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火種
その三
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堀江と悌が客室の清掃で二階に上がった直後、約五時間近く遅刻した川瀬が厨房に入った。今朝代役として悌の作ったミネストローネの味見をし、調味料を加えては味見を何度か繰り返していた。しかし気に入った味に仕上がらなかったのか、無言でいきなりそれを流しに棄て始め、一部始終を見ていた日高が止めに入ったというのが大まかな流れである。
「すみませんオーナー、俺が止められなかったせいです」
小野坂は珍しくしおっとしている。
「う~ん、それはそれで智君も怪我してるわ」
大体のことを把握できた堀江は、尖ったあごを触ってから日高の方に体を向けた。
「日高さん、ウチのトラブルに巻き込んでしまい申し訳ございません」
「それ違うべ堀江さん、わちが勝手にしたことだべさ」
日高は頭を下げている堀江に恐縮してしまう。
「せやで仁、日高の怪我は自己責任や」
「いえ、日高さんの怪我には明らかな原因があります。それを作ったのはウチの従業員です、そして彼らを統率できていない俺自身に一番の責任があるんです」
堀江は嶺山に向けてきっぱりと言い切った。そこまで気負わんでもと思ったが、彼の気丈な態度に圧されてそれ以上は言い返さなかった。
「日高、今すぐ病院行け」
嶺山はタオルを巻いた保冷剤を日高の右手に巻く。
「はい」
「そのまま直帰して治療に専念せぇ。痛み引くまでは無理するなよ」
「はい、すみませんがお先に失礼します」
日高は後ろ髪引かれながらも職場を離れて病院へ向かった。嶺山はここから一人で全ての業務をこなさねばならなので、すぐさま思考を切り替えてもうじき焼き上がるパンを取り出す準備を始める。この後移動パンが控えており、否が応でも忙しくなるのでこれ以上他所の問題の相手はしていられない。
「お兄ちゃん、あと何分で焼ける?」
と移動パンを担当している雪路が厨房を覗きに来た。
「あと十七分や。たださっき日高が怪我してしもたから二陣目は無理やって先方さんに言うといてくれ」
「次三日後に控えてるけど、行けるやろか?」
妹の指摘に嶺山は腕組みをする。
「う~ん日高次第やなぁ。明日決めるわ」
「うん、それも含めて伝えとくね」
雪路は仕事の話を済ませると再び店内に戻る。厨房内のトラブルにはもちろん気付いていたが、自身の業務を放棄してまで介入する必要は無い。
「智君、吾呼んできてもらえる?」
「はい」
小野坂が厨房を出たところで裏口からこんちわ~と鵜飼の声が響いた。
「信、今日は掃除手伝ってくれ」
「ん、分かった」
鵜飼と一緒にいる小野坂が閉めてあるカーテンに手を掛けると、堀江はちょっと待ってと慌てて呼び止めた。
「智君は吾を連れて降りてきて、厨房のサポートお願い」
「分かった」
「したら客室掃除は任せてけれ」
鵜飼は視界から見えている厨房の様子で現状を察する。
「今礼君も二階におるから」
「了解」
二人はひと通り指示を受けてから二階へと上がっていった。厨房に残っている川瀬はまさかと思い堀江の方を見る。
「一体どうする気なの?」
「カフェ営業に向けての準備やけど。今業務が遅れとるから」
堀江は厨房内の時計を見ながら言った。現在午前九時十五分、カフェ営業は十一時開店である。
「何言ってるの? こんなのお出ししたら信用問題に関わるんだよ」
「現状でできる指示を出したまでやで、それより何でここにおるん?」
「えっ?」
川瀬は上司の態度に冷やかなものを感じた。しかしここで引き下がると居場所を失うのではという焦りから、仕事をしに来たと答えた。
「すみません、以後気を付けます」
「は? 俺電話で何て言うたっけ?」
「……」
「聞いてへんかったん?」
川瀬は答えられなかった。上司は電話で『休め』と言っており、それを無視した上でここにいるのだ。
「もう一遍言うで、今日一日ゆっくり休み」
「いえでもせっかく……」
「『せっかく』って何なん? これお願いやのうて業務命令なんやけど」
「仁君……」
「お大事にな義君、また明日」
以降堀江は川瀬を視界に入れず、事務所からモップと専用バケツを持って床を拭き始める。小野坂は悌を連れて厨房に入り、モップがけをしている上司を見た。
「何してんだよ?」
「スープこぼれとるから拭いてんねん」
「ならドライモップ取ってくる、このままだと滑るぞ」
小野坂は通常運転に戻っており、事務所に入ってドライモップを持ち出してきた。
「吾、カフェ営業の支度お願い。それとミネストローネも作り直して」
「はい、残り棄てますか?」
「う~ん、任した」
「では……嶺山さん、そこのバケット二本頂いて宜しいですか?」
悌は形が悪く売り物にならないパンを指差した。
「構へんぞ、好きなだけ持ってったって」
「ありがとうございます」
彼はビニール手袋をはめて、カゴに盛ってある不揃いのパンの中からバケットを二本抜き取り、ブレッドナイフでざくざくと斜め切りしていく。それを金属製のバッドに敷き詰めると、中途半端に残っているミネストローネをかけた。
