85 / 174
里帰り
その三
しおりを挟む
お手伝いさんの案内で仏間に入ると、明らかに仕出し注文した料理たちがテーブルいっぱいに並べられていた。かつては季節に一度ほど食べていた割烹寿司屋の握りの盛り合わせ、祝い事のたびに特別注文していた洋食レストランのオードブルセットの他に、百貨店の惣菜売り場で買ったらしきお高めのサラダなど三人分とは思えぬ量の多さに根田は一瞬怯む。
「他にお客様でも来るんですか?」
「今回は私たち三人だけよ」
多すぎません? そう言いそうになるが、兄のためと準備したであろう母の気持ちに水を差すのもどうかと思い言葉を飲み込んだ。
「平日の昼間だと時間が取れませんよね?」
「えぇ、だから先週末にお経は上げて頂いたの」
「当日は家族三人で静かに順を偲ぼうと思って」
父も仏間に入っていの一番に上座に着いた。母は父の隣に、根田は母の向かいに座り、生前父の前に座っていた兄の席は空けておく。それを見てから部屋の端に控えていたお手伝いの女性二人が三人の食事を取り分けたのだが、今では全てのことを自身でするようになっているせいか違和しか感じない。
「ありがとうございます」
至れり尽くせりのもてなしに礼を言うと若い方のお手伝いさんの肩がびくっと震える。
「い、いえとんでもございません」
彼女たちはお給料をもらってこの仕事をしているのは分かっていたが、家事の大変さを体感しているので感謝の気持ちを伝えるだけのつもりだった。
「何を言ってるんだ?」
父にとってはこの光景が日常なので根田の言葉に怪訝な表情を浮かべている。お手伝いさんの反応を見ても余計なひと言だったかも知れないとモヤモヤした気持ちが残る。
「そうよ、お仕事でなさっているんだから」
子供の頃からお手伝いさんが付いている環境下で育っている母も意外だと言わんばかりにホホホと笑う。彼女はひと通りの花嫁修業をしたらしいのだが、自身の身嗜みを優先して家事をすることは滅多に無い。その間に取皿に料理を盛り付けたお手伝いさんが失礼しますと一礼して部屋を出て行くと、二人の気配が消えたのを見計らったように母が口を開いた。
「急にそんなことを言い出すからびっくりするじゃない」
「えっ? 飲食店の方にひと声掛けるのと同じ感覚だったんですけど」
「労働の対価は支払っているんだ、その時点で対等な関係なんだから必要無いだろ」
「そうよ悌ちゃん、あなたはそれを受け取る資格があるの」
そういう感覚? 思えば根田自身も子供の頃はそれが当たり前で感謝の気持ちなど持ったことが無かった。学校でも真っ黒な高級車で送り迎えをしてもらう同級生もちらほらと見掛け、自身の環境が当たり前でなかったと思い知ったのはそれこそ箱館で生活を始めてからだった。
「でもどうして急に? 何かあったのか?」
父は握り寿司を満足げに食べている。母はひと口で食べるには大き過ぎると特別注文した半分サイズの握り寿司をお上品に口に入れていた。
「まさかとは思うけど、今はお手伝いさんがいないの?」
「いませんよ、皆自分のことは自分でしています」
「まぁ、なんてこと……」
まるで出先でとんでもない目に遭っているのではとでも言いたげに、母は憐れんだ視線を向けている。
「大丈夫です。時々は協力し合ってますしやってみると案外奥が深くて楽しいんです」
「けどそんなことに時間を割くのは体力の浪費だろ?」
「確かに大変な時もありますが、ボクには向いていると思います」
「いけないわ悌ちゃん、お手伝いさんを一人……二人派遣しましょ。ペンションの皆様だってその方が良いに決まっているわよ」
「待ってください! そこまでしなくていいですから!」
食事の手を止めて脇に置いているケータイの操作を始める母を慌てて止める。
「一人暮らししてる訳ではないので心配しないでください」
「只でさえ遠く離れているのに一人暮らしだなんてとんでもない! 悌ちゃんにまで何かあったらお母さんどうしたらいいのっ!」
感情的になる母にちょっとした圧迫感を覚える。神童とまで言われてきた兄を失ったショックは大きかったと考えられるが、順ほど構われなかった根田に恐怖心が湧き上がった。お兄ちゃんもこんな気持ちでいたのかな? 小さい頃は自身以上に目を掛けられていた兄を羨ましく感じたが、この視線を慢性的に注がれ続くのもなぁふと思う。
「大丈夫ですよ、今のところ一人暮らしする予定は無いですから」
「それでもやっぱり親としては心配だわ、お父さんからも何か仰って」
「うむ、また頼んでみるか」
その言葉に根田は耳を疑う。これが何を意味するのかが瞬時に察知できたからだ。
「えっ? 『三年待つ』って約束では?」
「三年なんて長すぎるわ、最近連絡くれないじゃない」
週に一度は電話してますよね? そう言いそうになるが今ここで言い返すとヒステリックになりかねないと敢えて黙ることにする。
「悌、ペンションで働いて何年になる?」
父は腕組みを外して根田の顔を見る。
「一年と少しです」
「雑務も多いと聞くが宿泊施設だと掃除もあるだろ? 不衛生ではないのか?」
「手袋、エプロン、マスクは付けますしアルコール消毒液も常備してますので問題というほどでも」
「でもあなたのやる仕事ではないと思うの、お掃除は専門職の方に任せるべきだわ」
大型ホテルであれば部屋数も多いのでアメニティ担当は必要だが、たった八部屋の小さなペンションではコストがかかり過ぎる……とお嬢様育ちでほとんど社会に出たことの無い母に言っても理解してもらえないだろうと徐々に諦めの気持ちが顔を出す。
「定期的に清掃業者さんは入って頂いています、そこはオーナーも気にしてますので」
とかわす返答をしたが全く通用しなかった。
