83 / 236
忍ぶれど……
父になる 18
しおりを挟む
北鎌倉の月影寺へ帰る道すがら、細い道になると兄さんは自然と身体をずらして、俺の後ろを歩いてくれた。
そのことに猛烈に胸が高鳴った。
俺がずっと後ろから見つめていた兄さんが、今は俺の背中を見つめて歩んでくれることが嬉しくて、ますます帰したくない、愛おしい人だと思ってしまった。
だが淡い夢のような時間は、そう長くは続かなかった。
「あの車……」
月影寺の山門右手の駐車場を見つめて、兄さんが小さな声で呟いた。
嫌な予感は的中してしまった。
寺に不釣り合いの真っ赤な車が停まっていた。
山門を潜り、母屋に入るなり、案の定、女性の匂いがした。
香水をつけているとかそういうのではなく、気配が匂うっていうのか。
「翠さんったら、遅い!」
いきなり廊下から現れたのは、兄さんの奥さんの彩乃さんだ。
「彩乃さんがどうして、ここに?」
「もう、どれだけ待たすつもりなの? せっかく迎えに来てあげたのに」
「あっ、ごめん」
兄さんが動揺しているのに、お構いなしに急かし立ててくる。
「さぁ早く帰りましょう。薙を実家に預けてきたから、すぐに戻らないといけないのよ。授乳の時間もあるんだから、察して頂戴」
「待って……だが、そんな急に」
「何言っているの? もうインフルエンザも治ったのでしょう。だったら東京に戻って来て頂戴。私一人で薙の面倒を見るのは大変なんだから」
「あっ、そうだよね。ごめん。彩乃さんに任せきりで……」
兄さんの顔が、どんどん青ざめていくのが手に取るように分かった。
おい、どうして嫁さんにそんなに気を遣う? こっちだって病み上がりなんだぞ。
「そうよ。年末でただでさ気忙しいのだから、治ったら自分からすぐに戻ってくるのが筋でしょう。それが何? 弟さんと呑気に観光しているってお義母さんに聞いて呆れてしまったわ」
「彩乃さん、そんな言い方はしないでくれ。流は僕に付き合ってくれたんだ」
「はいはい。可愛い弟ちゃんですものね。あら、なあに? そのマフラー」
「あっ、これは……」
押され気味な兄さんが、はっとした表情で俺があげたマフラーに手を伸ばすよりも早く、彩乃さんがマフラーを剥ぎ取ってしまった。
「こんな淡い色なんて、あなたに全然似合わないわ! 私があげた物をちゃんとしてよ!」
なんて気性の荒い嫁さんなんだ。
これが本性なのか……
兄さんはいつもこんな調子に付き合ってるのか。
くそっ! 俺の兄さんを馬鹿にしやがって。
男だったら、ぶん殴っているところだ!
手のひらをギュッと握り締めて必死に耐えた。
ここで暴れたら駄目だ。
兄さんに迷惑がかかるだけだ。
もう、そういうのは卒業したはずだ。
足元には、俺がついさっき贈ったばかりの、俺が拾ってあげたばかりの優しいベージュのマフラーがはらりと落ちていた。
兄さんの柔和な顎の輪郭をベージュのマフラーが寄り添うように優しく包んでいるのが似合いすぎて高揚したのは、ついさっきのことなのに、何故こんな酷い仕打ちを受ける?
やはり兄さんはもう嫁さんのもので、永遠に俺には手が届かない人だ。
それを痛感するしかなかった。
「……流……ごめんよ。僕……もう帰るね」
そっと肩に置かれた手を容赦なくピシャッと振り払ったのは、この俺だ。
もう二度と優しい顔なんてするもんか。
兄さんなんて……兄さんなんて、もう知るか!!
父親なんだろう? 夫なんだろう?
もう俺の兄でも、なんでもない存在だ!
こんな悔し想いをするなら、優しくなんてしなきゃよかった。
もう二度と優しくなんてしない!
俺の知らないところで、勝手に生きて行けばいい!