「これで賄いが一品できました。汁を吸わしてからチーズとバジル乗せてオーブンで焼いたらちょっとしたつまみにはなりますよ」
「へぇ、美味そうやん。俺にも分けて」
嶺山は冗談めかしたようにそう言うと、悌はクソ真面目にもちろんですと受け答えしている。それを傍観していた川瀬は徐々に疎外感を覚え、一人静かに厨房を出て行った。
「すみませんオーナー、俺が止められなかったせいです」
小野坂は珍しくしおっとしている。
「う~ん、それはそれで智君も怪我してるわ」
大体のことを把握できた堀江は、尖ったあごを触ってから日高の方に体を向けた。
「日高さん、ウチのトラブルに巻き込んでしまい申し訳ございません」
「それ違うべ堀江さん、わちが勝手にしたことだべさ」
日高は頭を下げている堀江に恐縮してしまう。
「せやで仁、日高の怪我は自己責任や」
「いえ、日高さんの怪我には明らかな原因があります。それを作ったのはウチの従業員です、そして彼らを統率できていない俺自身に一番の責任があるんです」
堀江は嶺山に向けてきっぱりと言い切った。そこまで気負わんでもと思ったが、彼の気丈な態度に圧されてそれ以上は言い返さなかった。
「日高、今すぐ病院行け」
嶺山はタオルを巻いた保冷剤を日高の右手に巻く。
「はい」
「そのまま直帰して治療に専念せぇ。痛み引くまでは無理するなよ」
「はい、すみませんがお先に失礼します」
日高は後ろ髪引かれながらも職場を離れて病院へ向かった。嶺山はここから一人で全ての業務をこなさねばならなので、すぐさま思考を切り替えてもうじき焼き上がるパンを取り出す準備を始める。この後移動パンが控えており、否が応でも忙しくなるのでこれ以上他所の問題の相手はしていられない。
「お兄ちゃん、あと何分で焼ける?」
と移動パンを担当している雪路が厨房を覗きに来た。
「あと十七分や。たださっき日高が怪我してしもたから二陣目は無理やって先方さんに言うといてくれ」
「次三日後に控えてるけど、行けるやろか?」
妹の指摘に嶺山は腕組みをする。
「う~ん日高次第やなぁ。明日決めるわ」
「うん、それも含めて伝えとくね」
雪路は仕事の話を済ませると再び店内に戻る。厨房内のトラブルにはもちろん気付いていたが、自身の業務を放棄してまで介入する必要は無い。
「智君、吾呼んできてもらえる?」
「はい」
小野坂が厨房を出たところで裏口からこんちわ~と鵜飼の声が響いた。
「信、今日は掃除手伝ってくれ」
「ん、分かった」
鵜飼と一緒にいる小野坂が閉めてあるカーテンに手を掛けると、堀江はちょっと待ってと慌てて呼び止めた。
「智君は吾を連れて降りてきて、厨房のサポートお願い」
「分かった」
「したら客室掃除は任せてけれ」
鵜飼は視界から見えている厨房の様子で現状を察する。
「今礼君も二階におるから」
「了解」
二人はひと通り指示を受けてから二階へと上がっていった。厨房に残っている川瀬はまさかと思い堀江の方を見る。
「一体どうする気なの?」
「カフェ営業に向けての準備やけど。今業務が遅れとるから」
堀江は厨房内の時計を見ながら言った。現在午前九時十五分、カフェ営業は十一時開店である。
「何言ってるの? こんなのお出ししたら信用問題に関わるんだよ」
「現状でできる指示を出したまでやで、それより何でここにおるん?」
「えっ?」
川瀬は上司の態度に冷やかなものを感じた。しかしここで引き下がると居場所を失うのではという焦りから、仕事をしに来たと答えた。
「すみません、以後気を付けます」
「は? 俺電話で何て言うたっけ?」
「……」
「聞いてへんかったん?」
川瀬は答えられなかった。上司は電話で『休め』と言っており、それを無視した上でここにいるのだ。
「もう一遍言うで、今日一日ゆっくり休み」
「いえでもせっかく……」
「『せっかく』って何なん? これお願いやのうて業務命令なんやけど」
「仁君……」
「お大事にな義君、また明日」
以降堀江は川瀬を視界に入れず、事務所からモップと専用バケツを持って床を拭き始める。小野坂は悌を連れて厨房に入り、モップがけをしている上司を見た。
「何してんだよ?」
「スープこぼれとるから拭いてんねん」
「ならドライモップ取ってくる、このままだと滑るぞ」
小野坂は通常運転に戻っており、事務所に入ってドライモップを持ち出してきた。
「吾、カフェ営業の支度お願い。それとミネストローネも作り直して」
「はい、残り棄てますか?」
「う~ん、任した」
「では……嶺山さん、そこのバケット二本頂いて宜しいですか?」
悌は形が悪く売り物にならないパンを指差した。
「構へんぞ、好きなだけ持ってったって」
「ありがとうございます」
彼はビニール手袋をはめて、カゴに盛ってある不揃いのパンの中からバケットを二本抜き取り、ブレッドナイフでざくざくと斜め切りしていく。それを金属製のバッドに敷き詰めると、中途半端に残っているミネストローネをかけた。
「これで賄いが一品できました。汁を吸わしてからチーズとバジル乗せてオーブンで焼いたらちょっとしたつまみにはなりますよ」
「へぇ、美味そうやん。俺にも分けて」
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