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第六章 恋と愛の違い
第四十六話 煩わしい感情
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思い悩みつつも、夜は明ける。
些か眠気のある頭で、日課となっていた託児所の手伝いへと訪れたのは、昼前。
表には駆け回る子ら、寺子屋では物の数え方を教えている所であった。
昨今は落ち着きを覚えた学童らを横目に託児の部屋を見ると、畳からちょうど藍が転げ落ちそうになっている所であった。
慌てて駆け寄り手を伸ばす。
しかし、救い上げようとした手は、藍には触れなんだ。
寸の間先に、別の手が藍を支えていたのだ。
お美代様であられた。
お美代様は、藍が無邪気に笑う顔を見て安堵し、視線を上げられた。
そして、目が合ったのだ。
それも、想い合う男女が見つめ合うような距離で。
私は酷く情けない顔をしていたように思う。
が、お美代様は微笑まれた。
私に、あの眩しい笑みで微笑まれたのだ。
「一松様」
動けぬままの私の目の前で、お美代様は藍を抱き上げる。
私を、見つめたままで。
「助かりました。少し目を離すとすぐに這って行ってしまうので手を焼いているのです」
「わ、私は何も・・・」
「いいえ、万一お美代が間に合わなくとも一松様がいらっしゃれば安心なのです!」
下ろせと暴れる藍は、お美代様から逃れると、今度は向こうへと這って行った。
室内の、お富様と栄太郎の元へと行く為であろう。
藍を追う為、お美代様が振り返る。
私に、無防備な背を向ける。
伸ばしたくなる手を、ぐっと堪えた。堪えつつ草履を脱ぎ、お美代様に続く。
託児所となっている部屋の中には、耕太が転がす手毬を追いかける藍と、藍の真似事をする栄太郎。
お富様は、普段通り洗い物をまとめているようであられた。
「私が」
「いつもすみません」
風呂敷に包まれた洗い物を受け取り、他はないかと見渡す。
お美代様は・・・いや、今気にかける必要はないと言うのに何を考えているのだ私は。
邪念を振り払いつつ、受け取った洗い物を抱え直した。
この後は、平素通り洗い物を洗濯場へ持って行き、昼餉を運び、昼餉の後の片づけの手伝いにまたこの場へ訪れる。
当然と、己の仕事の合間だ。
この場へ訪れるのは、あくまでも手伝いと、不埒な者らへの警戒でしかないのだから。
所用につき、次に託児所へ足を運んだは八時より少し前。
昼寝の栄太郎と藍の隣で、お富様が繕い物をされているところであられた。
「繕い物でしたら、針子の娘様らにお任せしても良いのでは?」
「良いのです。これは私が縫いたいものですので」
決して手際が良いとは思えぬ手つきであられたが、縫われている布はあまり大きくはなく、恐らく赤子用の何かしらであると思われた。
よもや、近頃よだれが多いという藍のよだれ取りであろうか?
にしたとしても、お富様手づから縫われる必要もなさそうではあるが・・・。
赤子らの成長も、私の想定を超える速さであり、縫ってやったとてすぐに使えなくなるやもしれぬ。
であるのに、縫われるのか。「縫いたい」のか。
母子とは、そう言うものなのであろうか?
「何かお手伝いはございませぬか?」
「ありがとうございます。ですが、こちらは何も」
念のため伺うも、やはりお富様への手伝いはない様子。
そう言えば、本堂からここまで来る間、お美代様はおられなんだな。
だから何だと言われると、意味はないのだが。
・・・いや、あるのだ。
託児所にて預かりをしている子らの面倒を、お美代様が見られておる故、もし人手が足りぬのであれば手伝わなければならぬのだ。
私の、「道明様の周囲が事故なく円滑にいくよう調整する」という役割の為、手伝っておるだけなのだ。
「では、また後程参ります」
言訳のように思案しつつ、託児所を後にする。
表へ出ると、畑の方に明るい色の衣がちらりと覗くのが見えた。
お美代様の衣であると、一目で分かった。
特別な事などではなく、平素より他の者に対してもそのように記憶しているからだ。それ故、あの明るい色の衣がお美代様の物であると分かったところで、おかしな事などないのだ。
不明瞭な心を押し殺しながらも、道明様の弟子として相応しき表情は忘れずに畑へと足を進めた。
野菜が植わっている方ではなく、お里様方が新たに耕されている方の畑。
賑々しい声は聞こえていたが、たどり着き見えたのは想定外の光景であった。
相撲を、取っておられたのだ。
草が取り払われ、耕される前の地面の上で、だ。
たった今、目の前で地に転がされたのは託児所預かりの子。
そして転がしたのは、お美代様であられた。
他の託児所預かりの子らも転がされた後であるのか、土にまみれ、しかし大層楽しそうに「もう一回!」とお美代様にかかっていく。
まるで男児の戯れだ。まがりなりにも淑女たる方の振る舞いではない。
「じゃあ、まとめてかかっておいで!」
だと言うのに、楽しそうであられるのは、生き生きとされて見えるのは何故なのであろうか?
あのような、子どもらと共に土に倒れ込みながら笑い声を上げられている姿が輝いて見えるのは、何故なのであろうか?
この、煩い心音が、恋と言うものなのであろうか?
