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19. 試験本番、それぞれの戦い
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地獄のようだった中間試験対策期間は、嵐のように過ぎ去った。
私の鬼教官就任とそれに伴う無茶苦茶なスパルタ教育。そしてなぜか毎晩、夢見ヶ崎家で開かれることになった夜食付きの勉強会。その甲斐あってか、ダメ騎士二人の学力は壊滅的なレベルから、なんとか「赤点をギリギリ回避できるかもしれない」というレベルにまで、奇跡的なV字回復を遂げていた。
一条彰人は最終的に校庭を延べ三千周以上走り、日本の主だった歴史上の人物と出来事をほぼ完璧に暗唱できるようになった。
早苗翔は図書室の蔵書数を数え切ることはできなかったものの、その単純作業を繰り返す中で驚異的な集中力と、数字に対する奇妙な親近感を獲得したらしい。少なくとも、数学の問題を前に「陣形は…」などと呟くことはなくなった。
そして、運命の中間試験、初日。
教室の空気は、いつもより張り詰めていた。誰もが自分の机の上で、最後の悪あがきとばかりに参考書やノートを広げている。
「……乃蒼様」
試験開始の十分前。一条くんが私の席にやってきた。その表情は、いつになく真剣だった。
「この二週間、本当に、ありがとうございました。私はこの御恩を決して忘れません」
彼はそう言うと、深々と私に頭を下げた。
「彰人だけじゃねえ。俺もだ」
早苗くんも、彼の後ろからひょこりと顔を出す。
「乃蒼先生のあの時のカミナリがなきゃ、俺たち、マジで答案用紙に血判状押すところだったぜ。マジで感謝してる」
二人の、あまりにも真摯な感謝の言葉。
私は少し照れくさくなって、思わず目を逸らした。
「……別に。あなたたちが赤点を取って、私の日常がこれ以上脅かされるのが嫌だっただけだから」
「ははっ、相変わらず素直じゃねえなー」
「それもまた、乃蒼様の魅力!」
軽口を叩き合いながらも、彼らの瞳にはこれまでの自堕落な姿からは想像もできないほどの闘志がみなぎっていた。
やがてチャイムが鳴り、試験官の教師が教室に入ってくる。
問題用紙が一人ひとりに配られていく、その音だけが静かな教室に響いていた。
「では、始め!」
その号令と共に、クラス全員が一斉に問題用紙をめくる。
それぞれの戦いが始まった。
私もシャーペンを握りしめ、問題と向き合う。
一問一問、着実に。この二週間、彼らに勉強を教える傍ら、私自身も必死に復習を重ねてきたのだ。負けるわけにはいかない。
ちらり、と騎士団の席に目をやる。
一番後ろの席に座る一条くんはまるで宿敵と対峙するかのように、鋭い眼光で問題用紙を睨みつけていた。そして時折、小さく口ずさむようにラップのリズムで何かを呟いている。おそらく、歴史の年号だろう。その姿は傍から見ればかなり不審だが、彼はいたって真剣だった。
数学の時間、早苗くんは驚くほどの集中力で問題を解き進めていた。時折、指を折って何かを確認している。蔵書数を数え続けたあの日々が、彼の計算能力を原始的ながらも確実なものにしたのかもしれない。
如月くんは涼しい顔でペンを走らせていた。彼にとって、この試験は戦いですらなく、ただの作業なのだろう。おそらく、満点を取るに違いない。
そして、倉吉くん。
彼は一通り問題に目を通すと、ふっと息をつき、シャーペンを置いた。そして、まるで解答など全てわかっているとでも言うように、窓の外の景色を眺め始めた。彼の狙いはおそらく満点ではない。目立ちすぎず、かといって低すぎもしない、完璧な「平均点」に着地すること。そのための緻密な計算をしているのかもしれない。
私も、彼らに負けていられない。
時間は、あっという間に過ぎていく。
長い長い一日が終わり、初日の試験が全て終了した時、教室には、疲労と解放感が入り混じった、独特の空気が満ちていた。
「…………」
一条くんと早苗くんは、席で真っ白に燃え尽きていた。まるで全ての生命エネルギーを使い果たしたかのように、ぐったりとしている。
