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穏やかな日々は、唐突な破裂音と共に終わりを告げた。
あと二日。
リビングで紅茶を淹れていたシエルの手から、カップが滑り落ちた。
ガシャンッ!
陶器が砕ける音に、僕は弾かれたように顔を上げた。
「シエル? 大丈夫……っ!?」
駆け寄ろうとした足が止まる。
シエルがその場に膝をつき、胸元を抑えて苦悶の表情を浮かべていたからだ。
だが、恐ろしかったのはそれじゃない。
彼が抑えている指の隙間から、どす黒い霧のようなものが溢れ出していたのだ。
「見るな……っ!」
「な、なにそれ……シエル、身体が!」
僕は彼の拒絶を無視して、その手を無理やり退けた。
息を呑んだ。
陶器のように滑らかだった彼の首筋から鎖骨にかけて、ピキピキと不気味な亀裂が走り、そこから黒い霧が噴き出していた。まるで、内側から身体が崩壊しようとしているみたいに。
「どういうことだよ、これ……! ただの疲れなんかじゃないだろ!」
「……バレたか。これ以上は隠し通せそうにないな」
シエルは力なく壁に背を預け、自嘲気味に笑った。
その身体は、以前の僕のように点滅し、透け始めている。
「レン。貴様の寿命は……本当は『あと一週間』などではなかった」
「え……?」
「あの日。あの雪の駅で、貴様は死ぬ運命だったんだ。本来のシナリオでは、あそこで電車に飛び込み、その短い生涯を終えるはずだった」
心臓が冷たくなるのを感じた。
じゃあ、この一週間は? 今、僕が生きているこの時間は?
「私は、運命を捻じ曲げた。死神の鎌を使って、貴様の魂の鎖を無理やり現世に繋ぎ止めたんだ」
シエルが静かに告白する。
「寿命の改竄は、死神にとって最大の禁忌だ。その代償は……術者のたましいで支払われる」
「そ、それって……」
言葉がうまく出てこない。喉が引きつる。
「そうだ。この一週間、私が削っていたのは貴様の寿命ではない。……私自身の存在時間だ」
思考が真っ白になった。
彼は、自分の命を削って、僕を生かしていたのか?
僕が食べた美味しいご飯も、安らかな睡眠も、彼との温かい時間も。すべて、彼が身を削って与えてくれたものだったのか。
一昨日、彼が僕を抱いて注ぎ込んでくれたあの熱さえも、彼の命そのものだったなんて。
「どうして……どうしてそこまでするんだよ! 僕はただの社畜で、死にたがりで、価値なんてないのに!」
「価値なら、ある」
シエルは揺らぐ手で、僕の頬に触れた。
その冷たさが、今は痛いほど愛おしい。
彼は、ひび割れた顔で、今までで一番優しく微笑んだ。
「貴様が生きていてくれるなら、私の命など安いものだ」
「安くなんてない! 勝手に決めつけるな!」
僕は叫び、涙が溢れて止まらなかった。
僕が幸せになる代わりに、彼が消えるなんて。そんなの、ちっとも幸せじゃない。
「あと、一日だ」
シエルが残酷な事実を告げる。
「十二月三十一日。除夜の鐘が鳴り終われば、私の存在は完全に消滅する。……その代わり、貴様の寿命の歪みは正され、貴様は天寿を全うするまで生きられる」
「嫌だ……!」
「生きろ、レン。私が命を懸けて守った魂だ。……誰よりも幸せになれ」
シエルの姿が、フッと霧のように薄くなった。
これ以上、実体を保つのも限界なのだ。
彼は僕を突き放すように背を向け、寝室へと姿を消した。
残された僕は、ただ立ち尽くすことしかできなかった。
幸せになれ? ふざけるな。
君がいない世界で、どうやって幸せになれって言うんだ。
拳を握りしめる。
あんなに「死にたい」と願っていた僕が、今は「生かしたい」と強く願っている。
自分の命よりも大切だと思える存在に、初めて出会ってしまったから。
(諦めるもんか……)
僕は涙を拭った。
死神が運命をねじ曲げたのなら、僕だって運命に抗ってやる。
たとえ、僕の命を差し出すことになったとしても。
運命の大晦日まで、あと一日。
僕と死神の、最後の夜が始まろうとしていた。
あと二日。
リビングで紅茶を淹れていたシエルの手から、カップが滑り落ちた。
ガシャンッ!
