魔法少女じゃなくなる日まで

八百屋 成美

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 佐伯陽葵が保護されている施設は、都心から少し離れた郊外の森の中にあった。表向きは裕福な家庭の子供を預かる全寮制の教育機関ということになっている。高い塀、無数の監視カメラ、そして外界から完全に隔離された環境。そこは鳥籠であり、実験室であり、そして怪物を育てるための苗床だった。
 梓は、IDカードをゲートにかざしながら深く息を吸った。今日から、梓の生活はこの鳥籠の中が中心となる。陽葵の専属管理官として、彼女の教育、生活、精神状態の全てを把握し、最高の魔法少女に「仕上げる」のが任務だ。黒田からは、「君は彼女の母親にでもなったつもりで接したまえ」と命じられた。その言葉の欺瞞に、梓は吐き気を覚える。
 プレイルームと名付けられた部屋で、陽葵は待っていた。大きな窓から陽光が降り注ぐ、明るく清潔な部屋。壁には可愛らしい動物の絵が描かれ、床には真新しいおもちゃが散らばっている。その中央で、陽葵は一人、積み木で遊んでいた。

「陽葵ちゃん」

 梓が声をかけると、少女はゆっくりと顔を上げた。写真で見たよりもずっと小さい。透き通るような白い肌に、人形のように大きな黒い瞳。その瞳が梓を捉え、不思議そうに瞬きをした。

「こんにちは。私、今日から陽葵ちゃんのお世話をさせてもらう、水野梓です。あずさ先生って呼んでね」

 できるだけ優しい声を作って、梓は彼女の前にしゃがみこんだ。陽葵は何も言わず、ただじっと梓の顔を見つめている。子供特有の、値踏みするような真っ直ぐな視線。緊張で梓の手のひらに汗が滲む。
 数秒の沈黙の後、陽葵はおもむろに手にした赤い積み木を梓に差し出した。

「……おうち、つくるの」
「そっか。上手だね。私も手伝っていい?」
「うん」

 こくりと頷いた陽葵の隣に座り、梓は一緒に積み木を積み始めた。他愛もない、穏やかな時間。陽葵は時折、小さな声で「これは煙突」「これはパパとママのお部屋」と教えてくれる。その姿は、どこにでもいる普通の、人懐っこい5歳児そのものだった。
 だが、ふとした瞬間に、梓はその違和感に気づかざるを得なかった。
 梓が青い積み木を屋根の上に置こうとした時、ぐらりとバランスが崩れ、塔が倒れそうになった。梓が「あ」と声を上げるよりも早く、陽葵の小さな手が伸びた。倒れかけた積み木は、まるでスローモーション映像のようにゆっくりと傾き、陽葵の指先が触れる寸前で、ぴたりと静止した。
 偶然ではなかった。梓には分かった。これは無意識下での魔力の干渉。世界を捻じ曲げる、奇跡の力の片鱗。
 陽葵は、何事もなかったかのようにその積み木を掴むと、元の位置にそっと置き直した。そして、顔を上げてにこりと笑う。

「だいじょうぶだよ、あずさ先生」

 その無垢な笑顔に、梓は背筋が凍るような感覚を覚えた。この小さな体の中に、災厄を殲滅するほどの途方もない力が眠っている。制御される前の、純粋で、それゆえに危険な力。
 穢れなき怪物。その言葉が、頭の中で警鐘のように鳴り響いた。
 それから数週間、梓は陽葵の側で過ごす時間を増やした。一緒に絵本を読み、公園を散歩し、おやつを食べた。陽葵はすぐに梓に懐き、どこへ行くにも「あずさ先生、あずさ先生」と後をついて回るようになった。梓が施設から帰ろうとすると、服の裾を掴んで「……明日は、いつくるの?」と寂しそうに尋ねる。その姿に、梓の心は締め付けられた。
 任務だと割り切ろうとしても、陽葵と過ごす穏やかな時間は、梓の荒んだ心を少しずつ癒していった。この子が笑ってくれるなら、それでいい。この時間が少しでも長く続けばいい。そんな、許されない願いを抱き始めている自分に気づいていた。
 しかし、その穏やかな日常の裏側では、着々と「羽化」のための準備が進められていた。
 梓の端末には、毎日陽葵の訓練レポートが送られてくる。

『模擬戦闘訓練(フェーズ2)。仮想災厄3体を58秒で撃破。魔力放出量、予測値を150%超過。制御系の再調整を推奨』
『精神負荷テスト。ステージ4クリア。強いストレス反応を観測するも、自己修復機能は正常に作動。耐久性に問題なし』