「……どうだった?」
私が恐る恐る声をかけると、二人はゆっくりと、幽霊のような動きで顔を上げた。
「……乃蒼様……。俺は、やりました……」
一条くんがか細い声で言う。
「答案用紙の全ての空欄を、埋めました……。そこに、何を書いたのかはもはや、覚えていませんが……」
「……俺もだ……」
早苗くんもそれに続く。
「なんか最後の問題、俺の魂を込めてすげえ良い感じの陣形、描けた気がする……」
……ダメかもしれない。
一抹の、いや、かなり大きな不安が私の心をよぎった。
彼らは確かに最後まで戦い抜いた。しかし、その戦果が果たして勝利に結びついているのかは極めて疑わしい。
「まあ、終わったことは仕方ない。二人とも、よく頑張ったじゃない」
莉緒ちゃんがいつの間にか私たちのクラスにやってきて、ポンポンと二人の肩を叩いた。
「結果はどうあれ打ち上げやろ、打ち上げ! 今日はパーッと、カラオケでも行こうよ!」
莉緒ちゃんの明るい声に、疲労困憊だった教室の空気が少しだけ華やいだ。
そうだ。終わったのだ。あの地獄の二週間が。そして、今日の試験が。
結果がどうであれ、今はこの解放感に浸っても罰は当たらないだろう。
「……そうですね」
私は、自然と笑みがこぼれるのを感じていた。
「たまにはそういうのも、いいかもしれません」
私の予想外の肯定的な返事に騎士団の四人も莉緒ちゃんも一瞬、きょとんとした顔をした。
そして次の瞬間、一条くんが残っていた最後の力を振り絞るように、ガバッと立ち上がった。
「おおおお! 乃蒼様が我々とのお出かけを許可してくださったぞ!」
「やったー! カラオケ! 乃蒼さま、何歌うんだ?」
「……なるほど。息抜きも次なる戦いへの重要な布石。合理的判断です」
「……乃蒼様の歌声……。私の鼓膜に永久保存せねば……」
あっという間に、いつもの騒がしい騎士団が復活した。
私はやれやれと肩をすくめながらも、その騒がしさがほんの少しだけ、心地よく感じられている自分に気づいていた。
試験の結果はまだわからない。
でも、私たちは確かに、一つの戦いを共に乗り越えたのだ。
その事実が私と彼らの間にまた一つ、新しい絆を結んだようなそんな気がした。
私の鬼教官就任とそれに伴う無茶苦茶なスパルタ教育。そしてなぜか毎晩、夢見ヶ崎家で開かれることになった夜食付きの勉強会。その甲斐あってか、ダメ騎士二人の学力は壊滅的なレベルから、なんとか「赤点をギリギリ回避できるかもしれない」というレベルにまで、奇跡的なV字回復を遂げていた。
一条彰人は最終的に校庭を延べ三千周以上走り、日本の主だった歴史上の人物と出来事をほぼ完璧に暗唱できるようになった。
早苗翔は図書室の蔵書数を数え切ることはできなかったものの、その単純作業を繰り返す中で驚異的な集中力と、数字に対する奇妙な親近感を獲得したらしい。少なくとも、数学の問題を前に「陣形は…」などと呟くことはなくなった。
そして、運命の中間試験、初日。
教室の空気は、いつもより張り詰めていた。誰もが自分の机の上で、最後の悪あがきとばかりに参考書やノートを広げている。
「……乃蒼様」
試験開始の十分前。一条くんが私の席にやってきた。その表情は、いつになく真剣だった。
「この二週間、本当に、ありがとうございました。私はこの御恩を決して忘れません」
彼はそう言うと、深々と私に頭を下げた。
「彰人だけじゃねえ。俺もだ」
早苗くんも、彼の後ろからひょこりと顔を出す。
「乃蒼先生のあの時のカミナリがなきゃ、俺たち、マジで答案用紙に血判状押すところだったぜ。マジで感謝してる」
二人の、あまりにも真摯な感謝の言葉。
私は少し照れくさくなって、思わず目を逸らした。
「……別に。あなたたちが赤点を取って、私の日常がこれ以上脅かされるのが嫌だっただけだから」
「ははっ、相変わらず素直じゃねえなー」
「それもまた、乃蒼様の魅力!」
軽口を叩き合いながらも、彼らの瞳にはこれまでの自堕落な姿からは想像もできないほどの闘志がみなぎっていた。
やがてチャイムが鳴り、試験官の教師が教室に入ってくる。
