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17章
月光の岬、光の矢 98
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人々が、明るい笑顔で風に飛ばされたパンフレットを追いかけ、砂浜に大小さまざまな足跡を残していく。
緊張から始まった内覧会だったが、最後には皆の笑顔が見られた。
かつてのテラスハウスに住んでいた頃の私だったら、こうはいかなかった。常に完璧を求め、面倒くさいことを回避していたから。
「これで全部か。──あ、丈、あそこに!」
「私が取ってくるよ」
私が最後の一枚に手を伸ばした、その時だった。
風に舞ったパンフレットが、ふわりと弧を描き、私の胸元に吸い込まれるように戻ってきた。
まるで、見えない誰かが届けてくれたように。
「……あ」
その時、海の向こうから落ち着いた男性の声が聞こえた気がした。
「ほら、しっかり頼んだよ」
初めて聞くのに、懐かしい声。
おそらく声の主は、かつてこの場所で穏やかに優しく人々を診ていた医師──海里先生だ。
海里先生の声は、風にかき消されることなく、私の胸にまっすぐ届いた。
「はい。お任せください」
私は、しっかりと伝わるように声を出した。
パンフレットを手に戻る道すがら、洋がそっと並んで歩きながら言った。
「丈、最後にみんな笑ってくれてよかったな。さっきのパンフレット、海里先生からの贈り物みたいだった。俺たちをこの地に馴染ませようとしたのかもな。……やっぱり、ここに決めてよかった」
私は深く、強く頷く。
「ああ、私たちで、しっかり引き継いでいくぞ」
顔を上げると、診療所の白い壁が夕日を受け、橙色に染まっていた。
***
日が傾きはじめ、由比ヶ浜の海が金色に染まる頃。
内覧会は、自然とお開きの雰囲気に包まれていた。
訪れていた人々が「素敵な場所ですね」「また来ますね」と言葉を交わしながら、明るい表情で診療所の門を後にしていく。
その背中には、期待が宿っていた。まるで、新学期の下校時間のように──名残惜しくも、胸を弾ませながら。
僕は、診療所の門の傍らに立ち、ひとり静かにその光景を見つめていた。
玄関先で、一人ひとりに頭を下げながら見送る丈の姿に、もう不安はない。
今まで見たことのない、柔らかな笑みを浮かべていた。
きっとたしかな手応えを感じているのだろう。
やっぱり、丈なら大丈夫だったね。
僕は最初から、信じていたよ。
心の底から、信じていた。
なぜなら、丈には洋くんがいる。
風に飛ばされたパンフレットを、ふたりで走って拾いに向かう勇ましい姿。
息を切らしながらも、互いの声にしっかり応える姿。
君たちは、背中を預け合い、歩幅を合わせて、同じ未来を見ている。
二人の強い絆を前にして──
兄としてやることは、もうないな、と目を細めた。
不思議と寂しくはない。
なぜなら、僕には僕の場所があるから。
月影寺という、心の拠り所を守っていこう。
僧侶として、人々の暮らしに寄り添う日々を過ごそう。
そこにはいつも僕の流がいる。
──竜神のように屈強な男。
丈に洋くんという守護天使がいるように、僕には流がいる。
だから迷いはない。
風が吹き抜け、潮の音が重なる。
顔を上げた丈と目が合うと、照れくさそうに微笑んだ。
だから僕も同じように笑みを浮かべ、小さく頷いた。
「丈、よく頑張ったね。お疲れ様。丈には、洋くんがついているから安心だ」
丈と洋くんの新しい世界の始まりに立ち会えてよかった。
「二人を応援しているよ。どんな時も、ずっと」
夕日の下で、僕は静かに、弟たちの背中を押した。
緊張から始まった内覧会だったが、最後には皆の笑顔が見られた。
かつてのテラスハウスに住んでいた頃の私だったら、こうはいかなかった。常に完璧を求め、面倒くさいことを回避していたから。
「これで全部か。──あ、丈、あそこに!」
「私が取ってくるよ」
私が最後の一枚に手を伸ばした、その時だった。
風に舞ったパンフレットが、ふわりと弧を描き、私の胸元に吸い込まれるように戻ってきた。
まるで、見えない誰かが届けてくれたように。
「……あ」
その時、海の向こうから落ち着いた男性の声が聞こえた気がした。
「ほら、しっかり頼んだよ」
初めて聞くのに、懐かしい声。
おそらく声の主は、かつてこの場所で穏やかに優しく人々を診ていた医師──海里先生だ。
海里先生の声は、風にかき消されることなく、私の胸にまっすぐ届いた。
「はい。お任せください」
私は、しっかりと伝わるように声を出した。
パンフレットを手に戻る道すがら、洋がそっと並んで歩きながら言った。
「丈、最後にみんな笑ってくれてよかったな。さっきのパンフレット、海里先生からの贈り物みたいだった。俺たちをこの地に馴染ませようとしたのかもな。……やっぱり、ここに決めてよかった」
私は深く、強く頷く。
「ああ、私たちで、しっかり引き継いでいくぞ」
顔を上げると、診療所の白い壁が夕日を受け、橙色に染まっていた。
***
日が傾きはじめ、由比ヶ浜の海が金色に染まる頃。
内覧会は、自然とお開きの雰囲気に包まれていた。
訪れていた人々が「素敵な場所ですね」「また来ますね」と言葉を交わしながら、明るい表情で診療所の門を後にしていく。
その背中には、期待が宿っていた。まるで、新学期の下校時間のように──名残惜しくも、胸を弾ませながら。
僕は、診療所の門の傍らに立ち、ひとり静かにその光景を見つめていた。
玄関先で、一人ひとりに頭を下げながら見送る丈の姿に、もう不安はない。
今まで見たことのない、柔らかな笑みを浮かべていた。
きっとたしかな手応えを感じているのだろう。
やっぱり、丈なら大丈夫だったね。
僕は最初から、信じていたよ。
心の底から、信じていた。
なぜなら、丈には洋くんがいる。
風に飛ばされたパンフレットを、ふたりで走って拾いに向かう勇ましい姿。
息を切らしながらも、互いの声にしっかり応える姿。
君たちは、背中を預け合い、歩幅を合わせて、同じ未来を見ている。
二人の強い絆を前にして──
兄としてやることは、もうないな、と目を細めた。
不思議と寂しくはない。
なぜなら、僕には僕の場所があるから。
月影寺という、心の拠り所を守っていこう。
僧侶として、人々の暮らしに寄り添う日々を過ごそう。
そこにはいつも僕の流がいる。
──竜神のように屈強な男。
丈に洋くんという守護天使がいるように、僕には流がいる。
だから迷いはない。
風が吹き抜け、潮の音が重なる。
顔を上げた丈と目が合うと、照れくさそうに微笑んだ。
だから僕も同じように笑みを浮かべ、小さく頷いた。
「丈、よく頑張ったね。お疲れ様。丈には、洋くんがついているから安心だ」
丈と洋くんの新しい世界の始まりに立ち会えてよかった。
「二人を応援しているよ。どんな時も、ずっと」
夕日の下で、僕は静かに、弟たちの背中を押した。
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