魔法少女じゃなくなる日まで

八百屋 成美

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 ディスプレイに表示される無機質な数値の羅列を、水野みずのあずさは色のない瞳で追っていた。

『コードネーム:リリウム。戦闘後魔力減衰率、3.7%上昇。精神汚染度(M.P.L.)、基準値まであと28時間で回復見込み』

 エンターキーを叩くと、グラフが滑らかに波形を描く。梓はその赤いラインが、許容範囲を示す青いラインにじりじりと近づいていく様を、ただ見つめる。リリウムこと、相田あいだ美羽みう。10歳。小学四年生。先日、都心に出現した第七種災厄『嘆きの道化』を単独で撃破した、現役最強の魔法少女。世間では奇跡の少女と讃えられ、彼女をモデルにしたアニメやキャラクターグッズが飛ぶように売れている。
 梓が処理しているのは、その「奇跡」の裏側で少女が削り取っている、生命そのものの記録だった。
 彼女は「厚生労働省 特殊児童福祉対策局 第七管理室」の職員。その聞こえの良い名称とは裏腹に、行っている業務は国が管理する唯一無二の戦略兵器――魔法少女の運用と管理に他ならない。

「梓さん、14番ファイルの更新、終わった?」

 背後からかけられた声に、梓は顔を上げずに「今」と短く答える。同僚の小林こばやしだ。彼女は軽い足取りで梓の隣に立つと、デスクの端にマグカップを置いた。インスタントコーヒーの安っぽい香りが鼻をつく。

「リリウム、またやったらしいね。ニュースで見たよ。これでボーナスも安泰かな」
「……そうね」
「それにしても、最近の『原石』はすごいわね。わたしたちの頃なんて、中学生がやっとなのに」

 小林の言う「わたしたちの頃」とは、ほんの十数年前の話だ。梓も小林も、この国のシステムに管理される側にいた。魔法少女にはなれなかった、その他大勢の「候補生」だった。
 この世界に、人類の天敵である『災厄』が出現して半世紀。それに対抗できる唯一の存在が、清廉な祈りの力を物理的な奇跡に変換する、魔法少女だった。彼女たちの力の源は、成長過程にある少女だけが持つ、一点の曇りもない「ピュアな心」。それは硝子細工のように脆く、美しく、そして有限の資源だった。
 問題は、その資源が年々、世界から枯渇していることだった。
 溢れる情報、複雑化する人間関係、早熟な精神。現代社会は、子供たちの心から「ピュア」を容赦なく奪い去っていく。結果として、魔法少女になれる少女の絶対数は減り、その適性年齢は恐ろしい速度で低年齢化していった。十年前は中学生が主体だったのが、五年前には小学生高学年になり、今や―――。

「次の適性診断、対象年齢をまた一段階引き下げるらしいわ。いよいよ未就学児がメインになる」

 小林が、まるで明日の天気の話でもするように言った。

「もう『少女』ですらないわね」

 梓の口から漏れたのは、自分でも驚くほど冷たい声だった。

「仕方ないわ。国を守るためですもの。それに、幼ければ幼いほど、力の効率はいいから。『穢れ』を知らない分、変換ロスが少ないんだと」

 小林はそう言うと、自分のデスクに戻っていった。悪気がないのは分かっている。彼女もまた、この灰色のシステムを回すための一つの歯車に過ぎないのだから。
 梓は再びディスプレイに視線を戻す。画面の隅に、小さく警告ウィンドウがポップアップしていた。

『要確認:引退勧告対象者リスト更新』

 クリックすると、数名の少女の名前とIDが表示される。その中に、見慣れた名前を見つけて、梓の指が止まった。

『コードネーム:アネモネ。推奨引退年齢:12歳。理由:魔力効率の著しい低下。精神汚染度の恒常的な高止まり』

 アネモネ。梓が二年前に担当していた少女だ。いつもおどおどしていて、戦うのが怖いと泣いていた子。それでも、誰かを守るためならと、震える足で災厄の前に立ち続けていた。
 彼女が魔法少女でいられた期間は、わずか一年半。その短い期間で、彼女の心は使い古しの雑巾のように擦り切れてしまったのだ。
 引退とは、聞こえの良い追放宣告だ。力を失い、ただの少女に戻った彼女たちを待つのは、過酷な現実だ。戦闘で負った心身の傷。一般社会との常識の乖離。そして、かつて自分たちが守ったはずの世界からの無関心。国からのわずかな恩給は出るが、多くの元魔法少女たちが、その後の人生に適応できずに心を病んでいく。梓が管理するファイルの奥深くには、そんな少女たちの「その後」を記録した、決して公にはされない統計データが眠っている。
 梓は、リストのファイルをそっと閉じた。見なければよかった。知らなければよかった。でも、知ってしまった。このシステムの残酷さを、この仕事に就いてから嫌というほど見てきた。自分がかつて、あちら側に行けなかったのは幸運だったのかもしれない。魔法少女になるという輝かしい夢は、絶望への片道切符でしかないのだから。
 自分のしていることは、幼い少女たちを屠殺場へ送り込むための事務処理と何が違うのだろう。そんな考えが、黒いおりのように心の底に沈殿していく。毎日、少しずつ、確実に。梓の精神もまた、この灰色の部屋で摩耗し続けていた。
 定時を少し過ぎた頃、内線が鳴った。第七管理室室長、黒田くろだからの呼び出しだった。
 室長室の重いドアを開けると、黒田は分厚いファイルを手にしたまま、ソファに座るよう促した。鋭い目が梓を射抜く。

「水野君、君に新しい担当を任せたい」
「……はあ」
「単独での担当だ。これは極秘案件であり、最高レベルの重要案件でもある」

 黒田がテーブルの上に置いたファイルには、『Project CHRYSALIS』と印字されていた。さなぎ、という意味か。嫌な予感が背筋を走る。

「開いてみてくれたまえ」

 梓は唾を飲み込み、ゆっくりとファイルを開いた。
 そこに挟まっていたのは、一枚の履歴書と、数枚の写真だった。

『対象者氏名:佐伯さえき 陽葵ひまり
『年齢:5歳』
『適性診断結果:観測史上最高値。同期適合率98.7%』

 梓の視線は、そこに書かれた文字ではなく、写真に釘付けになった。
 公園の砂場で、満面の笑みを浮かべている小さな女の子。少し泥のついた手で、母親らしき人物にピースサインを向けている。二つに結んだ髪。まだ乳歯の残る、あどけない笑顔。その瞳は、世界の残酷さなど何も知らない、純粋な光に満ちていた。

「我々が、ついに見つけた『完成品』だ」

 黒田の声が、遠くで聞こえる。

「彼女一人いれば、今後五年は国の防衛は安泰だろう。君の任務は、この子が最高の魔法少女として『羽化』するまで、全てを管理することだ。心も、体も、その人生の全てを、だ」

 梓は、何も答えられなかった。
 ただ、写真の中の少女を見つめていた。
 陽葵ちゃん。この子が、次の生贄。
 この穢れのない笑顔が、絶望の悲鳴に変わるまで、一体どれほどの時間が残されているのだろう。
 梓の心の中で、何かが音を立てて軋んだ。それは、これまでずっと見て見ぬふりをしてきた、最後の良心という名の歯車だったのかもしれない。
 もうたくさんだ。
 この子だけは、この地獄に落としてはいけない。
 写真の中の陽葵が、梓に向かって無邪気に笑いかけている。その笑顔を守るためなら、自分はどうなってもいい。そんな狂気にも似た感情が、梓の心に静かに、そして確かに芽生え始めていた。
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