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3嫌な男

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 ライナスは私を疑惑の眼差しで睨み続けている。私は正直に話そうか迷っていた。心臓がバクバクと早く音を立てている。

 キャロラインという名の男性形は『カール』だ。まさかライナスが名を捨てて、前世の私の名前に因んだ新しい名で生きていたとは思わなかった。

「お前は誰だ?」

 彼は射殺すように私を見つめながら、低く恐ろしい声でそう聞いてきた。ライナス……私の知らない十五年で一体なにがあったらこんな恐ろしい顔ができるようになるのだろうか。

「ミーナよ。田舎町にある食堂の一人娘」
「そんな小娘がなぜ俺の名を知っている?」
「知らないわよ。本当にあなたは自分で言っていただけよ」
「顔をよく見せろ」

 彼が強引に私の顎を固定し顔を覗き込む。私は動揺を隠し、本当に知らないのだと告げた。王女時代から感情を消すのは得意だ。彼はじっと私の瞳を見つめている。ああ、まずい。今の私は瞳だけはキャロラインに似ているのだ。

「お前は母親はいるか?」
「お前って言わないで。そう呼ぶなら無視するから。私はミーナ」
「……ミーナ。母親は?」
「いるわよ」
「いるのか?もしかして、君の母親はキャロラインというのではないか?いや、さすがにそれはないか。でも亡くなったのが影武者だったという可能性もなくはない……しかしあれだけの容姿の方は他にいるはずもないな。なら遠い親戚……?」

 彼はぶつぶつと何かを言っている。なるほど、そうか。そういう考えに至るわけね。前世のキャロラインに子どもがいたのではないかと思うわけね。

 私に影武者などいない。婚約者も亡くなっていたのに、私は一体誰と子どもを作るんだ。しかも私はあなたの目の前で胸を突き刺して死んだのに。生きているはずがないし、子どもなんて産めるわけがない。

 それにライナスにをしていたと思われては心外だ。私は今も昔も乙女だというのに。

「私の母はケイト。キャロラインなんて名前ではないわ」
「そうか。とりあえず会わせてくれ」
「わかったわ。でも体調が大丈夫ならお風呂に入って!汚れてるし、不潔だから。その似合わない髭も剃りなさいよ。じゃないと両親には会わせないから」

 ライナスはムスッとしながらシャワー室へ向かった。

 そりゃ不本意でも借りるよね。王女かもしれない人に会うのに、こんな汚い姿見せたくないもの。まあ、実際は庶民の両親に会うことになるけれど。

 我が家はおかげさまで食堂は繁盛していて、私が幼かった頃より少しだけ裕福になった。数年前に家も一回り大きくなったし、シャワー室もついている。庶民の中では良い暮らしをしている。

 私はタオルとお父さんの服を脱衣所に置いておいてあげる。しばらくすると半裸でタオルを首からかけたライナスが扉から出てきた。

 顔に傷はあるものの、髭を剃ったその姿はライナスそのものだった。いや、以前の彼よりなんというか……精悍で色気がある。伸び切った髪をオールバックに流し、鍛え上げられた六つに割れた腹筋を惜しげもなく見せている。

 私は彼と目があって、恥ずかしくて視線を逸らした。家族以外の男性の体をちゃんと見たのが初めてで、頬が染まる。

「ば、馬鹿!早く服を着てよ」
「まさか恥ずかしいのか?ふっ、初心なガキだな」

 彼は馬鹿にするように鼻で笑い、揶揄うようにそう言った。カッチーン。腹が立つ。私はミーナになってから、王女時代には必死に押し込めていた感情を素直に出すことにしている。狼狽えるのを揶揄っているんだわ!

「そんなわけないでしょ。そんな体毎日見てるわよ」
「へぇ?じゃあこっち向けよ」
「い、嫌よ」
「くっくっく、わかったよ。ガキを虐める趣味はねぇから着てやるよ」

 バサバサと音がなり「着たぞ」と愛想の無い声が聞こえた。はぁ……この男にキャロライン専属の硬派な騎士だった面影はない。どうしてこんな風になってしまったのか。あの時のまま年を重ねていればきっと素敵な男性だっただろうに。

「なぜ……助けたんだ。あのまま俺は……」

 彼は暗い顔で下を向いて、何か小声で呟いたが私には聞こえなかった。

「なに?何て言ったの?」
「いや……助けてくれたこと礼を言う。何かして欲しいことを言え。借りを作るのは嫌だからな」

 なんだ。お礼ちゃんと言えるんじゃない。えらい、えらいと心の中で褒めてあげる。

「何もいらないわ。早く怪我を治して」
「おい!それじゃあ俺の気が済まない」
「いいわよ。何も困ってないし」
「……考えておけ。そして、早く会わせろ!」
「はい、はい」

 私は適当にあしらいながら、リビングに連れて行く。ちょうど両親は二人ともいた。

「お父さん、お母さん。昨日助けた人が起きたの。挨拶したいそうよ」

 とりあえず、両親に彼を紹介する。昨日と全く違う姿の彼を見て二人とも驚いているようだ。

「俺はカールと言います。他国で騎士をしていましたが、ある事情があって離れました。この度は助けていただきありがとうございました。服も……お借りしました」

 ライナス……いや、今はカールと呼ぶべきか。カールはさっきの態度が嘘だったように丁寧に挨拶をして頭を下げた。

「助けたのは娘だ。気にしなくていい。俺はバッカス、こっちは妻のケイトだ」

 お父さんはよろしく、と握手をしている。両親は食堂をしているせいかどちらも社交的で、人当たりがいい。

「ははは、こんな男前な人だったのね。昨日はもじゃもじゃだったから、今日見て驚いたわ!ミーナ、いい拾い物したわね」
「もう、お母さん!変なこと言わないでよ」
「そうだぞ。俺のが男前だろうが」
「何言ってるのよ!カールさんとあんたじゃ月とスッポンよ」
「なんだとー!」