陶器が砕ける音に、僕は弾かれたように顔を上げた。
「シエル? 大丈夫……っ!?」
駆け寄ろうとした足が止まる。
シエルがその場に膝をつき、胸元を抑えて苦悶の表情を浮かべていたからだ。
だが、恐ろしかったのはそれじゃない。
彼が抑えている指の隙間から、どす黒い霧のようなものが溢れ出していたのだ。
「見るな……っ!」
「な、なにそれ……シエル、身体が!」
僕は彼の拒絶を無視して、その手を無理やり退けた。
息を呑んだ。
陶器のように滑らかだった彼の首筋から鎖骨にかけて、ピキピキと不気味な亀裂が走り、そこから黒い霧が噴き出していた。まるで、内側から身体が崩壊しようとしているみたいに。
「どういうことだよ、これ……! ただの疲れなんかじゃないだろ!」
「……バレたか。これ以上は隠し通せそうにないな」
シエルは力なく壁に背を預け、自嘲気味に笑った。
その身体は、以前の僕のように点滅し、透け始めている。
「レン。貴様の寿命は……本当は『あと一週間』などではなかった」
「え……?」
「あの日。あの雪の駅で、貴様は死ぬ運命だったんだ。本来のシナリオでは、あそこで電車に飛び込み、その短い生涯を終えるはずだった」
心臓が冷たくなるのを感じた。
じゃあ、この一週間は? 今、僕が生きているこの時間は?
「私は、運命を捻じ曲げた。死神の鎌を使って、貴様の魂の鎖を無理やり現世に繋ぎ止めたんだ」
シエルが静かに告白する。
「寿命の改竄は、死神にとって最大の禁忌だ。その代償は……術者のたましいで支払われる」
「そ、それって……」
言葉がうまく出てこない。喉が引きつる。
「そうだ。この一週間、私が削っていたのは貴様の寿命ではない。……私自身の存在時間だ」
思考が真っ白になった。
彼は、自分の命を削って、僕を生かしていたのか?
僕が食べた美味しいご飯も、安らかな睡眠も、彼との温かい時間も。すべて、彼が身を削って与えてくれたものだったのか。
一昨日、彼が僕を抱いて注ぎ込んでくれたあの熱さえも、彼の命そのものだったなんて。
「どうして……どうしてそこまでするんだよ! 僕はただの社畜で、死にたがりで、価値なんてないのに!」
「価値なら、ある」
シエルは揺らぐ手で、僕の頬に触れた。
その冷たさが、今は痛いほど愛おしい。
彼は、ひび割れた顔で、今までで一番優しく微笑んだ。
「貴様が生きていてくれるなら、私の命など安いものだ」
「安くなんてない! 勝手に決めつけるな!」
僕は叫び、涙が溢れて止まらなかった。
僕が幸せになる代わりに、彼が消えるなんて。そんなの、ちっとも幸せじゃない。
「あと、一日だ」
シエルが残酷な事実を告げる。
「十二月三十一日。除夜の鐘が鳴り終われば、私の存在は完全に消滅する。……その代わり、貴様の寿命の歪みは正され、貴様は天寿を全うするまで生きられる」
「嫌だ……!」
「生きろ、レン。私が命を懸けて守った魂だ。……誰よりも幸せになれ」
シエルの姿が、フッと霧のように薄くなった。
これ以上、実体を保つのも限界なのだ。
彼は僕を突き放すように背を向け、寝室へと姿を消した。
残された僕は、ただ立ち尽くすことしかできなかった。
幸せになれ? ふざけるな。
君がいない世界で、どうやって幸せになれって言うんだ。
拳を握りしめる。
あんなに「死にたい」と願っていた僕が、今は「生かしたい」と強く願っている。
自分の命よりも大切だと思える存在に、初めて出会ってしまったから。
(諦めるもんか……)
僕は涙を拭った。
死神が運命をねじ曲げたのなら、僕だって運命に抗ってやる。
たとえ、僕の命を差し出すことになったとしても。
運命の大晦日まで、あと一日。
僕と死神の、最後の夜が始まろうとしていた。
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