 そこに並ぶのは、陽葵を一人の人間としてではなく、「兵器」のスペックとして記述した無機質な文字列だけだった。
 ある日の夕方、梓がプレイルームを訪れると、陽葵がソファの隅で膝を抱えていた。

「陽葵ちゃん、どうしたの?」

 駆け寄ると、陽葵は顔を伏せたまま「なんでもない」と小さく首を振る。だが、その白いブラウスの袖口に、赤い染みが滲んでいるのを梓は見逃さなかった。そっと袖をまくると、腕に痛々しい擦り傷と、それを隠すように巻かれた粗末な包帯が現れた。

「これ、どうしたの? 転んじゃった?」

 陽葵はこくりと頷く。だが、梓には分かった。これはただの擦り傷ではない。訓練中に、力の制御を誤って自分自身を傷つけた痕だ。

「……今日、怖かったの」

 ぽつりと、陽葵が漏らした。

「なんかね、頭で、こわい声がするの。『ぜんぶ、こわしちゃえ』って。そしたら、おててが、ビリビリってなって……」

 その言葉に、梓は息を呑んだ。精神汚染(M.P.L.)。魔法少女がその強大な力を使えば使うほど、心の深淵に溜まっていく穢れ。それはやがて幻聴や幻覚となって彼女たちを苛み、心を蝕んでいく。それが、まだ実戦にも出ていない5歳の子供の身に、すでに起き始めているのだ。
 梓は陽葵の小さな体を強く抱きしめた。震えているのが伝わってくる。大丈夫、大丈夫よと繰り返しながら、梓の心は怒りと絶望で張り裂けそうだった。この子たちは、一体何のために戦わされているのか。国のため? 人々のため? そんなもののために、この小さな子供が心を壊しながら戦うことなど、あっていいはずがない。
 決定的な出来事は、その数日後に訪れた。
 室長室に呼び出された梓は、黒田から分厚い報告書を手渡された。

「素晴らしいデータだ、水野君。君の管理能力も評価に値する。おかげで、『クリサリス』は我々の想定を遥かに超える速度で成長している」

 黒田は満足げに頷くと、モニターに仮想戦闘のシミュレーション映像を映し出した。そこに映っているのは、小さな光の塊となって、次々と現れる仮想災厄を塵にしていく陽葵の姿だった。その動きに、子供らしい躊躇や恐怖は一切見られない。ただ効率的に「敵」を破壊するだけの、完璧な戦闘プログラム。

「これなら、予定を前倒しできる。来週、陽葵を初期実戦に投入する」
「……なっ」

 梓は絶句した。

「早すぎます! 彼女はまだ5歳です! 心の準備も何も……」
「準備なら十分だ」

 黒田は梓の言葉を冷たく遮った。

「兵器に心の準備など不要だよ。必要なのは、命令通りに機能するかどうか、それだけだ。最初の相手は第四種クラスの小型災厄に設定した。まあ、彼女にとっては赤子の手をひねるようなものだろう。良いデータが取れるはずだ」

 血の気が、すっと引いていくのを感じた。
 データ。この男は、陽葵の命を、心を、ただのデータとしか見ていない。
 第四種災厄。それは「小型」と分類されてはいるが、過去に何人ものベテラン魔法少女がその犠牲となってきた、紛れもない脅威だ。それを、この子はたった一人で相手にさせられるのだ。「データ取り」という、大人たちの身勝手な都合のために。
 梓は、何も言わずに室長室を出た。足元がおぼつかない。廊下の窓から、中庭が見えた。遠くに、陽葵の姿があった。トレーナーに囲まれ、何かを必死にこなしている。
 脳裏に、陽葵の屈託のない笑顔が浮かぶ。

『あずさ先生、だっこ!』
『このおはな、先生にあげる!』

 あの子から、この笑顔を奪うというのか。あの輝かしい未来があったはずの少女たちのように、使い潰して、心が壊れたら捨てるというのか。
 もう、駄目だ。
 選択肢は、もう一つしか残されていない。
 梓は強く拳を握りしめた。爪が手のひらに食い込む痛みで、ようやく思考がはっきりする。
 システムからは逃げられない?
 運命には逆らえない?
 ―――ならば、そのシステムごと壊してやる。
 この子を、この完成された地獄から盗み出す。
 たとえこの身がどうなろうとも。
 梓は決意を固め、静かに歩き出した。彼女の瞳の奥で、冷たく、そして熱い炎が燃え上がっていた。
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