忍ぶれど… 兄は俺の光――息が届くほど近くにいるのに、けっして触れてはならぬ想い人

志生帆 海

文字の大きさ
153 / 236
色は匂へど……

入相の鐘 5

しおりを挟む
 地下駐車場で1時間ほど待った。

 何となくの予感。

 翠はすぐに戻って来ないと察した。

 あの元妻がわざわざ東京に呼び出して、すぐに帰すはずがない。

 これ以上地下にいると気が滅入りそうだから、地上に上がった。

 区役所の正面玄関は、いろんな人が行き交っていた。

 暫く壁にもたれて、通り過ぎていく人を眺めていた。

 やがて……

 エレベーターが1階に到着した瞬間、俺の鼻は過敏に感じ取った。

 来る!

 身を翻して隠れると、翠と元妻が並んで降りて来た。

 翠は「ここで」と別れを告げたようだが、元妻が翠に手を伸ばし引き止めた。

 甘えるように媚びるように。

 やはり、ただじゃ帰さないつもりだな。

 ここで俺がしゃしゃり出ると、兄さんがまた追い詰められてしまう。

 そんな理由で身を隠す道を選んだ。

 とはいえども、二人の行き先が気になった。

 俺は、必ず翠の傍にいると約束したから。

 行き先は区役所から10分ほど歩いた高層ビルで、上層階がホテルになっているようだ。

 エレベーターはノンストップで上がり、最上階で停止した。

 案内板でイタリアンレストランがあることを確認した。

「二人でランチか」

 相変わらず自分勝手だな。翠は出掛けに昼食は済ましていたのに。

 ここで翠から連絡が一度入った。

「ごめん、事情があって昼食を一緒に取ることになった。だから先に帰っていいよ」

 それはもう知っている。

 大丈夫だ、焦らなくてもいい。

 翠を置いて俺が帰るなんて、天地がひっくり返ってもありえん。

「待っているから、気にするな」
「でも……」
「どんなに遅くなっても、待っている」
「ごめん」
「謝るな、俺の意志だ」

 そう言いきったものの、その後、ホテルのロビーでひたすら待つことになった。

 ランチなら1時間、長くても2時間程度だろう。

 しかし、待てど暮らせど翠からの連絡は来ない。

 嫌な予感がする。

 もしかして? 

 ホテルのレストランということは、客室と直結している。

 まさか……

 二人は離婚したのに、まだ肉体関係を続けるのか。

 元妻ならやりかねない。
 
 あの日のことが今でも忘れられない。

 薄い壁を隔てた場所に俺がいるのを知って、まるであの時の声を聞かせるかのように、兄さんの部屋で求めた人だ。

 簡単には翠を解放しないつもりなのか。

 自分本意な我が儘な行為が、翠の心をどんなに傷つけるか知っているのか。

 相手の気持ちを思い遣ったことはあるのか。

 沸き起こる狂おしいまでの怒りは、必死に流した。

 深呼吸を繰り返し、瞑想した。

 ここで俺が逆上し翠をひとりにしてはいけない。

 どんなことがあっても傍にいると約束したのだから。

 責任感が強く父親としての自覚を持っている翠だから、薙を引きあいに出されたら断れない。彩乃さんもそれを知って痛いところを突いて来る。もしかしたら『償い』というご都合主義の言葉を振りかざしたのでは?

 兄さんの急所を突くとは、なんて酷いことを――

 翠の心の悲鳴が聞こえる。

 『すまない、流……すまない。僕はどこまでも汚れている』

 そんな悲痛な声が。

 否――

 違う。

 翠は翠だ。

 何があろうと俺の翠なんだ。

 翠の色が濁りそうになったら、俺が流してやる。

 俺が綺麗さっぱり忘れさせてやる。

 だから、どうか――

 逃げるな。

 残酷な匂いに顔をあげた。

 元妻が勝ち誇った表情を浮かべて降りてきた。

 ハイヒールの音が甲高く耳障りだ。

 区役所で見かけた時よりも艶めいた女の顔をしていた。

 つけたての香水の香りに、膝の上の手をキツく握った。
 
 やはり……翠を求めたな。

 翠に抱かれた顔をしている。

 あの日の朝のように――

 その事がショックなのではなく、翠が自暴自棄になっていなかが心配だ。

 翠、どこにいる?

 俺を呼べ。

 大丈夫だ、怖がるな。
 
 俺は全てを受け入れる覚悟で傍にいるのだから。

 それから更に1時間後。

 心の整理をつけたのか、翠から連絡が入った。

「流、心配かけてすまない。今日はこのまま一人で帰りたい。お願いだ。一人で帰らせてくれ」
「駄目だ、絶対に一緒に帰る」
「だが……僕は……」
「どんな翠でも構わない。俺が連れて帰る」
「……ごめん、何も聞かないで欲しい。今何か聞かれたら、車から飛び降りてしまいそうだ」

 物騒なことを、俺を置いて逝くなんて許さない。

 絶対に。

「聞かないよ。だから頼む、姿を見せてくれ。翠の姿が見えないのが怖い」
「……僕も……流がいないのがとても怖い。だから流の元に戻ってもいいか」
「当たり前だ。そうしてくれ! 区役所の駐車場で待っている」
「……ありがとう」

 これでいい。

 俺は大丈夫だ。

 翠が一緒に、同じ場所に帰ってくれるから――

 さぁ月影寺に帰ろう。

 俺たちの家に。





しおりを挟む
感想 14

あなたにおすすめの小説

吊るされた少年は惨めな絶頂を繰り返す

五月雨時雨
BL
ブログに掲載した短編です。

上司、快楽に沈むまで

赤林檎
BL
完璧な男――それが、営業部課長・**榊(さかき)**の社内での評判だった。 冷静沈着、部下にも厳しい。私生活の噂すら立たないほどの隙のなさ。 だが、その“完璧”が崩れる日がくるとは、誰も想像していなかった。 入社三年目の篠原は、榊の直属の部下。 真面目だが強気で、どこか挑発的な笑みを浮かべる青年。 ある夜、取引先とのトラブル対応で二人だけが残ったオフィスで、 篠原は上司に向かって、いつもの穏やかな口調を崩した。「……そんな顔、部下には見せないんですね」 疲労で僅かに緩んだ榊の表情。 その弱さを見逃さず、篠原はデスク越しに距離を詰める。 「強がらなくていいですよ。俺の前では、もう」 指先が榊のネクタイを掴む。 引き寄せられた瞬間、榊の理性は音を立てて崩れた。 拒むことも、許すこともできないまま、 彼は“部下”の手によって、ひとつずつ乱されていく。 言葉で支配され、触れられるたびに、自分の知らなかった感情と快楽を知る。それは、上司としての誇りを壊すほどに甘く、逃れられないほどに深い。 だが、篠原の視線の奥に宿るのは、ただの欲望ではなかった。 そこには、ずっと榊だけを見つめ続けてきた、静かな執着がある。 「俺、前から思ってたんです。  あなたが誰かに“支配される”ところ、きっと綺麗だろうなって」 支配する側だったはずの男が、 支配されることで初めて“生きている”と感じてしまう――。 上司と部下、立場も理性も、すべてが絡み合うオフィスの夜。 秘密の扉を開けた榊は、もう戻れない。 快楽に溺れるその瞬間まで、彼を待つのは破滅か、それとも救いか。 ――これは、ひとりの上司が“愛”という名の支配に沈んでいく物語。

BL 男達の性事情

蔵屋
BL
 漁師の仕事は、海や川で魚介類を獲ることである。 漁獲だけでなく、養殖業に携わる漁師もいる。  漁師の仕事は多岐にわたる。 例えば漁船の操縦や漁具の準備や漁獲物の処理等。  陸上での魚の選別や船や漁具の手入れなど、 多彩だ。  漁師の日常は毎日漁に出て魚介類を獲るのが主な業務だ。  漁獲とは海や川で魚介類を獲ること。  養殖の場合は魚介類を育ててから出荷する養殖業もある。  陸上作業の場合は獲った魚の選別、船や漁具の手入れを行うことだ。  漁業の種類と言われる仕事がある。 漁師の仕事だ。  仕事の内容は漁を行う場所や方法によって多様である。  沿岸漁業と言われる比較的に浜から近い漁場で行われ、日帰りが基本。  日本の漁師の多くがこの形態なのだ。  沖合(近海)漁業という仕事もある。 沿岸漁業よりも遠い漁場で行われる。  遠洋漁業は数ヶ月以上漁船で生活することになる。  内水面漁業というのは川や湖で行われる漁業のことだ。  漁師の働き方は、さまざま。 漁業の種類や狙う魚によって異なるのだ。  出漁時間は早朝や深夜に出漁し、市場が開くまでに港に戻り魚の選別を終えるという仕事が日常である。  休日でも釣りをしたり、漁具の手入れをしたりと、海を愛する男達が多い。  個人事業主になれば漁船や漁具を自分で用意し、漁業権などの資格も必要になってくる。  漁師には、豊富な知識と経験が必要だ。  専門知識は魚類の生態や漁場に関する知識、漁法の技術と言えるだろう。  資格は小型船舶操縦士免許、海上特殊無線技士免許、潜水士免許などの資格があれば役に立つ。  漁師の仕事は、自然を相手にする厳しさもあるが大きなやりがいがある。  食の提供は人々の毎日の食卓に新鮮な海の幸を届ける重要な役割を担っているのだ。  地域との連携も必要である。 沿岸漁業では地域社会との結びつきが強く、地元のイベントにも関わってくる。  この物語の主人公は極楽翔太。18歳。 翔太は来年4月から地元で漁師となり働くことが決まっている。  もう一人の主人公は木下英二。28歳。 地元で料理旅館を経営するオーナー。  翔太がアルバイトしている地元のガソリンスタンドで英二と偶然あったのだ。 この物語の始まりである。  この物語はフィクションです。 この物語に出てくる団体名や個人名など同じであってもまったく関係ありません。

兄弟カフェ 〜僕達の関係は誰にも邪魔できない〜

紅夜チャンプル
BL
ある街にイケメン兄弟が経営するお洒落なカフェ「セプタンブル」がある。真面目で優しい兄の碧人(あおと)、明るく爽やかな弟の健人(けんと)。2人は今日も多くの女性客に素敵なひとときを提供する。 ただし‥‥家に帰った2人の本当の姿はお互いを愛し、甘い時間を過ごす兄弟であった。お店では「兄貴」「健人」と呼び合うのに対し、家では「あお兄」「ケン」と呼んでぎゅっと抱き合って眠りにつく。 そんな2人の前に現れたのは、大学生の幸成(ゆきなり)。純粋そうな彼との出会いにより兄弟の関係は‥‥?

男子寮のベットの軋む音

なる
BL
ある大学に男子寮が存在した。 そこでは、思春期の男達が住んでおり先輩と後輩からなる相部屋制度。 ある一室からは夜な夜なベットの軋む音が聞こえる。 女子禁制の禁断の場所。

寮生活のイジメ【社会人版】

ポコたん
BL
田舎から出てきた真面目な社会人が先輩社員に性的イジメされそのあと仕返しをする創作BL小説 【この小説は性行為・同性愛・SM・イジメ的要素が含まれます。理解のある方のみこの先にお進みください。】 全四話 毎週日曜日の正午に一話ずつ公開

一軍男子と兄弟になりました

しょうがやき
BL
親の再婚で一軍男子と兄弟になった、平凡男子の話。

伝説のS級おじさん、俺の「匂い」がないと発狂して国を滅ぼすらしいい

マンスーン
BL
ギルドの事務職員・三上薫は、ある日、ギルドロビーで発作を起こしかけていた英雄ガルド・ベルンシュタインから抱きしめられ、首筋を猛烈に吸引。「見つけた……俺の酸素……!」と叫び、離れなくなってしまう。 最強おじさん(変態)×ギルドの事務職員(平凡) 世界観が現代日本、異世界ごちゃ混ぜ設定になっております。

処理中です...