双面の王子に愛されています

八百屋 成美

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 カイ王子の専属従者になってから、一ヶ月が過ぎた。
 王城での日々は、張り詰めた弓の弦のように常に緊張を強いられるものだったが、ルカはその生真面目さと持ち前の観察眼で、なんとか業務をこなしていた。
 朝の起床から着替えの手伝い、食事の給仕、執務の補佐、そして夜の就寝まで。
 ルカは影のように王子の傍らに控え、その一挙手一投足を見つめ続けた。
 完璧な主君。誰もがカイ・アルフォンス・ローランドをそう呼ぶ。
 だが、毎日至近距離で接しているルカの中には、言葉にできない小さな「引っかかり」が沈殿し始めていた。

(……今日も、また『違う』)

 午後のティータイム。
 執務の合間の休憩に、ルカは香り高い紅茶を淹れ、ソーサーをデスクの上に置いた。
 王子は書類から顔を上げ、無造作に、しかし洗練された動きでティーカップへと手を伸ばす。
 その瞬間、ルカの視線は無意識に王子の指先へと吸い寄せられた。
 白磁のハンドルに、人差し指、中指、そして薬指までの三本をしっかりとかけて持ち上げたのだ。
 安定感を重視するように、深く。

(昨日は、二本だった)

 ルカの脳裏に、昨日の映像が鮮明に蘇る。
 昨日の王子は、人差し指と中指の二本だけを優雅にかけ、小指を軽く遊ばせるようにして飲んでいた。
 それだけではない。
 三日前の王子は、インク壺にペンを浸す際、縁で二度ペン先を叩いてインクを落としていた。だが今日の王子は、一度だけ、瓶の内側でぬぐうようにしてインク量を調節している。
 歩き出す際の一歩目もそうだ。昨日の王子は必ず右足から踏み出したが、今日の王子は左足から動き出した。
 あまりにも微細な差異。
 普通なら「気まぐれ」や「誤差」で済ませるレベルのことだ。
 だが、ルカの眼は誤魔化せなかった。
 まるで、非常に精巧に作られた二つの肖像画を見比べているような気分だった。一見すると瓜二つだが、筆使いの癖が決定的に異なる二枚の絵。

「……ルカ。どうかしたか?」

 不意にかけられた声に、ルカはハッとして顔を上げた。
 サファイアのような碧眼が、探るようにルカを見つめている。その瞳の奥にある光すら、昨日の陽気な輝きとは違い、今日はどこか凪いだ湖面のように静かだった。

「いえ……申し訳ありません。カップを持つお手元があまりに美しく、つい見惚れておりました」
「手? ……ふん、お前は変わったところを見ているな」

 王子は鼻を鳴らして笑い、そして何気ない口調で言った。

「そういえばルカ。この紅茶の茶葉だが、香りが少し独特だな。何という銘柄だ?」
「はい。こちらは『シルバー・ムーン』でございます」
「ほう、シルバー・ムーンか。悪くない」

 王子は感心したようにカップの中を揺らした。
 その反応に、ルカの心臓が大きく跳ねた。

(……おかしい)

 震えそうになる声を抑え、ルカは慎重に言葉を紡ぐ。

「お気に召して光栄です。……ですが殿下、この茶葉は昨日、数あるサンプルの中から殿下ご自身が『これが一番いい』とお選びになったものでございますが」
「…………」

 一瞬、部屋の空気が止まったような気がした。
 王子はカップを口元へ運ぶ手をぴたりと止め、わずかに視線を泳がせた。

「……ああ、そうだったか。昨日は多くの茶葉を試飲したからな、記憶が混濁していたようだ」
「左様でございますか。失礼いたしました」

 ルカは深く頭を下げたが、背筋には冷たい汗がつたっていた。
 「記憶が混濁していた」わけではない。その反応は、明らかに「初めて聞いた」者のそれだった。
 昨日の「彼」と、今日の「彼」の間で、こんな些細な雑談レベルの記憶は共有されていないのだ。
 日によって違う癖。日によって途切れる些細な記憶。
 結論は一つしかなかった。
 ――この国には、王子が二人いる。
 その事実に確信を持った瞬間、ルカの足元が崩れ落ちるような錯覚に襲われた。
 知ってはいけない。これは、王家のタブーだ。
 ただの従者が触れれば、命など容易く消し飛ぶほどの深い闇。
 ルカは平静を装いながらも、心の中では警鐘が鳴り響いていた。見なかったことにしよう。気づかなかったことにしよう。そうでなければ、生きてはいけない。
 だが、運命はルカを逃してはくれなかった。
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