ペンション『オクトゴーヌ』再生計画

谷内 朋

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意地

その三

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 夜勤中の小野坂と早朝の仕込みを控えている川瀬の様子を見に行った根田は事務所入口からそっと中に入る。普段であればとっくに起きて支度を済ませているはずだが、川瀬はまだソファーの上で眠っている。珍しいなと思いながら起こそうと近付いたところでゆっくりと瞼を開けた。
「おはようございます義さん、朝食どうされます?」
「仕込みを済ませてからにするよ、ちょっと寝坊しちゃったから」
「分かりました。智さんに手伝い入ってもらいますか?」
「うん、今日はその方がいいかも」
「じゃ交代してきます」
 根田は先輩が起き上がったのを見てからフロントに入り、小野坂に声を掛けた。
「おはようございます智さん」
「おはよう。面接終わったのか?」
「まだです。義さん今起きられましたので厨房のサポートお願いできますか?」
「珍しいこともあるもんだな。んじゃここは任せるぞ」
「ハイ」
 根田と交代した小野坂は厨房に入って手を洗う。同じ場所では嶺山と日高がパン作りに精を出している。
「おはようございます」
「おはようさん」
「おはようございます」
「あれ? 義まだか?」
「事務所からは音がしたべ、もうじき出てきささるんでないかい?」
 日高は作業の手を緩めずに言った。彼は『アウローラ』のオープニングスタッフで、元々はメーカーのパン工場で菓子パンを作っていた。小野坂は献立を把握しているので、使用予定の食材の下ごしらえをしながら川瀬を待つ。
「智、朝飯食わんでええんか?」
「五時上がりなんで終わったら食います」
「そうか。楽しみにしとけ、ええもん食えるぞ」
 嶺山の言葉に小野坂ははいと頷いた。彼はそれで堀江の意図を察する。
「そうなんだべか? そったらこと聞かさったら僕もまくらいたくなってきたべ」
「ならその時一緒に食べませんか?」
 三人でそんな話をしていると、ようやっと川瀬が緑色の調理服姿で事務所から出てきた。
「おはようございます」
 川瀬はいつものようにひじまで洗ってから小野坂の隣で作業を始める。彼にとって食事に下ごしらえ時は最も忙しくなる業務で、約一年ほぼ一人で毎日こなしてきた。
 そろそろ限界に近いかもな……元料理人である悌の面接に踏み切った理由の一つであろうと小野坂は感じていた。これ以上外部の手を借りるのも問題があるのだが、川瀬は人の選り好みが激しく、親しい仲の人間と子供以外には冷たいと言っていいくらいだ。今は臨時アルバイトとして出入りしている『DAIGO』でも、古参スタッフと夢子以外とはほとんど口を聞かないという噂話も耳に入っている。
 小野坂自身とは比較的相性が良いのかその面を見ることはほとんど無いが、義藤、カケハシと乱入者続きなので気疲れをしている可能性も考えている。今のところ精神的変調は見られないが寝不足なのは見て取れた。
「義、朝食まで残ろうか?」
「大丈夫、定時で上がって」
 川瀬は多少疲れの残る笑顔を見せた。