「こっちに帰ってきなさいよ、悌ちゃんは頭を使うお仕事の方が似合っているわ」
「辞めるつもりはありません、今の仕事にやりがいを感じていますので」
「そんなの若い今のうちだけよ、絶対に後悔するわ」
「そうなった時に路線変更します」
根田は一刻も早く箱館に戻りたくなった。
「他にお客様でも来るんですか?」
「今回は私たち三人だけよ」
多すぎません? そう言いそうになるが、兄のためと準備したであろう母の気持ちに水を差すのもどうかと思い言葉を飲み込んだ。
「平日の昼間だと時間が取れませんよね?」
「えぇ、だから先週末にお経は上げて頂いたの」
「当日は家族三人で静かに順を偲ぼうと思って」
父も仏間に入っていの一番に上座に着いた。母は父の隣に、根田は母の向かいに座り、生前父の前に座っていた兄の席は空けておく。それを見てから部屋の端に控えていたお手伝いの女性二人が三人の食事を取り分けたのだが、今では全てのことを自身でするようになっているせいか違和しか感じない。
「ありがとうございます」
至れり尽くせりのもてなしに礼を言うと若い方のお手伝いさんの肩がびくっと震える。
「い、いえとんでもございません」
彼女たちはお給料をもらってこの仕事をしているのは分かっていたが、家事の大変さを体感しているので感謝の気持ちを伝えるだけのつもりだった。
「何を言ってるんだ?」
父にとってはこの光景が日常なので根田の言葉に怪訝な表情を浮かべている。お手伝いさんの反応を見ても余計なひと言だったかも知れないとモヤモヤした気持ちが残る。
「そうよ、お仕事でなさっているんだから」
子供の頃からお手伝いさんが付いている環境下で育っている母も意外だと言わんばかりにホホホと笑う。彼女はひと通りの花嫁修業をしたらしいのだが、自身の身嗜みを優先して家事をすることは滅多に無い。その間に取皿に料理を盛り付けたお手伝いさんが失礼しますと一礼して部屋を出て行くと、二人の気配が消えたのを見計らったように母が口を開いた。
「急にそんなことを言い出すからびっくりするじゃない」
「えっ? 飲食店の方にひと声掛けるのと同じ感覚だったんですけど」
「労働の対価は支払っているんだ、その時点で対等な関係なんだから必要無いだろ」
「そうよ悌ちゃん、あなたはそれを受け取る資格があるの」
そういう感覚? 思えば根田自身も子供の頃はそれが当たり前で感謝の気持ちなど持ったことが無かった。学校でも真っ黒な高級車で送り迎えをしてもらう同級生もちらほらと見掛け、自身の環境が当たり前でなかったと思い知ったのはそれこそ箱館で生活を始めてからだった。
「でもどうして急に? 何かあったのか?」
父は握り寿司を満足げに食べている。母はひと口で食べるには大き過ぎると特別注文した半分サイズの握り寿司をお上品に口に入れていた。
「まさかとは思うけど、今はお手伝いさんがいないの?」
「いませんよ、皆自分のことは自分でしています」
「まぁ、なんてこと……」
まるで出先でとんでもない目に遭っているのではとでも言いたげに、母は憐れんだ視線を向けている。
「大丈夫です。時々は協力し合ってますしやってみると案外奥が深くて楽しいんです」
「けどそんなことに時間を割くのは体力の浪費だろ?」
「確かに大変な時もありますが、ボクには向いていると思います」
「いけないわ悌ちゃん、お手伝いさんを一人……二人派遣しましょ。ペンションの皆様だってその方が良いに決まっているわよ」
「待ってください! そこまでしなくていいですから!」
食事の手を止めて脇に置いているケータイの操作を始める母を慌てて止める。
「一人暮らししてる訳ではないので心配しないでください」
「只でさえ遠く離れているのに一人暮らしだなんてとんでもない! 悌ちゃんにまで何かあったらお母さんどうしたらいいのっ!」
感情的になる母にちょっとした圧迫感を覚える。神童とまで言われてきた兄を失ったショックは大きかったと考えられるが、順ほど構われなかった根田に恐怖心が湧き上がった。お兄ちゃんもこんな気持ちでいたのかな? 小さい頃は自身以上に目を掛けられていた兄を羨ましく感じたが、この視線を慢性的に注がれ続くのもなぁふと思う。
「大丈夫ですよ、今のところ一人暮らしする予定は無いですから」
「それでもやっぱり親としては心配だわ、お父さんからも何か仰って」
「うむ、また頼んでみるか」
その言葉に根田は耳を疑う。これが何を意味するのかが瞬時に察知できたからだ。
「えっ? 『三年待つ』って約束では?」
「三年なんて長すぎるわ、最近連絡くれないじゃない」
週に一度は電話してますよね? そう言いそうになるが今ここで言い返すとヒステリックになりかねないと敢えて黙ることにする。
「悌、ペンションで働いて何年になる?」
父は腕組みを外して根田の顔を見る。
「一年と少しです」
「雑務も多いと聞くが宿泊施設だと掃除もあるだろ? 不衛生ではないのか?」
「手袋、エプロン、マスクは付けますしアルコール消毒液も常備してますので問題というほどでも」
「でもあなたのやる仕事ではないと思うの、お掃除は専門職の方に任せるべきだわ」
大型ホテルであれば部屋数も多いのでアメニティ担当は必要だが、たった八部屋の小さなペンションではコストがかかり過ぎる……とお嬢様育ちでほとんど社会に出たことの無い母に言っても理解してもらえないだろうと徐々に諦めの気持ちが顔を出す。
「定期的に清掃業者さんは入って頂いています、そこはオーナーも気にしてますので」
とかわす返答をしたが全く通用しなかった。
「こっちに帰ってきなさいよ、悌ちゃんは頭を使うお仕事の方が似合っているわ」
「辞めるつもりはありません、今の仕事にやりがいを感じていますので」
