忍ぶれど… 兄は俺の光――息が届くほど近くにいるのに、けっして触れてはならぬ想い人

志生帆 海

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忍ぶれど……

父になる 2

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「じゃあ、翠さんお留守番よろしくね。あー 久しぶりの外出で嬉しいわ」
「うん、ゆっくりお義母さんと買い物をしてくるといいよ」
「ありがとう。薙くんが起きて泣いたら、おむつかミルクね。教えたから大丈夫よね?」
「たぶん……」

 出産内祝いの手配のために彩乃さんが出かけてから、暫くは薙はいい子に眠っていた。

 僕も久しぶりに一人になれてほっとしていた。

 ところがソファで一時間ほど読書をした頃に、突然火が付いたように薙が泣き出してしまった。
 
 「わっ、薙……どうした? 参ったな」

 ベビーベッドの薙を見下ろせば、楓の葉っぱのような小さな手をぎゅっと握りしめて、目から涙をポロポロ流している。

 顔も体も真っ赤に染め、身体全体を使って……大泣きになってしまった。

「よしよし……えっと、抱っこ……かな?」

 僕がおそるおそる胸に抱くと、赤ん坊の薙は泣きながら僕の胸に顔を押し付け、僕のシャツをぎゅっとその手で握りしめてくれた。赤ん坊特有の匂いがふわっと香った。
 
「わっ……可愛い! こんなに小さいんだな」

 我が子がこんなに可愛いなんて。

 じわじわと湧きあがる愛おしさを感じ、沈んでいた心が解けていく。

「薙……なぎ……君は僕の息子だ……大切な宝物だ」

 そう口に出すと、無性に一緒に泣きたい気持ちになった。

 ところが抱っこでは薙は一向に泣き止まない。ますます泣き方がひどくなってきたので、彩乃さんのアドバイスを思い出し、おむつを替えてみた。それから哺乳瓶のミルクを与えてみた。でも駄目だ。泣き止まないので困ってしまう。手も足も必死にバタつかせて、真っ赤な顔で泣き叫んでいる。

「どうしよう……困ったな」

 僕は薙を横抱きにしながら、部屋を右往左往した。
 
 この子は僕がいないと生きていけない程、小さな存在だ。

 大事にしたいし、大事にする。

 もう二度と間違いたくないよ。

 流とは結局あのままだ。

 薙が生まれた日に会ってから音沙汰がない。

 月影寺で毎日共に過ごした、あの和やかな日々は帰ってこない。

 流はずっと怒っている。

 僕はそれが本当に辛くて寂しくて、思わず薙と一緒に泣いてしまいそうになった。

 涙がじわっと浮かび零れ落ちそうになった時に、突然インターホンが鳴ったので、彩乃さんの帰宅が早まったのかと縋る思いで、泣いている薙を片手に玄関の扉を開いた。

 ところが驚いたことに、そこには流が立っていた。

「流……なんで」

 心臓が口から出そうな程、驚いた。

「なんだよ! 来ちゃ悪かったか」
「いや、驚いただけ……」
「……今日は彩乃さんがいなくて、兄さんが一人で子守りだから手伝えと、母さんからのお達しで来た」
「そ……そうか、すごく嬉しいよ」

 流は僕から目を逸らし、胸元で大泣きしている薙のことを見つめて、ふっと口元を緩めた。

 あ……笑った? 

 久しぶりに流の笑顔を見た気がした。

「コイツ、ずいぶん派手に泣いてんな」
「あっ……うん、それがね、おむつもミルクもやったのに泣き止まなくて、困っているんだ」
「……あがっていいか」
「もちろんだよ」

 嬉しかった。淡々とした会話だが、流が僕とまともに会話をしてくれている。それだけで満ち足りたような気持になった。本当にいつぶりだろう。普通に話してくれるのは……
 
「ほら、貸してみろよ」

 薙をひょいと抱き上げた流が、器用に薙をゆりかごのように揺らしていけば、自然と泣き止んでいく。

「えっ、なんで? どうして?」
「兄さんの抱き方が悪い」
「そっ、そうなのか。どこが悪かった? っていうか、なんで流はそんなに上手いんだ?」
「……寺の檀家さんちで、習ってきた」
「えっ」

 もしかして……僕のために? 

 そんな風に考えてしまうのは奢りだろうか。

 流が僕のために何かをしてくれる。

 そのことがあまりに久しぶりで嬉しくて泣きそうだ。

「兄さん。聞いてんのか。ほらコツ教えてやるから」
「うっ、うん」
「まず、赤ん坊に対して腕はこうだ」

 あ……流が僕にまた触れてくれた。

 温かい。流の手はいつだって温かかった。それを思い出した。

「こう? あれっ?」

 抱き方が悪かったのか、また薙がムズムズと泣き出してしまった。

「あーもう、不器用だな、兄さんは。角度が急すぎるんだよ」
「え……こうかな?」
「そうそう。そのま身体をゆっくり横に揺らして」
「これでいい?」
「もっとリズムにのって」
「う……うん?」
「こうだ」

 流が僕の背後から腕をまわして、薙ごと包み込むような感じで、ゆっくりと僕を揺らしてくれた。

「あ……」

 流が触れてくれるだけで、僕の胸は何故こんなに熱くなるのか。

 弟に対して不思議な感情が湧いて戸惑ってしまった。

 でも嬉しい感情の方がずっとずっと強かった。

「兄さんいいぞ。その調子」

 泣いていた薙は次第に落ち着いて瞼を閉じ、まどろんでいく。

 僕の沈んでいた心も、流が来てくれたお陰で、どんどん浮上していく。

 僕の方から突き放したのに、僕はこんなにも流を待っていたのだと、痛感してしまった。

「流……ありがとう。流……」

 僕は何度も流の名を呼んでしまった。
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