サヨナラだ。もう永遠にサヨナラだ。兄さん……
兄さんから無言でスッと離れた。
本当は心で泣いていた。
こんなに好きなのに……
どうして俺は好きになっていけない人を、こんなに好きなのだろう。
あぁ、とても惨めだ。
兄さんは俺をどこまでも惨めにする人だ。
決して叶わない恋だと知っているから、もう限界だ。
もう離れたい。
今日という日を境に、俺は兄さんを今度こそ完全に遮断する。
兄さんをギロッと睨んで、俺はその場から去った。
「流、待って、待ってくれ!」
兄さんの悲痛な声に、絶望という二文字が過った。
「父になる」了
そのことに猛烈に胸が高鳴った。
俺がずっと後ろから見つめていた兄さんが、今は俺の背中を見つめて歩んでくれることが嬉しくて、ますます帰したくない、愛おしい人だと思ってしまった。
だが淡い夢のような時間は、そう長くは続かなかった。
「あの車……」
月影寺の山門右手の駐車場を見つめて、兄さんが小さな声で呟いた。
嫌な予感は的中してしまった。
寺に不釣り合いの真っ赤な車が停まっていた。
山門を潜り、母屋に入るなり、案の定、女性の匂いがした。
香水をつけているとかそういうのではなく、気配が匂うっていうのか。
「翠さんったら、遅い!」
いきなり廊下から現れたのは、兄さんの奥さんの彩乃さんだ。
「彩乃さんがどうして、ここに?」
「もう、どれだけ待たすつもりなの? せっかく迎えに来てあげたのに」
「あっ、ごめん」
兄さんが動揺しているのに、お構いなしに急かし立ててくる。
「さぁ早く帰りましょう。薙を実家に預けてきたから、すぐに戻らないといけないのよ。授乳の時間もあるんだから、察して頂戴」
「待って……だが、そんな急に」
「何言っているの? もうインフルエンザも治ったのでしょう。だったら東京に戻って来て頂戴。私一人で薙の面倒を見るのは大変なんだから」
「あっ、そうだよね。ごめん。彩乃さんに任せきりで……」
兄さんの顔が、どんどん青ざめていくのが手に取るように分かった。
おい、どうして嫁さんにそんなに気を遣う? こっちだって病み上がりなんだぞ。
「そうよ。年末でただでさ気忙しいのだから、治ったら自分からすぐに戻ってくるのが筋でしょう。それが何? 弟さんと呑気に観光しているってお義母さんに聞いて呆れてしまったわ」
「彩乃さん、そんな言い方はしないでくれ。流は僕に付き合ってくれたんだ」
「はいはい。可愛い弟ちゃんですものね。あら、なあに? そのマフラー」
「あっ、これは……」
押され気味な兄さんが、はっとした表情で俺があげたマフラーに手を伸ばすよりも早く、彩乃さんがマフラーを剥ぎ取ってしまった。
「こんな淡い色なんて、あなたに全然似合わないわ! 私があげた物をちゃんとしてよ!」
なんて気性の荒い嫁さんなんだ。
これが本性なのか……
兄さんはいつもこんな調子に付き合ってるのか。
くそっ! 俺の兄さんを馬鹿にしやがって。
男だったら、ぶん殴っているところだ!
手のひらをギュッと握り締めて必死に耐えた。
ここで暴れたら駄目だ。
兄さんに迷惑がかかるだけだ。
もう、そういうのは卒業したはずだ。
足元には、俺がついさっき贈ったばかりの、俺が拾ってあげたばかりの優しいベージュのマフラーがはらりと落ちていた。
兄さんの柔和な顎の輪郭をベージュのマフラーが寄り添うように優しく包んでいるのが似合いすぎて高揚したのは、ついさっきのことなのに、何故こんな酷い仕打ちを受ける?
やはり兄さんはもう嫁さんのもので、永遠に俺には手が届かない人だ。
それを痛感するしかなかった。
「……流……ごめんよ。僕……もう帰るね」
そっと肩に置かれた手を容赦なくピシャッと振り払ったのは、この俺だ。
もう二度と優しい顔なんてするもんか。
兄さんなんて……兄さんなんて、もう知るか!!
父親なんだろう? 夫なんだろう?
もう俺の兄でも、なんでもない存在だ!
こんな悔し想いをするなら、優しくなんてしなきゃよかった。
もう二度と優しくなんてしない!
俺の知らないところで、勝手に生きて行けばいい!
サヨナラだ。もう永遠にサヨナラだ。兄さん……
兄さんから無言でスッと離れた。
本当は心で泣いていた。
こんなに好きなのに……
どうして俺は好きになっていけない人を、こんなに好きなのだろう。
あぁ、とても惨めだ。
兄さんは俺をどこまでも惨めにする人だ。
決して叶わない恋だと知っているから、もう限界だ。
もう離れたい。
今日という日を境に、俺は兄さんを今度こそ完全に遮断する。
兄さんをギロッと睨んで、俺はその場から去った。
「流、待って、待ってくれ!」
兄さんの悲痛な声に、絶望という二文字が過った。
「父になる」了
10
あなたにおすすめの小説
俺がこんなにモテるのはおかしいだろ!? 〜魔法と弟を愛でたいだけなのに、なぜそんなに執着してくるんだ!!!〜
小屋瀬
BL
「兄さんは僕に守られてればいい。ずっと、僕の側にいたらいい。」
魔法高等学校入学式。自覚ありのブラコン、レイ−クレシスは、今日入学してくる大好きな弟との再会に心を踊らせていた。“これからは毎日弟を愛でながら、大好きな魔法制作に明け暮れる日々を過ごせる”そう思っていたレイに待ち受けていたのは、波乱万丈な毎日で―――
義弟からの激しい束縛、王子からの謎の執着、親友からの重い愛⋯俺はただ、普通に過ごしたいだけなのにーーー!!!
ウサギ獣人を毛嫌いしているオオカミ獣人後輩に、嘘をついたウサギ獣人オレ。大学時代後輩から逃げたのに、大人になって再会するなんて!?
灯璃
BL
ごく普通に大学に通う、宇佐木 寧(ねい)には、ひょんな事から懐いてくれる後輩がいた。
オオカミ獣人でアルファの、狼谷 凛旺(りおう)だ。
ーここは、普通に獣人が現代社会で暮らす世界ー
獣人の中でも、肉食と草食で格差があり、さらに男女以外の第二の性別、アルファ、ベータ、オメガがあった。オメガは男でもアルファの子が産めるのだが、そこそこ差別されていたのでベータだと言った方が楽だった。
そんな中で、肉食のオオカミ獣人の狼谷が、草食オメガのオレに懐いているのは、単にオレたちのオタク趣味が合ったからだった。
だが、こいつは、ウサギ獣人を毛嫌いしていて、よりにもよって、オレはウサギ獣人のオメガだった。
話が合うこいつと話をするのは楽しい。だから、学生生活の間だけ、なんとか隠しとおせば大丈夫だろう。
そんな風に簡単に思っていたからか、突然に発情期を迎えたオレは、自業自得の後悔をする羽目になるーー。
みたいな、大学篇と、その後の社会人編。
BL大賞ポイントいれて頂いた方々!ありがとうございました!!
※本編完結しました!お読みいただきありがとうございました!
※短編1本追加しました。これにて完結です!ありがとうございました!
旧題「ウサギ獣人が嫌いな、オオカミ獣人後輩を騙してしまった。ついでにオメガなのにベータと言ってしまったオレの、後悔」
男子高校に入学したらハーレムでした!
はやしかわともえ
BL
閲覧ありがとうございます。
ゆっくり書いていきます。
毎日19時更新です。
よろしくお願い致します。
2022.04.28
お気に入り、栞ありがとうございます。
とても励みになります。
引き続き宜しくお願いします。
2022.05.01
近々番外編SSをあげます。
よければ覗いてみてください。
2022.05.10
お気に入りしてくれてる方、閲覧くださってる方、ありがとうございます。
精一杯書いていきます。
2022.05.15
閲覧、お気に入り、ありがとうございます。
読んでいただけてとても嬉しいです。
近々番外編をあげます。
良ければ覗いてみてください。
2022.05.28
今日で完結です。閲覧、お気に入り本当にありがとうございました。
次作も頑張って書きます。
よろしくおねがいします。
平凡ワンコ系が憧れの幼なじみにめちゃくちゃにされちゃう話(小説版)
優狗レエス
BL
Ultra∞maniacの続きです。短編連作になっています。
本編とちがってキャラクターそれぞれ一人称の小説です。
相性最高な最悪の男 ~ラブホで会った大嫌いな同僚に執着されて逃げられない~
柊 千鶴
BL
【執着攻め×強気受け】
人付き合いを好まず、常に周囲と一定の距離を置いてきた篠崎には、唯一激しく口論を交わす男がいた。
その仲の悪さから「天敵」と称される同期の男だ。
完璧人間と名高い男とは性格も意見も合わず、顔を合わせればいがみ合う日々を送っていた。
ところがある日。
篠崎が人肌恋しさを慰めるため、出会い系サイトで男を見繕いホテルに向かうと、部屋の中では件の「天敵」月島亮介が待っていた。
「ど、どうしてお前がここにいる⁉」「それはこちらの台詞だ…!」
一夜の過ちとして終わるかと思われた関係は、徐々にふたりの間に変化をもたらし、月島の秘められた執着心が明らかになっていく。
いつも嫌味を言い合っているライバルとマッチングしてしまい、一晩だけの関係で終わるには惜しいほど身体の相性は良く、抜け出せないまま囲われ執着され溺愛されていく話。小説家になろうに投稿した小説の改訂版です。
合わせて漫画もよろしくお願いします。(https://www.alphapolis.co.jp/manga/763604729/304424900)
イケメン後輩のスマホを拾ったらロック画が俺でした
天埜鳩愛
BL
☆本編番外編 完結済✨ 感想嬉しいです!
元バスケ部の俺が拾ったスマホのロック画は、ユニフォーム姿の“俺”。
持ち主は、顔面国宝の一年生。
なんで俺の写真? なんでロック画?
問い詰める間もなく「この人が最優先なんで」って宣言されて、女子の悲鳴の中、肩を掴まれて連行された。……俺、ただスマホ届けに来ただけなんだけど。
頼られたら嫌とは言えない南澤燈真は高校二年生。クールなイケメン後輩、北門唯が置き忘れたスマホを手に取ってみると、ロック画が何故か中学時代の燈真だった! 北門はモテ男ゆえに女子からしつこくされ、燈真が助けることに。その日から学年を越え急激に仲良くなる二人。燈真は誰にも言えなかった悩みを北門にだけ打ち明けて……。一途なメロ後輩 × 絆され男前先輩の、救いすくわれ・持ちつ持たれつラブ!
☆ノベマ!の青春BLコンテスト最終選考作品に加筆&新エピソードを加えたアルファポリス版です。
平凡ハイスペックのマイペース少年!〜王道学園風〜
ミクリ21
BL
竜城 梓という平凡な見た目のハイスペック高校生の話です。
王道学園物が元ネタで、とにかくコメディに走る物語を心掛けています!
※作者の遊び心を詰め込んだ作品になります。
※現在連載中止中で、途中までしかないです。
今日もBL営業カフェで働いています!?
卵丸
BL
ブラック企業の会社に嫌気がさして、退職した沢良宜 篤は給料が高い、男だけのカフェに面接を受けるが「腐男子ですか?」と聞かれて「腐男子ではない」と答えてしまい。改めて、説明文の「BLカフェ」と見てなかったので不採用と思っていたが次の日に採用通知が届き疑心暗鬼で初日バイトに向かうと、店長とBL営業をして腐女子のお客様を喜ばせて!?ノンケBL初心者のバイトと同性愛者の店長のノンケから始まるBLコメディ
※ 不定期更新です。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる