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第四章
残された日々 4
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年が明けてすぐに祖父が突然やって来て、僕に見合い話を置いていった。それから二週間ほど経ったある日、京へ帰った夕凪から小さな小包が届いたので開けてみると、荷物の他に手紙が入っていた。
広げれば懐かしい筆跡が流れるよう。
少し右肩上がりだが、丁寧な文字。
そっと撫でてみれば優しい懐かしさが込み上げる。
****
湖翠様、流水様
お元気ですか。
今、俺は宇治川を眼下に望む人里離れた山荘でひとりで暮らしています。
ここは実は以前律矢さんと少しの間過ごした場所ですが、今の俺にとって、本当に心休まる空間となりました。
信二郎も東京の借家を引き払い、京へ正式に戻って来て、祇園の長屋の自宅から、毎日通ってくれています。もうすぐ、こちらに引っ越してくるそうです。
律矢さんも大鷹屋の当主として奮闘されていますが、忙しい中ここへよく来てくれます。
もうひとりではありません。
残念ながら実家へ戻ることは叶いませんし大鷹屋に見つかるわけにも行かないのですが、籠の中の鳥ではないのです。
朝起きてから眠りにつくまでの時間を、俺だけのために使うことが出来ています。こんなに幸せなことはないです。
律矢さんからは絵心を、信二郎からは絵付けの基本を今一度習い、京友禅の絵師になれるよう日々忙しいほどです。
お世話になった湖翠さんと流水さんに俺がひとりで染めた風呂敷をお送りします。
湖翠さんと流水さんの幸せを祈って、色を付けました。
また手紙を書きます。
夕凪
****
可愛い僕の弟のような夕凪。手元に置いておきたかった肉親のような愛しい彼。
無性に君に会いたいという気持ちが込み上げて来る。君と過ごした一年は流水と三人で穏やかな時間だった。
今の僕は祖父が持って来た見合いの日取りが迫ってきて、来週の今日には見合いをせねばならない状況にまで追い込まれていた。
今度の見合いは非常に厄介だ。
鎌倉五山の由緒正しき寺『建海寺』の末のお嬢さんが相手だ。寺として格式も規模も何もかも上になる。だから見合いをしてしまえば、もう断れきれない事態になってしまうのが目に見えていた。
秘かにこの胸に抱く流水を想う気持ち。表に出せなくても一生このまま独身で流水のことだけを想って生きていきたかった。
苦しくてつい心の中で流水を呼べば、耳元に返事が届いたので驚いてしまった。
「兄さん、何か届いたのですか。いつになく嬉しそうな顔をしていますね」
作務衣姿の流水が、庭先から話かけてくれた。真冬なのに作業をしていたせいか、額に汗が浮かんでいた。逞しく朗らかな笑顔で僕だけを見つめてくれる。
「あ……うん、夕凪からの贈り物だ。流水の分もあるよ」
「へぇ」
流水は背負っていた荷物を置き、ひょいと身軽に庭石を飛び越え、縁側に座る僕の横に座ってくれた。
「何を贈って来たのですか」
「風呂敷だよ。夕凪がひとりで染めたそうだ」
膝元に広げて見れば、目が覚めるような碧色が広がった。
まるで深い森林の濃淡を映しとったような色合い。
柄はない。ただ色と色が滲んでいく様子を描いてた。
流水の方は、蒼い清流だ。
清らかに真っすぐ流れ行く水の勢いは、どこまでも澄んでいた。
「すごいね」
「あぁ俺達を描いているようですね」
僕は流水の風呂敷に僕の風呂敷をおもむろに重ね合わせた。
まるで抱き合っているように、二枚は寄り添った。
「二つ重なるとより美しい、静と動で、まるで……兄さんと俺のようだ」
流水の放つ言葉が心に響くよ。
その光景に胸が切なく音を立てた。
やはり見合いは断ろう。
なんとしてでも……
僕はこの時間があれば生きていける。
広げれば懐かしい筆跡が流れるよう。
少し右肩上がりだが、丁寧な文字。
そっと撫でてみれば優しい懐かしさが込み上げる。
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湖翠様、流水様
お元気ですか。
今、俺は宇治川を眼下に望む人里離れた山荘でひとりで暮らしています。
ここは実は以前律矢さんと少しの間過ごした場所ですが、今の俺にとって、本当に心休まる空間となりました。
信二郎も東京の借家を引き払い、京へ正式に戻って来て、祇園の長屋の自宅から、毎日通ってくれています。もうすぐ、こちらに引っ越してくるそうです。
律矢さんも大鷹屋の当主として奮闘されていますが、忙しい中ここへよく来てくれます。
もうひとりではありません。
残念ながら実家へ戻ることは叶いませんし大鷹屋に見つかるわけにも行かないのですが、籠の中の鳥ではないのです。
朝起きてから眠りにつくまでの時間を、俺だけのために使うことが出来ています。こんなに幸せなことはないです。
律矢さんからは絵心を、信二郎からは絵付けの基本を今一度習い、京友禅の絵師になれるよう日々忙しいほどです。
お世話になった湖翠さんと流水さんに俺がひとりで染めた風呂敷をお送りします。
湖翠さんと流水さんの幸せを祈って、色を付けました。
また手紙を書きます。
夕凪
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可愛い僕の弟のような夕凪。手元に置いておきたかった肉親のような愛しい彼。
無性に君に会いたいという気持ちが込み上げて来る。君と過ごした一年は流水と三人で穏やかな時間だった。
今の僕は祖父が持って来た見合いの日取りが迫ってきて、来週の今日には見合いをせねばならない状況にまで追い込まれていた。
今度の見合いは非常に厄介だ。
鎌倉五山の由緒正しき寺『建海寺』の末のお嬢さんが相手だ。寺として格式も規模も何もかも上になる。だから見合いをしてしまえば、もう断れきれない事態になってしまうのが目に見えていた。
秘かにこの胸に抱く流水を想う気持ち。表に出せなくても一生このまま独身で流水のことだけを想って生きていきたかった。
苦しくてつい心の中で流水を呼べば、耳元に返事が届いたので驚いてしまった。
「兄さん、何か届いたのですか。いつになく嬉しそうな顔をしていますね」
作務衣姿の流水が、庭先から話かけてくれた。真冬なのに作業をしていたせいか、額に汗が浮かんでいた。逞しく朗らかな笑顔で僕だけを見つめてくれる。
「あ……うん、夕凪からの贈り物だ。流水の分もあるよ」
「へぇ」
流水は背負っていた荷物を置き、ひょいと身軽に庭石を飛び越え、縁側に座る僕の横に座ってくれた。
「何を贈って来たのですか」
「風呂敷だよ。夕凪がひとりで染めたそうだ」
膝元に広げて見れば、目が覚めるような碧色が広がった。
まるで深い森林の濃淡を映しとったような色合い。
柄はない。ただ色と色が滲んでいく様子を描いてた。
流水の方は、蒼い清流だ。
清らかに真っすぐ流れ行く水の勢いは、どこまでも澄んでいた。
「すごいね」
「あぁ俺達を描いているようですね」
僕は流水の風呂敷に僕の風呂敷をおもむろに重ね合わせた。
まるで抱き合っているように、二枚は寄り添った。
「二つ重なるとより美しい、静と動で、まるで……兄さんと俺のようだ」
流水の放つ言葉が心に響くよ。
その光景に胸が切なく音を立てた。
やはり見合いは断ろう。
なんとしてでも……
僕はこの時間があれば生きていける。
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