余命一週間の社畜は、死神の甘やかな管理下に堕ちる

八百屋 成美

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 十二月三十一日。運命の日。
 目を覚ますと、隣にいるはずの温もりが消えていた。
 嫌な予感がして跳ね起きる。シエルの姿がない。
 寝室も、リビングも、浴室も。どこを探しても、あの美しい死神の姿はなかった。
 ただ、ダイニングテーブルの上に、一枚のメモと、作り置きの朝食が残されていた。

『さようなら。幸せになれ』

 短すぎる別れの言葉。
 彼は一人で消えるつもりだ。僕に最期の瞬間を見せないように。
 震える手でメモを握り潰す。ふざけるな。勝手に決めるな。
 彼が行く場所なら、心当たりがあった。
 彼が語ってくれた百年前の記憶。僕の前世と彼が出会った場所――街外れの古びた神社だ。
 僕は着の身着のまま、部屋を飛び出した。
 外は、あの日と同じような冷たい雨が降りしきっていた。
 僕は傘も差さずに走った。
 息が切れる。肺が焼けるように熱い。でも、足は止めなかった。

「はぁ、はぁ……っ!」

 石段を駆け上がり、境内へと飛び込む。
 雨に煙る社殿の前。そこに、彼はいた。
 黒いスーツ姿のシエルが、枯れ木のような手で鳥居に触れ、崩れ落ちそうになっていた。
 その身体はもう、半分以上が透けている。雨粒が彼の身体をすり抜け、地面を濡らしていた。

「……シエル!」

 僕が叫ぶと、彼は驚愕に目を見開き、弱々しく振り返った。

「レン……? なぜ、ここが……」
「迎えに来たんだ! 帰ろう、家に!」

 駆け寄って彼を抱きしめようとする。
 スカッ。
 腕が、彼をすり抜けた。
 実体がない。そこにいるのに、触れられない。

「無駄だ。……もう、時間がない」

 シエルは寂しげに微笑んだ。その笑顔は、胸が張り裂けるほど美しく、そして残酷だった。

「来るなと言ったはずだ。私の消滅に巻き込まれれば、貴様の魂にも傷がつく」
「どうでもいい! 君がいなくなるなら、魂なんて傷だらけでいい!」
「馬鹿なことを言うな!」

 シエルが声を張り上げた。だが、その声もノイズ混じりで遠い。

「私は、貴様に生きてほしかった。ただ、それだけなんだ。……私の命など、貴様の未来に比べれば安いものだ」
「安くなんてない! 勝手に決めつけるな!」

 僕は雨に打たれながら叫んだ。
 一年前の僕なら、きっと彼の犠牲を受け入れていただろう。自分には価値がないと信じ込んでいたから。
 でも、今は違う。
 彼が、僕を変えたんだ。

「君がご飯を作ってくれたから、美味しいと感じられた。君が怒ってくれたから、自分を大切にしようと思えた。君がいてくれたから……僕は『明日』が楽しみになったんだ!」

 僕は、透けかけたシエルの胸元――心臓があるはずの場所に、無理やり手を伸ばした。
 冷たい冷気が指を刺す。それでも、引かなかった。

「君がいない未来なんて、僕はいらない。……君が命を削ってくれたこの命、今度は僕が君のために使う」
「レン、やめろ……何を……」
「契約だ、管理官404号!」

 僕は、彼が最初に名乗った肩書きを叫んだ。

「僕の寿命を半分あげる。半分こなら、二人で生きられるだろ!」

 それは、ただの我儘だった。
 神の理に反する、人間の傲慢な願い。
 けれど、その瞬間。僕の胸の奥から、熱い塊が込み上げてきた。
 「生きたい」という渇望。「彼と共にありたい」という愛。
 それらが光となって溢れ出し、僕の手を通じてシエルの霊体に流れ込んだ。
 ドクンッ。
 鼓動が聞こえた。
 僕のではない。彼の鼓動だ。

「な、あ……っ!?」

 シエルが目を見開く。
 透けていた彼の身体が、内側から発光し始めた。雨雲が割れ、一筋の月光が僕たちを照らす。
 僕の魂の輝きが、消えかけていた彼の存在を「こちら側」に縫い留めていく。

「レン、貴様……自分の寿命を、私に分け与えているのか!?」
「嫌なら抵抗すればいい。……でも、僕は離さない」

 僕は思い切り、実体を取り戻しつつある彼に抱きついた。
 今度はすり抜けなかった。
 確かな質量。冷たいけれど、芯に熱を帯びた身体。

「シエル。儀式をしよう。魂を混ぜ合わせて、もう二度と離れられないように」

 僕がまっすぐに見つめると、シエルは一瞬ためらい、それから観念したように、泣きそうな顔で笑った。

「……愚か者め。もう後戻りはできないぞ」
「望むところだ」
「貴様の全てを喰らうぞ、レン」
「僕の全てで、君を満たしてあげる」

 神聖な空気の中で、僕たちは唇を重ねた。
 それは、命を懸けた、最初で最後の契約の始まりだった。
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