「そんなの若い今のうちだけよ、絶対に後悔するわ」
「そうなった時に路線変更します」
根田は一刻も早く箱館に戻りたくなった。
0
あなたにおすすめの小説
二十五時の来訪者
木野もくば
ライト文芸
とある田舎町で会社員をしているカヤコは、深夜に聞こえる鳥のさえずりで目を覚ましてしまいます。
独特でおもしろい鳴き声が気になりベランダから外を眺めていると、ちょっとしたハプニングからの出会いがあって……。
夏が訪れる少し前の季節のなか、深夜一時からの時間がつむぐ、ほんのひと時の物語です。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
むっつり金持ち高校生、巨乳美少女たちに囲まれて学園ハーレム
ピコサイクス
青春
顔は普通、性格も地味。
けれど実は金持ちな高校一年生――俺、朝倉健斗。
学校では埋もれキャラのはずなのに、なぜか周りは巨乳美女ばかり!?
大学生の家庭教師、年上メイド、同級生ギャルに清楚系美少女……。
真面目な御曹司を演じつつ、内心はむっつりスケベ。
JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――
のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」
高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。
そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。
でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。
昼間は生徒会長、夜は…ご主人様?
しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。
「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」
手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。
なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。
怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。
だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって――
「…ほんとは、ずっと前から、私…」
ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。
恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。
あるフィギュアスケーターの性事情
蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。
しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。
何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。
この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。
そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。
この物語はフィクションです。
実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。
【⁉】意味がわかると怖い話【解説あり】
絢郷水沙
ホラー
普通に読めばそうでもないけど、よく考えてみたらゾクッとする、そんな怖い話です。基本1ページ完結。
下にスクロールするとヒントと解説があります。何が怖いのか、ぜひ推理しながら読み進めてみてください。
※全話オリジナル作品です。
わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...
MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。
ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。
さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか?
そのほかに外伝も綴りました。
君への気持ちが冷めたと夫から言われたので家出をしたら、知らぬ間に懸賞金が掛けられていました
結城芙由奈@コミカライズ連載中
恋愛
【え? これってまさか私のこと?】
ソフィア・ヴァイロンは貧しい子爵家の令嬢だった。町の小さな雑貨店で働き、常連の男性客に密かに恋心を抱いていたある日のこと。父親から借金返済の為に結婚話を持ち掛けられる。断ることが出来ず、諦めて見合いをしようとした矢先、別の相手から結婚を申し込まれた。その相手こそ彼女が密かに思いを寄せていた青年だった。そこでソフィアは喜んで受け入れたのだが、望んでいたような結婚生活では無かった。そんなある日、「君への気持ちが冷めたと」と夫から告げられる。ショックを受けたソフィアは家出をして行方をくらませたのだが、夫から懸賞金を掛けられていたことを知る――
※他サイトでも投稿中
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる