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色は匂へど……
波の綾 1
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薙との初めて面会をした日から季節は巡り、夏になっていた。
朝から蝉が忙しく鳴き、灼熱の太陽が照りつけている。
「ふぅ、すっかり夏本番だね」
朝の読経を終えると既に袈裟の中は汗で濡れていたが、北鎌倉の夏を体感できる喜びを噛みしめていた。
視力が回復すると同時に体調も落ち着き、本格的に月影寺の僧侶として父の元で精進する日々だ。
また僕らしい時間が動き出した。
毎日がとても愛おしく感じるよ。
やがてお盆がやってきた。
お盆は寺の繁忙期で、一日に何軒もの檀家の法事をまわり読経を行うことになっている。
「翠や、最近は檀家も増え大忙しだ。私ひとりではもう無理だから、翠にも任せていいか」
「はい、もちろんです」
「それで……もう身体の具合は大丈夫なのか、無理していないか」
慈悲深い父の声、あたたかい眼差しに、僕は一呼吸置いてから微笑んでみせた。
「はい、もうこの通りすっかり元気です」
「良かったな。本当に良かった。また翠と仏事を執り行うことが出来て嬉しいよ」
「住職……僕を再び受け入れて下さって改めてありがとうございます」
頭を下げると、優しく背中を撫でられた。
まるで父の懐に、深く抱きしめてもらったような心地になる。
「翠は私の可愛い息子だ。長男として生まれ、すぐに二人も弟が生まれたので、色々と大変だったろう。ずっと……我慢させること、一人で頑張らせることも多かったな。だから謝るな。翠はもう充分頑張った」
「お父さん……」
「よしよし、久しぶりにそう呼んでくれたな。翠は弟子であり私の息子だ。自慢の息子だよ。それでお盆のことだが、翠に任せたいのは車では上れない辺鄙な場所なんだ。徒歩で20分も、山登りせねばならない。だから流と行きなさい」
「はい」
父に任されたのは、二宮の吾妻山公園の近くの檀家さんの家だった。
その旨を告げると、流は大喜びだった。
「11時からなら昼前には終わるな。なら弁当を持って行こうぜ! 近くにある吾妻山公園は360度の大パノラマでさ、箱根や丹沢、富士山が手に取るように感じられるんだ。それに南には相模湾が広がっていて、晴れた日には大島や初島も見えるんだ。兄さんを一度連れて行ってやりたかったんだ。それに一面の芝生が広がっているので、休憩するにはもってこいだ」
張り切る流を、僕は目を細めて見つめた。
「流、言っておくけど遠足ではないよ?」
「だが、どこかで昼休みを取らないと、午後の檀家の家に行けないだろう。だからいいだろ? 弁当を持って外で食べようぜ」
「だが……誰が作るの? 母さんは忙しいよ」
「もちろん俺が作るよ」
「流が?」
「あぁ、任せておけ」
「わかった。じゃあ用意してもらおうかな」
「おぉ!」
僕も気持ちが高揚してきた。
そう言えば……
小学校の頃、全校遠足で流と縦割り班が一緒になった。あの時、流は友達よりも僕にずっとくっついて可愛かったな。
……
「にいちゃん、これ」
「ん?」
「おやつだよ。にいちゃんにあげる」
「これって……仏さまのお供えじゃないのか」
「えへへ、たくさんあったし、おいしそうだったから」
「……流は食いしん坊だな」
「いっしょにたべよ」
「もう……いいかい? 今日は特別だよ。僕達だけの秘密にしないと母さんに怒られちゃうよ」
「うん!」
……
やんちゃな流。
今もあの頃と少しも変わってないようだ。
そして僕は、今も昔も流に甘いようだ。
忙しくて目が回りそうなお盆だが、一つの楽しみを見つけた。
朝から蝉が忙しく鳴き、灼熱の太陽が照りつけている。
「ふぅ、すっかり夏本番だね」
朝の読経を終えると既に袈裟の中は汗で濡れていたが、北鎌倉の夏を体感できる喜びを噛みしめていた。
視力が回復すると同時に体調も落ち着き、本格的に月影寺の僧侶として父の元で精進する日々だ。
また僕らしい時間が動き出した。
毎日がとても愛おしく感じるよ。
やがてお盆がやってきた。
お盆は寺の繁忙期で、一日に何軒もの檀家の法事をまわり読経を行うことになっている。
「翠や、最近は檀家も増え大忙しだ。私ひとりではもう無理だから、翠にも任せていいか」
「はい、もちろんです」
「それで……もう身体の具合は大丈夫なのか、無理していないか」
慈悲深い父の声、あたたかい眼差しに、僕は一呼吸置いてから微笑んでみせた。
「はい、もうこの通りすっかり元気です」
「良かったな。本当に良かった。また翠と仏事を執り行うことが出来て嬉しいよ」
「住職……僕を再び受け入れて下さって改めてありがとうございます」
頭を下げると、優しく背中を撫でられた。
まるで父の懐に、深く抱きしめてもらったような心地になる。
「翠は私の可愛い息子だ。長男として生まれ、すぐに二人も弟が生まれたので、色々と大変だったろう。ずっと……我慢させること、一人で頑張らせることも多かったな。だから謝るな。翠はもう充分頑張った」
「お父さん……」
「よしよし、久しぶりにそう呼んでくれたな。翠は弟子であり私の息子だ。自慢の息子だよ。それでお盆のことだが、翠に任せたいのは車では上れない辺鄙な場所なんだ。徒歩で20分も、山登りせねばならない。だから流と行きなさい」
「はい」
父に任されたのは、二宮の吾妻山公園の近くの檀家さんの家だった。
その旨を告げると、流は大喜びだった。
「11時からなら昼前には終わるな。なら弁当を持って行こうぜ! 近くにある吾妻山公園は360度の大パノラマでさ、箱根や丹沢、富士山が手に取るように感じられるんだ。それに南には相模湾が広がっていて、晴れた日には大島や初島も見えるんだ。兄さんを一度連れて行ってやりたかったんだ。それに一面の芝生が広がっているので、休憩するにはもってこいだ」
張り切る流を、僕は目を細めて見つめた。
「流、言っておくけど遠足ではないよ?」
「だが、どこかで昼休みを取らないと、午後の檀家の家に行けないだろう。だからいいだろ? 弁当を持って外で食べようぜ」
「だが……誰が作るの? 母さんは忙しいよ」
「もちろん俺が作るよ」
「流が?」
「あぁ、任せておけ」
「わかった。じゃあ用意してもらおうかな」
「おぉ!」
僕も気持ちが高揚してきた。
そう言えば……
小学校の頃、全校遠足で流と縦割り班が一緒になった。あの時、流は友達よりも僕にずっとくっついて可愛かったな。
……
「にいちゃん、これ」
「ん?」
「おやつだよ。にいちゃんにあげる」
「これって……仏さまのお供えじゃないのか」
「えへへ、たくさんあったし、おいしそうだったから」
「……流は食いしん坊だな」
「いっしょにたべよ」
「もう……いいかい? 今日は特別だよ。僕達だけの秘密にしないと母さんに怒られちゃうよ」
「うん!」
……
やんちゃな流。
今もあの頃と少しも変わってないようだ。
そして僕は、今も昔も流に甘いようだ。
忙しくて目が回りそうなお盆だが、一つの楽しみを見つけた。
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