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本性
その三
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翌日、夜営業の夢子は昼営業終了間際を狙って『DAIGO』に入る。この日は川瀬が出勤しているため、ほぼ指定席状態になっているトイレ近くの四人席でランチを食べることにした。
「今日も夜営業なの?」
「えぇ。でも明日までですわ」
「そうなんだ。でもそっちの方が時間が長いから大変なんじゃないの?」
川瀬はたった数日夢子と顔を合わせないだけで人生さえも灰色に感じていた。それだけに周囲のことなどお構い無しで二人の時間を楽しんでいる。
「以前はよく入っていたからそうでもないわ。時間帯だけを考えると夜営業の方が楽ですもの」
「そう、なんだね」
元々彼女は夜営業中心のシフトで入社しており、独身時代川瀬との接点は決して多くなかった。しかし人間関係になかなか馴染めず、顔見知りである川瀬を頼って以降昼営業へ徐々にシフト変更していった。
「ただ北見さんはとっつきにくい方ですわ、夫とは親しくなさっているけど」
「あの人は元々排他的なところがあってね、オーナーの後輩でオープニングスタッフだから誰も逆らえないんだよ」
「まぁ、そんな恐ろしい方がチーフですの?」
夢子は怯えた表情を見せた。実際は排他的でも高圧的でもないのだが、川瀬も北見とは相性が良くないためとっつきにくさを感じている。
「お冷のおかわりはいかが致しますか?」
二人以外にもまばらに客がおり、キッチンスタッフの女性社員が慣れないなりに一生懸命接客をしていた。
「あの方表情がお固いわね」
夢子は彼女の接客を見て笑う。川瀬は以前野上の指示があったとはいえ、自身の仕事を横取りした彼女に対し未だ疎ましく思っていた。
「仕事が全部中途半端なんだよね」
「あら手厳しいのね。キッチンスタッフの間では優秀って評価だそうだけど」
「『はい』しか言わないからね、そういう子の方がウケが良いでしょ?」
そんな陰口を知る由もなく接客をこなしている彼女は、その流れのまま二人のいる席にもやって来る。
「失礼致します、お冷のおかわりはいかが致しますか?」
川瀬は返事をしないどころか、腕組みをして彼女を見ようともしない。困った彼女は半分ほど減っているグラスと夢子の様子を伺った。
「いえ結構ですわ」
「失礼致しました、ごゆっくりどうぞ」
彼女は一礼してからキッチンに戻ろうとすると、川瀬は引き留めるように口を開く。
「君、どこに目付けてるの?」
「えっ?」
「見て分からない? ほとんど減ってないよね?」
「すっすみません」
彼女は何に怒られているのかが分からなかったが、取り敢えず怒られているので反射的に謝罪した。
「『すみません』じゃないよね、接客舐めてるの?」
そこいらの客よりも悪質な絡み方をする川瀬に、彼女は怯えた表情を見せた。
「あなたはほとんど接客をなさらないから分からないかもしれませんが、『申し訳ございません』をご使用なされた方が適切ですわね」
「はっはい、以後気を付けます」
「君毎日何を見て仕事してるの? 自分のことさえしてればいいってものじゃないんだよ」
「すみませーん! ちょべっといいですかーい?」
と別のテーブル席から声が掛かり、彼女はどうしてよいものか辺りをきょろきょろする。それに気付いた野上が声を掛けたテーブル席に走って接客応対をしていた。それに少しだけほっとしたが、目の前の対応が済んだわけではない。
「申し訳、ございません」
「取ってつけたように使うのは感心しないね、心がこもってないよ」
ハラスメントレベルの物言いに彼女は精神的に追い詰められて泣きそうな表情になっていた。
「あなたの接客態度は少し高圧的ですわ。そういったお方がお店に立たれるのはお客様に失礼ですから、下がられた方が宜しくてよ」
夢子もにこやかな表情で彼女に追い討ちをかける。
「失礼、致します」
彼女は二人の八つ当たりに耐え、負の感情を心に抱えた状態でキッチンへ引っ込んだ。
夜、仕事を終えた夢子は帰り支度を済ませて小野坂の迎えを待つ。明日で義妹は東京に戻るので、これで邪魔者が消えると上機嫌であった。
それから約十分から十五分ほど待つと、見慣れた自家用車が従業員用の駐車場に入ってきた。ところが運転席には夫ではなく凪咲が座っていた。
「一体どうして?」
夢子は気付かぬ振りをして夫のケータイに通話を試みたが、留守番電話に切り替わって小野坂とは繋がらない。
「ねぇ、どういうことなの智?」
彼女は諦めきれず再度試みようとしたが、待ちきれなかったのか忌まわしい声が耳に届く。
「夢子さーん! 遅くなってごめーん!」
日付の変わる直前に相応しくない大きな声で呼び付けられ、仕方無く駆け寄って口元に人差し指を立てた。
「そんな大きな声をお出しにならないで、ご近所迷惑でしょう」
「わざと無視するからじゃん。お兄ちゃん今日多分帰ってこれないよ」
「えっ? どうしてなの?」
夢子は凪咲の言葉に絶望感を覚える。
「何かさ、宿泊客様が緊急搬送されたんだって」