 その後小野坂と堀江が入れ代わって朝食ラッシュを乗り切り、休憩がてら一旦『離れ』に戻ると村木と鵜飼がダイニングに集まっていた。
「義君、朝まんままくらうべ」
「えっ?」
「聞かさってないんかい? 悌君の採用試験だべさ」
 村木はそんなの聞いてないとぽかんとしている川瀬の手を引いてテーブルに着席させる。悌はやや緊張した面持ちで三人分の朝食を配膳した。
「ん、美味そうだべ♪」
 偏食家で信用した人物の作った料理しか口にしない村木が、嬉しそうに料理を覗き込んでいる。彼の音頭で頂きますと手を合わせ、村木は卵焼きを、鵜飼は味噌汁を、川瀬は緑茶を最初に口にした。
「ん? たらこ入れてんのかい?」
「はい、消費期限が今日ですので使わせて頂きました」
「んめぇべ、今度カヨちゃんに作ってもらお」
 彼は少食なのにも関わらず、順調に箸を進めていく。
「自分で作らされー」
「自分で作っても美味くねえべ」
 鵜飼も村木同様調子良く料理を腹に納め、時折悌に話し掛ける。
「料理は昔っからしてたんかい?」
「はい。子供の頃から時々自炊していました」
「得意なんは和食なんかい?」
「はい。学校時代は和食の専攻だったので、その流れで和食の方が得意ではあります」
 川瀬は一人静かに食事を摂り、試験として料理を味わっている。腕は良いと思うけど和食型か……『オクトゴーヌ』では川瀬が得意としている洋食メニューがほとんどであり、これでは見極めが難しいと感じていた。
 この中では卵焼きかホイル焼きかと順番に口に入れてみたが、味付けがどちらもだしと醤油ベースなので決定打に欠ける。
「悌さん、どれでもいいのでパスタを茹でて頂けますか?」
「はい。お好みの味とかあれば……」
「茹でたものをそのまま出してください、オイルもかけなくて結構です」
「分かりました」
 悌はここにある最も深い鍋を選び、水と塩を入れて火にかける。その間に棚からパスタを探し出し、最も使うと考えてスパゲッティーニを手に取った。村木と鵜飼は川瀬の意図を理解した訳ではなかったので、ケチャップ味が好きという理由でナポリタンが良いと好き勝手言っていた。
 それを小耳に挟んでいた悌は、湯が沸くまでの間に玉ねぎ、ピーマン、ベーコンを細切りにする。包丁の音に反応した川瀬は急に席を立ち、少し離れた位置から手元をじっと見つめていた。
「なしたんだべ? 義君」
「多分スイッチが入らさったんだ。『オクトゴーヌ』にとっちゃ大事なことしたからさ」
「そったらこねくり回さんで採用すりゃいいんだべ。どのみち人手は要るしたからさ」
「そったら訳にはいかんしょ、人数が増えりゃ場の空気も変わるべ。それにささ、いくら腕が良いしたって相性次第じゃ悪化すんべ」
 今や社長として社員をまとめねばならぬ立場の鵜飼は、川瀬が目を光らせて品定めする気持ちは一定の理解はできた。調理スタッフとしての採用であれば、誰よりも彼のジャッジが大事になってくる。
「義さんにしささったら死活問題だべよ、案外気難しいしたからさ」
 鵜飼は村木にのみ聞こえる声で呟いた。その言葉に村木も同調して頷き、勝負とは違う形で火花を散らす二人の姿を見つめていた。
 パスタを茹でる作業とナポリタンの具を炒める作業とを交互にこなしていく悌の動きを一頻り凝視した川瀬は、パスタが茹で上がったタイマー音を聞いてから元いた席に座り直す。水気を切ったパスタを小さな丸皿にちょんと盛り付け、フォークと共に川瀬の前に置いた。
「お待たせ致しました」
 悌はテーブルから離れて川瀬の反応を伺う。茹で汁の塩味しか付いていないスパゲッティーニをほんの少量フォークですくい上げ、じっくりと観察を始める。その後皿の上でくるくると巻き取ってから口に入れてゆっくりと咀嚼する。口の中が空になるとフォークを置き、ごちそうさまでしたとダイニングを出て行った。
「「「……」」」
 悌は特に表情を変えず残されたパスタを下げた。そのまま廃棄するつもりで流しに向かうと、ちょべっと待ちと鵜飼が止めた。
「それも一緒に炒めてけれ」
「んだ、棄てるんはもったいね」
 その言葉を受け、先に調理してある具材に残りのパスタを全て入れて少しだけ茹で汁を足す。熟練されたフライパンさばきで具材とパスタを絡め、あっという間にナポリタンを仕上げていた。
「皿は一つで、箸でまくらうしたからフォークは要らね」
「粉チーズけれ」
「はい」
 村木のリクエストに答えようと冷蔵庫を開けるも見当たらない。
「野菜室だべよー」
「あっありがとうございます」
 言われた通り野菜室を開けると、粉チーズは端っこで静かに立てられていた。それを手にテーブルにいる村木に手渡すと、遠慮の欠片も無くどばどばとナポリタンの上にかけていた。
「かけ過ぎだべ」
「良いでねえか、美味けりゃ何でもさ。ところで悌君っていくつなんだべ?」
 村木は堀江の知人であると知った時点で悌に興味を持っていた。身を隠す目的で親友の妻に刃物を向けていることも聞いているが、今しがた食べた朝食の味を気に入ったことでそれすらどうでも良くなっている。
「二十六です」
「したらオレと信の間だべな」
「んだな、仁とどんぱしたからさ」
「どんぱ?」
「タメ年いう意味だべ」
「したからさ、オレらに敬語なんか要らねえべ」
 村木の言葉に鵜飼も頷いた。
「いえそういう訳には……まだ試験中ですし」
「なんもなんも、こんだけの腕前の奴落っこさね。仮にそうしたらさ、仁にごんぼほってやんべ」
「文句言うって意味だべ」
「それは単にここにそぐわなかったって話で……」
「なぁにほんずけねえことぬかしてんだべ」
 村木は自信無さげにしている大男の肩をバンバン叩く。
「礼さん、全部まくらうけどいいんかい?」
 村木が悌の相手をしている間に、ナポリタンは八割程度無くなっていた。
「いつの間にっ! まくらいすぎだべオメエ」
「アンタなら一口ありゃ十分でねえか思わさったからさ。まくらうんかい?」
 鵜飼は少しだけ残ったナポリタンを皿ごと村木に手渡すと、普段あまり見せない勢いであっという間に平らげていた。二人はご満悦といった表情でごちそうさまでしたと手を合わせた。
「美味かったべ。もしもん時はわちの伝で良けりゃ仲介くらいすっぺよ」
「そったらことになったらウチに来い。空き部屋もあるし、でめんちんで良けりゃ雇うべよ。おっちゃんには話付けとくしたからさ」
「でめんちん?」
「アルバイトって意味だべ、最近あんまし使わんくなったけどさ」
 二人は仲良く立ち上がって使用した食器を流しに置く。
「ありがとうございます。洗い物も試験に入ってますのでそのままにしといてください」
「ん、したっけな」
「バイバイって意味だべ」
 二人は悌に手を振り、それぞれの自宅兼勤務先へと戻っていった。
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