 あはははは……と両親はいつものやりとりをしている。こんなことを言っているが、この二人は今でも仲良しだしラブラブだ。

 はあ、とため息をつくとカールは無表情でその様子を眺めていた。

「なんか……ごめんね」
「いや。良い親に育てられたな」

 彼は少し寂しそうにぽつりとそう呟いた。

「カールさん、うちは食堂やってるから飯は美味いはずだ。腹減ってるだろ?一緒に朝飯食おうぜ」
「ありがとうございます。それに俺のことは、呼び捨てでお願いします」
「騎士様に呼び捨てはいけねぇよ。こっちは平民だからな」
「いえ。お願いします」
「……わかった。じゃあカールと呼ぶ」

 お父さんは、そう言ってご飯の用意を始めた。しっかり焼いたパンに、とろとろの半熟目玉焼きとカリカリベーコン。そして熱々のコーンスープ。このスープは私が昨日作った自信作だ。テーブルに並べられた瞬間にいい匂いがする。

「いただきます」

 ああ、とっても美味しい。美味しいものは人を幸せにする。ふにゃーっと笑顔で食べていると、カールとバッチリ目が合った。

 彼は私の顔を見てくすりと笑った。なによ、なによ!嫌な感じ!嫌な男!私はムッとして、バクバクと食べ進めた。どうやら、カールも全部平らげたようだ。彼の食べ方は昔と変わらず、とても美しい所作だった。流石は公爵家のご子息と感心する。

 ちなみに私は今はあえて崩している。貴族っぽく食べることもできるが、あまりそれをすると庶民の娘としては違和感しかないからだ。

「とても……美味しかったです」
「口に合って良かった。怪我が完全に治るまでここにいな」
「はい。あと、少しお聞きしたいことがあるのですが」
「なんだ?」

 チラリと私に視線を送ってきた。なんだろう?これは私に席を外せということなのか?きっとキャロラインのことを聞きたいのだろうが。

 だが、生憎席を外すつもりはない。

「……できれば、娘さんの耳には入れたくないのですが」
「ん?なんだ?俺は家族には隠し事はしねぇんだ。聞きたいことがあるなら、ここで言いな」

 そう、私のお父さんはこういう人。裏表がなく、明朗快活な人間だ。私はズキリと胸が痛む。だって私は前世の記憶のことを両親に黙っているから。

「失礼を承知でお聞きします。あなたの娘さんは、実子でしょうか」

 お父さんはまさかの質問だったようで、ポカンと口を開けて驚いている。

「は?」
「あなたの実子ですか?養子ではなく」
「はあぁ?俺の子に決まってんだろ!ミーナは俺とケイトの愛の結晶だ!!」

 お父さんはカールの胸ぐらを掴んで怒った。カールは「すみません」と素直に謝っている。

「二度と変なこと言うんじゃねぇ」
「はい。では、質問を変えます。キャロラインという女性をご存知ないですか」
「キャロライン……知らねぇな」
「ケイトさんは?」
「いや、私も知らないわね。カールはその人を探しているのね?ミーナと何か関係があるの?」

 カールはそっと目を伏せたが、意を決したようにまた話し出した。

「キャロラインは……死んでいます。もしかして、ミーナは彼女の忘れ形見なのではないかと思ってしまいまして」
「どうしてそう思ったの?」
「瞳の色です。俺は沢山の国へ行きいろんな人と会いましたが、その瞳の色は彼女以外で初めて見ました。そして、お二人ともその色ではないので」

 そう、私のブルーパープルの瞳はかなりレアだ。だから、彼がそう思ったのも仕方がない。なぜ神様はこんな分かりやすい共通点を残したのか!

「なるほど。産まれた時はバッカスに似てブルーだったんだけど、大きくなるにつれてパープルがかってきたの。でも、本当にミーナは私がお腹を痛めて産んだ子よ。残念だけどそのキャロラインさんとは関係ないわ」
「そうですか……そうですね。すみませんでした」

 カールは両親に深々と頭を下げた。

「キャロラインさんはあなたの大事な人だったのね」
「ええ……忘れられない人です」

 カールは切なく哀しそうに遠くを見ていた。ああ……前世の私は彼に深い傷を残して死んでしまったのだ、と後悔した。キャロラインのことなど忘れて、幸せな人生を生きて欲しいのに。

「ライ……カール!あなたはまだ怪我が酷いのだから寝ていて。ほら、部屋に戻るわよ」

 私はこの切ない雰囲気に耐えられず、カールの腕を掴んでぐいぐいと引っ張っていった。

 客間についたのでベッドに寝かせて、血が滲むガーゼを取り替えてあげた。

「裸に照れていたのに治療はできるんだな」
「照れてないから!ほら、後で痛み止めも飲むのよ」
「こんな世話焼くなんて、母親みたいだな」
「失礼ね、あなたみたいなデッカい息子いらないわよ」
「なあ、お前いくつだ」
「ミーナ!十五歳よ」
「十五……」

 それっきり彼は何も言わなくなった。おそらくキャロラインのことを思い出しているのだろう。彼女は今の私と同じ年で亡くなったから。

「じゃあ、ゆっくり休んでね」

 そう声をかけたが、彼は心ここに在らずという感じで窓を眺めながらぼーっとしていた。私は今、ここにいてはいけない気がする。

 静かに扉を閉めて、私は仕事の準備を始めた。
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