いや、そうであったとしても、私の責務には関りはない。
仕事をせねば。仕事を。
些か眠気のある頭で、日課となっていた託児所の手伝いへと訪れたのは、昼前。
表には駆け回る子ら、寺子屋では物の数え方を教えている所であった。
昨今は落ち着きを覚えた学童らを横目に託児の部屋を見ると、畳からちょうど藍が転げ落ちそうになっている所であった。
慌てて駆け寄り手を伸ばす。
しかし、救い上げようとした手は、藍には触れなんだ。
寸の間先に、別の手が藍を支えていたのだ。
お美代様であられた。
お美代様は、藍が無邪気に笑う顔を見て安堵し、視線を上げられた。
そして、目が合ったのだ。
それも、想い合う男女が見つめ合うような距離で。
私は酷く情けない顔をしていたように思う。
が、お美代様は微笑まれた。
私に、あの眩しい笑みで微笑まれたのだ。
「一松様」
動けぬままの私の目の前で、お美代様は藍を抱き上げる。
私を、見つめたままで。
「助かりました。少し目を離すとすぐに這って行ってしまうので手を焼いているのです」
「わ、私は何も・・・」
「いいえ、万一お美代が間に合わなくとも一松様がいらっしゃれば安心なのです!」
下ろせと暴れる藍は、お美代様から逃れると、今度は向こうへと這って行った。
室内の、お富様と栄太郎の元へと行く為であろう。
藍を追う為、お美代様が振り返る。
私に、無防備な背を向ける。
伸ばしたくなる手を、ぐっと堪えた。堪えつつ草履を脱ぎ、お美代様に続く。
託児所となっている部屋の中には、耕太が転がす手毬を追いかける藍と、藍の真似事をする栄太郎。
お富様は、普段通り洗い物をまとめているようであられた。
「私が」
「いつもすみません」
風呂敷に包まれた洗い物を受け取り、他はないかと見渡す。
お美代様は・・・いや、今気にかける必要はないと言うのに何を考えているのだ私は。
邪念を振り払いつつ、受け取った洗い物を抱え直した。
この後は、平素通り洗い物を洗濯場へ持って行き、昼餉を運び、昼餉の後の片づけの手伝いにまたこの場へ訪れる。
当然と、己の仕事の合間だ。
この場へ訪れるのは、あくまでも手伝いと、不埒な者らへの警戒でしかないのだから。
所用につき、次に託児所へ足を運んだは八時より少し前。
昼寝の栄太郎と藍の隣で、お富様が繕い物をされているところであられた。
「繕い物でしたら、針子の娘様らにお任せしても良いのでは?」
「良いのです。これは私が縫いたいものですので」
決して手際が良いとは思えぬ手つきであられたが、縫われている布はあまり大きくはなく、恐らく赤子用の何かしらであると思われた。
よもや、近頃よだれが多いという藍のよだれ取りであろうか?
にしたとしても、お富様手づから縫われる必要もなさそうではあるが・・・。
赤子らの成長も、私の想定を超える速さであり、縫ってやったとてすぐに使えなくなるやもしれぬ。
であるのに、縫われるのか。「縫いたい」のか。
母子とは、そう言うものなのであろうか?
「何かお手伝いはございませぬか?」
「ありがとうございます。ですが、こちらは何も」
念のため伺うも、やはりお富様への手伝いはない様子。
そう言えば、本堂からここまで来る間、お美代様はおられなんだな。
だから何だと言われると、意味はないのだが。
・・・いや、あるのだ。
託児所にて預かりをしている子らの面倒を、お美代様が見られておる故、もし人手が足りぬのであれば手伝わなければならぬのだ。
私の、「道明様の周囲が事故なく円滑にいくよう調整する」という役割の為、手伝っておるだけなのだ。
「では、また後程参ります」
言訳のように思案しつつ、託児所を後にする。
表へ出ると、畑の方に明るい色の衣がちらりと覗くのが見えた。
お美代様の衣であると、一目で分かった。
特別な事などではなく、平素より他の者に対してもそのように記憶しているからだ。それ故、あの明るい色の衣がお美代様の物であると分かったところで、おかしな事などないのだ。
不明瞭な心を押し殺しながらも、道明様の弟子として相応しき表情は忘れずに畑へと足を進めた。
野菜が植わっている方ではなく、お里様方が新たに耕されている方の畑。
賑々しい声は聞こえていたが、たどり着き見えたのは想定外の光景であった。
相撲を、取っておられたのだ。
草が取り払われ、耕される前の地面の上で、だ。
たった今、目の前で地に転がされたのは託児所預かりの子。
そして転がしたのは、お美代様であられた。
他の託児所預かりの子らも転がされた後であるのか、土にまみれ、しかし大層楽しそうに「もう一回!」とお美代様にかかっていく。
まるで男児の戯れだ。まがりなりにも淑女たる方の振る舞いではない。
「じゃあ、まとめてかかっておいで!」
だと言うのに、楽しそうであられるのは、生き生きとされて見えるのは何故なのであろうか?
あのような、子どもらと共に土に倒れ込みながら笑い声を上げられている姿が輝いて見えるのは、何故なのであろうか?
この、煩い心音が、恋と言うものなのであろうか?
いや、そうであったとしても、私の責務には関りはない。
仕事をせねば。仕事を。
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