問題用紙が一人ひとりに配られていく、その音だけが静かな教室に響いていた。
「では、始め!」
その号令と共に、クラス全員が一斉に問題用紙をめくる。
それぞれの戦いが始まった。
私もシャーペンを握りしめ、問題と向き合う。
一問一問、着実に。この二週間、彼らに勉強を教える傍ら、私自身も必死に復習を重ねてきたのだ。負けるわけにはいかない。
ちらり、と騎士団の席に目をやる。
一番後ろの席に座る一条くんはまるで宿敵と対峙するかのように、鋭い眼光で問題用紙を睨みつけていた。そして時折、小さく口ずさむようにラップのリズムで何かを呟いている。おそらく、歴史の年号だろう。その姿は傍から見ればかなり不審だが、彼はいたって真剣だった。
数学の時間、早苗くんは驚くほどの集中力で問題を解き進めていた。時折、指を折って何かを確認している。蔵書数を数え続けたあの日々が、彼の計算能力を原始的ながらも確実なものにしたのかもしれない。
如月くんは涼しい顔でペンを走らせていた。彼にとって、この試験は戦いですらなく、ただの作業なのだろう。おそらく、満点を取るに違いない。
そして、倉吉くん。
彼は一通り問題に目を通すと、ふっと息をつき、シャーペンを置いた。そして、まるで解答など全てわかっているとでも言うように、窓の外の景色を眺め始めた。彼の狙いはおそらく満点ではない。目立ちすぎず、かといって低すぎもしない、完璧な「平均点」に着地すること。そのための緻密な計算をしているのかもしれない。
私も、彼らに負けていられない。
時間は、あっという間に過ぎていく。
長い長い一日が終わり、初日の試験が全て終了した時、教室には、疲労と解放感が入り混じった、独特の空気が満ちていた。
「…………」
一条くんと早苗くんは、席で真っ白に燃え尽きていた。まるで全ての生命エネルギーを使い果たしたかのように、ぐったりとしている。
「……どうだった?」
私が恐る恐る声をかけると、二人はゆっくりと、幽霊のような動きで顔を上げた。
「……乃蒼様……。俺は、やりました……」
一条くんがか細い声で言う。
「答案用紙の全ての空欄を、埋めました……。そこに、何を書いたのかはもはや、覚えていませんが……」
「……俺もだ……」
早苗くんもそれに続く。
「なんか最後の問題、俺の魂を込めてすげえ良い感じの陣形、描けた気がする……」
……ダメかもしれない。
一抹の、いや、かなり大きな不安が私の心をよぎった。
彼らは確かに最後まで戦い抜いた。しかし、その戦果が果たして勝利に結びついているのかは極めて疑わしい。
「まあ、終わったことは仕方ない。二人とも、よく頑張ったじゃない」
莉緒ちゃんがいつの間にか私たちのクラスにやってきて、ポンポンと二人の肩を叩いた。
「結果はどうあれ打ち上げやろ、打ち上げ! 今日はパーッと、カラオケでも行こうよ!」
莉緒ちゃんの明るい声に、疲労困憊だった教室の空気が少しだけ華やいだ。
そうだ。終わったのだ。あの地獄の二週間が。そして、今日の試験が。
結果がどうであれ、今はこの解放感に浸っても罰は当たらないだろう。
「……そうですね」
私は、自然と笑みがこぼれるのを感じていた。
「たまにはそういうのも、いいかもしれません」
私の予想外の肯定的な返事に騎士団の四人も莉緒ちゃんも一瞬、きょとんとした顔をした。
そして次の瞬間、一条くんが残っていた最後の力を振り絞るように、ガバッと立ち上がった。
「おおおお! 乃蒼様が我々とのお出かけを許可してくださったぞ!」
「やったー! カラオケ! 乃蒼さま、何歌うんだ?」
「……なるほど。息抜きも次なる戦いへの重要な布石。合理的判断です」
「……乃蒼様の歌声……。私の鼓膜に永久保存せねば……」
あっという間に、いつもの騒がしい騎士団が復活した。
私はやれやれと肩をすくめながらも、その騒がしさがほんの少しだけ、心地よく感じられている自分に気づいていた。
試験の結果はまだわからない。
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