夕凪の空 京の香り

志生帆 海

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第二章

捕らわれる 6

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 今まで着たこともないような安っぽく薄い生地の着物に袖を通した途端、一気に打ちのめされた気分になってしまった。

 俺は一人息子として、今までどんなに大事に扱われていたのか……それが身に染みる。この俺が今日から下男として生きていかねばならぬなんて、昨日まで夢にも思わなかったのに、人生は分からぬものだ。思わず自嘲的にふっと笑ってしまった。

「おい何してる? 早くしろっ、大旦那様が早速お呼びだ」
「……はい。あの……一体どちらへ行けばよいのですか」
「あぁそうか、早く覚えろよ。大旦那さまの私室は二階の南側一番奥だ。今日は外出なさるとおっしゃっていたから、おそらく着替えの手伝いだろうな。ほらっさっさと行け」

 下男の長になるのだろうか、三十代位のやさぐれた感じの男に急かされながら、俺は大旦那の部屋へと向かった。

 くよくよ考えていても仕方がない。今出来ることからやっていかねば……

 大旦那の部屋は屋敷のニ階の一番奥だった。襖の向こうから声をかけ、入る許可をもらう。

「おお! 夕凪が来てくれたか、ほらもっとこっちへ来て顔をよく見せてくれ」
「……はい」

 大旦那は俺の顎を指でつまみ、くいっと上を向かせた。その目はまるで野獣のようにギラギラと光っていた。

「あぁ夕凪の綺麗な顔を、明るい所でこうやってじっくり見たかったぞ」
「……あの」

 顔が近くて気持ちが悪い。俺はさり気なく後ろに下がろうとしたが、それは許されず腰に手が回り阻止されてしまった。

「……離してください」

「まぁ聞け。私は展示会で遠目に君を見た時から気に入っていたよ。君みたいな凛とした品のある綺麗な男を下男として私の足元に跪かせてみたかったよ。我が家の下男はみてくれの悪い奴ばかりで華がなかったからなっ」
「……」
「ふふっその粗末な着物も、お前の内なる品をかえって引き立てているぞ。あぁ実に美しい男だな」

 そう言いながら大旦那の指が顎から喉へなでるように降りてきて、背筋が凍る思いをした。その時襖の向こうから声がかかったので、その指が離れた。

 何なんだ一体……この状況はまさか。

「大旦那様、人力車が来ましたので、そろそろ」
「そうか……まぁ君とはおいおいゆっくり楽しむことにしよう。そうそう当分外出してはならないからな。この家の中だけで働くのだ。お前は籠の中の鳥なんだよ、はははっ」

 籠の中の鳥とはよくぞ言ったものだ。

 この大鷹屋では勝手な外出も許されないのだ。せめて信二郎に、俺がここにいることを知らせたかったのに、それも叶わぬというのか。

「さぁぼんやりしてないで、ちゃんと見送れ」

ドスッと足を蹴られ畳に投げ飛ばされる。足の裏がすれて痛かったが、ぐっと我慢して俺は居住まいを正した。

「……いっ……て、らっしゃいませ」

 声が震えて、うまく出せない。自分の状況がどこか他人事のように遠く感じてしまう。

 長い一日の始まりだ。

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