凪咲は義姉を後部座席に押し込んで早々に車を走らせる。
「だから原因が分かるまで家に帰れなくなるかもって知れないって言ってたよ」
「そんな……」
最悪……それが夢子の本音であった。
「今日も夜営業なの?」
「えぇ。でも明日までですわ」
「そうなんだ。でもそっちの方が時間が長いから大変なんじゃないの?」
川瀬はたった数日夢子と顔を合わせないだけで人生さえも灰色に感じていた。それだけに周囲のことなどお構い無しで二人の時間を楽しんでいる。
「以前はよく入っていたからそうでもないわ。時間帯だけを考えると夜営業の方が楽ですもの」
「そう、なんだね」
元々彼女は夜営業中心のシフトで入社しており、独身時代川瀬との接点は決して多くなかった。しかし人間関係になかなか馴染めず、顔見知りである川瀬を頼って以降昼営業へ徐々にシフト変更していった。
「ただ北見さんはとっつきにくい方ですわ、夫とは親しくなさっているけど」
「あの人は元々排他的なところがあってね、オーナーの後輩でオープニングスタッフだから誰も逆らえないんだよ」
「まぁ、そんな恐ろしい方がチーフですの?」
夢子は怯えた表情を見せた。実際は排他的でも高圧的でもないのだが、川瀬も北見とは相性が良くないためとっつきにくさを感じている。
「お冷のおかわりはいかが致しますか?」
二人以外にもまばらに客がおり、キッチンスタッフの女性社員が慣れないなりに一生懸命接客をしていた。
「あの方表情がお固いわね」
夢子は彼女の接客を見て笑う。川瀬は以前野上の指示があったとはいえ、自身の仕事を横取りした彼女に対し未だ疎ましく思っていた。
「仕事が全部中途半端なんだよね」
「あら手厳しいのね。キッチンスタッフの間では優秀って評価だそうだけど」
「『はい』しか言わないからね、そういう子の方がウケが良いでしょ?」
そんな陰口を知る由もなく接客をこなしている彼女は、その流れのまま二人のいる席にもやって来る。
「失礼致します、お冷のおかわりはいかが致しますか?」
川瀬は返事をしないどころか、腕組みをして彼女を見ようともしない。困った彼女は半分ほど減っているグラスと夢子の様子を伺った。
「いえ結構ですわ」
「失礼致しました、ごゆっくりどうぞ」
彼女は一礼してからキッチンに戻ろうとすると、川瀬は引き留めるように口を開く。
「君、どこに目付けてるの?」
「えっ?」
「見て分からない? ほとんど減ってないよね?」
「すっすみません」
彼女は何に怒られているのかが分からなかったが、取り敢えず怒られているので反射的に謝罪した。
「『すみません』じゃないよね、接客舐めてるの?」
そこいらの客よりも悪質な絡み方をする川瀬に、彼女は怯えた表情を見せた。
「あなたはほとんど接客をなさらないから分からないかもしれませんが、『申し訳ございません』をご使用なされた方が適切ですわね」
「はっはい、以後気を付けます」
「君毎日何を見て仕事してるの? 自分のことさえしてればいいってものじゃないんだよ」
「すみませーん! ちょべっといいですかーい?」
と別のテーブル席から声が掛かり、彼女はどうしてよいものか辺りをきょろきょろする。それに気付いた野上が声を掛けたテーブル席に走って接客応対をしていた。それに少しだけほっとしたが、目の前の対応が済んだわけではない。
「申し訳、ございません」
「取ってつけたように使うのは感心しないね、心がこもってないよ」
ハラスメントレベルの物言いに彼女は精神的に追い詰められて泣きそうな表情になっていた。
「あなたの接客態度は少し高圧的ですわ。そういったお方がお店に立たれるのはお客様に失礼ですから、下がられた方が宜しくてよ」
夢子もにこやかな表情で彼女に追い討ちをかける。
「失礼、致します」
彼女は二人の八つ当たりに耐え、負の感情を心に抱えた状態でキッチンへ引っ込んだ。
夜、仕事を終えた夢子は帰り支度を済ませて小野坂の迎えを待つ。明日で義妹は東京に戻るので、これで邪魔者が消えると上機嫌であった。
それから約十分から十五分ほど待つと、見慣れた自家用車が従業員用の駐車場に入ってきた。ところが運転席には夫ではなく凪咲が座っていた。
「一体どうして?」
夢子は気付かぬ振りをして夫のケータイに通話を試みたが、留守番電話に切り替わって小野坂とは繋がらない。
「ねぇ、どういうことなの智?」
彼女は諦めきれず再度試みようとしたが、待ちきれなかったのか忌まわしい声が耳に届く。
「夢子さーん! 遅くなってごめーん!」
日付の変わる直前に相応しくない大きな声で呼び付けられ、仕方無く駆け寄って口元に人差し指を立てた。
「そんな大きな声をお出しにならないで、ご近所迷惑でしょう」
「わざと無視するからじゃん。お兄ちゃん今日多分帰ってこれないよ」
「えっ? どうしてなの?」
夢子は凪咲の言葉に絶望感を覚える。
「何かさ、宿泊客様が緊急搬送されたんだって」
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「そんな……」
最悪……それが夢子の本音であった。
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