目覚めた「俺」は、希少な男性オメガであり、子を産んだ母親だった。
現世の記憶は失われているが、
この子を守らなければならない、という想いだけははっきりと残っている。
街の人々に助けられ、魔石への魔力注入で生計を立てながら、
ロアンと息子カイルは、番のいない街で慎ましく暮らしていく。
だが、行方不明の番を探す噂が、静かに近づいていた。
再会は望まない。
今はただ、この子との生活を守りたい。
これは、番から逃げたオメガが、
選び直すまでの物語。
*本編完結しました
何故か男の僕が王子の閨係に選ばれました
まんまる
BL
貧乏男爵家の次男カナルは、ある日父親から呼ばれ、王太子の閨係に選ばれたと言われる。
どうして男の自分が?と戸惑いながらも、覚悟を決めて殿下の元へいく。
しかし、殿下は自分に触れることはなく、何か思いがあるようだった。
優しい二人の恋のお話です。
※ショートショート集におまけ話を上げています。そちらも是非ご一読ください。
※画像は男の子メーカーPicrewさんよりお借りしています。
神獣様の森にて。
しゅ
BL
どこ、ここ.......?
俺は橋本 俊。
残業終わり、会社のエレベーターに乗ったはずだった。
そう。そのはずである。
いつもの日常から、急に非日常になり、日常に変わる、そんなお話。
7話完結。完結後、別のペアの話を更新致します。
前世が俺の友人で、いまだに俺のことが好きだって本当ですか
Bee
BL
半年前に別れた元恋人だった男の結婚式で、ユウジはそこではじめて二股をかけられていたことを知る。8年も一緒にいた相手に裏切られていたことを知り、ショックを受けたユウジは式場を飛び出してしまう。
無我夢中で車を走らせて、気がつくとユウジは見知らぬ場所にいることに気がつく。そこはまるで天国のようで、そばには7年前に死んだ友人の黒木が。黒木はユウジのことが好きだったと言い出して――
最初は主人公が別れた男の結婚式に参加しているところから始まります。
死んだ友人との再会と、その友人の生まれ変わりと思われる青年との出会いへと話が続きます。
生まれ変わり(?)21歳大学生×きれいめな48歳おっさんの話です。
※軽い性的表現あり
短編から長編に変更しています
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる