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その夜、王宮の大広間で催されたのは、隣国の使節団を歓迎する盛大な夜会だった。
シャンデリアが煌めき、着飾った貴族たちが談笑する華やかな世界。
その中心で、第一王子カイは完璧な微笑みを浮かべ、外交の任をこなしていた。
ルカはその数歩後ろ、壁際に控え、主人のグラスが空になるのを待っていた。
(今のところ、順調だ……)
ルカは会場全体に視線を配る。
表向きにはカイ一人しかいないことになっているが、実はこの会場にはイルスも潜んでいるはずだ。万が一の事態に備え、あるいはカイが疲労した際に入れ替わるために。
ルカの眼だけが、物陰や給仕の列に紛れる「影」の気配を探していた。
「おや、君は……カイ殿下の新しい従者だね?」
不意に、粘つくような声がかけられた。
振り返ると、酒臭い息を吐く中年男性が立っていた。派手な衣装に身を包んだ彼は、この国の有力貴族であるガモ伯爵だ。女癖が悪く、最近では美少年にも手を出しているという悪い噂が絶えない男だった。
「初にお目にかかります、閣下。ルカと申します」
「噂通り、随分と可愛らしい顔をしているじゃないか。殿下のお気に入りだそうだが……夜のお相手もしているのかな?」
下卑た笑いと共に、伯爵の手がルカの腰に伸びてきた。
ルカは反射的に身を引こうとしたが、壁際に追い詰められており、逃げ場がない。
「失礼いたします、閣下。私は業務中でございますので」
「堅いことを言うなよ。殿下のお下がりでも、私は構わんぞ? どうだ、後で私の部屋に……」
伯爵の太い指が、ルカの頬を撫でようとした、その時だった。
「――失礼。私の従者に何か?」
凛とした、よく通る声が割って入った。
伯爵がギョッとして振り返る。そこには、いつの間にか人垣を抜けてきたカイ王子が立っていた。
金髪碧眼、完璧な微笑み。
だが、ルカは瞬時に「違和感」を覚えた。
(……違う。これはカイ様じゃない)
立ち姿の重心がわずかに右にある。そして何より、まとっている空気が氷のように冷たい。
これは、カイに変装したイルスだ。
「で、殿下! いや、これは、その……激励をしていただけでして」
「激励、ですか」
イルス(姿はカイ)は、優雅な動作で伯爵の肩に手を置いた。
ポン、と軽く置かれただけに見えるその手に、ギリ……と骨がきしむような力が込められているのをルカは見て取った。
「私の従者は、少々『手癖の悪い』相手が苦手のようでしてね。……その薄汚い手を二度と彼に向けないでいただきたい。次はありませんよ?」
耳元で囁かれた言葉に、伯爵の顔色が青を通り越して土気色になった。
周囲からは穏やかに談笑しているようにしか見えない。だが、伯爵だけが、目の前の王子から放たれる凄まじい殺気と殺意に晒されていた。
「ひっ、は、はい……! 失礼いたしましたァ!」
伯爵は逃げるようにその場を去っていった。
周囲の貴族たちが不思議そうに見守る中、イルスはルカに向き直り、フッと口元を緩めた。
「……無事か、ルカ」
「はい。ありがとうございます、イルス様」
ルカが小声で名を呼ぶと、イルスは一瞬だけ驚いたように目を見開き、すぐに満足げに目を細めた。
変装していても自分を見抜いたことが、嬉しくてたまらないのだ。
「よく分かったな。……褒美をやりたいところだが、今は『交代』だ」
イルスが目配せをした瞬間、会場の照明が一瞬だけ暗くなった。演出のための明滅だ。
そのわずか数秒の間に、ルカの目の前にいる人物が入れ替わった。
「やれやれ。油断も隙もないな」
明かりが戻った時、そこに立っていたのは本物のカイだった。
重心は左、指先の所作もカイのものだ。
彼はルカの腰をぐっと引き寄せ、伯爵が触れようとした場所を上書きするように強く握りしめた。
「あの狸親父、後で社会的に抹殺しておくとして……。ルカ、お前も隙だらけだぞ」
「申し訳ありません……」
「だが、まあいい。お前が誰の所有物か、周囲に見せつける良い機会だ」
カイは衆人環視の中、堂々とルカの髪を指で梳いた。それは主従の親愛を超えた、あまりに親密な仕草だった。
遠くの物陰から、鋭い視線を感じる。イルスの視線だ。
