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忍ぶれど……
枯れゆけば 6
しおりを挟むもう間もなく授業が終わる。
今日は部活もないので、家に早く帰れるのが嬉しい。
久しぶりに弟たちの勉強も見てやりたいし、流とたわいもない話もしたい。それというのも……昨日珍しく流と喧嘩しそうになったのが尾を引いている。
北鎌倉に引っ越してから、流の様子が少し変なのは薄々気が付いていた。落ち着かないというか荒れているというか……原因が分からなくて戸惑っている。
反抗期とか、そういう類のものなのかな?
流が庭を走るのは、感情がいよいよ爆発寸前の時だ。小さい頃は布団の中で身体を丸めて怒りに震えていたが、最近はそれでは持て余すようで、もの凄いスピードで庭の奥へ奥へと駆けて行く。
でも、それでいい。
流はいつも自分の感情にとても素直だ。
それは流の長所だ。
流は何事にも縛られて欲しくない。
自由にどこまでも流れて欲しい。
流は僕と違って外へ羽ばたける大きな器を持っているから、僕がその背中を押してやらないといけないのに、僕という人間は流にだけは嫌われたくないという重いが強すぎて、昨日みたいに背中に縋ってしまう。
『流っ、僕を避けないで欲しい。僕は……流に嫌われるのが一番堪える』
あんな情けない台詞を吐くなんて、兄として恥ずかしい。
でもどうせいつか巣立ってしまうのなら、せめて今は近くにいて欲しい。
ぼんやりと昨夜のことを反芻していると、規則的な小さな音が気になった。
コンコン、トントンー
音の方向を振り返ると、隣席の達哉が鉛筆で机を叩いていた。
「授業中なのに何をしてるんだ?」
小声で反応すると、達哉はニヤリと笑った。
「翠、今日の放課後、暇か」
「……部活はないけど、何か用事?」
「今さ、例の女装のアイデアが浮かんだから、帰りに俺んちに寄れよ」
「……うん」
はぁ、一気に現実に戻されてしまった。だが仕方がない。女装の件は僕がやると決めて引き受けたのだから、最善を尽くしたい。
だが文化祭で女装することは、父にも母にも話せていない。躊躇しているうちに、その日は大きな法要があるので文化祭には行けないと言われたので機会を逃してしまった。
あとは流……流にだけは見られたくない。
兄の情けない姿だ。
いくら自分で納得して女装すると言っても、やっぱり弟には見せたくないという気持ちだけはしこりのように強く残っている。流とは女装コンテストが終わった後に待ち合わせすることで、なんとか自分の中でも納得できた。
****
「流石、立派なお寺だね」
「そうかー 月影寺ほど庭は広くないけどな」
「うちは山奥だから」
達哉の家は鎌倉でも有名な『建海寺』なのは知っていた。だが実際に訪れるのは初めてで気後れしてしまう。まだ引っ越して来たばかりで父が寺を継いで間もないので、周辺の寺の事情について知らないことばかりだ。だが僕もいずれ月影寺を受け継ぐ身として、粗相のないようにしないと。
グッと気が引き締まった。
「翠、どうした? 表情が硬いぞ?」
頬を達哉につねられた。
「痛っ」
「ははっ、そんなに緊張すんなって。それに今日行くのは寺じゃなくてこっち」
肩を組まれ寺の本堂ではなく左に折れた道へと誘われた。
「何処に行くんだ? 僕はてっきり本堂かと……」
「だから女装の件って言っただろう? 今日の用事は」
「それは、そうだけど」
案内されたのは寺の離れだった。僕たちが月影寺で暮らすように、達哉の私室もやはり離れにあるようだ。
「こっち、こっち」
「達哉の部屋?」
「惜しい!」
「じゃあ誰の部屋に?」
手首を掴まれ長い渡り廊下を足早に進み、その突き当りの部屋を達哉はノックした。
「おーい! 姉さん帰っているか」
お姉さん?
達哉には克哉くんという流と同級生の弟がいるのは知っていたが、お姉さんもいたなんて、初めて知る事実だった。
「なぁに達哉なの?」
襖が開いて現れたのは綺麗に化粧をした髪の長い女性だった。背がモデルみたいに高くて、恐らく大学生くらいだろうか。間近で若い女性に会うのは滅多にないので焦ってしまった。
「姉さん。こいつは俺の友人の翠だ、よろしくな」
「わっ! 何っ? すごい美人っ」
達哉のお姉さんは僕の顔を見るなり、口に手をあて驚いていた。
でも男の僕に向かって美人?
その形容は間違っていると、心の中で思った。
「あのさ、この通り! 姉さんに頼みがある!」
達哉がガバッと頭を下げ、手を合わせながら頼みごとをした。
「翠、文化祭で女装しないといけなくて。姉さん手伝ってよ」
「えっ! この子が女装するの? ふふっ、達哉の学校もなかなかやるわね。何でも似合いそうね」
髪をかき上げながら、その女性は笑っていた。達哉のお姉さんらしく、さっぱりと快活な感じだった。
「そういうことならいいわよ。私の服を貸してあげる。背丈もそう変わらないしね」
ウインクされて、どう反応したらいいのか困った。
そうだった僕は……
キュっと唇を噛んで俯いてしまった。
いくら文化祭の余興のためとはいえ、男のくせに友人のお姉さんに女物の洋服を借りに来たという事実に、今更ながら気が付いて消え入りたいほど恥ずかしかった。
『こんなのただの余興だ。せっかくなら楽しもうぜ!』
流ならきっとこう言うだろう。
流のように笑い飛ばせるだけの度量が、僕にもあればいいのに。
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