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本編

4 差し入れ

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 最近はエルベルト様とは穏やかな関係が続いていた。時間が合う時は一緒にご飯を食べる。そして私はお仕事へ行かれる前にお見送りをする。

「いってらっしゃいませ。お気をつけて」
「ああ」

 彼は最近、出かける前に私の頭をポンポンと優しく撫でるようになった。相変わらずの無表情っぷりだが、撫でた後は少しだけ微笑んでいる……気がする。

 しかし、ハグでもキスでもなく頭を撫でるという行為はやはり私のことを子どもだと思っていらっしゃるのだろう。よく父や兄が仕事に出かける前に『いい子にして待ってるんだよ』と私の頭を撫でていたから。

 ちなみに言うまでもないが……寝室はもちろん別だ。キスも初夜以降一度もされたこともない。

 そんなある日シェフのみなさんが、エルベルト様が騎士団の訓練指導に行っているため差し入れをすると張り切っていた。

「エルベルト様が指導をなさるの?」
「ええ、旦那様はとってもお強いですから。それに、ここの騎士団の皆は部下ですが旦那様を恐れながらも慕っていて家族のようなものなんですよ」
「へえ」

 彼は王都では怖がられているが、ここではそんなことはないようだ。そんな仲の良い団員さん達なら、是非会ってみたいものだ。そういえば、ここに来てからちょこちょこ出かけることはあっても彼の知り合いに『妻』として紹介してもらったことはない。

「私も手伝ってもいいかしら?」
「ええ、もちろんです。旦那様はきっとお喜びになりますよ」

 その言葉に調子にのって、私はとても張り切った。騎士の皆さんは食欲旺盛らしく、チキンやステーキを挟んだ豪華なサンドウィッチが人気らしい。

 私は何時間も手を動かして、せっせと作った。その他のおかずやスイーツは難しいのでシェフに任せた。

「ふう、できたわ。すごい量ね」
「ええ。でも一瞬で無くなりますよ」
「まあ、この量が一瞬なの? すごいわね。見てみたいわ」

 その発言で料理長とノエル……そして私が騎士団の訓練場に差し入れを届けることになった。

 彼が恥ずかしい思いをしないように、美しいワンピースを着てお化粧やヘアセットも完璧にしてもらった。そして馬車に乗り、訓練場に着く。

 文官家系の我が家は、騎士とは無縁で……剣を持って打ち合いをされている姿はとても新鮮だった。

「お前ら、そんなんで魔物と闘えるか! 立て」

 ビリビリと痺れるような大きく力強い声で、エルベルト様が団員達に気合を入れている。

 うわぁ……なんだか家の彼とは違い、とても凛々しくて格好良いなと素直に思った。私の頬がポッと赤く染まる。しかもシャツの袖には私があげた金色のカフスがキラリと光っていて嬉しかった。