二人の王子が、同時にルカを守り、そして独占しようとしている。
シャンデリアが煌めき、着飾った貴族たちが談笑する華やかな世界。
その中心で、第一王子カイは完璧な微笑みを浮かべ、外交の任をこなしていた。
ルカはその数歩後ろ、壁際に控え、主人のグラスが空になるのを待っていた。
(今のところ、順調だ……)
ルカは会場全体に視線を配る。
表向きにはカイ一人しかいないことになっているが、実はこの会場にはイルスも潜んでいるはずだ。万が一の事態に備え、あるいはカイが疲労した際に入れ替わるために。
ルカの眼だけが、物陰や給仕の列に紛れる「影」の気配を探していた。
「おや、君は……カイ殿下の新しい従者だね?」
不意に、粘つくような声がかけられた。
振り返ると、酒臭い息を吐く中年男性が立っていた。派手な衣装に身を包んだ彼は、この国の有力貴族であるガモ伯爵だ。女癖が悪く、最近では美少年にも手を出しているという悪い噂が絶えない男だった。
「初にお目にかかります、閣下。ルカと申します」
「噂通り、随分と可愛らしい顔をしているじゃないか。殿下のお気に入りだそうだが……夜のお相手もしているのかな?」
下卑た笑いと共に、伯爵の手がルカの腰に伸びてきた。
ルカは反射的に身を引こうとしたが、壁際に追い詰められており、逃げ場がない。
「失礼いたします、閣下。私は業務中でございますので」
「堅いことを言うなよ。殿下のお下がりでも、私は構わんぞ? どうだ、後で私の部屋に……」
伯爵の太い指が、ルカの頬を撫でようとした、その時だった。
「――失礼。私の従者に何か?」
凛とした、よく通る声が割って入った。
伯爵がギョッとして振り返る。そこには、いつの間にか人垣を抜けてきたカイ王子が立っていた。
金髪碧眼、完璧な微笑み。
だが、ルカは瞬時に「違和感」を覚えた。
(……違う。これはカイ様じゃない)
立ち姿の重心がわずかに右にある。そして何より、まとっている空気が氷のように冷たい。
これは、カイに変装したイルスだ。
「で、殿下! いや、これは、その……激励をしていただけでして」
「激励、ですか」
イルス(姿はカイ)は、優雅な動作で伯爵の肩に手を置いた。
ポン、と軽く置かれただけに見えるその手に、ギリ……と骨がきしむような力が込められているのをルカは見て取った。
「私の従者は、少々『手癖の悪い』相手が苦手のようでしてね。……その薄汚い手を二度と彼に向けないでいただきたい。次はありませんよ?」
耳元で囁かれた言葉に、伯爵の顔色が青を通り越して土気色になった。
周囲からは穏やかに談笑しているようにしか見えない。だが、伯爵だけが、目の前の王子から放たれる凄まじい殺気と殺意に晒されていた。
「ひっ、は、はい……! 失礼いたしましたァ!」
伯爵は逃げるようにその場を去っていった。
周囲の貴族たちが不思議そうに見守る中、イルスはルカに向き直り、フッと口元を緩めた。
「……無事か、ルカ」
「はい。ありがとうございます、イルス様」
ルカが小声で名を呼ぶと、イルスは一瞬だけ驚いたように目を見開き、すぐに満足げに目を細めた。
変装していても自分を見抜いたことが、嬉しくてたまらないのだ。
「よく分かったな。……褒美をやりたいところだが、今は『交代』だ」
イルスが目配せをした瞬間、会場の照明が一瞬だけ暗くなった。演出のための明滅だ。
そのわずか数秒の間に、ルカの目の前にいる人物が入れ替わった。
「やれやれ。油断も隙もないな」
明かりが戻った時、そこに立っていたのは本物のカイだった。
重心は左、指先の所作もカイのものだ。
彼はルカの腰をぐっと引き寄せ、伯爵が触れようとした場所を上書きするように強く握りしめた。
「あの狸親父、後で社会的に抹殺しておくとして……。ルカ、お前も隙だらけだぞ」
「申し訳ありません……」
「だが、まあいい。お前が誰の所有物か、周囲に見せつける良い機会だ」
カイは衆人環視の中、堂々とルカの髪を指で梳いた。それは主従の親愛を超えた、あまりに親密な仕草だった。
遠くの物陰から、鋭い視線を感じる。イルスの視線だ。
二人の王子が、同時にルカを守り、そして独占しようとしている。
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