「やっぱ団長は鬼だ」
「無駄口叩くな! もう一本」
「はいっ!」

 彼は若い団員達に剣の扱い方などを実技指導をしている。

「団長の家の方ですね? いつも差し入れありがとうございます」

 ぼーっとエルベルト様を眺めていると、ニッコリと爽やかに微笑みながら声をかけてきた若い男性がいた。この人は華奢で中世的なお顔立ちなので、騎士っぽくない見た目だ。

「おや、お美しいあなたはもしかして?」

 この男も貴族なのか、社交辞令で私を誉めてくれるらしい。私も顔を引き締め微笑んだ。

「ふふ、お褒めいただきありがとうございます。初めまして、私はクリスティン・セルバンテスと申します。いつも主人がお世話になっておりますわ」

 私は笑顔のまま丁寧にお辞儀をした。

「そうでしたか! とてもお会いしたかったです。あー……本当にお綺麗な方だ。皆何度会わせて欲しいと言ったのに、団長が隠すわけだ」

 その男は、私の手を取り握手したままブンブンと上下に振った。え……隠す? 彼は私を皆に見せたくなかったのかしら。

「俺はエドワールと言います! ここの隊長してます!! どうぞエドって呼んでくださいね」
「エド……様」
「様なんていりませんよ! 団長の奥様なのに」

 なんだかとてもフレンドリーな方だわ。しかし……そろそろ手を離して欲しい。

「団長ーっ、愛しの奥様が来られましたよー!」

 その瞬間、訓練場にいた全員の視線が私に向いたのがわかった。うわ……大注目を浴びている。は、恥ずかしい。

 なんでこの人はこんな大声で、エルベルト様に声をかけるのか。しかもだなんて。そんな存在じゃないのに。シェフとノエルは隣で苦笑いをしている。

「うわー……奥様綺麗だな」
「かっわいいー!」
「若いですね。団長羨ましい」

 団員さん達は口々に私を誉めてくれる。まあ、そりゃそうよね。上司の奥さんを悪くは言えないもの。

 するとエルベルト様が恐ろしい顔でズンズンとこちらにやって来た。ひぃ……なんか怒っていらっしゃる気がする。

 そしてギロリとエド様を睨んだ後……私に重ねていた手を乱暴に掴んだ。

「痛っ……! 団長……痛いっすよ。酷いです」
「うるさい」

 そして眉を吊り上げた怒りの表情で、私の手を掴み「話がある」とズンズンと廊下を引きずられるように引っ張られながら歩いた。

 執務室の中に放り込まれ、私はドンッと壁際に追い詰められた。

「……なぜ来た」
「え?」
「なぜそんな綺麗に着飾って、こんな場所に何故来たんだ?」

 とても低く恐ろしい声でそう言われた。彼は私にここに来て欲しくなかったらしい。

「ご、ごめんなさい。ご迷惑でしたか? シェフが差し入れをすると聞いて……調理を手伝ったので、私もエルベルト様がお仕事をされているところを見せていただこうと思いまして」
「……手伝っただと?」
「はい! サンドウィッチは全部私が作ったんです。美味しくできてると思うので、是非食べてくださいませ」

 彼が怒っているのはとても怖いが、私は出来るだけ笑顔でそう言った。話せばわかってくれるはずだ。

「……頼んでない」
「え?」
「君にそんなこと頼んでいない。君は俺の妻で、料理はシェフの仕事だ。いらぬことをするな!」

 彼にギロリと睨まれて、私の瞳からポロリと涙が溢れてきた。ただエルベルト様に喜んで貰いたい一心で作っただけなのに。

 そんなに私をみんなに見られるのが恥ずかしいのだろうか? それならば……なぜわたしと結婚なんてしたの。

「勝手に伺って……申し訳ありませんでした。帰ります」

 私は執務室を飛び出して、馬車まで走った。その途中で「クリスティン!」と彼が私の名を叫ぶ声が聞こえたが、無視した。

 こんな時だけ名前で呼ぶのかと哀しさと虚しなさが倍増する。号泣しながら馬車に乗り「早く出て欲しい」と御者に頼んだ。

 そして、家に戻り私は急いで必要最低限の荷物を鞄にまとめた。執事のオリバーは大変驚き「奥様、お待ち下さい。まずは旦那様と話し合いを」と言われたが聞かなかった。

「実家に帰ります! すぐに馬車を用意してください」
「奥様、お願いです。旦那様がお戻りになるまでここにいてください」
「嫌です。彼は私を部下に紹介するのも恥ずかしいらしいわ! そんな妻はいりません。大変お世話になりました」

 私は『さようなら』と書いた手紙と、もしもの時のために……と密かに用意していた離婚届けにサインして彼の部屋の机に置いた。今まで貰ったプレゼントも全て彼の部屋に押し込んだ。エルベルト様に貰ったものは何一つ持って行くつもりはない。

「うさぎさん達、ありがとう。さよなら」

 思い出のうさぎや他のぬいぐるみともさようならだ。

 執事や使用人達は私が本気だと思ったのか、哀しい顔をしながら馬車の支度をしてくれた。

「奥様……」
「みんな優しくしてくれてとても嬉しかった。本当にありがとう。元気でね、さようなら」

 私は家にいる使用人達に頭を下げた。みんなうっうっと泣いてくれている。

「ノエルにも料理長にもありがとうって伝えてね。じゃあ、エルベルト様が戻られる前にここを出るわね」

 私は涙を拭い、笑顔で手を振った。もうすぐ結婚して一年だったのにな。短い結婚生活だったと切なくなる。離縁した女は、ほとんどの場合は独り身でいることが多い。私は誰にも女として愛されないまま一生を終えるのかとぼんやりとした頭で思った。

 ――でも、もういいや。

 嫌われながら生きるより、のびのび自分らしく生きた方がいい。家に着いたら、両親とお兄様に迷惑をかけて申し訳ないと謝ろう。きっと許してくれるはずだ。


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